冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年5月29日土曜日

自転車稼業

 街中を走っていると、廃業してしまった自転車屋さんを見かける。営業中なのか閉店したのか判らない店もある。軒先に時代物の看板が残っていたりする。後継する人がいなくて、細々とご近所の自転車の修理だけ続けているという自転車屋さんの話も聞く。長年培われた自転車整備の技術が途絶え、使い込まれた専用工具が錆びついてしまうのはもったいない。

掃除や店番を手伝いながら、自転車の整備や修理を教えてもらえるような店はないものか。アルバイトではなく、弟子入りをする。もちろん手弁当でよい。退職して自転車に乗り始めた頃にそんなことを考えていた。生半可な気持ちでは弟子入りできない。本気で教えを乞うのだから、日参することになる。自転車に乗る時間は削られる。躊躇している間に70歳も目前になった。時間切れを迎えた気もする。

 自分の自転車は自分で整備をしたり、部品を交換したりする。簡単な修理を近所の人から頼まれたこともある。すべて自己流の素人作業で、安全の保障はできない。今更自転車稼業を始めたいということでもないが、点検や簡単な修理、調整をするときは事故につながらないように確実にやりたい。

調べてみると、自転車店の営業に特別の資格は必要ないらしい。自転車技士や自転車安全整備士という資格を持っていることが推奨されるという程度である。自転車技士の資格を取得するには、一般財団法人日本車両検査協会が行う、「自転車組立、検査及び整備技術審査」に合格しなければならない。学科試験と実技審査が課せられる。審査がどの程度のものなのか、『自転車技士学科試験過去問題集』と『自転車組立、検査及び整備マニュアル』を車輛検査協会から取り寄せた。ネット販売はしてないので、協会へ注文書と現金を書留で送り入手した。

学科試験は50分間で20問の問題にマークシートで回答する。70%の正答で合格。マニュアルを熟読すれば何とかなりそうである。実技の審査には自前の自転車を持ち込む。前後ともに変速機を備えた自転車を準備する。25分間で所定の部分を分解し、80分で組み上げる技能を審査される。取り寄せたマニュアルに作業工程が詳述されている。ほとんどの作業は自分でもやったことがあるが、車輪のスポークは組んだことがない。審査に時間制限があり、短時間で組み上げるのは難しいが、繰り返し練習すれば独学独習でも審査を通りそうだ。

 何はともあれ、受験資格を満たしていることが先決問題である。条件の一つは、18歳以上であること。70歳直前なので、これは優に満たしている。もう一つ、組立・整備・点検の実務経験が2年以上あること。これには不適格である。本気で自転車屋さんに弟子入りしていれば、この条件もクリアできていたはずだ。もっとも、老舗の自転車店で、長年の稼業で得られた勘と経験にふれ、間近で学び、技術を習得できれば、自転車技士の資格はいらないだろう。

※ 自転車技士 認定団体:財団法人日本車両検査協会 後援:経済産業省         ※ 自転車安全整備士 認定団体:公益財団法人日本交通管理技術協会 後援:警視庁    同じ試験で両方の資格を取得できるが、整備士の方は面接試験がある

廃業した自転車店
ツノダ自転車の看板が残る
TU号のCMソングが聞こえる
つんつんツノダのテーユーご~

この店は営業中
BSブリヂストン自転車と
ヤマハオートバイ・メイトの看板
乗っちゃえ乗っちゃえヤマハメイト~

自転車技士の実技審査の課題
この状態まで25分間で分解し
80分間で完成車を組み上げる

学科試験の過去問の一例
どこかで見たような設問
法規に関する出題もある

今年は入梅が早いが雨の合間に出かける
自転車屋さんに弟子入りしていれば
こういう時間に技術を磨けたかもしれない

書を捨てて
技能の習得も半端なまま
海を見に来ている


2021年5月22日土曜日

ひとり旅

 自転車で出かければ、短い時間や距離であっても、気分ははるばるひとり旅である。走りなれた道を行くときも、遠くへ初めての道を辿るときも、自転車にはひとり旅が似合う。

 子どものころに、家族で旅行と名のつくものに出かけた記憶がない。家計に余裕がなかっただろうし、両親にはそういう発想もなかったのだろう。初めての旅の思い出は、小学校の修学旅行である。次の旅は中学校の修学旅行で、と数えれば3度目は高校のそれである。ともかく、旅といえば学校から連れて行ってもらう団体旅行しか知らなかった。

