少し前に、『ユーロヴェロ9000㎞』というNHKの番組のことを書いた。自転車でヨーロッパの自転車専用道を旅する様子が収録されている。番組について、自力で旅をするのなら兎も角、旅のコーディネーターや通訳者のお世話になるのは自転車旅という自分のイメージには合わないというようなことを書いた。
旅には言葉が大切である。自転車で旅するのであれば、トラブルにも見舞われるだろう。修繕や部品の調達を現地でするには、それぞれの土地の人と話すことになる。ゆく先々で地元の情報などを入手すれば旅は深まり、束の間の同行者が現れたり、訪ねた土地に知り合いが出来たりすれば旅は広がる。
通訳者や翻訳アプリを介さずに、身振り手振りや、少しでも共有できる言葉を探して意図を通じ合えば、旅はもっと深まり広がるような気がする。
ロンドンの日本人学校に勤務していたときに、休暇でスペインへ出かけたことがあった。マラガの海岸でフランス人の老夫婦に話しかけられた。
「フランス語は話せるか」と訊かれたがもちろん判らない。当時はイギリス在住だったので、少しは英語が話せた。「英語は判りますか」といったら、今度は相手が話せない。「スペイン語はどう?」と訊かれて「ダメです、ドイツ語はどうですか?」と片言なら何とかなるので尋ねてみた。「いや、イタリア語はどう?」と相手が言うので、「ムリです。後は日本語だけですね」と答えた。
両者、3か国語ずつ提案しても、共通の言葉がない。それでも、何とか話は通じて、その老夫婦と一緒に食事をすることになった。通訳者がいない方が愉快なこともある。
自転車との対話にも通訳者がいてくれたらと思うときがある。自転車の調子が悪くて原因が判らないときは、自転車の言っていることが判らない。自転車屋さんに通訳を頼むことは簡単だが、何とかわかり合おうと何度も自転車の声を聞き直す。苦労をするうちにお互いの意志が通じ合う。相手が人であっても自転車であっても、共通の言葉を探して通訳者なしに話すのは面白い。
未知の場所に行く |
通じ合うものをさがす |
言葉にしなくても見えてくる |
いずれわかりあえる |
わかりあっていく |