冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2020年2月28日金曜日

通学用自転車


 いい加減な約束はすべきでない。相手は真剣に受け止めている。先日、春には中学へ入学する一番年かさの孫娘が、通学用の自転車はおじいちゃんに買ってもらう約束だから、と言って自転車のカタログを持ってきた。確かにそんな約束をした気がしないでもない。カタログを見て驚いた。かなりの高額。入学祝いをするのに「こんなに高いのか!?」とは言えず、涼しい顔をしてどんな色の自転車がいいのか尋ねておいた。
 
 56年前に、自分も通学用の自転車を買ってもらった。初めて乗る新品の自転車。父が、遠い親戚にあたる自転車屋で買ってくれた。「富士自転車」。その頃にしては珍しい濃い茶色。前のフェンダーには立派な富士山のマークがついていた。当時、自転車の価格が2万円くらいはしたはずである。今と比較してもかなり高額。1964年、前の東京オリンピックの年、1世帯の平均月収は6万円程である。新しい自転車が嬉しくて、中学に入れば校則で丸刈りにしなければいけないという悲愴な気持ちが吹き飛んだ。
 
 親や祖父母がなけなしのお金を出して買う通学用自転車。その自転車が、学校の駐輪場では不当な扱いを受けることが多い。強風で駐輪場の自転車が将棋倒しになる。留め具のある駐輪場ならいいがそうとは限らない。折り重なった自転車を帰りを急ぐ生徒たちが無理やり引っ張り出してフレームに傷をつける。スポークが曲がったりもする。車につけた傷には大騒ぎをしても、自転車につけた傷は大して気にされない。通学途中で、運悪く転倒する。登校を急ぐあまり、フェンダーや荷かごが歪んだままで乗って、傷を大きくしてしまうこともある。「自転車残酷物語」である。
 
 こんな失敗譚がある。朝、登校する生徒の様子を見ていると、パンクしたり荷ひもが車軸に絡みついたりして、乗れない自転車を汗まみれになって引いて来ることがある。そんな生徒の自転車を、下校するまでに修理おくことが度々あった。あるとき、冗談のつもりで請求書を作って生徒の担任の机に置いておいた。「パンク修理代・学校特別価格500円・荷かご歪み修理代・同500円」くらいの内容だった。担任の先生は冗談とは思わず、生徒に請求書を渡した。生徒は家に帰って母親に見せた。請求書を見た母親はあわてて電話をくれた。「校長先生にパンクまで直していただいて申し訳ありません。明日、お金を持たせます。」丁寧にお礼を言ってもらった。「あれ冗談です。もちろん無料、お金は結構」と、うろたえて返事をした。冗談が過ぎた。学校でお金儲けをしているなどとと思われては困る。信頼失墜。大失態。

 中学に入学した当初は、大人サイズの自転車に乗ることが誇らしく、学校への期待を自転車に載せて登校する。その自転車も、3年間乗りつづけるうちにくたびれてしまう。自分が自転車を楽しむようになって、生徒たちにはもっと自転車を大切に扱うことを伝えておけばよかったと今更ながらに思う。
 そういえば、愛着があったはずの自分の通学用自転車が、最後はどうなったか定かではない。今まで持っていれば、相当な値打ちがあるかもしれない。


孫が候補に挙げた通学用自転車    
       ブリヂストンの通学自転車カタログより
自分が中学に入学した当時買ってもらった自転車と    
同時代の富士自転車                  
これほど高級なものではなかったと思うが雰囲気は似ている
   前のフェンダーには同じようなマークがついていた記憶がある
        ハンドル周りの形状も同じようなものだった記憶がある        
新しい通学用自転車で桜の下を登校する新入生
          最期に勤務した中学校の生徒の登校風景   
同じく、登校する新入生           
    真新しい制服・ヘルメット。自転車が光る
新しい自転車が整然と並ぶ            
    ずっと大切に、安全に乗りつづけてほしい         
                  最期に勤務した学校で撮影 
        
               同じく駐輪場の様子 





2020年2月27日木曜日

日々の手入れ2


 時間を使うのが下手になったと書いた。前言を翻すようであるが、よく考えてみると、案外上手に使っているかもしれない。もはや、自分の時間には買い手がつかない。自分の時間は売れなくなった。売れないのであれば、全部自分で思い通りに使う。何をするにも時間を潤沢に使うのだから、不足するのは当たり前である。自分の思いのままに、好きなだけ時間を費やす。最高に贅沢で上手な時間の使い方なのだ。
    
