’26.5.8 一期は夢よ

2026年7月11日土曜日

恋を抱きしめよう

  前回のブログに書ききれないことがあった。前回引用したビートルズの楽曲は『恋を抱きしめよう』というタイトルである。

 原題は『We can work it out』。直訳すれば、私たちはそれを何とかすることができる。何とかうまくいくさ、とか、どうにか解決できるさ、くらいの意訳もできるだろう。 『恋を抱きしめよう』という曲名は、原題とはかなり意味合いが違う気がする。

 前回、歌詞の内容にももう少し触れたかった。ポール・マッカートニーの歌詞は、「僕のやり方を理解してくれ ちゃんと話を聞いてくれ 君のやり方ではこれ以上うまくいかないだろう 時間が経てば判るはずだ」と、中身は判らないが、恋人を説得しているように思える。シンプルな歌詞である。

 ジョン・レノンが、ポールの作った歌詞の途中へ「Life is very short, and there is no time for fussing and fighting, my friend」と、仲裁するようなフレーズをはさんだ。「人生は短い。つまらない事で大騒ぎしたり喧嘩したりしている時間はないぞ」というわけだ。仲間内での冷やかし半分のところもあるのか。

 自転車の通販サイトを見てああでもないこうでもないと考えているときに、たまたまビートルズを聴いていた。このフレーズが耳に残った。

 若いころのジョンが「人生は短い」といっているのと、私の余生ではわけが違う。迷っている時間はもっと少ない。余生が長いか短いかよりも、余生に意味があるかどうかだ。すっからかんの余生ではつまらない。

 前回のブログを書いたあとで、思わぬ符合にも気がついた。「We can work it out」、何とかうまくやれる。新しく買った自転車と私の関係も、何とか折り合いがつくだろう。「恋を抱きしめよう」ではピンと来ない。原題の「We can work it out」なら「We」を私と私の新しい自転車のことに置き換えて、何とかやっていけるだろう。

古い歌を口ずさみながら
新しい道を走った

古い歌が
その時々に
新しい意味を見つける

リズムが重なり
旋律が躍り出す

遠い昔に聴いた歌が
幾重にも折り重なって
耳元に流れている

2026年7月4日土曜日

自転車、買いました

  新しい自転車を買いました。前に何度かこのブログで、もう1台自転車を買うかどうか、迷っていることを書いた。迷いのはじまりは、今も乗っているラレーというブランドの自転車が生産中止になるというニュースだった。

 現在の愛車、ラレーのことについても、いろいろ紹介してきた。愛着のある自転車だ。新家工業がイギリスのラレーという自転車をライセンス生産している。クラシカルな雰囲気が漂う。

 アルミやカーボンフレームの自転車が主流の今でも、鉄(クロモリ合金)製のフレーム。使われている部品もちょっと時代遅れの感がして、それがまたいい。

 そのラレーの自転車が今後は作られなくなる。今もラレーのロードバイクに乗っているが、もう1台、少し性能の違うものを手に入れておきたい。

 買う理由はある。今後ラレーの自転車は中古車以外では手に入らない。今なら製造中止前の在庫が定価の半額近い値段で買える。今の愛車は買ってから14年も経っている。その間に同じブランドの自転車で古めかしいとはいえ、新しいモデルへと進化はしている。

 買わない理由もある。何台も持っていても、全部の自転車を乗りこなせるとは思えない。いつまで自転車に乗れるかもわからない。新車を買えば、自分の身体に合わせた改造用の部品も欲しくなる。余計な出費が増える。今更新車もないだろう。

 Life is very short and there is no time、ビートルズの楽曲の歌詞が思い浮かぶ。言い争いをする恋人たちのことを書いたポール・マッカートニーの歌詞に、ジョン・レノンが付け足した1節。「人生は短い、喧嘩をしている時間はないぞ」

 若かったジョンがLife is very shortといったのと、私の今の心境は違うだろう。けれど、逡巡している時間が勿体ないのは確かだ。買ってしまえば、乗るにちがいない。乗れば、新しい自転車の真価もあらためて判るだろう。

 かなりの高齢にはなったが、やってみないと判らないことはまだまだ多い、と、まぁそんなことで、もう1台、自転車を買いました。

Life is very short, and tehre's no time,
for fussing and fighting , my friend

ジョンだってポールだってわたしだって
人生が短くて時間がないのは同じだ

短い余生という決まり文句は
この辺りで捨てていく

余生は長さで計らない
深さで計り重さを計る



2026年6月27日土曜日

自転車のベルの効用

  「ブタはしゃべる」。自転車の安全点検の合言葉。これがいつどこで使われ始めたか、正確には判らない。全国の小学校の交通安全教室や警察の啓発活動に、2000年代(平成10年代)から使われているらしい。

 「ぶ」ブレーキの効き具合や関連部品。「た」タイヤの空気圧や摩耗具合 「は」反射板と前照灯の取付 「しゃ」車体の亀裂やハンドル、サドルの取付具合 「べる」ベルの取付と鳴り具合。

