冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2024年10月26日土曜日

60歳からはじめる…

  『60歳からはじめる趣味の自転車』(2024, 辰巳出版)という本を買った。「ゼロからでもリターンでも走り出すならいま!」という副題がついている。表紙をめくると、「冒険するのに年齢なんて関係ない、自転車と一緒なら。」と、自転車に乗ることをあおっている。

 自分に当てはめると、スポーツ自転車に乗り始めたのがちょうど60歳のときだった。ゼロからのスタートではあったが、幼稚園児のころから高校生時代まで自転車に乗っていたのでリターン組ともいえる。

 72歳にもなって、いまさら『60歳からはじめる…』でもないと思いながら、これまでの振り返りをするにはちょうど良いと思って読んだ。

 「趣味として楽しむ自転車とは?」「自分にぴったりの自転車ライフをはじめよう!」という記事がある。「身体の健康と自転車の健康」といったお役立ち情報がある。「ジャンル別スポーツ自転車カタログ」も載っている。よく似た記事をどこかで読んだ覚えがある。

 それもそのはず、『60歳からが楽しい自転車趣味人』(2020,  辰巳出版)という本を4年前に買っていた。このときは「年齢不問 自転車に乗ってもっと元気にアクティブに!」という副題にあおられた。記事の内容に重複が多い。紛らわしいタイトルの二番煎じの本を出すな、辰巳出版。

 そういいたいところだが、読み比べると4年間の変遷がうかがえる。紹介されている自転車のブレーキはディスクブレーキが主流になっている。小径車が大きく取り上げられているのは、60歳以上のライダーに小径車の愛好家が増えているからか。4年前には新顔だったE-bikeの記事が幅をきかせているのも新しい。

 雑誌と単行本を合わせたムック本(magazine+book=mook)は、写真や図説が多くて読みやすい。よく時代を反映している。世の自転車愛好家の動向を知るにはちょうどよい。60歳からの自転車とのつき合い方を振り返り、自転車に乗る気をあおられた。

何歳からはじめると
限ったことでもないだろう

今からはじめる

ここでおわる

どこからはじめても
はじめるときが今

どこでおわっても
おわったときが今


2024年10月19日土曜日

うまくいかない日

  いつも、何でも、うまくいくとは限らない。先週の木曜日に遠出をしようと思って家を出た。目的地は走り出してから決める。しばらく走って、岐阜羽島方面へ行こうと決めた。揖斐川沿いに50㎞走って折り返せば100㎞は走れる。幸い天気は上々。

 木曽三川公園の長良川大橋を渡り、長良川と木曽川の間の背割堤を北上することした。「馬の背」と呼ばれるこの堤防は、自転車には最適だ。堤防を走ったあとは、羽島田園街道をまっすぐに北上すればよい。

 ところが、除草作業中で堤防が通れない。予定が狂う。やむを得ず、立田大橋を渡り木曽川の左岸堤を北へとる。かなり走ったところで、護岸工事のためにまたしても通行止め。堤防からすぐには降りられないので同じ道を引き返す。大きなロスタイムになった。

 家から30㎞走った東海大橋東詰のコンビニで初めての休憩をした。ここで高性能の自転車に乗る中年の男性に声をかけられた。自転車の話から始まって、車、オートバイと話題が広がる。私が元中学の教員だと明かしたら、その人の中学時代の思い出話が始まり、仕事のことから人生哲学。延々とその人の話を聞くことになった。

 話が面白いので1時間近く聞いていた。その間も走っていれば20㎞は先へ行けたはずだ。羽島まで行くのは厳しくなった。予定のコースを変えて、馬飼大橋から南濃大橋を渡り、お千代保稲荷へ向かう。

 そこで昼食にしようと思って、現金を全く持っていないことに気がついた。スマホのアプリで支払いをするので、途中で困ることはなかった。名物の串カツを店先で立ち食いするには現金がいる。諦めるしかない。

 朝から当てが外れっ放しだ。最初に考えた進路が消えた。選び直した進路は閉ざされた。さらに回り道をしたら、今度は思わぬ時間を費やした。コース変更の末に辿り着いた場所では昼食にもありつけない。