 子どものころから落ち着きがないと言われ続けた。何をしても長続きしない。アサガオの観察日記を書くとか、星や月の運行記録をとるというのは最も苦手なことだった。観察をする本人が動き回るのだから、微妙な変化を見届けられるわけがない。大きくなって、活動的とか活発だとか言われたが、これは社交辞令で、実際は、やっぱり落ち着きがなかったのだ。
 
 ところが変われば変わるもので、近頃は自分の動きが少なくなった。その分ものが良く見える。自転車と向き合うときはじっくりと時間をかける。遠乗りから帰ると、簡単に自転車の汚れを落とす。チェーンの汚れを拭き取る。チェーンの油が切れかかっているようなら注油をしておく。チェーンのひとコマひとコマにオイラー(油さし)を使ってごく少量を注油する。ちょっと前の自分では考えられない念入りな作業である。
 
 チェーンの潤滑油には種類が多い。雑誌やネットには製品の情報があふれている。注油をする時期や方法ついても多くの記事がある。素人の自分ではペダルを踏んだり、変速の手ごたえを感じたりするだけではチェーンのコンディションが判らない。手で触れてみて、汚れ具合や滑らかさを確かめる。触れてみれば、注油の時期も判断できる。どんな潤滑油がいいのか、注油の量はでどれくらいか、試行錯誤する時間は充分にある。

高級な潤滑油を使うよりも、必要なときに少量を丁寧に注油することが大事。作業を繰り返していると、チェーンの構造もわかってくる。2枚のプレートをつなぐピンにローラーが通してある。ピンとローラーの間にだけ注油すればいい。あとは全体に油膜がついていればいいのである。長く使っていると、ピンとローラーの摩耗で隙間が大きくなる。チェーンは伸びない。チェーンは減る。全体の長さが長くなるので伸びたように思う。自明の理ではあっても、時間をかけて自転車と付き合うことで、自分が成し遂げた大発見である。

 注油したチェーンが滑らかに回り、変速がスムーズにできるのは気分がいい。それに比べて自分の時間は、それほど円滑に流れていかなくてもいい。立ち止まったり、振り返ったり、人には売れない時間なら、自分でたっぷり使わせてもらうことにする。



孫たちは、まだ時間を売りに出していないので、
 ゆっくりと自転車を楽しむ余裕がある。    

時間に余裕があるので、点検も念入りにする

整備(?)にも余念がない          
      子どももおもちゃで遊ぶより本物の方が面白いに違いない 







潤滑油にはいろいろな種類がある                  
ウェット・ドライ 軽いもの、しっかり長持ちの高級なもの      
どれを選ぶか迷うところである                   
どれを選んでも、丁寧に注油することが大事             
                 



オイラー 注油用のアイテム      
狭い場所にも自在に注油できる優れもの 
      市販の潤滑油の容器に付属していれば便利だと思うが…



2020年2月26日水曜日

日々の手入れ


 時間の使い方が下手になってしまった。現役の頃にはそれなりに忙しいこともあって、何をするにも時間が足りないと思っていた。時間をやりくりして、短い時間を上手く使うようにしていた。完全に仕事を辞してからは、ありあまる時間があるはずだった。退職後は退屈な日々が続くので、やることを考えておくといいと人からアドバイスを受けたこともある。それが退屈どころか1日が短か過ぎる。時間があるのに時間が足りない。
 
 天気のいい日は自転車に乗りたい。狭い庭ではあるが手入れもしたい。やりたいことは天気のいい日に集中する。では、雨の日はどうか。次に読む、次の次に読む、さらにその次に読みたい本まで机の上に積んである。映画も観たい。次の次に観たい映画までくらいは候補がある。天候にはかかわらず、やること、やりたいことが多い。
 
 自転車は乗るだけというわけにはいかない。整備や手入れもしたい。乗りっぱなしでも支障はないだろうが、手間暇をかけることも面白い。チェーンに注油をしたり、ブレーキの簡単な調整をしたりしておくだけでも軽快さが変わる。自分で手が出せるところもいい。オートバイに乗っていたころにも、簡単な整備は自分でしていたが、自転車はもっと手軽に機械いじりの楽しさが味わえる。部品の点数も少ない。
 