 修学旅行の歴史は古く明治時代にさかのぼるが、現在の形は1958年(昭和33)年の学習指導要領の改訂で、泊を伴う学校行事の一つとして位置づけられた。団体旅行を世界で初めて考案したのは、イギリスのトマス・クック社。旅が普通の人々にはなじみのなかった時代に、旅程を組み団体運賃で旅費を安くして、参加者を募集した。1841年のことである。

 修学旅行で駆け足の物見遊山や土産の調達を刷り込まれる。不登校でない限り、すべての日本人は学校で旅とはそんなものだと教えられる。旅のコースや日程は他力本願。みんなで同じ物を食べ、同じ部屋で寝る。職場の慰安・親睦旅行などで団体旅行はさらに幅を利かせる。旅の恥はかき捨て的態度は増幅し、朝からの飲酒なども加わる。旅先ではみんな揃って写真に収まる。旅行のパンフレットと同じ景色に自分たちを置いただけである。安価で安心かもしれないが、団体旅行は好きになれない。旅はひとりにかぎる。

 大学生になって、アルバイトをしたお金で貧乏旅行をした。ひとり旅の始まりである。団体旅行に定番の名所旧跡早回りと土産物屋の駆け足巡り、夜の宴会、記念の集合写真撮影は日程にない。コースの変更も滞在期間の延長も思うがまま、自由自在。ひとり旅が高じて、二十歳のときにはシベリア鉄道経由でヨーロッパへ行った。その後は、仕事に就いたり自分の家族ができたり、ここしばらくは老親の介護もあったりして、ふらりと一人旅に出る機会から遠ざかっていた。

 自転車に乗り始めて、再び、ひとり旅気分を満喫できるようになった。年老いた父の介護の合間にでも、自転車で出かければひとり旅気分は味わえる。コースはあらかじめ決めておいてもいいし、風まかせでもいい。人まかせにはしない。気が向けば一つ場所に留まるのもいい。短い旅でも自転車であればパンクや故障に見舞われ、雨に降られ風に吹かれ、不安や孤独も味わう。この心もとなさが、また、ひとり旅の醍醐味である。心細さのついでに、一度も行ったことがない北海道をいずれひとりで走ってみたい。

自転車が待っていてひとり旅

岩がキングコングになるひとり旅

電車の窓に手をふってひとり旅

お茶の葉の風にかおるひとり旅

川の辺にキハナショウブひとり旅

ぽつんといる街なかのひとり旅

付録:
典型的団体旅行的修学旅行集合写真
旗の先を持っているのが高校生の私


2021年5月15日土曜日

自転車泥棒

  少し古い資料であるが、警察庁『令和元年の刑法犯に関する統計資料』によると、2019年の自転車盗認知件数は約168703件にのぼる。盗まれた自転車が持ち主にもどる割合は極めて低い。我が家でも、娘が高校生のときに、通学用の自転車を盗られた。幸い、近くの交番から自転車が見つかったという連絡があった。見つけてもらった人には、些少のお礼をした。被害者がお礼をするというのもおかしな話である。

 先日、『自転車泥棒』という古い映画を観た。気をつけていると、よく似たものに目が留まることや、身の回りに同じような出来事が重なることがある。この流れで行くと、さては、自転車泥棒の被害に遭ったか、ということになるがさにあらず。件の映画について書かれた記事を偶然雑誌で見つけただけである。

 映画を観た翌日に買った、雑誌『文藝春秋』の5月号に「本気で笑える映画、泣ける映画」という記事を見つけた。筆者の柴山幹郎は、以前に紹介した『自転車乗りの夢』の筆者、佐々木幹郎(みきろう)と同じ名前であるが、こちらは「みきお」と読む。人の名前まで、よく似たものが寄ってくるのは何かの縁だろうか。

 記事には、「コロナ自粛を吹っ飛ばせ!厳選10本、おこもりシネマで爆笑して大泣きしてストレスを発散しよう」と添え書きがついている。泣ける映画5本のうちの1本に、『自転車泥棒』が挙げられていた。映画を見た翌日に、その作品について書かれた文章に出会う偶然。何かの縁である。以下は記事の引用。

 舞台は敗戦直後のローマ。主人公のアントニオは質屋でお金を工面して自転車を手に入れ、ポスター張りの仕事に就きますが、その仕事には欠かせない大切な自転車を盗まれてしまう。そこでアントニオは息子と一緒に自転車を求めて街をさまよう(略)。単純な話だと思われるかもしれませんが(略)この映画は40年代に生まれたイタリアのネオレアリズモという手法で撮られています(略)。ともすれば社会の矛盾とか、貧しさを描いたものとされがちですが、その前に風景や出演者のたたずまいを見てほしい。話では泣かなくても、そちらが涙を誘います。モニターの前で正座して見てください。 

