冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年11月25日土曜日

スポーツ用具

  『自転車組立、検査及び整備マニュアル』という、自転車技士試験を受験するための冊子がある。一般財団法人日本車両検査協会が発行している。自転車技士にはどんな技能が求められるのか知りたくて取り寄せてみた。

 この冊子によると、スポーティ車、シティ車、実用車や子供車は一般用自転車に分類されている。スポーティ車とは、マウンテンバイクとロードレーサーを組み合わせたクロスバイクのような自転車をいう。マウンテンバイクやロードレーサーはスポーツ専用自転車に分類される。

 スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗るということはスポーツをするということになる。あるいは、スポーツをしたいのであれば、スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗ればいいということになる。自転車の分類にこだわらなくても、乗り方によっては、実用車でもスポーツ用に使えるような気がする。

用具を使うスポーツを本格的にやったことがないのでよく判らないが、テニスや卓球のラケットは手や腕の延長である。選手は自分の使い勝手のいいように手を加え、日ごろの手入れも入念にすることだろう。

 自転車競技ともなれば、これは手や足の延長というよりも、選手の身体に自転車までが含まれているようなもので、想像を絶するような自転車の改良や整備がされているはずだ。スポーツの種目によらず、良い戦績を残す選手は、自分の使う用具の手入れや調整もきっとうまくやれるだろう。

 趣味の域を出ないとはいえ、スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗ってスポーツに親しむ。身体を鍛えるところまではいかなくても、せめて体力を維持する。そういうことであれば、スポーツ用具としての自転車の手入れは怠れない。整備や手入れのために『自転車組立、…マニュアル』を手に入れたのも無駄ではなさそうだ。

むかし遠足で行った場所を訪ねる
もう行くことはないと思っていた

遠足では
まっすぐに並んで
前を見ろといわれた

脇見ばかりしているうちに
気がつけば年老いている

遠足に行ったお寺で
山姥の紙芝居を見て
その夜怖い夢を見た

思い出がここにもあって
ここでも思い出を拾った




2023年11月18日土曜日

電波は走る

  昨日、ご近所の四人で連れ立って、鈴鹿の椿神社まで自転車で行った。到着するとサイクルコンピュータは走行距離を22.59㎞と表示していた。他の人のメータ―も、多少の誤差はあるがほぼ同じだ。自動車ならともかく、自転車の速度や走行距離が正確に測れることは、ご存じない方も多いだろう。

 車輪のスポークに小さな磁石を取り付け、その磁石が通る回数をフロントフォークにつけたセンサーがカウントする。回転数と車輪の外周の寸法から速度や走行距離をコンピュータが計算する。マッチ箱くらいの小さな装置がそれをしてくれる。

 センサーが感知した車輪の回転数の信号は、前輪からハンドルにつけたサイクルコンピュータに電波で送られて計算される。速度や走行距離が小さな液晶画面に表示される仕掛けだ。

 椿神社までどんなコースを走ったか。到着後にスマホのアプリを使って、地図上に書きこまれたルートを確認する。これは車輪からハンドルまでのわずか数10cmを飛んだ電波ではなく、GPS衛星との2kmもの距離を行き交う電波で自転車の位置を計測して地図上に残された記録で確かめる。

 せっかく来たのだからと、椿神社の境内で写真を撮る。スマホで撮った写真は電波に乗ってクラウドに送られ保存される。帰宅後、家の中を飛び交うWi-Fiの電波を使って、コンピュータに写真を取り込む。

 一緒に出掛けた人たちに、写真や走ったルートの地図をLINEで送る。電波に乗った記録がそれぞれの人の手元に届く。

 自転車でただ走るだけではつまらない。どんな道を、どれだけの時間をかけて走ったか。記録に残せば話題は増える。楽しみも広がる。見えない電波と一緒に走れば、見える記録になって残される。

 それにしても、よく電波が混信しないものだ。走る自転車の周りを無数の電波が飛びまわっている。私の耳が高周波の電波に同調し感応したら、情報の多さに頭はきっとパンクする。