 部品の点数が少なければ生産コストがかからない。その分フレームの塗装などは念入りにされているのではないかと思う。フレームの塗装といっても、車に比べれば塗料の量も格段に少ないはずである。素人考えであるが、自転車の塗装は上質のはずである。磨き上げたフレームは美しい光沢を放つ。
 
 55年ほど前、中学校の通学用に自転車を買ってもらった。半世紀以上昔のことである。時々はワックスをかけておくと良いと父が言っていたのを思い出す。自転車のフレームや部品は、油のしみ込んだ布で拭くだけでも、光沢が出るし錆の予防にもなる。
 
 たばこやキャラメルの包装に使われるセロファンを手の指に巻いて、塗装の面を撫でてみる。指先で触れても滑らかなのに、セロファンを通すとざらつきが判る。塗装の面に細かい汚れがついているのでざらざらする。コンパウンドや粘土で汚れを取り除くと、滑らかになって光沢が増す。
 
 そういえば、父は暇があると何でも古い布で拭いていた。古いものでも磨けば光る。96歳になる今も、父は指の運動にといって、実際には使わない革の鞄にワックスを塗り、ブラシをかけている。いくつかある鞄の色つやは素晴らしい。手入れさえしてあればいつでも使える。自転車も日々の手入れはしておきたい。
 
 「新車で買った車やバイクは、乗ればコンディションが落ちるばかりである。中古で買ったものは、手入れや整備を続けていればコンディションが良くなってくる。それが面白い。長く楽しむには、日々の手入れが一番。」
これも父から聞いた記憶がある。けだし、名言である。


屋根付きのガレージや整備の場所がないので
夏の暑いときには日陰を作って自転車の掃除
        きれいにすると眺めているのも楽しい。          
暑いので、自転車が腹を見せてひっくり返っている
 ちょうどいいので、下回りもきれいに掃除する   
    自転車は軽くて掃除も整備もしやすい          
時にはバラバラにしてきれいにする   
手間はかかるが仕上がりは上々である  
古い自転車も分解・整備すれば蘇る   
      誰も乗り手がなくなっていたが、それなりに使える 


トランスポータもきれいに磨く      
景色が映り込むくらいになると気持ちがいい
番外編  これは自転車に乗らないときに乗る車         
マツダ ロードスター NB6 (2001年式)   
                                          5年乗った中古を買ってから、今年で14年              
          She is 19 years old now.                  
  塗装も機関の調子も上々なので        
      もう少し家に置いておきたい          







2020年2月25日火曜日

トランスポーター


 トランスポーターといえば、映画『トランスポーター』を思い浮かべる向きも多いかもしれない。ジェイソン・ステイサム演じるトランスポーター(運び屋)、フランク・マーティンが大暴れ。シリーズ4作を数えるが、例にもれず回を重ねると内容が先細りする感は否めない。ただし、登場する車は次々に性能アップ。第1作目のBMW735iに始まり、アウディA8S8 と馬力も価格もうなぎ上り。どの車も徹底的に磨き込まれた漆黒。車体に映り込む色彩が映え、本当は何色なの判明しないほどの光沢。自転車もあれくらい磨きたい。車好きなら必見、アクション映画の好きな人にはもちろんお勧め。
 フランクも運び屋だが、運び屋といえば、新しいところではクリント・イーストウッド監督・主演の『運び屋』(原題:The Mule)、これも必見。イーストウッドと車といえば、『グラン・トリノ』…。
 
 映画の話は途切れないが、この辺りで閑話休題。ここでいうトランスポーターは運び屋ではなく、運搬車輛。自転車を積む車の話題。
 一人で自転車に乗るときは、家からふらりと、あるいはサッと乗り出せばよい。妻と一緒の時はそうはいかない。家の前の往還は車が多い。できれば近くの公園などを発着地点にして、静かで安全な所を走りたい。そこまでは自転車を車に積んで移動したい。
妻の自転車を小径の折りたたみ自転車にしたので、4ドアのセダンに2台の自転車が楽に積めるようになった。クロスバイクは前輪をはずして、前席の背もたれと後席の間に積む。妻の自転車をトランクに載せる。これでトランクリッドを持ち上げたりしなくても、自転車が2台しっかりと収まってくれる。
 
