はるがきた はるがきた どこにきた
やまにきた さとにきた のにもきた
はながさく はながさく どこにさく
やまにさく さとにさく のにもさく
とりがなく とりがなく どこになく
やまでなく さとでなく のでもなく
(高野辰之作詞・岡野貞一作曲)
この童謡の繰り返しの何と単調なことか。この単調な繰り返しは、春でなければ成り立たない。夏を繰り返せば暑苦しい。秋なら繰り返していると深まりすぎてしまうし、冬だと冷えきってしまうだろう。
自転車に乗っていると、季節のうつりかわりには敏感である。風の暖かさ爽やかさ、陽のぬくもりと夕暮れのなごり。水の流れる音や樹々の揺れ方にも春が来たことを感じる。春の気配を先取りできるのは自転車のおかげである。
それなのに、春の訪れを今頃書いているというのでは遅きに失する。季節を感じるセンサーが古びて、狂いが生じてきたというわけではない。ずっと前からセンサーは反応していたが、山にも里にも野にも自転車で出かけていって、春がやって来ていることを確かめていると、今になってしまう。どこに行ってもいつもどおりの春が来ているか、見てまわるには時間がかかる。
春の訪れは、待ちに待った客人がはるばる訪ねて来てくれるのに似ている。いつの間にか、青葉、新録の季節になってしまうので、あまりゆっくりと話し込んではいられないが、遠来の客人と自転車に乗りながら過ごす時間は大切にしたい。春が来たことを何度も繰り返して歌っていたくなる。
日足がのびたので、自転車に乗るには都合がいい。夕暮れにせかされて帰り道を急ぐ心配はない。心おきなく沿道の春を眺める。気分も身軽になれる。いつもの道からちょっとはずれて、竹やぶをぬけたり、雑木の林の向こうをのぞいたりする。自分が真っ先に発見したと思えるような、秘密にしておきたい場所が見つかる。春の秘境探検である。自転車を停めて川や池のほとりに降りてみる。そこにも春が来ていることを確かめながら、一息いれる。紫煙をくゆらす。今年も春が来ていることに安心する。
山や里、野の春だけでなく、川や海の春も確かめにいった。萌える草、満開の花、こずえの新芽、光る水面、自転車に映る陽光。眼福の至りである。景色の色や光ばかりではない。季節の味も堪能できた。高級な食材を買うゆとりはないし、自分の味覚にも自信はないが、掘りたての筍をいただいて、春の香りと食感を存分に楽しんだ。口の中にも春がひろがる。飛び切りの贅沢である。菓子作りの得意な走行会仲間がこしらえてくれた桜餅が美味い。桜の花びらをちらし、ほんのりと桜いろに染めた外郎(ういろう)もごちそうになった。春の口福を味わうことができた。今年も満遍無く、いつもと変わらない春が来た。
山に来た春 樹々の間から春の陽がのぞく |
里に来た春 道普請や農道の草刈りなど 村役に出そろう軽トラック 色は白ときどきシルバーがお決まり |
野にも来た春 放牧されている自転車 ライダーも自転車も歓談中 (この写真は走行会の仲間が撮影) |
山にも里にも野にも花が咲く 鳥もないている |
春は海にも来ていて ひねもすのたりのたりかな |
海から吹く春風 春は影でさえ明るい |
春風が大きな羽根をまわす 季節も銀輪もまわり始める |