冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2024年3月30日土曜日

マルハラスメント

  「優しさにひとつ気がつく ✕でなく〇で必ず終わる日本語」。俵万智さんの短歌である。

 少し前に、「マルハラ」という言葉が話題になった。若者が怖いと感じるマルハラスメント。彼らは「はい。」「了解しました。」「連絡ください。」と、中高年から送られてくるメッセージの文末に句点がついていると、距離感や冷たさを感じ、恐怖心を抱くという。チャット感覚でLINEのやり取りをする若者たちは、句読点をつけた長いメッセージをおじさん構文、おばさん構文と呼んでいるらしい。

 否定的な✖ではなく、必ず文の末尾に〇をつける日本語。気持ちもマルくおさまりそうではないか。〇が怖いなんて言わずに、その優しさすばらしさに気づいて欲しいというのが冒頭の俵万智さんの短歌。その短歌の意味さえ判らないという若者の投稿もネット上に見られた。本を読まない、長編小説など無縁という人なら、句読点は無用かもしれない。丁寧に正しく文意を伝え、正確に読み取ろうとすると句読点は省けない。そう思うのは自分だけか。

 自転車とマルハラには、さて、どういう関係があるか。こじつけていえば、〇の怖い人は自転車には乗れなくなる。自転車の構成部品はほとんど円形、〇なのだ。タイヤが丸いので、その中に入れるチューブも、それを支えるリムも丸い。力を伝える歯車も〇型だ。おまけに周りには尖った歯が並んでいる。丸いものづくしの自転車に、〇の怖い人は距離感や冷たさを感じ、恐怖心を抱くことになりはしないか。その割に、若者の間でもスポーツ自転車は人気がある。

 自転車は面白い、自転車は健康にいい、ぜひ自転車を始めるべきだ、などと強調し過ぎると、バイクハラスメント、「バイハラ」もしくは「チャリハラ」と指摘を受けかねない。日本語の〇も自転車の面白さや部品の〇もなくてはならないと思ってはいるが、若者には無理強いしないの方がよさそうだ。

〇を重ねて
〇を繋げて
形をつくる

〇は錆びついた過去か

大きさで威圧し

高さで迫り

繰り返して
押し寄せる


2024年3月23日土曜日

維持費について

 我が家には車が2台ある。1台は2シーターのオープンカー、マツダ・ロードスター。かなり古い。エアコンが故障したままなので夏場は乗らない。冬タイヤを装着しないので、冬もほとんど乗らない。年間に数千キロしか走らない。自転車より走行距離が少ない。それでも、維持費はそれ相応にかかる。

 片や、自転車の維持費といえば、これは微々たるものである。税金がかからない。車検や強制的な保険もいらない。自動車は乗らなくても維持費がかかるが、自転車は乗らなければ維持費ほとんど必要ない。

 仕事を辞めて、定期的に外へ出ることはなくなった。人と会う機会も減った。自転車の走行会仲間や、ご近所の人と出かけることはある。昔生徒だった人たちやかつての同業者仲間ともときどきは会う。それにしても、あまり身をかまわない。出費は大きく減った。

 さらに出費を抑えるためには維持費のかかる車を手放そうと思うこともある。手放すものがふえると生活に潤いがなくなる。終活などといって無闇に愛着のあるものを手放さない方がいいようにも思う。こだわりは捨てるとか、ものに執着しないとか、それが高齢者のわきまえと決めつけることはない。

 他の人にはガラクタに見えても、自分の気に入ったものを身のまわりに集めておきたい。子どもたちにはお手間をとらせて申し訳ないが、私がいなくなれば廃品業者さんにでも頼んできれいさっぱり捨ててもらうようにお願いしておく。

 安かろうが高かろうが、何かを持っていればそれを維持する費用はかかる。何よりも自分自身を維持するのが一番厄介だ。自動車やわずかとはいえ自転車にも維持費がかかる。それもこれも自分を自分らしく維持するための費用と思えばうなずける

維持をして
ときを待つ
どこまで広がるか
いつまで続けるか

ときが来れば
花は花を咲かす
実は実をむすぶ

ときが来なくても
つなぎとめておく

ときが来なくても
静かに眺めている

 

2024年3月16日土曜日

イメージライド

  F1ドライバーのアイルトン・セナが、コクピットの中で瞑想にふけっているシーンを思い出す。じっと目を閉じて、レースの会場になるサーキットのコーナーや直線を思い描く。どのコーナーのどこでブレーキをかけて侵入し、どこで加速して抜け出すか。コーナーを抜けるライン取りも確認する。直線で前に車がいたらどう追い抜くか。レースのすべての場面のイメージをあらかじめ作り上げる。実際の走りをそれに重ねる。

 稀代の名ドライバー、アイルトン・セナとは較ぶべくもないが、自転車で走るときには、その日のコースをイメージする。遠出のときには行程を想定するのが難しい。あらかじめコースをきちんと決めるわけではない。どの方面に出かけるか思い描いてみる。坂の多いコースか、風向きはどうか。帰路で向かい風になるコースはできるだけ選ばない。選んだときには、帰りの厳しさをイメージし覚悟しておく。あまりにもきつそうならコースを変更する。

 近場の走り慣れた道でも出かける前には考える。クロスバイクでならどう走るか。ロードバイクではどんな走りになるか。一緒に走る人がいるときには、相手や仲間のことも考える。自分が引っ張る方か、引っ張られることになるか。イメージライドといえばいいのだろうか。あらかじめ走りのイメージを作っておけば、身体や自転車に無理な負荷をかけることがない。不安は減り、不慮の出来事を避けられる。 