 車で出かけて少し発着場所を変えると、コースの選択肢が広がる。遠くへは出かけなくても、いつもとは違う景色の中を走ることができる。
 しばらくは、長い間乗っている車をトランスポーターとして使ったが、何しろ車は旧式の三菱ディアマンテ。すでに生産は中止。大排気量で燃費が馬鹿にならない。故障が頻発、税金も高い。トランスポーターを見直す時期である。価格や維持費が安く、自転車の積み降ろしが簡単にできること。いずれは自転車を積んで遠くへも出かけるかもしれないので丈夫で運転し易いこと。新しいトランスポーターの最低の条件である。

 候補を絞りこんでトヨタ・サクシードに乗り換えることにした。この車は商用車で価格も維持費も安い。街の中にあふれている車なので、耐久性も高いに違いない。何よりも、荷室は自転車を積むためにこしらえたように広い。いずれ機会があれば、自転車を車に積んで、車をフェリーに積みこんで、遠くへ旅もしてみたい。とりあえず、今のところは近くの公園辺りまで、新しいトランスポーターで出かけることにする。



長い間我が家にいた三菱ディアマンテ 3.0R
       初代トランスポーター               
             撮影場所は妻の実家から近い、津市なぎさ町              
新しくトランスポーターに就任したトヨタ・サクシード TX
サクシードはお昼のコンビニの駐車場に必ず1、2台はいる
色は白かシルバーがほとんどなので、この色は珍しい   
撮影場所は上の写真と同じ               
   2代目トランスポータは荷室が広く自転車の積み降ろしに便利

クロスバイクと折り畳み自転車を余裕で収納     
工夫すれば自転車3台は積載可能          




                    
自転車に乗らない休養日には、こんな映画も面白い 
               自転車と関係ないけど、楽しめる                 
        



2020年2月22日土曜日

新しい自転車2(ラレーCRV)


 初めて手に入れた自転車、アンカーUC51年ほど乗った。通勤にも使い始めた。近在の至る所へ出かけた。休日には自転車で遠出するのが楽しみになった。週末が雨になるという天気予報を見ると暗澹たる気持ちになる。
 サドルやハンドルのグリップをはじめ、タイヤやホイール、チェーンなども自分で取り換えた。タイヤを多少高価な細いサイズのものにしたときには、乗り心地が大きく変わることを体感した。ホイールを交換することで、走りに安定感が出た。グレードの高いチェーンに張り換えたら、変速がスムーズになった気がする。
 
 車のタイヤやホイールを交換したり、ブレーキパッドを高性能なものに付け換えたりしても、あまり変化は感じられない。もっとも、あまり高価なものは使わないからかもしれない。足回りのスプリングやショックアブソーバーを交換すれば、走りの変化は判る。ただし、そのためには高価な自転車が買えしまうほどの部品代が必要である。工賃も伴う。
 自転車の部品は、飛び切りの高級品でない限り、ネット通販で手ごろな値段で手に入る。自分でもちょっとがんばれば交換ができる。工賃は無料である。自転車は車体が軽いので整備性も良い。簡単に裏返したり横にしたりできる。整備したあとの効果がすぐに現れて満足度が高い。
 
 欲張ることはしたくないと思っても、欲は出る。自転車に乗ることにかけては全くの素人とはいえ、もっと軽快な走りはないか、もっと楽をして遠くまで行けないものかと考えだしたらきりがない。そこで、欲が出た。もっと軽いフレームに上級の部品を組み込んだ自転車に乗ってみたくなった。スポーツ自転車に乗り始めてしばらくすれば、だれもが思うことだろう。
 
 一念発起、新しい自転車を手に入れることにした。クロスバイクに1年間乗って、少しは自転車のことが判りかけてきたので、次の自転車の候補を挙げるのにそれほど苦労はない。スチールのフレームで、そこそこのコンポーネントを装備していること。やはり、乗り手の年齢相応の落ち着きがあって、乗っていても気恥しくないもの。後付けで部品を交換しなくても、完成車のままで乗れる方が経済である。今のところ、旅行がしたくてもできないのだから、その費用を自転車にまわせばいいか、と言い訳がましい気分になる。自動車を新車で買うことを思えば安いものである、という言い訳も考える。
 
