冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年7月31日土曜日

今日はどちらへ

 連日の猛暑。早起きは苦手なので、朝初めて外の空気にふれるのは7時過ぎになる。そのころには、気温は既に途方もなく上昇していて、配達された新聞を取りに行くだけで背中が焼ける。早い時間に起きていて、気温が上がるにつれて身体を慣らしておけばいいが、すでに熱くなった空気の中へ出ていくのは厳しい。

 それでも、天気がよければ自転車には乗りたい。さて、今日はどちらへ。その発想は、暑くても変わらない。熱中症対策さえすれば、出かけても大丈夫だろうと判断するのは、身体のコンディションをそれなりに保てているということだ。

 木陰ばかりで暑さをあまり感じない夏向きのコースがあればいいのだが、おあつらえ向きのコースはなかなか見つからない。山の中を走れば樹々の間の陰の多い場所を走ることはできるが、アップダウンは避けられない。この暑さの中、坂を登るのは難行苦行である。平坦なコースを選べば、陽ざしを遮るものがない。太陽と焼けた路面からの熱とに挟み撃ちで(あぶ)られる。ときおり熱風が吹く。事程左様にコースを選ぶのは難しい。

走行会仲間と走るときには、いつものメンバーが揃ってから、各自の体調やその日の風向き、時によっては雨雲の動きなども考えて、その日に走るコースを考える。近場の状況に比較的詳しい自分が、メンバーの意見や希望を入れて、行き当たりばったりにコースを考えながら走ることが多い。

先日の不定期走行会では、多度神社に午後2時に集合、休憩時間もゆったりとって3時間ほど走るということになった。仲間がそれぞれに言うには、何度も走った場所ではあるが、できればこれまで走ったことのない道を探したい。南東の風がきついので、風の影響を受けないコースがいい。走行距離を40㎞以上は確保したい。さらに、夕方から観たいテレビ番組や畑仕事があるので、5時半には集合場所にもどりたい。さて、これらをすべて満たして走ることができるのか。コース設定係の力量が問われる。

 多度神社を出発して、普段は通らない小さな集落の間の細い道を抜ける。往路は向かい風になるが、集落の間をぬって走れば風の影響は少ないし、知らない道を通り抜けることになる。その後、桑名の市街を抜け、城南干拓地の開けた場所に出る。海の匂いを感じながら初めて行く干拓地を巡ると走行距離は20㎞を超えた。帰路は揖斐川の堤防を追い風に乗って快走。風は味方になって背中を押してくれるので、気分よく帰ることができた。

 初めての道を通り抜け、風の影響は最小限。この日の走行距離は46㎞。集合場所へ帰り着いたのは515分。ほぼ、すべての条件を満たしたことになる。いつもこんなにうまくいくとはかぎらないが、このときは当意即妙。みなさんのご希望成就。

 暑さにうだるこの時期、どうやって走るかよりも、どこを走るかが肝心要。朝夕の涼しい時間に走るということも考えられるが、朝に弱い私はどの方面に出かけるかに勝負をかける。さて、今日はどちらへ。


梅雨明け宣言の翌日
今日からは暑い

陽がすこし傾きかけて
それでも暑い

向こうも暑い
こちらも暑い
暑さを突き抜けても暑い

涼やかな水の音を聞ききながら
木陰を走る
こんなコースはうれしい

馬を水辺に連れていけても
馬に水を飲ませるのは難しい
自転車は水辺に連れていっても
水を飲まないが乗り手は涼しい

番外:
コースを選ばず
近場で遊ぶ



2021年7月24日土曜日

スマホ脳と自転車脳

  『スマホ脳』という本を読んだ。書店で平積みされた本の帯に「スティーブ・ジョブスはわが子になぜiPadを触らせなかったのか」・「幼児にタブレット学習は向かない」・「集中力を取り戻す具体的な手段」と書かれたキャッチコピーが目にとまり、思わず購入した。

学校では小・中学生にタブレットが配布されていると聞くが、よもや紙の教科書や、黒板とノートが置き去りにされるようなことはないだろう。電子ブックでは読書がどうも面白くないことを実感しているので、タブレットを多用することには疑義がある。

タブレットを授業に使う効果については今後の検証が必要で、それには何年もかかるだろう。その間に、子どもの時間が浪費されないか心配だ。授業を聞くふりをして教科書やノートの隅に鉛筆で落書きをしたり、窓の外を眺めながら詩を創って書き留めたり、そんなことができない授業には創造性も魅力もない。

