冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年3月27日土曜日

発見「梅戸城」跡

  そこは家からわずか5㎞程の所にあった。自転車で15分も走れば、登城する道の入り口に至る。近くに住む人なら誰でも知っているのだろうが、自分にとっては新発見。梅戸城跡に辿り着いた。

 これまでにも、城山の下を何度か通ったことがある。「門前地区 森林浴健康ウォーキングコース 新坂~光蓮寺山公園~南坂」という看板を見たことがある。道の奥が気になっていたが、遊歩道だろうと思って、自転車で走るのを躊躇っていた。もっとも、クロスバイクやロードバイクでは走れそうにない。

 先日、マウンテンバイクで通りかかって、自転車でも走れるか試してみたくなった。幸い人影は見当たらない。ウォーキングコースの看板は民家のすぐ脇に立てられていて、自転車で乗り込むのは、ちょっと気が引けるが、昼日中に歩く人もなさそうだ。

 走り始めてしばらくは、アスファルトの道が竹やぶの間を続く。突然、舗装は途切れ、急な坂道にさしかかる。竹藪が崩れているので、土嚢を積んだり、ブルーシートで斜面を覆ったりしてある。大がかりな整備ではなく、素人工事で補修が重ねられているのがうかがえる。整備はされているが、荒れてもいる。

 さらに登ると、狭い道に階段状に土嚢が積まれている。白い土嚢袋は、雪が積もっているようにも見える。土嚢をまたぎながら登らなければならない。マウンテンバイクなので、多少無理をして、低いギアを使って乗り越える。土嚢の段差が大きくなって、次第に登るのが難しくなる。

 一番軽いギアを使って、力まかせに段差を越えようとしたら、前輪が浮き上がってウィーリー状態になった。転倒をさけて、ゆっくりとバイクを倒す。とはいえ(てい)のいい転倒である。誰もいない森閑とした道ではあるが、周りを見回す。転倒したり、何かへまをしたりすると、誰も見ていなかったか、つい周囲を確認いたら、それらしい言い訳が必要である。一度止まると静止した状態からはとても漕ぎ出せない。バイクはずるずると後退する。やむなく、急斜面だけはバイクを押して登ることになる。

 やがて、というほどの長い道のりでもないが、前方に視界が開ける。何十本も梅の木を植えた畑が広がり、遠くの山並みが臨める。やや奥まったところに、「梅戸城跡 光蓮寺山公園」という石碑がひっそりと建てられていて、ここが城跡だと判る。城の礎石と土塁らしいものが残されている。

 公園とはいえ遊具などは見当たらず、手作りのブランコが高い樹の下で、空からつるされたように揺れていた。城が城として生きていたころから変わらない光と風の中で、誰も乗らないブランコが揺れつづけている。そこだけ切り開かれた空が、雑木の間から中世と同じ明るさでのぞいている。背景を選んで自転車を立てかけカメラを構えていると、いつの間にか一匹の猿が後ろに来ていて、興味深げに同じ方向を見つめていた。

    梅戸城は田光城主・梅戸高実によって築かれたと伝わる。伊勢(桑名)から近江(八幡)に通じる八風街道一帯を支配した梅戸氏は、通行税を徴収するためにこの城を築いた。1568年(永禄11年)の織田信長による北伊勢侵攻で滅亡、廃城になった。