 熟考の末に選んだのは、RALEIGH・CRV。「ラレー・カールトン・ビンテージ」。モデル名の響きも悪くない。ロードバイクを買うからといって、レースに出るつもりもなければ出られるはずもない。のんびりと遠くへ出かけるのに快適ならそれでいい。新家工業がイギリス・ノッティンガム発祥のクラシカルなバイクをライセンス生産するラレーブランド。落ち着いたたたずまいが気に入った。フォトジェニックである。爾来、ラレーは遠乗りのいい相棒になってくれる。


新しく手に入れた ラレー・カールトン・ビンテージ  
       (ラレー 2013年版カタログより)

新しい自転車が家に来た日 (2013. 9. 29)

川に沿って走ってもよく似合う

山を背にしてもベッピン

街に乗って行っても気後れしない








2020年2月21日金曜日

型無し・型破り


 伝統を継承するには「守破離」が重要。元々は千利休の教えをまとめた『利休道歌』にある「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」に由来。修行をする者は、師匠から習った型を徹底的に「守る(真似る)」。それを身につけた段階で初めて既存の型を「破る」ことができる。さらに鍛錬と修行を重ねると自らの発見から新しい流れが生まれる。それを「離」という。型を学ばないものが型を破っても「型破り」とは呼ばない。「型無し」なのだ。
 これは、文藝春秋’201月号に掲載されている『その風を得て 玉三郎かく語りき』という真山仁の記事を抜粋、引用したもの。

 「型破り」は称賛されるが「型無し」はいただけない。
 長い引用になったが、私の自転車生活は、この記事を読んで考えるに、すべて「型無し」。そもそも、自転車に乗ることについて教えを乞う師匠がいない。すべて自己流。独学というと聞こえはいいが、見よう見真似。勝手気儘。独立独歩ともいえるが独善におちいりやすい。自転車の乗り方も整備も、服装さえも基本的には判っていないということである。
 
 ビブリオグラフィー(参考文献目録)もいずれは紹介するとして、本や雑誌はかなり読み漁った。『大人のための自転車入門』、『自転車の教科書』、『ロードバイクの科学』、変わったところでは『行かずに死ねるか!世界95000㎞自転車ひとり旅』(ここでは、著者と出版社は省略)などなど。参考にした本は枚挙にいとまがない。自転車の乗り方も整備の仕方もかなり勉強はしたつもりである。とはいえ、本は本、できれば実用を教えてもらえる生きた先達が欲しい。
 
 自転車通勤の記事では、夏でもそれほど暑さは感じない、冬も寒くないと書いた。それは強がりではなく実感であるが、では、ウェアーはどうしているのかと尋ねられても、決して本格的な服装で乗っているわけではない。自転車用のウェアーは高額である。夏は極力薄着をするだけ。厳寒時の防寒には保温のできるインナーと風を通さないアウターを組み合わせ、肌を出さない。オートバイに乗っていたころの単純な経験則。着ぶくれで不格好である。
 
 タイヤのはめ換えや、スプロケットの交換も試してみた。ブレーキシューを着け換えるときはトーインをつける方がいいとどこかに書いてあった。それもやってみた。試行錯誤を繰り返すことで、今のところは満足できる程度の乗り方や整備方法を会得していると自分では思っているが、詮ずる所「型無し」である。開き直って、「型無し」は「型無し」なりに「型無し」を極め、それを「型」にして楽しむほかない。自転車に詳しい人からすれば、大いなるミスマッチが随所に見られることだろう。

リアスプロケットとチェーンを交換してみる

変速の具合も上々

ホイールも交換してみたくなったのでちょっと上級の自転車に
           標準装備されているようなものをネットで購入して交換             
     スポークの形状などには満足できるものの…             

何とも落ち着きのない雰囲気になってしまった


     気になるステッカーをはがしてしまう                
         ヘアドライヤーで温めたり、ステッカーはがし液を試したりして        
落ち着きを取り戻す                   
「型無し」ではあるが、自分では満足している        
          





