冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2024年4月27日土曜日

防衛運転について

  赤い乗用車がコンビニの駐車場から道路に出ようとしている。自転車に乗っていると、目線が高いので車の運転席がよく見える。赤い車のドライバーはこちらを見ていない。おそらく、近づいていく自転車に気づいていないだろう。きっと、私の前に飛び出すだろう。

 やはり、というべきか、助かった、といえばいいのか。その車は近づく自転車に注意をはらう様子もなく車道へ出て走り去った。予測していなければ大惨事だ。

 狭くて見通しのきかない脇道から不意に車が出てきた。車は一旦停止しなかったわけではない。ドライバーが左右の確認をできる位置まで前進したので、車の鼻先が道路にはみ出た。一瞬、ドライバーの驚く顔が見えた。間一髪のところですり抜けた。律儀に道路の左端を走っていたら大激突だ。

 防衛運転とは、「ドライバーが事故を防ごうとする意識と運転方法によって、自分が原因の事故を起こさない、他者が原因の事故に巻き込まれることを防ぎ被害を最小限にすること」である。とりわけ自転車には防衛運転が必要だ。

 自転車は交通弱者である。他者が原因の事故に巻き込まれることが多い。幸いなことに、これまで事故に巻き込まれたことはないが、ヒヤリとしたことは何度もある。

 予防安全(アクティブセーフティ)という衝突事故などを未然に防ぐための装備・技術がある。衝突安全(パッシブセーフティ)対策として、事故の際に乗員の安全を確保する装備・技術も開発されている。残念ながら、自転車にはいずれの装置も無縁のようだ。

 少しでも軽く、シンプルにという自転車の進化の方向から考えれば、予防安全装置は期待できない。防衛運転に徹するしかない。路上の自転車は時として邪魔者扱いされ、無視される。防衛のためには「自転車がここにいます」としっかり主張する。目立ちすぎだろうが、派手だと思われようが、私がここにいると気づいてもらうのが防衛の第一歩だ。


色で目立つ
形で目立つ
薫りで目立っている

目立ちつづけて
つづいていく

休んでいても
ここに居る

小さいけれど
ここに居る

大切なものは
いつも持っている

目立たないで
目立っている



2024年4月20日土曜日

親切な自転車乗り

  西野尻駅は三岐鉄道の終着駅西藤原のひとつ手前の駅である。無人駅で駅舎もない。ホームには屋根もない。駐車場から直接ホームに上がる狭い階段があるだけだ。わが家からちょうど15㎞の距離なので、朝の間にちょっと走るには恰好の目的地になる。

 先日、その駅前の階段に座り一息入れていると、1台の自転車が颯爽と通り過ぎた。乗り手とちょっと目が合ってお互いに軽く会釈をした。かなりスピードが出ていた。本格派のロードバイク乗り。ウエアも決まっていた。

 2.3分も過ぎたころだろうか、その自転車が引き返してきた。体格のいい歳のころは30代の半ばかと思われる男性が、自転車を降りヘルメットを脱いで近づいて来た。

 所在なさげに座っている爺さんに道でも尋ねに戻って来たか。自転車に乗っている爺さんということは判ったらしいな。能天気にそう思っていた。ところが相手の方は違った。「おとうさん、どうかされましたか。何かトラブルですか」と心配そうに声をかけられた。通り過ぎてから気になって引き返してくれたのだ。

 「心配をおかけした。わざわざ引き返してもらって申し訳ない」とお詫びをした。親切に声をかけてもらったお礼も言った。しばらく雑談をするうちに、親切な自転車乗りは「もしかしたら、ハンガーノックかパンクかと思ったので」と私を年寄り扱いして心配したことを、かえって申し訳なさそうにしていた。いや、十分あり得ることだ。嬉しい配慮だ。

 高齢者の自転車を尻目にかけて追い抜いていく若いライダーを見かけるが、こういう親切な自転車乗りもいるのだ。「情けは人のためならず」とは、情けをかけてはその人のためにならないという意味に間違って使われることが多い。親切な自転車乗りさんには、いずれ人のためではなくご本人のところへ、親切が巡っていくことだろう。