民家のそばにある案内板
自転車で入ってもいいのかどうか…

折れた竹が行く手を阻む
前方にはかなり手ごわそうな道がつづく

次第にきつくなる坂道
次第にわくわくして来る

坂を登り終えると
突然あたりが開ける

訪れる人もなく
ひっそりと静まりかえる城跡
城主の気分を味わう

天空から吊られたブランコ
城があったときと同じ風に揺れている

ブランコの上で揺れる自転車
木漏れ日がふりそそぐ

城主 梅戸高実の墓所 光蓮禅寺
城山を降りてホッと一息つく






2021年3月20日土曜日

『チップス先生、さようなら』

  「霧深い夕暮れ、煖炉の前に座って回想にふけるチップス先生の胸に、ブルックフィールド校での六十余年の楽しい思い出が去来する…。腕白だが礼儀正しい学生たちとの愉快な毎日、美しく聡明だった亡き妻、大戦当時の緊迫した明け暮れ…。厳格な反面、ユーモアに満ちた英国人気質の愛すべき老教師と、イギリスの代表的なパブリック・スクールの生活を描いて絶賛された不朽の名作」 これは、新潮文庫版『チップス先生、さようなら』の短い解説である。

 『チップス先生、さようなら』を読めば、教職を生業(なりわい)としていた者なら、きっと自分の経験を想起する場面に出会うだろう。そうでない人も、自分の中・高校生時代を振り返れば、よく似た出来事の一つや二つは見つかるはずだ。

 「アラビアのロレンス」を観て、主演のピーター・オトゥールがチップス先生を演じた映画があったことを思い出し、「チップス先生さようなら」(1969)を観た。原作ジェームズ・ヒルトンの小説も読みなおしてみた。昔買ったはずの本が見当たらないので、電子版を新たに購入した。英語の原作は書架にあった。サム・ウッド監督、ロバート・ドーナット主演で1939年に製作された、原作を同じくする映画もある。これは、今回初めて観た。1939年版の方がストーリー展開は原作に近い。

原作では、チップス先生が、彼の教育観にまで影響を与えることになる妻キャサリンと初めて出会う場面で、自転車が一役買っている。「キャサリンのような人物に出会ったのは初めてだった。(略)当世風の女性、いわゆる“新しい女”には反撥を感じると思っていた。(略)チップスは前後の車輪の大きさが同じ安全自転車で湖畔の道を走って来るキャサリンの姿を目にとめることを楽しみに待つようになった」。当時は「自転車が大流行し、男ばかりか女までもが夢中になるありさま」で、自転車はキャサリンが新しい時代の女性であることを暗示する。因みに、「安全自転車」は原作の「safety bicycle」をそのまま翻訳したものである。

 1939年版の映画にも自転車が登場する。ここでは、キャサリンはオーストリアを自転車(bicycling)で旅する女性という設定になっている。チップス先生は、自転車に「女性がまたいで乗るのか?」と初対面のキャサリンに尋ね、「自転車は時速15マイル(字幕では25キロと翻訳)もスピードが出て恐ろしい。女性が乗るのは薦められない」と異を立てる。1969年版では、チップス先生とキャサリンの幸福な結婚生活の一コマとして、二人がサイクリングを楽しむ短いシーンが織り込まれている。

 チップス先生の生徒との関り方や教育観、妻への愛情、イギリスの教育制度やパブリック・スクールの伝統、そして第一次大戦下のヨーロッパ情勢など、原作や映画の主題は自転車とは別のところにある。初めて原作にふれたときには読み飛ばした自転車の短い場面が、今回はどういう訳か印象に残った。文学や映画の価値や本質は変わらない。読み手や鑑賞者の変化で、その都度ちがって現れる。最近は、どうも自転車に気を取られる傾向にある。

    表記は「チップス先生、さようなら」と「チップス先生さようなら」が併存する。ヒルトンの初版および映画の原題は “Good-bye, Mr.Chips” である。


Safety Bycicle(右)
前輪と後輪が同じ大きさ
チェーン駆動が特徴
フォークの形状も進化
 

安全自転車の宣伝用ポスター
ジョン・ケンプ・スターレーが考案
1885年に販売開始
イギリスから全世界を席捲


『チップス先生…』に登場する自転車に近い
安全自転車には婦人用もあった
「女性用もあるのよ、ご存じない?」
というセリフが1939年版の映画にある
「ママチャリ」の原型