2020年2月20日木曜日

自転車通勤


 自転車を買って半年、春、職場にも慣れ、日没時刻も遅くなったので自転車通勤を試してみることにした。以下は、自転車通勤開始直後の日記。 

2013411日) ・・・・・・
自転車通勤2日目。出勤の気分がさわやかで新鮮。少しずつ慣れてくると、この新鮮さも薄れるのか。2日目で新鮮さがなくなることを考えるのは早すぎる。
 通勤手段として自転車はなかなか面白い。自宅から職場まで12.5㎞。車でも自転車でも所要時間はほぼ同じ。自転車だと信号待ちや渋滞がないのは大きい。
 帰りに、小雨ではあるが、雨に降られた。これくらいで意気阻喪することはないにしても、簡単なレインウエアーくらいは準備したい。
 雨の中を自転車に乗ると、自転車が汚れる。出来れば避けたいが、全くそういう機会を避けようと思うと、自転車に乗る機会も極端に少なくなるだろう。多少の雨はやむを得ないと考えた方が良いかも知れない。
 通勤途中で、勤務していた中学校の生徒だった高校生たちと行き違う。元気に徒歩や自転車で登校する子たちに出会う。普段は自分の車を見つけて手を振ってくれる子も、こちらが自転車だと気がつかない。それでも、何人かの子は、こちらの様子が違っていても、すぐに姿を認めて手を振り、挨拶をしてくれる。若者は視野が広く、動体視力に優れているからだろう。
 軽い荷物ではあるが、肩にかけて自転車に乗るのは大変だと予想していた。思っていたほど重さを感じない。自転車に乗ること自体がもっと大変なことだと思っていたが、これも遊び感覚で乗れるので抵抗はない。意外に負荷のかからないことに驚く。自転車とは良い出会いをしたのかも知れない。経験しないと判らないことで、自転車は短距離の移動のみという概念は、実際に乗ってみると大きく覆されることになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 自宅から往復約25㎞。出勤時はやや下り気味。大きな坂はない。自宅と勤務地の標高差は42m。追い風が吹くことが多い。ちょうど良い距離、良いロケーションである。
 夏は暑い、冬は寒いと当たり前のことを思っていたが、夏も快適、冬も快調である。風をきって走るのでほとんど汗は出ない。寒い時期にも身体はフルに動いているので汗ばむくらいである。車に乗り込み、身構えて出勤するのが長年の習い性になっている。自転車だと遊び感覚、出勤の気分がリラックスするのは不思議である。
 日の短い時期には前照灯の明るいものを準備し、反射たすきも着用。ヘルメットはあまり好きではないが、安全確保のためなら仕方がない。安全が確保できれば、通勤は実に快適である。

(註)引用した日記は、テクニカルソフト社の「てきぱき家計簿マム」を使って
   2000年から続けている。毎晩、ほぼ1000字に内容をまとめる。カレンダーを
   開けば、20年前の「その日」にでもピンポイントでアクセスできるのは便利。
   ただし、読み返すことはほとんどない。



  上は、自宅周辺から勤務地までの、通勤経路




   自転車で通勤を初めて2週間後から記録を残し始める           
開始から3か月間の記録                     
積算距離は帰路や平日の走行距離も含む 


             


安全の確保が第一
【 SWANS 】 SSH-002 COMMUTE HELMET コミュートヘルメット



毎朝、家を出るときはタイヤの空気圧をチェック…道中パンクのないことを祈る
Panaracer BFP-03SGA-S スチール製ゲージ付き



前照灯
CATEYE HL-EL540RC  ECONOM FORCE LEDライト



2020年2月19日水曜日

「日々是自転車」解題


 「日々是好日」、中国唐時代の雲門文偃(ぶんえん)禪師のことば。単に「毎日好い日が続いてけっこうなことだ」ということではなく、「今日という日は二度とない一日であり、かけがえのない一日である。こだわり、とらわれを捨て去り、一日一日を、ありのままに精一杯生きれば、その心持ちこそがすばらしい『好日』となる」という含蓄のあることばである。「座して待つのでなく、主体的に時を作り充実したよき一日一日として生きていく」という強い意志を表している。 

 「日々是自転車」はこのことばを肝に銘じて、自転車に乗る日々の心境を書き始める
 60歳で中学の教員を退職した私は、最後に勤務した学校の近くの公民館に再就職し5年間お世話になった。その職も辞して、すでに3年が過ぎようとしている。

 現職の教員のころには、仕事ばかりしていた。教員の仕事内容は、無限にあるように思える。趣味といえるようなものに手を出す暇はなかった。公民館に勤務するようになって、いろいろな講座に参加される人たちの様子を見ながら、いずれ自分も趣味といえるようなものが見つかるといいと漫然と考えていた。そんな矢先に、スポーツ自転車に乗る人と出会った。人に出会うというより、自転車と出会ったというべきかもしれない。そのいきさつは「自転車事始」に詳しく書いた。 