『スマホ脳』の著者、スウェーデンの精神科医、アンデシュ・ハンセンは、スマホやタブレットの弊害について、様々な事例や調査結果をもとに詳述している。10万年前から進化し続けた人間の脳はスマホに適応しきれていない。スマホの長時間使用が、鬱や引きこもりの原因になっているのか、鬱や引きこもりがスマホの長時間使用につながるのか、いずれにしても、スマホから解放されれば症状は改善するという。

本を読むことや手で文字を書くことが長期記憶を形成するが、バーチャルな学習ではそれが保証されない。フェイクニュースが拡散し、責任をもって編集されたニュースから遠ざかる。デジタル社会が対人関係における感受性や共感的配慮を低下させているという深刻な調査結果も引用している。スマホやタブレット、PCのスクリーンから離れ、体を動かすことでストレスが解消し集中力が高まると著者はいう。そのメカニズムについても説明している。

自転車に乗ることは、スマホ脳を矯正するのに打ってつけの方法ではないかと思いながら、この本を読んだ。自転車に乗っていると、身体を動かしながら考える。バーチャルではなく、気温の変化を感じ、風の流れを読む。カーブを曲がる速度を調整し、坂道を下るときにはブレーキのタイミングを計る。危険を予測し回避する。脳と身体の動きが直結している。

スマホを使っているときの脳の働きとは全く違ったものであることは、脳科学や心理学の専門家、AIの研究者の説明をまたなくても見当がつく。自転車に乗っているときに活動している脳を「自転車脳」と呼んでいる研究者がいるかどうか判らない。もしも、専門家が「自転車脳」を分析すれば、スマホ脳とは明らかに違うだろう。ストレスのない健全な活動が見られるのではないかと素人ながらに考えた。

※『自転車脳の人々』(2013年)というムックが辰巳出版からに発行されていることが判った。上には上があり、先には先、前には前に人がいるものだ。但し、この本の内容は何とも気楽で、『スマホ脳』と対をなすとはいいがたい。


愛車ラレーのカタログを
スマホ脳がダウンロードする
絵に描いた餅ならぬ自転車

自転車脳は考える
現物にふれてみれば
質感も乗り心地もよく判る
楽しさや嬉しさもよく判る

スマホ脳が遠出を記録する
コース、スピード、獲得標高まで記憶する
満足感も疲労感も感じていない

自転車脳は考える
あの橋を渡ってしまうか
もう少し先まで行くか

自転車脳は考える
この橋を渡ろうという決意
橋の上の爽快さと高所の恐怖

自転車脳は考える
やっとここまで来た
駅舎があいにくの工事中
また来る理由ができた

突然出会う看板に
スマホ脳は混乱する
自転車脳は感動する
鋼鉄製自転車
全回転部防水式自転車
山口の自転車



2021年7月17日土曜日

自転車と髭と靴と

 「私と小鳥と鈴と」という金子みすゞの詩がある。詩は「みんなちがって、みんないい」と結ばれる。「自転車と髭と靴と」には全く相関がなくて、それでいいのだが、何となく気になる。自転車と髭の関係といえば、いつも一緒に走る仲間4人のうち、3人に口髭があるということくらいだ。髭を剃れば、わずかながら体重が軽くなるし、空気抵抗も減るだろう。プロのロードレーサーやトラック競技の選手に髭はない。すね毛まで剃るらしい。少しでも速くと考えるとそうなるのか。とはいえ、自分も含めて自転車仲間の髭が走りに影響するほど立派とも思えない、というのは他の二人に失礼か。

 自転車を軽くし空気抵抗を減らすために、グラム単位でフレームを削り、部品の素材を工夫し、ホイールやタイヤの軽量化と空力特性に気を使う。着るものにまで気を配る。それを考えれば、髭の重さや空気抵抗も無視できないかもしれないが、相関係数は極めて小さいだろう。

 靴のことはといえば、ちょっと前に、『美しき自転車乗り』にあるシャーロック・ホームズの推理について、コメントをいただいた。履いている靴底の減り具合から、その人が自転車乗りだと推理することは可能かという内容だった。自分の靴底を観察してみた。確かに、靴底の特定の部分が削れたように擦り減っている。靴底を(つぶさ)に観察しないと判らないので、履いている靴から推理するには無理がある。自転車と靴の相関関係は証明できそうもない。ビンディングシューズでも履いていない限り推理はできないだろう

