冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年9月30日土曜日

通訳者

  少し前に、『ユーロヴェロ9000㎞』というNHKの番組のことを書いた。自転車でヨーロッパの自転車専用道を旅する様子が収録されている。番組について、自力で旅をするのなら兎も角、旅のコーディネーターや通訳者のお世話になるのは自転車旅という自分のイメージには合わないというようなことを書いた。

 旅には言葉が大切である。自転車で旅するのであれば、トラブルにも見舞われるだろう。修繕や部品の調達を現地でするには、それぞれの土地の人と話すことになる。ゆく先々で地元の情報などを入手すれば旅は深まり、束の間の同行者が現れたり、訪ねた土地に知り合いが出来たりすれば旅は広がる。

 通訳者や翻訳アプリを介さずに、身振り手振りや、少しでも共有できる言葉を探して意図を通じ合えば、旅はもっと深まり広がるような気がする。

 ロンドンの日本人学校に勤務していたときに、休暇でスペインへ出かけたことがあった。マラガの海岸でフランス人の老夫婦に話しかけられた。

 「フランス語は話せるか」と訊かれたがもちろん判らない。当時はイギリス在住だったので、少しは英語が話せた。「英語は判りますか」といったら、今度は相手が話せない。「スペイン語はどう?」と訊かれて「ダメです、ドイツ語はどうですか?」と片言なら何とかなるので尋ねてみた。「いや、イタリア語はどう?」と相手が言うので、「ムリです。後は日本語だけですね」と答えた。

 両者、3か国語ずつ提案しても、共通の言葉がない。それでも、何とか話は通じて、その老夫婦と一緒に食事をすることになった。通訳者がいない方が愉快なこともある。

自転車との対話にも通訳者がいてくれたらと思うときがある。自転車の調子が悪くて原因が判らないときは、自転車の言っていることが判らない。自転車屋さんに通訳を頼むことは簡単だが、何とかわかり合おうと何度も自転車の声を聞き直す。苦労をするうちにお互いの意志が通じ合う。相手が人であっても自転車であっても、共通の言葉を探して通訳者なしに話すのは面白い。

未知の場所に行く

通じ合うものをさがす

言葉にしなくても見えてくる

いずれわかりあえる

わかりあっていく















2023年9月23日土曜日

部品の調達

  自転車のようなシンプルな機械にはあまり大きな変革や改良がないように思えるが、毎年新しいモデルが発表される。E-bikeのように、電気モーターのアシストで走る自転車も増殖しつつある。これまでの自転車にとって代わるような勢いである。

 スポーツバイクにも、次々に改良した部品が使われる。レースに出たり、1日に200㎞も走ったりするような長距離ライダーならいざ知らず、そこまで必要なのかと思われるような高性能を追求した部品もある。

 自転車が進化することは、愛好家には好ましいことだ。速くて美しい自転車が登場するのを見ているだけでも楽しい。

 古い自転車を大事に乗りつづけたいと思っている者には、困った問題もある。年々使われる部品が高性能なものに進化して、これまでの部品が生産されなくなることである。たった10年前の部品でも手に入らない。

 流行もあって、部品の色使いなども変わる。古い自転車に合うようなシックな色調のものが見つからない。ネットオークションでは、使いこんだ古い部品に高値がつく。

 若いころ、オートバイに乗っていたときには、解体屋さんに行って、古い部品を安く買ったり、ときにはもらったりということもできた。解体屋のおやじさんが、自分で外していくなら何でも持って行っていいぞ、などといってくれたりもした。今でも実用自転車は数が多いので、その手が使えるかもしれない。

 古い自転車に乗りつづけるためには、手に入る間に予備の部品を買って保管したり、新品よりも高価な中古部品を買ったりしなければならない。趣味とはいえ、それほど潤沢に費用をかけるわけにはいかない。古いものを使って安全が確保できないのも困る。いっそ新しい自転車に買い替えてしまうということになりかねないが、それはさみしい。古い自転車の部品を調達するためには、知恵と工夫がいりそうである。

近くにあって
手が届くと
思っている

いつの間にか
遠のいて
もう手が届かない

ずっと後ろに
残してきた事ども

立ち止まって
ときをやり過ごす

新しい道が
どこかで見つかる



2023年9月16日土曜日

ユーロヴェロ90000㎞

  NHKBS放送を観ない(観られない)だろうといって、友人が『ユーロヴェロ90000㎞』という番組を録画してくれた。

ヴェロとは自転車のことで、番組はヨーロッパに延長90000㎞も整備された自転車専用道路を旅する記録だ。全行程を走るのではなく、イタリアからチェコまでの1000㎞程の道のりを、ドイツ在住のAKIRAさんという若者が自転車で一人旅をする様子が収録されている。

 沿道の景色が素晴らしい。モルダウ川に沿って走るシーンは圧巻だ。行き交う自転車にも興味をそそられる。太めのタイヤを装着し、長旅に備えた荷物を前後に積んで、のんびりと走る自転車が多い。ユーロヴェロではお決まりのスタイルのようだ。

 番組の冒頭、「自転車だからこそできる旅がある」というテロップが流れる。もちろん、自転車専用道路をつないで走るのだから、自転車でないとできない旅である。我が家の周辺、たかだか半径15㎞ほどのエリアを走っていても、自転車だからこそ通れる道があり、自転車だからこその出会いもある。