女性二人のbicycling
映画版『チップス先生…』(1939)では
キャサリンが女性の友だちと二人でオーストリアを旅行

娘とbicyclingに出かけた
前の自転車は愛用のアンカー
世が世なら娘も先進的な女性というわけだ

愛用のラレーもヴィンテージ風に変身
Safety Bicycleの現代版

つい最近の写真を
古い写真のように加工してみたが…

新しい写真の
画素を細工して
光沢を消しても色彩を薄めても
古い写真から
時の移ろいが
光沢を奪い色彩を剥いだようには
残したいものが残せない
残りたいものが残れない
呆気ないし素気ない

時に任せて
ゆっくりとていねいに古びる
抗うこともできないし
真似ることもできない







2021年3月13日土曜日

ヘルメットのこと

  1972年、20歳の頃、ドイツのローテンブルクという小さな町で半年ほどホームステイをした。ある晩、同じ家に止宿していたイタリア人の青年、アントニオ・ツァルカー君と町の小さな映画館で「アラビアのロレンス」を観た。上映時間3時間を超える大作である。当時、製作10周年のリバイバル上映だったように覚えている。主人公のアラビアのロレンスことトマス・エドワード・ロレンス中尉(後に昇任して大佐)が率いた、アラブ独立闘争を描いた映画である。

50年も前に観た映画だが、冒頭のロレンス卿が乗るオートバイの事故シーンが強烈に印象に残っている。事故で亡くなったロレンス卿はヘルメットをかぶっていたかどうか、最近になって、ふと気になることがあった。そこで、1963年日本公開の映画をDVDで観なおした。名優ピーター・オトゥール演じるロレンス卿はヘルメットをかぶっていない。オートバイを走らせる前から、ストーリーを暗示する緊迫と悲壮感が漂っている。オトゥールの演技が冴えている。

前方から来た2台の自転車をよけそこなったのが事故の原因ということも、映画を観なおして判った。もし、ロレンス卿がヘルメットをかぶっていたら、もし、自転車が道路の中央を並走していなかったら、卿はもっと長生きできただろう。

日本で、オートバイ乗車時のヘルメット着用が義務付けられたのは1972年、ちょうどドイツにいた頃である。帰国してオートバイに乗ると、ヘルメットが窮屈だったのを思い出す。免許を取って乗り始めた頃は、オートバイもヘルメットはいらなかった。くわえ煙草で、髪をなびかせて走ったものである。行儀はよろしくないが、気分は最高だった。

 今では、自転車に乗るときにも、ヘルメットの着用が勧められている。法令で定められているわけではないが、スポーツ自転車に乗るときには、着用が当たり前になっている。デザイン、色、それに値段、自転車用のヘルメットは多様だが、どれも何となく大仰で、しかも鉢が開いているように見える。着用するのが常識といわれても好きになれない。軽量に作られているとはいえ、かぶれば頭は重い。首が疲れる。爽快な気分は削がれる。 

 自転車はオートバイほどスピードが出るわけでもないので、ヘルメットの必要はないように思うが、盤石の安全対策をするに越したことはない。ヘルメットの着用には、自転車がスピードの出る危険な乗り物だということを、歩行者や車のドライバーに認識してもらう意味もあると聞く。どう見ても不格好で好きになれないが、一番多いといわれる頭部の深刻な怪我を避けて、長く自転車と付き合うためには、ヘルメットの着用を自分に義務付けておきたい。

 ところで、オートバイの事故から始まる映画「アラビアのロレンス」は、その後、アラビア半島でのロレンス卿の奮闘を壮大なスケールで描き、やがて卿の失意とともに結末を迎える。ラストシーン、ロレンス卿の乗るロールス・ロイスを追い抜くオートバイが、冒頭の場面へと回帰する。


