いい加減な約束はすべきでない。相手は真剣に受け止めている。先日、春には中学へ入学する一番年かさの孫娘が、通学用の自転車はおじいちゃんに買ってもらう約束だから、と言って自転車のカタログを持ってきた。確かにそんな約束をした気がしないでもない。カタログを見て驚いた。かなりの高額。入学祝いをするのに「こんなに高いのか!?」とは言えず、涼しい顔をしてどんな色の自転車がいいのか尋ねておいた。
56年前に、自分も通学用の自転車を買ってもらった。初めて乗る新品の自転車。父が、遠い親戚にあたる自転車屋で買ってくれた。「富士自転車」。その頃にしては珍しい濃い茶色。前のフェンダーには立派な富士山のマークがついていた。当時、自転車の価格が2万円くらいはしたはずである。今と比較してもかなり高額。1964年、前の東京オリンピックの年、1世帯の平均月収は6万円程である。新しい自転車が嬉しくて、中学に入れば校則で丸刈りにしなければいけないという悲愴な気持ちが吹き飛んだ。
親や祖父母がなけなしのお金を出して買う通学用自転車。その自転車が、学校の駐輪場では不当な扱いを受けることが多い。強風で駐輪場の自転車が将棋倒しになる。留め具のある駐輪場ならいいがそうとは限らない。折り重なった自転車を帰りを急ぐ生徒たちが無理やり引っ張り出してフレームに傷をつける。スポークが曲がったりもする。車につけた傷には大騒ぎをしても、自転車につけた傷は大して気にされない。通学途中で、運悪く転倒する。登校を急ぐあまり、フェンダーや荷かごが歪んだままで乗って、傷を大きくしてしまうこともある。「自転車残酷物語」である。
こんな失敗譚がある。朝、登校する生徒の様子を見ていると、パンクしたり荷ひもが車軸に絡みついたりして、乗れない自転車を汗まみれになって引いて来ることがある。そんな生徒の自転車を、下校するまでに修理おくことが度々あった。あるとき、冗談のつもりで請求書を作って生徒の担任の机に置いておいた。「パンク修理代・学校特別価格500円・荷かご歪み修理代・同500円」くらいの内容だった。担任の先生は冗談とは思わず、生徒に請求書を渡した。生徒は家に帰って母親に見せた。請求書を見た母親はあわてて電話をくれた。「校長先生にパンクまで直していただいて申し訳ありません。明日、お金を持たせます。」丁寧にお礼を言ってもらった。「あれ冗談です。もちろん無料、お金は結構」と、うろたえて返事をした。冗談が過ぎた。学校でお金儲けをしているなどとと思われては困る。信頼失墜。大失態。
中学に入学した当初は、大人サイズの自転車に乗ることが誇らしく、学校への期待を自転車に載せて登校する。その自転車も、3年間乗りつづけるうちにくたびれてしまう。自分が自転車を楽しむようになって、生徒たちにはもっと自転車を大切に扱うことを伝えておけばよかったと今更ながらに思う。
そういえば、愛着があったはずの自分の通学用自転車が、最後はどうなったか定かではない。今まで持っていれば、相当な値打ちがあるかもしれない。
孫が候補に挙げた通学用自転車 ブリヂストンの通学自転車カタログより |
自分が中学に入学した当時買ってもらった自転車と 同時代の富士自転車 これほど高級なものではなかったと思うが雰囲気は似ている |
前のフェンダーには同じようなマークがついていた記憶がある ハンドル周りの形状も同じようなものだった記憶がある |
新しい通学用自転車で桜の下を登校する新入生 最期に勤務した中学校の生徒の登校風景 |
同じく、登校する新入生 真新しい制服・ヘルメット。自転車が光る |
新しい自転車が整然と並ぶ ずっと大切に、安全に乗りつづけてほしい 最期に勤務した学校で撮影 |
同じく駐輪場の様子 |