 自転車泥棒を見つけられないアントニオは、困じ果てて人の自転車を盗むが、すぐに捕まってしまう。群衆に囲まれ責められるアントニオと、その袖にすがりつく幼い息子。罪を許され、人ごみの中に消えていく父子の後ろ姿にエンドマークが重なる。二人は明日を、未来を、どんな思いで生きていくのだろう。余韻が長く響く作品である。

 昨今、巷には高価な自転車があふれている。大戦直後のローマのネオレアリズモと状況は違うが、自転車の盗難は身近に起きても不思議ではない。『自転車泥棒』を観て、自転車泥棒の記事を読み、自転車泥棒について書いたので、更に偶然が重なり現実になって、自転車泥棒の餌食にならないように気をつけよう。

『自転車泥棒』のDVDのジャケット
ヴィットリオ・デ・シーカ 監督
1948年 イタリア映画

アントニオと息子のブルーノ
仕事のために自転車を手に入れたが
ここから悲劇が始まる
出演者のたたずまいが涙を誘う

街中に自転車を停める
こんなときに盗難の危機が迫るのかも…

無造作に街角に自転車を停める
人を疑うことはあまりしたくない

簡単に乗って行けるようではまずい
出来心を誘ってしまうのは罪作り
保管のときには施錠をしておきたい
アントニオも自転車に鍵をかけていれば…

いつも走る道に打ち捨てられた自転車
盗難に遭ったか放置されたか
警察署には届けておいたが…
自転車が粗末に扱われるのはさみしい




2021年5月8日土曜日

阿下喜チャレンジ

 

 三岐鉄道北勢線は全国でも数少ないナローゲージの鉄道で、営業距離20.4㎞は全国で一番長い。始発の西桑名駅から終着駅の阿下喜(あげき)まで、ゆっくりとしたスピードで田園風景の中を走る。高校へはこの電車で通った。当時は、手動式のドアを自分で開閉して乗降した。我が家は、北勢線の営業区間のちょうど真ん中にある。桑名、阿下喜10㎞ほどの距離である。

 近所の自転車に乗る知人が、天気が良ければ朝のうちに必ず阿下喜駅まで走るという。目安の所要時間を決めておいて、同じ時間帯に走る。日課になっていて、走らないと落ち着かないらしい。それを聞いて、幾人かの人が同じように走り始めた。

 私も自転車通勤していたころは、往復の25㎞を毎日走っていた。決まったコースを同じ時間に走る。無理のないペースで毎日自転車を漕ぐのは、身体を動かすのにちょうど良い。仕事を辞めてからは定時に同じコースを走るという乗り方はしなくなっていたが、知人の話を聞いて再開することにした。通勤や通学の車や自転車が道路から姿を消す9時ころに家を出て、阿下喜まで走るというやり方を真似てみる。 

 寒い朝や強い向かい風の日は、家を出て走り始めるのにちょっとした気合がいる。仕事に行くわけではないので、どうしてもというものでもない。一丁、阿下喜までチャレンジするか、と自分に声をかけて走り出す。交通量の多い道をさけて田んぼの中の道を走り始める。途中、北勢線の線路に沿って走り、員弁川の堤防を遡上する。正面には日々変化する藤原岳の山容を臨む。

 コースは往路が登り基調で、向かい風が吹くことが多い。10㎞を30分以内で走るとすると、平均時速20㎞で漕ぎ続けることになる。私の力では、阿下喜アタックと呼べるペースだ。示し合わせたり競ったりして走るわけではないが、同じころに同じ道を知人も走っていると思うと、トライアルの気分でもある。阿下喜ランと命名してもいいかもしれない。

アタックとかトライアルとか、あまり力まないで、ゆったりと阿下喜ライドを楽しみ、ポタリングを決め込むのもいい。その日の気分で、わずか10㎞ほどをいろいろな走り方で楽しむ。走る楽しみだけではない。毎日変る沿道の景色も楽しむ。阿下喜に着くと、駅前のコンビニでコーヒーを買う。知っている顔に会えば、しばし歓談。帰りの道のりも同じだけ楽しめる。時間と余力があれば、阿下喜を通り越してもう少し先まで行くこともできる。