 「は」は反射板よりハンドルとして1項目上げてもいいような気がする。ハンドル周りの点検にはブレーキレバーの握り具合など、危機回避の要素が大きい。反射板は車体の方に組み合わせてもいい。とはいうものの、短い合言葉にうまく点検項目が入っている。

 これなら小学生にも覚えてもらいやすい。スポーツ自転車を愛用する経験を積んだライダーにも欠かせない点検項目だ。

 ただ一つだけ、気になることがある。「ブタはしゃべる」という短い合言葉のうちの2音2文字も使っているのがベルだけの点検、そのベルにどれだけの効用があるのか、ということだ。

 例えば、田舎道で犬の散歩をする人や、並んでウォーキングをする人たち。後ろから自転車で追いついてベルを鳴らすのは気が引ける。のどかな気分に水をさす。そんなときは「おじゃましま~す」と声をかけて追い抜く。ベルの出番はない。

 例えば、わき道から飛び出そうとする車。ベルを鳴らしてもドライバーに聞こえるはずがない。負け犬の遠吠えならまだしも、自転車のか細いベルの音では聞こえもしない。何とも非力だ。もっと大きな音にすればどうか。それだと使うのに気が引けるか。

ちりんちりんというベルの擬音は自転車の軽快さ。のどかで平和だ。銀輪と並ぶ自転車の象徴。歌にもなれば詩にもなる。そのベルがあまり使い道もなければ効用も期待できそうにないと思っているのは私だけか。

湖の向こう岸で
緑色の音が生まれる

音は小さな波紋になって
川面をすべっていく

かすかなベルの響きに誘われて
樹々の緑のトンネルをくぐった

音の色風の色光の色
今日は旅する自転車

2026年6月20日土曜日

若者の夢

  高校3年生になる元同僚のご子息がロードバイクを買った。今から5年前のことだ。大学受験の準備で急に部活を止めると身体がなまるといってロードバイクを手に入れた。走り方がよく判らないので、一緒に走って欲しいと頼まれた。

 爺さんの自転車乗りではあまりお手本にはならない。走り方指南はできないが、お互いに安否の確認くらいはし合える。平坦路やアップダウンのあるコースを何度か二人で走った。ずっと野球を続けていた18歳の運動能力は老人の比ではない。すぐに巧くて速くなった。

 受験準備が忙しくなって、一緒に走ることはなくなった。大学に入学してからも自転車をつづけていることは伝え聞いていた。

 先日、元同僚と会ったときにご子息の話になった。当時の高校生が、この春小学校の教員になった。大学時代には近くの学童保育所を手伝っていたとも聞いた。驚いたことに、手伝っていたのは我が家の孫がお世話になっている保育所ではないか。

 学童保育所に大学生の先生が来てくれていたかと孫に訊いてみた。孫は、どうして爺ちゃんがその人を知っているのかと怪訝そうな顔をした。自分の良からぬ話でも聞いたのではないかと、少し身構えた。何分、小学4年生のやんちゃ盛り。ヤバい話もあるだろう。

 その人は、ずっと前に爺ちゃんと一緒に自転車で走ったことがあるというと、安心したらしい。あの先生は、めちゃ優しくて面白いで。走るとめちゃ速いし、オートバイを乗りこなしとるで、と話しはじめた。

 夢が叶って小学校の先生になったので、もう学童保育所には来られない、と孫は残念がっていた。学童保育所を手伝う若者が子どもたちに夢を語る。若者の夢が叶ったことを子どもたちが喜んでいる。そこには素晴らしい出会いがあったようだ。

 わずかな時間だったが自転車で一緒に走った若者の後日譚を、自分の孫から聞けたのは思いがけない喜びだった。


ここに立ちつくしている出会い

追いかけ追いつき
追い抜いて行く出会い

時の流れに架けた橋を渡り
時が渡っていく橋をくぐる

ここでは新しい出会いが
また夢の種を播いている


 

2026年6月13日土曜日

買う理由・買わない理由

  石油由来の原材料を使う製品が値上がりしている。今後はもっと値上がりするだろう。材料が安くなったとしても、一度高くなった物の値段が元通りに安くなるとは考えにくい。

 年金生活者にとって、生活必需品の値上がりは厳しい。食料品や衣料、電気や燃料などを買わない理由はみつからない。

 エアコンが壊れる、冷蔵庫が冷えなくなる、洗濯機が動かない。かなりの出費を強いられても、買わない理由など探していられない。買うしかない。問答無用。

 現役で仕事をしていた頃には、夏冬のボーナスというありがたい収入があった。使えなくなる前から、大画面のテレビに買い替えるとか、新しいパソコンを買うという計画が立てられた。まだ使えるし勿体ないなどと買わない理由を並べても、都合のいい買う理由を探して、よし買ってしまえ、と決断をしていた。

 もしも、現役時代から自転車を趣味にしていたら、自転車にかける費用も違っていただろう。ボーナスで高価な部品を手に入れて交換するとか、いっそ、高性能の自転車に買い替えるとか。買う理由を無理にでもひねり出して買わない理由を払い除けていたことだろう