 全く関係がないように思われる自転車と髭と靴とが、意外なところでつながった。毎年、ロンドンで開催される「ツイード・ラン」という自転車のイベントでは、三者の関係が無視できない。「ツイード・ラン」にはドレスコードがあって、ツイード素材の服を着て、古い自転車でロンドンの街中を走るというのがお決まりである。ネットの写真や動画で参加者の自転車や出で立ちを見ていると興味は尽きない。ロンドンが1年で最も美しくなるといわれるこの日、ツイードのスーツやドレス、帽子で装った老若男女の自転車乗りが街にあふれる。中でも、年配の男性の「自転車と髭と靴と」について特筆大書したい。

 彼らが乗るのは、前輪の異様に大きいオーディナリー(日本ではだるま自転車という)から、時代物の自転車やお洒落なタンデムバイク、リアカーを取り付けたものまである。乗る人の個性的な髭が、自転車と服装をさらに引き立てている。足元に目をやると、靴も抜群の仕事をしている。クラシックなオックスフォードシューズやブーツは良く手入れされて輝いている。まさに、自転車と髭と靴との黄金比である。ツイード・ランに参加している人たちの姿は、自転車との付き合い方の絶好のお手本になる。

オーディナリー型自転車並走
乗っている人は「オーディナリー=普通」ではない

自転車と髭と靴と
三位一体、三種の神器
自転車は文明であり文化である

古い建物には自転車がよく似合う
大垣市 五井家旧宅(郵便局舎)

伝統美には自転車がよく似合う
四日市市 小山田美術館

自転車で伝統や文化にふれに行く
四日市市 四郷郷土資料館

追記:
自転車に乗り始めた頃から愛用している靴
右の靴の底が極端に擦り減っている
ペダリングの癖もあるのだろう

追記2:
5年ほど履いている靴
同じように擦り減っている
靴底を見なければ自転車乗りとは判らない
履いている靴を見て推理するのは無理だろう







2021年7月10日土曜日

出発の儀式

 就寝儀式または入眠儀式という行動がある。乳幼児によく見られるもので、心と体を眠りに移行し、安心して眠りにつくための行為といわれている。歌を歌ってもらったり絵本を読んでもらったり、お気に入りのぬいぐるみを抱く、大切にしているおもちゃを枕元に置くといったものもある。快眠を得る方法として、大人にも就寝儀式が有効らしい。

 就寝儀式は、1日の活動を終える儀式だとすると、自転車に乗る前の出発の儀式は活動を始めるための儀式である。自転車で出かける前には、きまって出発の儀式をする。儀式と呼ぶほどのものではないかもしれないが、やっておくと安心できるところは就寝儀式と同じである。

 私の出発の儀式は、まず自転車を倉庫から出して、タイヤの空気を入れること。前日にも同じ自転車に乗っていて、それほど空気圧が減っていないときも、必ずタイヤに指定圧の空気を充填する。スポーツバイクのタイヤは、かなり空気圧を高くするので、空気入れのハンドルを押す力が要る。これが身体を動かし始めるのにちょうど良い運動にもなる。空気を入れた後、タイヤを1回転させて見ておくだけで、一番多いトラブルであるパンクの未然防止にもなる気がする。

 次に、前と後ろのブレーキレバーを交互に掴んで、車体を前後に動かしてみること。ブレーキの効き具合や、ブレーキレバーを握った感触を確かめる。右と左(前と後ろ)のブレーキレバーの握り具合がいつの間にか変わっていることもある。ブレーキワイヤが緩んでいようものなら命取りになる。安全のための儀式である。

 もう一つ、愛用しているサイクルコンピュータを取り付け、工具セットや飲み物を積む。全部揃ったら、前輪を少し持ち上げて、軽く地面に落とす、次は後輪。車体や取り付けたものが緩んでいないか、これで確認できる。

 空気を入れる。ブレーキレバーを握る。車体を軽く揺らす。何のことはない、簡単な始業点検で、儀式にしておけば忘れることない。強迫性障害を疑うほどこだわることでもない。やらなければ気になるくらいでよい。

 かなり前になるが、某有名メーカーの自転車のフロントフォークが折れて、深刻な怪我につながる事故があった。サスペンションのついたフォークで、内部のバネが腐食し、前触れもなくフォークが抜け落ちた。前のめりに転倒したライダーは頚椎を損傷し、その後車椅子生活を余儀なくされた。メーカーの責任ではあるが、もしも気の毒な被害者が出発の儀式を行っていれば、事故は避けられたか、あるいは重大事に至らなかったかもしれない。

出発の儀式を行っても、走行中に異常が発生しないとは限らない。儀式を済ませたからといって楽観はできない。走り出せば、季節の移り変わりや風のさわやかさを全身で感じることになるが、自転車の調子も感じていたい。自転車には自動車や大型オートバイのように定期点検や車検がない。それだけに、出発の儀式や走行中の自転車との対話を大事にしたい。