 自転車の整備をするときにも、取り掛かる前に行程をイメージする。自分でやり始めて、最後までやり遂げられるか。自分の技量でも確実にこなせるか。不安なときにはYouTubeの動画や部品メーカの作業マニュアルなどで確認して、自分が作業している情景に重ねる。転ばぬ先の杖代わり。走り出す前のイメージライド。整備の前のイメージ作業。イメージが正確であればあるほど、不慮の出来事や失敗は減る、はずである。


心象風景の中で
歯車がまわりだす

チェーンの上を
力が渡っていく

変速機のバネが
伸縮を繰り返し
速度を上げる

今日はどの道を行くか

今日はだれと行くか

いくつものイメージが
重なりあいながら
今日はここまで来た
千草不動尊


2024年3月9日土曜日

無駄は省けない

 何をするにしても無駄を省きたい。この歳になると、欲しい物がそれほどあるわけではない。持ち物を整理することはあっても、増やすことはしたくない。シンプルに、身軽に、無駄を省いた生活をするのが理想である。

 物を持たなくてもいい時代である。インターネットにアクセスすれば、映画も音楽も好みのものをいつでも観たり聴いたりできる。大概の本や雑誌は電子ブックで読める。レコードやカセットテープ、書籍を棚に並べていたのは昔話だ。

 スマートフォンが、辞書や地図の代わりをしてくれる。写真のアルバムもアプリが整理してくれる。スマホには何でも詰まっている。無駄な物を持つことはない。無駄な時間を費やすこともない。

 自転車の手入れや整備も、無駄を省いて簡単に済ませたい。いつものコースを走り、たまには遠出をしたい。整備の時間はできるだけ少なくして、走る時間をふやしたい。

 先日、愛用のロードバイクのギアやチェーンを交換した。快調に回り変速するが、クランクギアの色や形がしっくりこない。純正品が見つからなかったので、自転車の姿がちょっとだけだが変わってしまった。

 そのままでも支障はない。もう一度ギアを交換するのは、部品代も交換の時間も無駄になる。それを承知で、別の新しいギアをインターネットで探してみる。これというギアが見つからず時間が過ぎる。無駄に無駄を重ねていて抜け出せない。

 一枚のギアを捜しているうちに、ギアの規格や値段、取付け方にも詳しくなった。無駄が無駄でなくなり、賢くなれたような気がする。

 フランス製のSPECIALITES  T.A. ZEPHYR というクランクギアを見つけた。少し高価だし、これまでのものが無駄になる。予備にストックしておけば持ち物がふえる。大いなる無駄、とはいえ、これぞ自転車の楽しみ。走行会仲間と無駄口をきいていても、そこには創意や熱意や諧謔や、愛情さえあふれている。無駄や無駄口は簡単には省けない。

寒い曇り空の下を
遠くまで出かけた

絶好の遠乗り日和に
近場で自転車に乗る

向かい風をついて
山に登った

追い風に乗って
海まで下った

今日は
早咲きの桜を
眺めている

無駄は無駄のまま
無駄に無駄を重ね
無駄が無駄でなくなる






























2024年3月2日土曜日

熱田さんまで

  愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目11。熱田神宮。熱田さんといって親しまれている。三種の神器の一つ、草薙神剣をまつる。初詣ということでもないが、1月のうちに一度は熱田さんまで自転車で行く。信仰心が篤いわけではない。年の初めの遠乗りは熱田さんへ行くと、ここ数年は決めている。

 自宅からの往復距離は多度神社まで30㎞。椿大社で50㎞。熱田さんまで行けば70㎞になる。神社ではないが、津市にある高田本山専修寺までなら100㎞。お伊勢さんは200㎞ほどになるので私の脚では日帰りできそうもない。神社仏閣に詣でるわけではないが、ランドマークとしてはちょうど良い位置にある。距離の目安に最適だ。

 熱田さんを目指す。桑名まで下って、揖斐長良大橋を渡る。江戸時代までは七里の渡しで知られた橋のない川だった。桑名側から順に揖斐川、長良川、そして木曽川を越える。三本の川を混同しやすいので、「い・なが・き・さん」と覚えるのがいい。長男が小学生のときに学校で習って教えてくれた。

 国道23号線の橋を渡り、木曽岬から鍋田、飛島へ平坦な道を走る。庄内川を渡ると名古屋の市街地に入る。普段走り慣れない街中ではスピードが落ちる。車の量の多さと信号は大敵だ。ストップ&ゴーの繰り返しは脚への負担が大きい。車道を走るか歩道を走るか、状況の見極めが難しい。自転車専用レーンは突然消えたりする。集中して走る。やがて熱田の杜が見えてくる。

 自転車の特権は、街中でも駐車場に困らないことだ。神宮の鳥居の下まで行ける。初詣が本意ではないので、早々に昼食の場所を探す。路地の奥に探し当てた小さな中華料理屋の店先にでも気軽に自転車を停められる。

 とはいえ、1月の寒空の下で、町中華を楽しんでいると日が暮れる。家までの35㎞が気がかりだ。せっかくの機会ではあるが、コンビニのおにぎりで昼食を済ませ、慌ただしく帰路についた。


憧れが橋を渡っていく

いつもと違う
遠い町で休む

見慣れない町を
確かめている

大きな通りで
迷ってみる

ランドマークを
定めて走って来た

自転車の意志は
辿り着くことより
走りつづけること