まつわるものを剥ぎ
背景を拒否した孤立

天空をさして
屹立する孤立

風景のなかで
静思する孤立

波は川面に広がり
周波は同調されて
孤立の居場所を
繋ぎとめていく

静寂のなかに
暮れていく孤立




2023年11月11日土曜日

雲り空

  ぬけるような青空の下で自転車を楽しむ日がつづいた。天気予報に少しでも雨マークがついている日は自転車に乗らないようにしている。気持ちのよい晴天のつづいた後は、雨はいうに及ばず、曇り空でも物足りない。心が映えない。

 曇り空を邪険にしてしまうが、インターネット上では雲が大きな役割を果たしている。自転車で出かけた先で撮影した写真は、自分のコンピュータに保存しなくても、クラウド(雲)に預けておく。

 必要なときには、その雲(クラウド)から写真を引き出して、このブログに貼り付ける。必要があれば加工やプリントもできる。自転車仲間と共有するアルバムを作れば、仲間であれば誰でもクラウドの中にあるアルバムに写真を貼り付けられるし、見たいときにスマートフォンやコンピュータでそのアルバムを見ることができる。

 ご近所の人や友人から、スマートフォンやコンピュータの設定や使い方を尋ねられることがある。自分もそれほど詳しくはないが、訊かれたら判る範囲でお手伝いをする。そのときに、なかなか理解を得られないのがクラウド(雲)の存在である。まぁ、便利なものだから使って損はないですよ、ということに落ち着く。

 デジタルカメラが売り出されたときには、フィルム無しで写真が残せて、コンピュータにつなげば印刷もできるということに驚いた。デジタル化された映像は、フロッピーディスクなどに保存もできた。今のように大容量の記憶装置がないので、フロッピーディスクには写真数枚しか保存できないという不便さはあった。通信速度の問題もあって、メールで写真を送るには延々と時間がかかった。

 今では、インターネットに接続すれば、かなりの枚数の写真がクラウドに瞬時で送れて保管もできる。同時に何人かでその写真を見ることもできる。何とも便利な雲である。自転車乗りにとって、空を暗くおおう雲はあまりありがたくないが、ネット上の雲の仕掛けはありがたい。

空が曇り
川が曇る

曇り空が
色を奪う

雲が空をおしあげる

雲が空をのばしていく

雲のない空が
今日はさみしい













2023年11月4日土曜日

ホースウィスパラー

 ウィスパーはささやき。ウィスパーラーはささやく人。ならばホースウィスパラーは馬にささやく人のことである。“whisperer ”には動物と話ができる人という意味もあるらしい。

 ロバート・レッドフォード監督・主演の『モンタナの風に抱かれて』(1998)という映画を観たときに、このストーリにどこかで出会っている気がした。映画の原作になった、ニコラス・エヴァンスの小説『ホースウィスパラー』を読んだ記憶がよみがえった。映画の邦題が原作とは全く違っているので、すぐには気がつかなかった。

 「13歳の少女グレースは乗馬中に巻き込まれた事故で親友と右足を失い、人生に深く絶望していた。彼女の愛馬ピルグリムも、事故のショックで人間になつかない暴れ馬になっていた。ニューヨークで雑誌編集長をしいるグレースの母親アニーは、娘の心を回復させるにはピルグリムの全快が必要だと悟る。馬の心を理解できるというホースウィスパラーの存在を知り、遠くモンタナまでその男、トムを訪ねて行く。……大自然の安らぎと愛に癒され、人は生きる勇気を取り戻す」映画のDVDジャケットにある解説文を引用した。

 映画では、登場人物よりも馬の演技が際立つ。事故のトラウマを抱えるグレースの愛馬ピルグリムはトムの力で心の傷を癒していく。片脚を失って深く傷ついていたグレースも立ち直っていく。モンタナの山々に囲まれた草原で、馬と対峙するトム。馬にささやくというよりは、馬のささやきを静かに聴いているようなシーンが印象に残る。

 映画やその原作のように劇的ではないが、ときどきは自転車に乗っていても同じようなこと思う。自然の中へ自転車を漕ぎ出し、風や自転車のささやきに耳をかたむける。自分のささやきを聴いてもらう。自転車の擬人化ではない。自転車を人間化して相棒にしている。

 

秋がささやいている
友だちに写真を送る

青すぎる、秋の青だ、と
返事が届く

ここまで来ても秋の青

駅の前にも秋の青

秋の青が砂に染みこむ

別れのことばを
ささやきながら
秋の青が退場する