素っ気なく
通り過ぎる

ふと気にかかる
つい気にかける

それとなしに
見つめている

思いもよらず
見られている

開花は人のためならず
いずれ実になる
やがて幹になる






2024年4月13日土曜日

じっくり気長に

 じっくり取り組む。気長につづける。子どものころから全く縁のないことばだった。小学校や中学校の通知表には、落ち着きがない、集中力に欠けると必ず書かれていた。子どものうちから落ち着いてしまうというのもいかがなものかと思うが、何かに集中するというのは大切なことだ。

 学年が進むと、ケアレスミスが多い、物事に慎重に取り組みたい、と言葉は変わっても、同じようなことを言われつづけた。授業中に話をしっかり聞けないというおまけもついていた。

 落ち着きのない子どもが、授業をする側にまわった。37年間も教員生活を送った。カウンセリングマインドが大切とばかりに、生徒たちの言い分に耳を傾ける努力はした。実際のところはどうであったか。せっかちさが先にたち、自分の考えを押し付けることが多かったと後悔することしきりである。

 還暦を迎えて、仕事を辞して、暇ができた。手元不如意だが時間はある。多少なりとも、じっくり気長にものごとを考え、取り組むことができるようになった、かもしれない。

 例えば、自転車。急ごうと思っても、自分の脚力に相談すれば、急ぎようがない。景色を楽しみながら、じっくり気長に前に進むしかない。自転車の整備をしようと思えば、部品を注文して届くのを待つ。届いた部品が上手く取り付けられなくても、じっくり構えて気長に工夫して、何とかものにする。

 先日、自動車の錆びついたホイールの塗装をやってみた。いずれ、自転車のフレームも塗装したい。予行演習のつもりである。自分でやれば経済だ。先ずは錆を丁寧に落とす。色を塗って乾くのを待ち、重ねて塗ってまた乾くのを待つ。艶出しのラッカーを塗ってさらに待ち、ラッカーを繰り返して塗る。

 じっくり塗料や艶出しを塗り気長に待つ。この歳になって、ようやく子どものころには縁のなかったことにも出会えているようだ。


身から出た錆は
自分で落とす


はみ出さないこと
はみ出させないこと

塗っては待ち
待っては塗る

いずれは光る
いずれは咲く

今年は遅い
さくらを待つ

じっくり気長に 
待って咲いた
咲いた桜が咲いた

2024年4月6日土曜日

憧れのスペース

  雨の日には自転車に乗れないので、家にいて自転車の整備をする。車を停めているカーポートの下で自転車の不具合を調整したり、部品の交換をしたりする。吹きさらしで雨が降りこむ。冬は寒いし夏なら暑い。

 何よりも困るのは、作業をやりかけたままで中断して、翌日回しにできないことだ。中断するときは、取り散らかした工具や部品を一旦すべて片付ける。作業を再開するには、工具や部品、整備中の自転車をもう一度カーポートに下に並べ直す。面倒この上ない。

 自転車仲間の何人かはガレージを持っている。雨の日でも音楽を聴きながら車や自転車の整備ができる。そんなスペースに憧れる。留守にしているときでも、自由にガレージを使っていいといってくれる人もいるが、我が物顔で他所のガレージを使わせてもらうのは気が引ける。雨の日や外が暗くなっても心置きなく自転車いじりができるスペースが欲しい。

 父の一周忌が近づいたので、遺品の整理を思いついた。父の居た部屋を整理すれば、自転車を持ち込むこともできる。家の中に自転車を持ち込むのは違和感があるが、吹きさらしの屋外で凍えながら、炎天下で熱中症を気にしながら、自転車を整備することはなくなる。何よりも、好みの音楽を聴きながら自転車を眺めていられる。機械いじりが好きだった父の遺した工具類がそのまま使える。願ったりかなったりだ。

 長い間父の使っていた畳の部屋の改装から始める。自分で手掛けるにわかリフォームだ。畳の上にウッドカーペットを敷く。作業台を置くには床の補強も必要か。自転車の出し入れができるように、部屋の外に小さなウッドデッキを組む。

 雨風や炎暑がしのげる。工具や手入れの用具を手の届くところに並べておける。夜も作業ができて中断も意のままだ。手狭ではあるが、長年憧れていたスペースに近づけられそうな気がしている。


露地の作業は
寒いし暑い

憧れているだけでは
憧れで終わる

歳をとっていても
減らすだけでなく
増やすこともある

歳を重ねていても
狭めるだけでなく
拡げることもある

憧れて近づくと
新しい憧れが
また遠くに見える