 やることなすことうまくいかない日もある。むしろそんな日が多い。思い通りにいかないからこそ面白いと考えれば気が楽である。

きのうは
あしたになったら
うまくいくだろうと思っていた

きょうになっても
あしたになったら
うまくいくだろうと思っている

あしたになっても
あしたはうまくいくだろうと
思っているだろうか

いつかは
思いどおりの日が
くるのだろうか

きょうもあしたもその先も
うまくいかないままでも
それはそれでいい

2024年10月12日土曜日

倹約か浪費か

  珍しく長い時間本屋で立ち読みをした。「立ち読み」といっても通じるかどうか。今や死語と化しているかもしれない。目星をつけてネットで本を注文することが多い。立ち読みはほとんどしなくなった。

本屋に足しげく通ったころは、面白そうな本を見つけると、今は読まないかもしれないが、いずれ読むだろうと思って何冊もまとめて買った。

 先日、立ち読みしたときも、面白そうな本を数冊見つけた。倹約のために1冊だけに絞って買おうと思った。どの1冊にしたものかと迷った。挙句の果てに、1冊も買わずに帰った。迷ったら全部買っていたときもあったのに、迷ったので1冊も買わずに帰って来た。

 倹約を理由に、いつか読もうという前向きの発想が、読まないかもしれないという後ろ向きな発想に変わっている。大げさにいえば、広がりかけていた新しい世界の扉を閉じてしまった。

 自転車の部品選びをしていても、同じようなことがある。消耗部品のタイヤやチェーンは定期的に交換する。ちょっとグレードの高いものを使ってみようかと迷う。迷った末に、今までと同じもので我慢する。倹約のために、むしろグレードの低いものを選んだり、交換を先延ばしにしたりということさえある。

 古いクロスバイクのハンドルを交換するときにも迷った。今のままで充分。走りに支障があるわけでもない。ハンドルを換えれば、他にも部品が必要になる。限られた年金での生活に浪費は禁物。ともすると、諦めが先に立ち、気持ちは後向きになる。

 ハンドル1本で古いバイクが蘇えった。また遠くまで走ってみようという気にもなる。倹約にこだわり過ぎて、読みたい本を読まなかったり、試したい自転車の部品を諦めたりすることが、世界を閉ざし使える物を閉じ込め、見えない浪費になっている。

これは倹約のために

これは浪費をしないために

理由をみつけて
見ようとしない

言い訳を探して
行こうとしない

倹約や浪費はちょっと忘れて
今のその先へ踏み出してみる





2024年10月5日土曜日

ハンドル沼

  たかが自転車のハンドルである。実用自転車であれば、新しく買ってから乗らなくなるまで、ハンドルを交換することなど考えもしないだろう。初めて乗ったときにハンドルのイメージは固まり、色も形もそんなものだと思いこむ。

 ハンドルとは舵取りをするものだと思っていた。スポーツ自転車に乗って、それだけではないことに気がついた。方向を変えるというよりも、身体を支え、バランスを取り、ときには危機を回避する大事な装置なのだ。

 速く走ろう、遠くまで走ろうと思うと、ハンドルの形が大いに影響する。ハンドルの形が変わると、乗車姿勢が変わる。姿勢が変わればペダルの踏み具合も変化する。舗装路を走るか不整地や山道に乗り入れようとするかでも、ふさわしいハンドルの形は変わってくる。

 写真や映画に登場する自転車を見ていると、お洒落なハンドルが自転車のスタイルを引き立てている。ハンドルに巻かれたバーテープやグリップの色使い、ハンドルの形は自転車の顔だ。その自転車がどんな使われ方をしているかまで判る気がする。

 少し前に、クロスバイクのハンドルを交換した。ノースロードバーという珍しい形のハンドルだ。ハンドルを換えたら、グリップの位置が低くなって乗りにくい。ハンドルを支えるステムという部品でハンドルの角度と高さを変え調整を繰り返した。

 サドルの前後の位置や角度も少し走っては変えてみる。一番しっくりするポジションを探す。速く走ることよりも、長距離を乗っても疲れが少ない自転車にしたい。

 もっと違った形のハンドルの方がいいのではないかと迷いが出る。ハンドルのお値段、千円ちょっとくらいのものから、何と110万円を超えるものまで。形に色にお値段に、それに加えて取付け位置まで、迷いはじめればきりがない。たかがハンドルではすまされない。ずぶずぶと深みにはまる。これがハンドル沼と呼ばれる底なし沼か。

色、形、手触り
デザインと機能の合意

幅、高さ、角度、
乗りやすさと位置の同意

走って、止まって、調整し
調整したら、走って、止まる

今年は遅れて来た曼殊沙華

ハンドルの先に赤い道