冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年12月30日土曜日

ぶっちゃけ

  今週、今年最後のブログ更新で222回を数える。2020年の2月にこのブログを書き始めた。その頃、自転車で出かけたときに撮った写真がかなりの枚数になっていた。何か面白い整理の仕方はないかと考えた。

 写真の印象や撮影したときの様子を文章にして、ブログに公開することを思いついた。不特定多数の人に公開するというよりは、写真の整理を兼ねた日記を書くというくらいの乗りだった。

 写真のイメージから文章を起こしたり、文章のイメージに合う写真を選んだりした。写真がたくさんある間はよかった。そのうち写真が足りなくなった。写真に文章をつけて、あるいは文章に写真を添えて公開しているうちに、写真の整理は進んだといえる。

 書きたいことに合わせて写真を撮るのはベタ過ぎる。斬新な写真が何枚もあるかというとそうでもない。誰かに読んでもらうことは意識しないというものの、書いている自分が面白くないようでは意味がない。この先、どうしたものか。

 ブログの更新をしばらく休もうかとも思うが、一度休んだらよほどの動機がない限り再開は難しいだろう。自転車で走っていて、しばらく休憩したらまた走り出すというのとはちょっとわけが違う。

 ブログの今後をどうしたものかと思い煩いながらも、自転車には乗りつづけている。今年は、クロスバイクで1,972km 、ロードバイクで3,085km、それにマウンテンバイクでは3,517kmの距離を走った。合わせて年間の走行距離は8,574km になる。

 夏前に父が逝った。服喪の期間中は走らなかったので、今年は走行距離が1万㎞には及ばない。それでも、忌が明けて走り始めると喪失感は薄れた。走りつづけていれば、ブログの記事や自転車の写真はつながっていくだろう。奇をてらわずにもう少しつづけてみようというのがぶっちゃけ今の心境である。

去年置き去りにしてきたはずの冬に

いつの間にか追いつかれている

風にたずねた道を辿って

別れを告げた人たちが
住んでいる家を訪ねる

その夜の夢の中で
赤茶けた砂の上を
遠くから歩いて来る
キリンたちに出会った


2023年12月23日土曜日

少しマニアックに

  自転車の変速機を操作するシフター(変速レバー)にはいろいろな種類のものがある。シマノ製でいえば、フラットバー(横にまっすぐなハンドル)には、ラピッドファイアー(銃の連射)というシフターが多くみられる。

 拳銃の引き金を引くように、指でレバーを引くところから来ているのだろう。素早くレバーが引ける。ブレーキの近くにレバーがあるので、変速操作をするときにハンドルから手をはなす必要がない。ドロップハンドル(下に曲がったハンドル)に使われるデュアルコントロールレバーも優れものだ。ブレーキレバーと一体になった加減速用のレバーを指で操作する。

 どちらも、30年ほど前にシマノが売り出した。それまでは、ハンドルからクランク軸受に伸びるダウンチューブというパイプに変速レバーを取り付けていた。Wレバーシフトという。変速のたびにハンドルから手を放し、上体を前に屈めて下の方にあるレバーを操作する。面倒で、慣れないと操作が難しい。

 懐古趣味ではないが、変速機の原点ともいえるWレバーシフトがどんなものかと思い、クロスバイクのシフターをWレバーに取り換えた。部品は今でも手に入る。試してみると、これが案外使い勝手がよい。変速に手ごたえがある。自動車のマニュアルシフト的感覚とでもいえばいいのか。軽快に変速ができる。腕を下にのばすのもそれほど難儀ではない。ハンドル周りからシフト装置がなくなって自転車がすっきりした。

 レバーを変更した週末に、1986年に作られた『クイックシルバー』という映画を観た。映画の冒頭、ニューヨークの街中を走るバイクメッセンジャーの自転車が大写しされる。全くの偶然。ライダーの手のアップ。手はWレバーを操作し、自転車がタクシーの間を縫って走る。これぞ古典的変速シーン、何という符合かと思わずうなった。

 ついでながら、大写しされた自転車のダウンチューブには「RALEIGH」のロゴ。私の乗っているロードバイクもラレー。同じロゴが使われている。ただし、私のは新家工業がライセンス生産した日本製ではある。以上。ちょっとマニアックな話ではないか。

マニアは潜行し孤立する

マニアは熱狂し連帯する

マニアックな一点透視的集中

マニアックな色彩分割的点在

こだわったり
無頓着だったり
どうやったって
自転車は後もどりできない











2023年12月16日土曜日

少しメカニカルに

 スポーツ自転車には、初心者用からレースで使われるようなものまで、同じように何枚もの変速用ギアが使われている。安価なものと高額なものでは変速の性能に差があるものの、チェーンのかかるギアの組合せを変えて、スピードとペダルを踏む力を調整するというのは同じだ。