 番組は、自転車専用道路やその沿線の風物を紹介し、自転車に乗る人も乗らない人も楽しめるように制作されている。自転車愛好家向けに限れば食い足りない。長旅をすれば自転車に不具合が生じ、乗り手が疲労困憊して先へ進めないという事態も起きるだろう。番組の中で、そういう場面も紹介されてはいる。

 行程がきついといって、突然準備されたE-bike(電動アシスト自転車)に乗り換えたり、全行程を旅のコーディネーターや通訳者が同行しているのはちょっといただけない。

 旅にはいろいろな形があってもいいだろうが、「自転車だからこそ」というのであれば、自転車と対話し、行き交う人とは通訳者を介さず対話する。自分の決めた、あるいはまだ決めてもいないルートを、独りで自由自在に走るというのが私の自転車旅のイメージである。舞台がヨーロッパであろうが我が家の周りの田んぼ道であろうが同じことだ。


ペダルをひと漕ぎすれば
家の裏手の道も旅の途中

自転車だからこそ
今日の道今日の景色

自転車だからこそ
迷い込む

気の早い
彼岸花が咲いた

花とは通訳なしで
話をする

疲れたら休んで
また一人で走る


2023年9月9日土曜日

自転車の音

 自転車を漕ぎ出す。我が家の前の道はゆるい下り坂だ。反対方向へ漕ぎ出せば、必然的に登り坂ということになる。下り方向を選ぶ方が断然快適だ。走り始めにペダルを踏めば、しばらくは惰力で坂を下る。

 このとき自転車の調子が良ければ絶対無音だ。タイヤが路面を踏んで転がる心地よい音と風をきる音だけが聞こえる。坂を下り終えるとペダルを踏みはじめる。自転車の調子が整っていればここでも全く音がしない、はずである。

 問題は、ときとして異音が聞こえることだ。自転車から耳障りな音が出ているのに気づく。どこかに異常があることを知らせる音は、気になりだすと余計に大きくなる。正確にリズムを刻む音であれば、回転する部分で発生する音である。車軸、ペダルの軸、あるいはクランク軸が発生源と考えられる。変速が上手くいかず、チェーンとギアが干渉していることもある。タイヤの溝に小石などがはさまっていることも原因になる。

 速度を変えたり、ペダルを踏むのを止めたりしながら、異音を聴き取る。音だけでなく振動を感じることもある。

 不規則で耳障りな音は、自転車に取り付けた部品が何かの拍子に緩んでいたり、携行している修理用具などがきちんと収まっていなかったりすることが原因だ。感覚を澄ませて音の出る場所を探す。不具合が判ればその場で手立てを講ずる。自転車に異音がまとわりついているのは興醒めだ。

 なにしろ、自転車に乗る楽しみのひとつは、いろいろな音に出会い、音を愛でることなのだ。タイヤが路面と対話する音。風をきる音。ときには風に追い抜かれる音。鳥のさえずり。虫の音。木の葉ずれ。落ち葉のささやき。稲穂の揺れる音。遠くの学校の運動場から聞こえる子どもたちの歓声。ときに一緒に走る仲間の快活な話声。心おきなく音を楽しむためには、自転車から出る異音はすべからく取り除くべきである。

秋の蝉を聞く

境内の静謐
静けさも音

次の景色の中に
次の新しい音

稲穂のゆれる音
稲穂をゆらす音

文字は音になり
音は文字になり

音はつながり
音はひろがり


2023年9月2日土曜日

再び始めるということ

  初めてスポーツ自転車を手に入れたときには、全く加減が判らないままにいろいろな処へ出かけた。どうやって乗ればいいのかもよく判らないので、乗車姿勢を確かめたりペダルの踏み方をいろいろと試してみたりした。

 自転車がブームになりかけていたころで、自転車関連の書籍や雑誌は簡単に手に入った。身近にスポーツ自転車に乗っている人がいなかったので、一緒に走って乗り方を教わることはできない。現実に手本や見本になる人がいないので、専ら書籍を参考にしながら、自己流で何とか楽しめる程度にはなった。

 11年間乗っていてはじめて、6週間ほど自転車に乗らない日々が続いた。夏の終わりになって、ようやく本格的な再開である。初めて自転車に乗るときと、ブランクの後に再開するのとでは、どちらが難しいか。

 初めてのときには、較べるものがないので大いに気楽だった。登り坂の厳しさや向かい風の抵抗が尋常でないことを思い知らされたり、それでも、思いがけなく遠くまで走れたことにいたく満足したり、新鮮味にあふれていた。

では、再開はというと、これまでやっていたのと同じことをするだけだから簡単なはずである。ところが、中断する前の自分の力がはっきりしているので、どうもしっくりこないことが多い。もっと簡単に距離を伸ばせていたはずなのに、もっと楽に坂を登れていたはずなのに、と少し前の自分と比較して焦る。

 中断すれば筋力が衰えるのは理解できるが、納得はできない。2年も3年も中断すれば身体の記憶も薄れるだろうが、6週間くらいだと脚、腕、首その他、各部位の記憶が鮮明で、何ができていたかをよく覚えている。何ができなくなったかもはっきりと判る。

 年齢も年齢である。6週間で置き去りにしたものを取り戻すには、倍の時間が要るかもしれない。自転車を始めたころに返って、また少しずつ走りつづければ、楽しみももどってくると思って走る。

去年夏が来て
ヒマワリが咲いた

今年ヒマワリが咲いて
夏は去ろうとしている

夏と秋との境界線が
空に引かれていく

おきざりにしてきた記憶がある

つくりはじめる記憶もある