チャレンジ、アタック、トライアル。ランにライドにポタリング。サイクリングやバイシクリング。言い方を変えれば、気分も乗り方も変わるが、畢竟、天気の佳い朝には、阿下喜まで自転車で「お出かけ」をするということである。

農繁期以外は人も車もいない道を行く
阿下喜チャレンジ専用貸し切りロード

三岐鉄道北勢線と一緒に走る
すれ違ったり追い抜かれたり

運行速度は最高が40㎞/h程度なので
場所によっては自転車で追い抜くことも…

員弁川に沿って阿下喜を目指す
見慣れた風景が毎日姿を変える

毎日のように訪れていても懐かしい気がする駅舎
電車もここまでくると心地よく疲れているだろうか

阿下喜チャレンジマップ?
青い線の上に楽しみがある

おまけ:
阿下喜駅から北に徒歩2分
この偉大なミスマッチ
日本家屋のウェスタンバーガー店
店を再興してくれる人を募集中らしい


2021年5月1日土曜日

自転車乗りの夢

 私は自転車に乗ります。スポーツ自転車に本格的に乗り始めて10年になろうとしています。自転車にまつわる夢がいろいろありますが、近々どうしても実現したいと思っている夢についてお話しします。こう書き出せば、自転車乗りの夢が語られるはずである。もしくは、ゆうべ、自転車で遠くの街に出かける夢を見ました。それがまた不可思議な話で、と続けていけば、自転車乗りの夢の話をすることになる。

 ちょっと前に、アマゾンで自転車関連の書籍を検索していて、『自転車乗りの夢』という本を見つけた。「現代詩の20世紀」という副題が添えられている。新刊本ではないので、目次その他の詳細は書かれていなが、表紙にはまごうことない自転車のイラストが載っている。著者は佐々木幹郎、詩人である。1970年代から詩や評論を雑誌『現代詩手帳』に寄稿していたのは覚えている。書名と副題、表紙のイラストから、自転車の詩を集めたもの、または作品に関する評論などを収録したアンソロジーだろうと推測した。夢が満載の本。是が非でも読んでみたいと思い早速注文した。

届いた本を読むには読んだが、自転車のことが書かれているのは最初の評論「自転車乗りの夢~萩原朔太郎」と最後に収録されている「喫茶店と集計用紙~中上健次」の2編だけである。朔太郎については、「自転車日記」を紹介し、自転車に乗って出かけた上州国定村で作ったという「国定忠治の墓」という作品を論じている。朔太郎が自転車に乗ったことについての記述はあるが、詩は自転車と無関係である。中上健次とは、筆者が若い頃に自転車で出かけた喫茶店で出会った逸話が書かれている。これも中上の作品と自転車には関係がない。2編に挟まれた34の評論は、詩人だけではなく、夢野久作から太宰治、坂口安吾、司馬遼太郎にまで及ぶが、自転車は全く登場しない。思いがけない作家論に出会えたのはいいとしても、羊頭を掲げて狗肉を売っている感は強い。

著者のあとがきには、「本書の構成は、五柳書院の小川康彦氏によっている。朔太郎が初めて自転車に乗った話から始まり、二十代の私が毎日、喫茶店へ自転車で通っていた話で終わるという、本書の目次を見せられて、私は小川氏の編集術に感嘆した」とある。編集術ではなく詐術。肉の入っていない饅頭を肉まんといって売っている。目次も確かめずに買った自分の失敗ではあるが、自転車乗りならだまされる。

あとがきの結びに「わたしは二十代の頃から自転車に乗って、自分の足でよろよろと文学の旅に出ていたのだ」とある。自転車は足ではなく脚で乗る。よろよろ乗るのもいいが、颯爽と、敢然と、姿勢を正して乗る方が面白い。いろいろな自転車乗りの夢があるだろうから、人の夢に難癖をつけるつもりはないが、自転車にだけはきちんと乗ってほしかった。


『自転車乗りの夢』表紙
「現代詩の20世紀」と小さく読める
自転車はどう描かれてきたか…
楽しみにして本を開くが…

夢のゆくえは違っても
自転車乗りは自転車の夢を見ていたい

古い酒蔵を訪ねる
酒好きの夢
私は下戸だけれど…

いつもの時間をちょっとやりすごし
いつもの場所をちょっとはずれたら
新しい夢をみることになるだろうか

いつもの時間を少しだけおいぬいて
いつもの場所から踏み出してみると
みたことのない夢に出会うだろうか