雨が降り出しそうな日だけれど
出発の儀式をすれば好転するかも

車から自転車を降ろして
その後はやはり出発の儀式

出発の儀式はすませた
自転車もやる気になった

近くの公園まで散歩代わりに走るときも
家を出るときにはタイヤの空気を入れた

朝早くから知らない町へ出かけるときも
出発の儀式はすませてきた


近所のチャリ友とちょっと遠出
みなさんそれぞれに出発の儀式があるだろう

番外:
10年前まで勤務した学校にて
自転車の点検をする生徒たち
出発の儀式ではなく年中行事
安全に自転車に乗ってほしい




2021年7月3日土曜日

美しき自転車乗り

 ロンドンのベーカーストリート221bは世界で最も有名な住所といわれる。かつて、アーサー・コナン・ドイルの推理小説の主人公、シャーロック・ホームズの住まいだった。小説の中の架空の人物が現存する建物に住むというは珍しい。聖書に次ぐベストセラーといわれるホームズ本を愛読し、ホームズをこよなく愛するファンをシャーロキアンと呼ぶ。本場イギリスでは、ホームジアンともいう。

 シャーロック・ホームズの解決した数々の事件を描いた短編の中に、『美しき自転車乗り』という作品がある。名探偵の評判を聞いてホームズのところへ事件解決の依頼に訪れる人はあとを絶たない。この事件では、ある裕福な家で家庭教師をしている、バイオレット・スミスという女性の依頼を受ける。ホームズは、初対面のスミス女史が自転車に乗ることを言い当てる。靴底の端の減り具合が自転車のペダルによるものだと見抜く。しかも、日焼けしていることから、田舎に住んでいるということも推理する。ホームズの卓越した推理は物語の随所に見られる

 事件は、自転車で駅から家庭教師をしている家まで通うスミス女史が、やはり自転車に乗った怪しい男につけ回されるという奇妙な出来事に端を発する。スミス女史の相続する遺産を狙った事件は、ホームズの活躍で無事解決するが、気になるのはこの美しき自転車乗りという題名である。「自転車」という文字には敏感で、本やドラマの題名でも、街中の看板でも、つい引き付けられてしまう。

 この小説の原題は“The Adventure of the Solitary Cyclist ”である。「孤独な自転車乗りの怪事件」とでも直訳すればいいのだろうか。孤独な自転車乗りは、スミス女史のことなのか、彼女を自転車でつけ回す髭の男のことなのか。日本のシャーロキアンの間では意見が分かれるところらしい。和訳の問題なので、イギリスのホームジアンの間では議論にならない「孤独な自転車乗り」と訳せば、どちらとも取れるが、美しき自転車乗り」というと、物語に関係がなくても、女性を、この場合はスミス女史を思い描いてしまう。

 ジェンダーのバイアス、性差の偏見に捉われて、美しいということばから女性を連想してしまうのは自分だけか。「逞しき自転車乗り」といえば、つい男性のことかと思ってしまう。女性にも逞しい自転車乗りがいるし、男性にも美しき自転車乗りはいる。自転車に乗れば、ジェンダーフリーなのである。自分のように高齢者の自転車乗りであれば、エイジフリーもめざしたいところである。

 働き方については、エイジフリーがしきりに言われるようになった。自転車乗りも、性別や年齢の縛りから解放されて、美しく逞しく、いくつになっても自転車を楽しみたい。とはいえ、自分は「美しき自転車乗り」になれそうもない。せめて、愛車をしっかりと手入れして、美しい自転車で、美しい風景の中を走りたい。自分が美しい自転車乗りになれなくても、自転車にかかる美しいという形容詞をたくさん使うことはできる。 


小説『美しき自転車乗り』の挿絵
スミス女史が中心の事件なので
孤独な自転車乗りは彼女のことだろう

イギリス、グラナダTV作成のドラマ(1984年)
『美しき自転車乗り』のDVDジャケット
シャーロキアンならジャケットの間違いを指摘する?
『美しき自転車乗り』は
短編集『シャーロック・ホームズの冒険』ではなく
『シャーロック・ホームズの帰還』に収録されている

ドラマ『美しき自転車乗り』の一場面
自転車もヴィンテージで美しい

美しく磨いた自転車を
美しい舞台にのせる

梅雨空の下
気分の晴れる美しい場所を探す

少し走れば
美しい場所には出会える
美しき自転車乗りには…

自転車に乗っていれば
ホームズの推理通り
靴底は減り…

田舎を走っていれば
ホームズの推察通り
美しく健康的に日焼けする