 ギアの組合せを変える仕掛けが変速機で、理屈は自動車やオートバイに使われているものと変わりない。自転車では外装式といわれるギアが外から見える変速機が一般的で、クランク軸につけられた前のギアは外側ほど大きい。反対に後輪のギアは内側ほど大きい。前のギアには多くて3枚、後ろには12枚もギアが使われるものがある。

 ギアを変えるというが、実際にはギアにかかるチェーンを内から外へ、外から内へと移動させる。チェーンを移動させるために、ディレーラー(直訳すると脱線装置)というチェーンをまたぐ装置をワイヤーで引く。ワイヤーを引けばチェーンは大きいギアへ移動する。ワイヤーを緩めれば小さいギアへチェーンが落ちる。

 ワイヤーを引いたり緩めたりするには、ハンドルにつけられたシフターを操作する。変速機の主流は、シマノ、スラム、それにカンパニョーロという三大メーカーのものである。シフトレバーの操作に違いはあるが、どれも仕掛けは同じようなものだ。

変速機の仕掛けが判っても、変速が小気味よく決まるように調整するのは難しい。ワイヤーの引き具合とチェーンの移動範囲を調整用のネジで決める。ディレーラーの取付け位置も変速具合の決め手になる。

うまく調整された変速機を操作してみると、チェーンが大きいギアと小さいギアの間を蛇が体をくねらせるようになめらかに行き来する。手慣れた自転車屋さんなら、変速機の特徴も見極めていとも簡単に調整してくれるが、素人にとっては至難の業である。

ワイヤーを引く
ワイヤーを緩める
緊張と弛緩は
連続し繰り返す

引いたり緩めたりしながら
大きさが違っても一緒に行く

遠景に引かれる
立ち止まって
はやる気持を緩める

ひとときの憩いが
テンションを解放する

まっすぐ走る
曲がって走る
引いたり
緩めたりして
走って行く


2023年12月9日土曜日

今日は何を着ようか

 秋が深まっても温かい日がつづいた。さすがに師走の声を聞くと寒くなった。鈴鹿の山がうすく雪をかぶった。手が冷たくなる。首すじが寒い。ヘルメットの通気孔を抜ける風が頭に冷たい。自転車の冬を感じる三つの変わり目だ。

 ダウンジャケットや防寒手袋、ヘルメットの下にかぶる帽子など、去年使っていたものを準備する。どれをどう組み合わせて着用していたものか。記憶は曖昧で、季節が一巡するころには去年の寒さを忘れてしまっている。

 自転車メーカーのカタログを見ると、夏用、春秋用から冬用まで、自転車用のウエアが取り揃えられている。デザインや色使いに()。夏は吸汗・通風の良さを、冬は保温の性能を誇示している。自転車用ということもあって、空気抵抗を減らし、身体の動きを妨げないような工夫もされている。

 これはいい、と思うような製品は驚くほど高価でもある。レースに参加したり、本格的に長距離に挑んだりするというのなら兎も角、入門の域を出ない自転車乗りには過剰品質、無用の長物という気もする。ブランドにこだわらなければ、安価な優れ物も見つかる。

 中学や高校へ自転車で通う頃には、今のように手ごろな防寒着や厚手の手袋など思いもよらなかった。制服の上にマフラー、手には軍手くらいが辛うじてできる防寒対策だった。 オートバイに乗るようになってからは、膝や腹のあたりに新聞紙や週刊誌をあてて走った。

 ありあわせのもので寒さをしの家に帰っても、暖房の効いた温かい部屋が待っているわけではない。火鉢を抱えるようにして冷えきった身体を温めたものだ。

 当時と比べれば、防寒グッズは格段に良くなった。熱線を入れて発熱する手袋や上着さえ売られている。走っているうちに身体が温まって、暑く感じるようでも困る。本格的な冬を迎えるこの時期、今日は何を着ようかと迷うことが多い。自転車を漕ぎだす前にちょっと思案の手間がいる季節である。

晩秋の空を映していた池が
今日は冬の色にかわっている

山の端を
冬がなぞっていく

この道をまっすぐ行けば
真冬も近いだろう

砂の粒が小さな意志を固め
大きな気迫になって冬に漕ぎ出す


ところで今日は何を着ていこうか
小さな砂の迷いが固まって思案する



2023年12月2日土曜日

100㎞を走る

  近所の友だちが、自転車で関ヶ原まで行ってみたいという。その友だちと近場を一緒に走ることはある。100㎞を超える距離を二人で走ったことはない。

 雪で伊吹山が白くならないうちに関が原に行くことを思いついた。これまでに、一人では何度も走ったコースである。今年になって100㎞を超えて走ったことがないので、一度は100㎞を走りたい。他の人とペースを合わせて100㎞もの長距離を走るのは初めてだ。一抹の不安はある。