早速、自転車を手に入れて乗り始めた。このブログはそこから始まる。自転車との出会いからほぼ8年。その間に想ったことや自転車のある生活についてまとめてみた。撮りためておいた写真の整理もしてみたい。

記事の内容は時制がふぞろいである。乗り始めたころのことからごく最近のことまで、時制は過去と現在を行き交う。いずれ、現在進行中のことどもに追いつくだろうと思う。しばらくは過ぎし日のことから近況まで織り交ぜながら雑感を綴ってみたい。



初めて手に入れたブリヂストンアンカーUC5 (2012)

初乗りから1年後に手に入れたラレーCRV Carlton-Vintage (2013)
手に入れたいきさつは、いずれ改めて…                            

自宅に放置してあった古い自転車を仕立て直す(2014)
このいきさつも、いずれ改めて…         

妻が乗るようにと手に入れたダホン・ボードウォーク (2015)
これも、いつかは記事に…                
  

自転車が増殖する… 妻の自転車、孫の自転車etc. (2018)






2020年2月18日火曜日

自転車に乗る理由(わけあい)


 父が96歳になる。90歳を過ぎるころから少しずつ弱ってきた。それでも、必要なことはほとんど自分でやれる。父は経済的に余裕があったわけではないが、車やオートバイが好きで、いつも古い車やオートバイをいじっていた。85歳で運転免許を返納するまでは現役のドライバーだった。

 80歳を過ぎた頃からは、車を運転する機会は少なくなり、どこへでも自転車で出かけていた。電動バイクを買うことを勧めたので、かなり遠くまで一人で出かけることもあった。子どもや孫たちが心配するほどである。サイクルコンピュータというものがあるらしいので買いたいと言って、自分で取り付けていた。自転車に乗り始めたのは、そういう父の姿を見ていたからということもある。子どものころから、古い車やオートバイを整備したり、改造したりする姿を見て育った。

 父は年齢の割に元気な生活を送っているとはいえ、少しずつ手助けをしなければならない場面が増えてきた。できるだけ目の届く距離にいてやりたい。退職後はほかの人の例にもれず旅行なども計画したいと思っていたが、父一人を家においては出かけられない。父を連れての長旅も難しい。のんびりと旅に出るということは当面無理かもしれない。退職して8年になるが、旅行といえるのは妻と出かけた京都行、一泊二日ただ一度、である。

 自転車を手に入れたのは、ちょうどそんなおりである。自転車で走れば、遠くへ出かけなくても、近在に思いもかけない景観があることに気づく。時間をかけて遠くへ出かけることだけが旅ではない。身体と気持ちは自転車でほんの少し走るだけでも旅をする。

 自分の体力、脚力で自転車に乗って出かける場所といえば、どんなに頑張っても自宅から半径50㎞以内である。父に何か異変があったとしても、タクシーに自転車を積んでもらって帰れば1・2時間で家に帰れる。クロスバイクは前輪を外せばどんな車にでも積みこんでしまえる。いざとなれば、すぐにも帰宅はできる。父の様子を見ておいて、少しのひまに出かければ、それがそのまま小旅行、ときには思い切り遠出をしたような気分にさえなる。

 歩いたのでは変化に乏しい風景や車だと見落としてしまいがちな景色も、自転車なら十分に楽しめる。遅すぎず速すぎない速度。これがいい。通り過ぎれば引き返す。

 退職後には旅行を楽しむということが今のところはままならない。そんなときに自転車に乗り始めて、旅への思いが変わった。家を出て、自転車のペダルをひと漕ぎすれば、そこから旅は始まる。地図もいらなければプランも不要。私が自転車に乗りつづける理由(わけあい)である。


春の小川に沿って走る 

ちょっと走れば海が見える:川越町 高松海岸

港も見える:四日市 霞ふ頭

家から30分で山にも行ける:三重県民の森

父の電動自転車
       シニアカーでは本人のプライドが許さないだろうと          
妹と相談して父のために購入             
  父はサイクルメーターをつけたり、ハンドルのグリップに革を
巻きつけたり、いろいろと手を入れている