山へ行くときには
マウンテンバイク用のヘルメットを着用する

山へ行くときには
おにぎりを買ってリュックサックに入れる
人里では犬、山では猿や雉に出会うので
きび団子もいくつか持っていると良い

ヘルメットと獣よけのベルと
おにぎりの入ったリュックサックは三種の神器
このベルで熊、猪、猿が
退散してくれるとは思えないが…

転ばぬ先のヘルメット
急がば回るほど急がない
石橋は叩いて危うければ引き返す

徐行の際にもヘルメット
寝ていて転ぶことはないが
走れば躓く

番外:友だち所有のハーレーダビッドソン(’21.3.1撮影)
   またがっただけなのでノーヘル
   昔はこんな格好で乗れた
   乾燥重量300㎏超 自転車30台分?
   こんな怪物はとても乗りこなせない



2021年3月5日金曜日

自動アップデートの功罪

 長年、日記をつけている。「てきぱき家計簿マム」という家計簿ソフトの日記欄が便利なので、20年近く使っている。最近、日記を書くのに、日本語の入力がどうもうまくいかない。そこで、サンテク株式会社「家計簿マムサポート係」へメールで問い合わせた。

「日記の日本語入力の際、キーボードが反応しません。waと打つと「あ」と変換、saと打つと「あ」、reは「え」と変換されます。「。」「、」を入力すると改行されてしまいます。WordExcelの日本語ローマ字入力ではそういう現象は起きません。家計簿マムの入力の際にだけ発生します。何か原因が考えられますか、対処法があればお教えください。」 状況を説明するのは難しいが、できるだけ具体的に質問したつもありである。すぐにサポート係から回答があった。(※wa,sa,reを例示したのは、キーボドの左上の5つのキーで打てるから)

「マム9では日本語入力は、Windowsの日本語入力システムを呼び出して使用しておりますので、日本語入力システムに何らかの影響を受けている可能性も考えられます。少し状況は異なりますが、使用中にエラーになってしまう場合の対処方法が弊社ホームページにございますので、対処方法をお試しいただき、状況をご確認いただけますでしょうか。[対処方法1] から [対処方法4] までありますので お手数ですが、ひとつずつ実施をお願いいたします。ご案内は以上となります。」「ご案内は以上となります」とは何とも突き放した言い方である。それ以上訊かれても困りますと言外ににおわせている。免責の宣言である。

 対処法をすべて試したが改善しない。最後はソフトの再インストールもしたが状況は変わらない。思案に暮れていたが、Windowsの自動アップデートが影響しているかもしれないと考え、日本語入力システムIMEを古いバージョンに戻してみた。マイクロソフト社の罪というわけでもないが、問題はこれであっさり解決した。

解決したことをメールし、「他のユーザーからも同じような質問があるはずなので、対処の方法を公表すべきだ」と、やや抗議調で書き添えておいた。解決方法を伝えたことへの謝礼と「確かに同じような質問が寄せられているので、早急に対処する」という返信があった。最後は、またしても「ご案内は以上となります」と締めくくられていた。「お詫び(と言い訳)とお礼を申し上げます」と言うべきだろうと思ったが、ダメ押しのメールはしなかった。自動アップデートというシステムは、ユーザーの知らないうちにコンピュータの性能を補正してくれるが、思わぬ副作用や副反応が出る。功罪相半ばというところである。

自転車は乗りつづけていれば、部品は消耗し性能は落ちる。ときおりはアップデートが必要である。自動アップデートというシステムがないので、知らないうちに勝手に性能を変えられるということはない。アップデートの時期や内容を考えて、自分の判断でということになる。ことのついでに、乗り手のアップデートもできないものだろうか。身心ともに無償で自動アップデートできるシステムがあれば、これは功罪を問うまでもなく、大いに手柄が勝る。

乗りつづけていれば
タイヤもブレーキも摩耗する

ギアだって、チェーンだって
長い距離を走っていれば
擦り減って性能は落ちてくる
折を見てアップデートしたい

春の息吹を感じるころには
自然界にもアップデートの兆しが見える

万物のアップデート日和
地球をまるごと更新する大作業

季節がアップデートされる
大規模無償自動更新システム

乗り手も負けてはいられない
心も身体もアップデートして
新しい季節の中を走り始める