 朝8時に二人で家を出る。多度から養老をめざし、さらに関ヶ原まで走る。帰路は上石津から藤原を抜けて北勢町へ下る予定だ。

 多度を過ぎたところで最初の休憩。ちょうど1時間走った。走行距離は18㎞。その後、伊勢東街道を通り、ハリヨという珍しい魚の生息する津屋川に沿って走る。養老に着いたところで2度目の休憩。2時間走って38㎞。

 カイコウズ街道が牧田川と出合うところで広瀬橋を渡り、車の多い道を避けて九里半街道を辿る。ゆるい登り坂の両側に古い民家を見て走る。E-Bikeに乗る友だちがペースを合わせてくれる。

 11時半、JR関ヶ原駅に到着。47㎞。古戦場跡や武将たちの陣地跡を巡る。サイクルメーターが50㎞を指したところで帰路についた。家に帰れば100㎞になるという腹積もりである。昼食はコンビニのおにぎりで済ませる。日足が短い季節なのであわただしい。暗くなる前に帰りたい。

 帰路は、牧田川やまざくら街道(国道365号線)を員弁方面へ走る。途中、多良峡越えの難関が待つ。上石津トンネルを抜ければ楽ではあるが、牧田川に沿って多良峡へ登る道は帰路のハイライトだ。紅葉が美しい。E-Bikeの友だちは私の脚を気遣ってくれる。ここを避けてトンネルでショートカットというのではもったいない。

 多良峡越えで酷使した脚が、藤原から阿下喜方面へ下るころには攣りそうになる。E-Bike にはかなわない。とはいえ、E-Bikeの友だちもかなり疲れているはずだ。幸い下り坂が多いので、脚をだましながら走る。阿下喜到着1515分。走行距離83㎞。

 ここまでくれば家に帰ったのも同然。二人で快適に走り切れた。今日のコースを振り返りゆっくり休む。残すは家まで11㎞ほどだ。しかしである。それでは家に帰っても走行距離が100㎞を超えないではないか。それは困る。

 案の定、家の近くまで戻って、サイクルメーターの表示は94㎞。友だちは「念願の関ヶ原行が達成できて、大満足ですわ」というが、私の100㎞はどうしてくれる。不足の6㎞のために家の近くを一緒に走ってもらった。1610分、明るいうちに無事帰着。101㎞。二人の目標が達成できて愛でたい目出度い1日になった。

必ずここに来るという約束

必ずここに居るという約束

約束は遠くにいたり

すぐそばまで来たりする

守られたり
守られなかったりして
約束が積もっていく


2023年11月25日土曜日

スポーツ用具

  『自転車組立、検査及び整備マニュアル』という、自転車技士試験を受験するための冊子がある。一般財団法人日本車両検査協会が発行している。自転車技士にはどんな技能が求められるのか知りたくて取り寄せてみた。

 この冊子によると、スポーティ車、シティ車、実用車や子供車は一般用自転車に分類されている。スポーティ車とは、マウンテンバイクとロードレーサーを組み合わせたクロスバイクのような自転車をいう。マウンテンバイクやロードレーサーはスポーツ専用自転車に分類される。

 スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗るということはスポーツをするということになる。あるいは、スポーツをしたいのであれば、スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗ればいいということになる。自転車の分類にこだわらなくても、乗り方によっては、実用車でもスポーツ用に使えるような気がする。

用具を使うスポーツを本格的にやったことがないのでよく判らないが、テニスや卓球のラケットは手や腕の延長である。選手は自分の使い勝手のいいように手を加え、日ごろの手入れも入念にすることだろう。

 自転車競技ともなれば、これは手や足の延長というよりも、選手の身体に自転車までが含まれているようなもので、想像を絶するような自転車の改良や整備がされているはずだ。スポーツの種目によらず、良い戦績を残す選手は、自分の使う用具の手入れや調整もきっとうまくやれるだろう。

 趣味の域を出ないとはいえ、スポーティ車やスポーツ専用自転車に乗ってスポーツに親しむ。身体を鍛えるところまではいかなくても、せめて体力を維持する。そういうことであれば、スポーツ用具としての自転車の手入れは怠れない。整備や手入れのために『自転車組立、…マニュアル』を手に入れたのも無駄ではなさそうだ。

