冬をむかえる

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'25.1.22 山を見て走る

2021年5月1日土曜日

自転車乗りの夢

 私は自転車に乗ります。スポーツ自転車に本格的に乗り始めて10年になろうとしています。自転車にまつわる夢がいろいろありますが、近々どうしても実現したいと思っている夢についてお話しします。こう書き出せば、自転車乗りの夢が語られるはずである。もしくは、ゆうべ、自転車で遠くの街に出かける夢を見ました。それがまた不可思議な話で、と続けていけば、自転車乗りの夢の話をすることになる。

 ちょっと前に、アマゾンで自転車関連の書籍を検索していて、『自転車乗りの夢』という本を見つけた。「現代詩の20世紀」という副題が添えられている。新刊本ではないので、目次その他の詳細は書かれていなが、表紙にはまごうことない自転車のイラストが載っている。著者は佐々木幹郎、詩人である。1970年代から詩や評論を雑誌『現代詩手帳』に寄稿していたのは覚えている。書名と副題、表紙のイラストから、自転車の詩を集めたもの、または作品に関する評論などを収録したアンソロジーだろうと推測した。夢が満載の本。是が非でも読んでみたいと思い早速注文した。

届いた本を読むには読んだが、自転車のことが書かれているのは最初の評論「自転車乗りの夢~萩原朔太郎」と最後に収録されている「喫茶店と集計用紙~中上健次」の2編だけである。朔太郎については、「自転車日記」を紹介し、自転車に乗って出かけた上州国定村で作ったという「国定忠治の墓」という作品を論じている。朔太郎が自転車に乗ったことについての記述はあるが、詩は自転車と無関係である。中上健次とは、筆者が若い頃に自転車で出かけた喫茶店で出会った逸話が書かれている。これも中上の作品と自転車には関係がない。2編に挟まれた34の評論は、詩人だけではなく、夢野久作から太宰治、坂口安吾、司馬遼太郎にまで及ぶが、自転車は全く登場しない。思いがけない作家論に出会えたのはいいとしても、羊頭を掲げて狗肉を売っている感は強い。

著者のあとがきには、「本書の構成は、五柳書院の小川康彦氏によっている。朔太郎が初めて自転車に乗った話から始まり、二十代の私が毎日、喫茶店へ自転車で通っていた話で終わるという、本書の目次を見せられて、私は小川氏の編集術に感嘆した」とある。編集術ではなく詐術。肉の入っていない饅頭を肉まんといって売っている。目次も確かめずに買った自分の失敗ではあるが、自転車乗りならだまされる。

あとがきの結びに「わたしは二十代の頃から自転車に乗って、自分の足でよろよろと文学の旅に出ていたのだ」とある。自転車は足ではなく脚で乗る。よろよろ乗るのもいいが、颯爽と、敢然と、姿勢を正して乗る方が面白い。いろいろな自転車乗りの夢があるだろうから、人の夢に難癖をつけるつもりはないが、自転車にだけはきちんと乗ってほしかった。


『自転車乗りの夢』表紙
「現代詩の20世紀」と小さく読める
自転車はどう描かれてきたか…
楽しみにして本を開くが…

夢のゆくえは違っても
自転車乗りは自転車の夢を見ていたい

古い酒蔵を訪ねる
酒好きの夢
私は下戸だけれど…

いつもの時間をちょっとやりすごし
いつもの場所をちょっとはずれたら
新しい夢をみることになるだろうか

いつもの時間を少しだけおいぬいて
いつもの場所から踏み出してみると
みたことのない夢に出会うだろうか



2 件のコメント:

  1.  今回は「自転車乗りの夢」というタイトル。

    現在のMARIOさんは、自転車乗りとしてどんな夢を描いているのだろうか。

     読む前からワクワク、ドキドキ感がたまらない。

    ・・・しかし、6行目からは高揚感から焦燥感、はたまた憤りへと転じました。
     表紙絵と中身が全く合っていない、以前悪質な訪問販売が巷に横行していましたが、正に手口は同じ。MARIOさんも返品したいと思ったでしょう。
    佐々木何某も、編集術に感嘆したとありますが、そう思うこと自体共犯者と言われても仕方ないでしょう。
     
     ちなみに、私もこのブログのタイトルを見て、よし読むぞ!と意気込んだ状態から真っ逆さまに奈落の底へ撃沈。
    被害者の一人と言ってよいでしょうか(笑)。

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    1. そうなんですよ。今回、詐欺の被害に遭った者が、同じ手口で詐欺をはたらいているような気がして、何とも申し訳なく思っています。だまされたのでだまし返そうという気は毛の先ほどもないのですが、どう考えても羊頭狗肉ですね。
       買った本は、古書で、121円。しかも、自転車にこだわらずに読めば面白い内容の評論もあって、返品は考えませんでした。本屋さんに抗議するのは筋違いでもありますし…。

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