西野尻駅は三岐鉄道の終着駅西藤原のひとつ手前の駅である。無人駅で駅舎もない。ホームには屋根もない。駐車場から直接ホームに上がる狭い階段があるだけだ。わが家からちょうど15㎞の距離なので、朝の間にちょっと走るには恰好の目的地になる。
先日、その駅前の階段に座り一息入れていると、1台の自転車が颯爽と通り過ぎた。乗り手とちょっと目が合ってお互いに軽く会釈をした。かなりスピードが出ていた。本格派のロードバイク乗り。ウエアも決まっていた。
2.3分も過ぎたころだろうか、その自転車が引き返してきた。体格のいい歳のころは30代の半ばかと思われる男性が、自転車を降りヘルメットを脱いで近づいて来た。
所在なさげに座っている爺さんに道でも尋ねに戻って来たか。自転車に乗っている爺さんということは判ったらしいな。能天気にそう思っていた。ところが相手の方は違った。「おとうさん、どうかされましたか。何かトラブルですか」と心配そうに声をかけられた。通り過ぎてから気になって引き返してくれたのだ。
「心配をおかけした。わざわざ引き返してもらって申し訳ない」とお詫びをした。親切に声をかけてもらったお礼も言った。しばらく雑談をするうちに、親切な自転車乗りは「もしかしたら、ハンガーノックかパンクかと思ったので」と私を年寄り扱いして心配したことを、かえって申し訳なさそうにしていた。いや、十分あり得ることだ。嬉しい配慮だ。
高齢者の自転車を尻目にかけて追い抜いていく若いライダーを見かけるが、こういう親切な自転車乗りもいるのだ。「情けは人のためならず」とは、情けをかけてはその人のためにならないという意味に間違って使われることが多い。親切な自転車乗りさんには、いずれ人のためではなくご本人のところへ、親切が巡っていくことだろう。
素っ気なく 通り過ぎる |
ふと気にかかる つい気にかける |
それとなしに 見つめている |
思いもよらず 見られている |
開花は人のためならず いずれ実になる やがて幹になる |
2 件のコメント:
年齢を問わず、親切な人はどこにでもいらっしゃいますね。
バイクツーリングで遠くまで出かけたときに起こったアクシデント。そんなとき、必ず誰かが手を差し延べてくれました。焦った状況のなかで手助け手心遣い心遣いは、格別のものがあります。
あの頃は、バイクですれ違うときにお互いが片手で合図を送るのが通例。
「おつかれさん、気をつけて行こうぜ」みたいな一期一会のサイン。今のライダーたちは、どうなんでしょうね。
MARIOさんは以前、自転車に乗ったおじいさんが倒れているところを、助けたというお話がありましたが、まさに情けは人のためならず。他人に対して思いやりをもって接することは、いずれは自分に還ってくるもの。だから、まわりの人を大切にしましょうね、ということでしょうか。
開花は人のためならず、いずれ実になる幹になる さすが詩人ですね。
ところで、自転車に乗っている同士がすれ違うとき、挨拶する人が少ない気がしますが、これは今風というか現在の風潮なのでしょうか。
アクシデントに見舞われたときや、実際には困っていなくてもそう見えたときに、暖かく声をかけてもらうのは本当にありがたいです。次に反対の状況に出合ったら、自分もお役に立てることがないか、必ず声をかけようという気になります。
オートバイや自転車での遠出は、自動車よりも過酷なところもあって、ライダー同士、仲間意識や相互扶助の意識が強いのかもしれません。
べーえんべーさんの言われるように、オートバイの乗っていたころには、オートバイ同士がすれちがうときにはピースサインを交わしたものでした。最近はオートバイから離れているので、今どきのライダーはどうしているのか、それも知りたいところです。
自転車乗りは、確かにあまり決まった挨拶を交さないようですが、同じ場所で休憩したりすると自転車談義に花が咲くことはよくあります。自転車乗り同士、通じ合うものがあるのでしょうね。何に乗っているかは問わず、行きずりの人にも親切に声をかけたりかけられたりするのは嬉しいことですね。
コメントを投稿