 今乗っている自転車の部品が手に入らなくなったり、値段が高騰したりするかもしれない。今のうちにストックを買い揃えておきたい。安いうちに勝っておきたい。買う理由を挙げてはみるが、待てよ。勿体ない。なくても済ませられる。と、買わない理由も思いつく。生活必需品ではないだけに、買う理由より買わない理由が先に立つ。

 おまけに最近は、いつまで自転車に乗れるか判らないのにとか、この先使いこなせるかどうかも判らないのにとか、弱気ともいえる買わない理由を挙げてしまうことが気になっている。弱気の買わない理由より、買う理由には夢がある。要る物は要る。欲しい物は欲しい。

子どものころ
買う理由をきかれると
みんなが持っているからというのが
いちばんの理由だった

みんなって誰かきかれると 
みんなはみんなでしかなかった

大人になって
買いたい物が増え
買う理由が増え
みんなの人数も増えた

いつの間にか
みんなはいなくなったが
買う理由は残っている

※上の二枚はツアー・オブ・ジャパン '26
 いなべステージのオープニングパレード




2026年6月6日土曜日

高齢者用の自転車

  新聞の折り込み広告を見ていると、高齢の方にお勧めと書かれた商品が目につく。ご配慮いただくのはありがたいが、わざわざ高齢者用といわれなくても、必要なものや欲しいものは自分で決める。余計なお世話だ、といいたいときもある。

高齢者用と銘打った自転車もあるにちがいない。ネットで調べてみる。やはりありました。転倒しない三輪車、車輪が小さくて足つき性のいい小径車。勿論、今を時めく電動アシスト自転車も紹介されている。

 セルフイメージとしては、まだ50歳台くらいのつもりだ。自転車にもそれなりに乗れると思っている。二輪の乗り物は転倒すると判っている。判っているが、自分に限って、咄嗟のときには危険を回避し、まさか転倒には至らないだろうと高をくくっている。

 少し前にクロスバイクのハンドルを交換した。楽な姿勢で走れるように改造した。サドルの位置なども見直した。サドルを支えるシートポスト(フレームから生えたようになってシートを支える部品)も品質の良いものに換えた。美観にも多少はこだわった。

 アルミの材質がいいのか、形状も衝撃を吸収しやすいのか、サドルに伝わる振動がやわらいだ気がする。まさに高齢者用だ。

 74歳の現在、愛用する自転車の性能として求めるのは次の二つだ。1時間または20㎞は休憩なしで走りつづけられること。エイジライド(自分の年齢と同じ距離、今年は74㎞を走るというマイルール)をしても肩や腰、膝に痛みが出ないこと。

 もうしばらくはこれまでと同じような乗り方をつづけたい。高齢者用の三輪車や小径車、電動アシスト付き自転車への乗り換えはもう少し先になってから考える。自転車だけではない。どんなものであれ、高齢者用とひとくくりにされたものよりも、自分のための自分用のものを見つけたい。


瀬を早み
急かされて
それぞれの
道を行く

後には再び出会って
ゆったりと走る

これから先は
どこをどうやって
訪ねたものか

いまだに
行く先が
決まらない
こともある

2026年5月30日土曜日

異音の正体

  こんなことが今更判っても、次に役立つことはないだろう。そんなことが今頃できるようになっても、二度と同じことをする機会はないだろう。70歳台も半ばにさしかかると、そう思うことがままある。今回のこともその例に漏れない。

 15年愛用しているクロスバイクで長い坂を登ると、コツコツと異音が発生する。ちょっと前から気づいていた。気づいてしまうと気になるものだ。放っておいて、故障が深刻になっては困る。

 サドルの後ろに取り付けたバッグに脚が当たる音か、違う。車輪が何かに触れているか、違う。変速機の不具合か、それも違う。取り付けた部品が緩んでいると規則な音が出る。回転部から出る音なら規則的だ。ペダルを踏む速さに合わせて音が変わるので、どうやらペダルに関係している異音らしい。

 登り坂で力を入れると音が出る。平坦路では聞こえない。整備スタンドに立て手で空回しをしても聞こえない。右側のペダルに異常はない。左足で強くペダルを踏んだときだけ音が出る。足裏に微妙な振動も感じる。

 判りました。異音は左のペダルの軸から出ている、これで決まり。ペダルにガタつきはない、とすれば、ペダルの軸かベアリングに瑕がついたのだろう。ダメ元でペダルを分解することにした。面倒ではあるが仕方ない。

 分解するためにペダルを外そうとしたら、何と、ほとんど力を入れないのにネジが緩んだ。原因はこれか。ペダルの取り付けが緩んでいただけか。気になっていた不可解な音の原因は、たったのこれだけのことか。

 取り付けネジの増し締めをしたら、音は消えた。気分爽快。判ってしまえば何でもないのに、不可解な音に悩まされ、正体をつきとめるのに苦労した。

 これから先に同じようなことはまずないだろう。応用のきくような知識でも技でもない。今後役立つこともないだろう、とは思うが、自分で問題に気づき、見つけ、最後は解決できたことは70歳台半ばになっていても大喜びなのだ。

耳をすませば聞こえるし

目をこらしたなら見えてくる

混沌とした世界に
埋もれてしまった

明快な具象に出会う
早すぎではなく
遅すぎでもなく