むかし遠足で行った場所を訪ねる
もう行くことはないと思っていた

遠足では
まっすぐに並んで
前を見ろといわれた

脇見ばかりしているうちに
気がつけば年老いている

遠足に行ったお寺で
山姥の紙芝居を見て
その夜怖い夢を見た

思い出がここにもあって
ここでも思い出を拾った




2023年11月18日土曜日

電波は走る

  昨日、ご近所の四人で連れ立って、鈴鹿の椿神社まで自転車で行った。到着するとサイクルコンピュータは走行距離を22.59㎞と表示していた。他の人のメータ―も、多少の誤差はあるがほぼ同じだ。自動車ならともかく、自転車の速度や走行距離が正確に測れることは、ご存じない方も多いだろう。

 車輪のスポークに小さな磁石を取り付け、その磁石が通る回数をフロントフォークにつけたセンサーがカウントする。回転数と車輪の外周の寸法から速度や走行距離をコンピュータが計算する。マッチ箱くらいの小さな装置がそれをしてくれる。

 センサーが感知した車輪の回転数の信号は、前輪からハンドルにつけたサイクルコンピュータに電波で送られて計算される。速度や走行距離が小さな液晶画面に表示される仕掛けだ。

 椿神社までどんなコースを走ったか。到着後にスマホのアプリを使って、地図上に書きこまれたルートを確認する。これは車輪からハンドルまでのわずか数10cmを飛んだ電波ではなく、GPS衛星との2kmもの距離を行き交う電波で自転車の位置を計測して地図上に残された記録で確かめる。

 せっかく来たのだからと、椿神社の境内で写真を撮る。スマホで撮った写真は電波に乗ってクラウドに送られ保存される。帰宅後、家の中を飛び交うWi-Fiの電波を使って、コンピュータに写真を取り込む。

 一緒に出掛けた人たちに、写真や走ったルートの地図をLINEで送る。電波に乗った記録がそれぞれの人の手元に届く。

 自転車でただ走るだけではつまらない。どんな道を、どれだけの時間をかけて走ったか。記録に残せば話題は増える。楽しみも広がる。見えない電波と一緒に走れば、見える記録になって残される。

 それにしても、よく電波が混信しないものだ。走る自転車の周りを無数の電波が飛びまわっている。私の耳が高周波の電波に同調し感応したら、情報の多さに頭はきっとパンクする。

まつわるものを剥ぎ
背景を拒否した孤立

天空をさして
屹立する孤立

風景のなかで
静思する孤立

波は川面に広がり
周波は同調されて
孤立の居場所を
繋ぎとめていく

静寂のなかに
暮れていく孤立




2023年11月11日土曜日

雲り空

  ぬけるような青空の下で自転車を楽しむ日がつづいた。天気予報に少しでも雨マークがついている日は自転車に乗らないようにしている。気持ちのよい晴天のつづいた後は、雨はいうに及ばず、曇り空でも物足りない。心が映えない。

 曇り空を邪険にしてしまうが、インターネット上では雲が大きな役割を果たしている。自転車で出かけた先で撮影した写真は、自分のコンピュータに保存しなくても、クラウド(雲)に預けておく。

 必要なときには、その雲(クラウド)から写真を引き出して、このブログに貼り付ける。必要があれば加工やプリントもできる。自転車仲間と共有するアルバムを作れば、仲間であれば誰でもクラウドの中にあるアルバムに写真を貼り付けられるし、見たいときにスマートフォンやコンピュータでそのアルバムを見ることができる。

 ご近所の人や友人から、スマートフォンやコンピュータの設定や使い方を尋ねられることがある。自分もそれほど詳しくはないが、訊かれたら判る範囲でお手伝いをする。そのときに、なかなか理解を得られないのがクラウド(雲)の存在である。まぁ、便利なものだから使って損はないですよ、ということに落ち着く。

 デジタルカメラが売り出されたときには、フィルム無しで写真が残せて、コンピュータにつなげば印刷もできるということに驚いた。デジタル化された映像は、フロッピーディスクなどに保存もできた。今のように大容量の記憶装置がないので、フロッピーディスクには写真数枚しか保存できないという不便さはあった。通信速度の問題もあって、メールで写真を送るには延々と時間がかかった。

 今では、インターネットに接続すれば、かなりの枚数の写真がクラウドに瞬時で送れて保管もできる。同時に何人かでその写真を見ることもできる。何とも便利な雲である。自転車乗りにとって、空を暗くおおう雲はあまりありがたくないが、ネット上の雲の仕掛けはありがたい。

空が曇り
川が曇る

曇り空が
色を奪う

雲が空をおしあげる

雲が空をのばしていく

雲のない空が
今日はさみしい













2023年11月4日土曜日

ホースウィスパラー

 ウィスパーはささやき。ウィスパーラーはささやく人。ならばホースウィスパラーは馬にささやく人のことである。“whisperer ”には動物と話ができる人という意味もあるらしい。

 ロバート・レッドフォード監督・主演の『モンタナの風に抱かれて』(1998)という映画を観たときに、このストーリにどこかで出会っている気がした。映画の原作になった、ニコラス・エヴァンスの小説『ホースウィスパラー』を読んだ記憶がよみがえった。映画の邦題が原作とは全く違っているので、すぐには気がつかなかった。

 「13歳の少女グレースは乗馬中に巻き込まれた事故で親友と右足を失い、人生に深く絶望していた。彼女の愛馬ピルグリムも、事故のショックで人間になつかない暴れ馬になっていた。ニューヨークで雑誌編集長をしいるグレースの母親アニーは、娘の心を回復させるにはピルグリムの全快が必要だと悟る。馬の心を理解できるというホースウィスパラーの存在を知り、遠くモンタナまでその男、トムを訪ねて行く。……大自然の安らぎと愛に癒され、人は生きる勇気を取り戻す」映画のDVDジャケットにある解説文を引用した。

 映画では、登場人物よりも馬の演技が際立つ。事故のトラウマを抱えるグレースの愛馬ピルグリムはトムの力で心の傷を癒していく。片脚を失って深く傷ついていたグレースも立ち直っていく。モンタナの山々に囲まれた草原で、馬と対峙するトム。馬にささやくというよりは、馬のささやきを静かに聴いているようなシーンが印象に残る。

 映画やその原作のように劇的ではないが、ときどきは自転車に乗っていても同じようなこと思う。自然の中へ自転車を漕ぎ出し、風や自転車のささやきに耳をかたむける。自分のささやきを聴いてもらう。自転車の擬人化ではない。自転車を人間化して相棒にしている。

 

秋がささやいている
友だちに写真を送る

青すぎる、秋の青だ、と
返事が届く

ここまで来ても秋の青

駅の前にも秋の青

秋の青が砂に染みこむ

別れのことばを
ささやきながら
秋の青が退場する


2023年10月28日土曜日

自転車のすき間

  自転車を駐輪場に停めるときに、隣の自転車との間にどれくらいのすき間が必要か、という話ではない。自転車を出し入れするときに隣の自転車を倒したり傷つけたりしないすき間も必要ではあるが、ここでは自転車の取り付け部品のすき間の話。

 自転車の車輪のリムをはさんで車輪の回転を止めるブレーキの場合、リムとブレーキシュー(ブレーキのゴムブロック)のすき間は1㎜程度に調節する。左右同じように1㎜のすき間を作る。左右合わせて2㎜のすき間の間をタイヤが回転している。ブレーキをかけると、そのすき間が無くなり、リムとシューが密着し摩擦力で回転を止める。すき間が大きすぎるとブレーキの効きが悪くなる。

 左右で2㎜のすき間しかないところで回転する車輪が、横に2㎜振れていたら、リムとシューが擦れ合う。走行中にブレーキがかかることになる。車輪の横振れも中心軸から左右に1㎜以内に抑えなければならない。

 多くの自転車に使われるシマノの変速機の整備マニュアルをみると、前の変速機のチェーンを移動させるチェーンガイドとチェーンのすき間は0㎜から0.5㎜が適正となっている。そんなバカな。0㎜といえばすき間はなし。既にガイドとチェーンが擦れ合っているということではないか。実用には中間の0.25㎜くらいに調節すべきということだろうか。

 自転車屋さんで教えてもらったことがある。自転車の各部の調節ネジは、4分の1回転とか半回転といった具合に、ごくわずかに締めたり緩めたりする。オートバイなどを自分でいじる人は、この微妙なさじ加減が判らないので失敗しがちだ、ということだった。

 昔はオートバイだってキャブレターの燃料と空気の混ぜ具合やエンジンの点火時期などの微妙な調節は、少しずつネジを回して手探りでやってましたけど。今では電子制御にお任せである。自転車のすき間調節だけは、人と人の間合いの取り方と同じように、昔も今も人情の機微が必要ということか。

花のすき間に
秋空がのぞく

細いすき間を
通り抜けて進む

花のすき間を
秋風が吹いて通る

花のすき間を
ときが過ぎていく

空と花と
自転車と私と
いくつもの
すき間を
調節している