冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年2月25日土曜日

冬の桜

  桜色のスイーツや桜の香りのデザートが売りに出される。ご近所の自転車に乗る人たちと連れ立って花を見に行くのを、寒いうちから心待ちしている。多少気が早いが、我が町の桜の見どころを、珍しい地名など紹介しながら巡る。

 東員町役場をかわきりに、すぐそばを流れる()(がみ)川右岸の桜並木を辿る。戸上橋を渡ったところで寄り道をする。二軒屋公園という小さな公園に大きな桜の樹がある。寄り道を終えて、川沿いの並木にもどる

 並木を通りぬけ、少し離れた鳥取神社の桜を訪ねる。ここでは桜の開花と時期を同じくしてイヌナシの巨木が白い花をつける。再び寄り道をして、笹尾中央公園の満開の桜を楽しむ。円形競技場の観客のように池を囲んで桜が咲く。鳥取神社にもどり、藤川に沿って花の下を走る。やがて(あの)()の桜堤が左手に見え始める

 穴太からは南へ方角をとる。神田池の桜も見ごろを迎えている。念仏大橋で員弁川を渡り、中上から()狐子(ごじ)川に沿って咲く花見ながら、(なが)(ふけ)にはいる。集落センター脇の小川沿い奥へ入ると、ひっそりと桜の木がつづく。花を見に訪れる人もないような静けさここからは県営北勢中央公園の桜が近い。広い公園には桜色の雲がたなびいているかと見まがう。

 桜巡りは(みなみ)大社(おおやしろ)を流れる山神川の桜並木で終焉を迎える。大社橋に出て、たもとの桜を見ながら橋を渡り、前方に北大社の長伝寺のを仰ぐいつの間にか15㎞ほど走った自転車旅を終えて町役場にもどる。

 ここに桜の樹、あそこには並木。ずっと向こうにつづく桜の堤。春、いっせいに居場所を明かす桜は、今はまだ、極寒に耐えている桜だ。人知れず、凍てついた土に根を張り、凍える空気に枝を伸ばす桜だ。今はまだ、冬の桜だ。独り寒空の下に屹立している、寒風に肩を寄せ合っている。やがて芽吹き、花ひらく、冬の桜だ。

ここに、桜

ひっそりと、冬の桜

ここにも、桜

沈黙する、冬の桜

ずっと、桜

ときを待つ、冬の桜

自分だけが
自分の居場所を
知っている
冬の桜



2023年2月18日土曜日

引き寄せる

  かなり前のことだが、我が家から10㎞ほどのところにある多度山に、初めてマウンテンバイクで登った。標高403mでそれほど高くはないが、自転車で登頂するのはきつい。途中、何台かのオフロード用のオートバイに追い抜かれた。そういえば、私の知り合いにも同じようなオートバイに乗っている人がいる。あれなら山登りも楽そうだ。

帰りは瀬音の森コースという山の裏側に降りる道を下った。自転車では危険な所もありかなり難渋した。こんな道を選ばなければよかったと立ち止まっていると、携帯電話が鳴った。オートバイに追い抜かれたときに思った知人からで、今どこにいるかと尋ねられた。多度山から下山途中で往生していると伝えると、知人もオートバイで多度山頂に登ったところだという。何とも不思議な。示し合わせたわけでもないのに、超偶然の多度山。下山して、多度峡のみそぎの滝で会うことにした。

 先週、その知人に普段は通ることのない道でばったり出会った。相手は車、こちらは相も変わらぬ自転車。知人は仕事の途中で、車の中で昼食を摂るときに、私が自転車でこの辺りを走っているのではないかと思っていたという。彼もその道はほとんど通らないという。

 予兆か、霊感か。悪いことが起きれば虫の知らせになるが、これは、驚きと喜びの出会いなので、虫の知らせとはいわない。相手のことを考えているとその人に出会う。その人がやって来る。この現象は引き寄せの法則とかシンクロニシティ(共時性)ということで説明される。

 いつもとちがうコースを走っていて、この道では出会わないだろうと思っている相手が、その日に限ってコースを変えたといって、ばったり出会うことがある。今日は暇にしているだろうからメールでもしてみようかと思った相手から、久しぶりのメールが届くこともある。

 気が合う、考え方が似ている、当然ながら行動パターンも似通っている人たちの間では、偶然ではなく、必然的に起きる現象らしい。引き寄せの法則とかシンクロニシティなどといってしまわないで、信じられないような不思議な出来事のままにしておく方が楽しいしうれしい。

古い友だちのことを想っていたら
その人が向こうの角を曲がって来る

あの人はどうしているかと考えていたら
そのあの人が向こうから歩いてくる

あの人でもこんなところは
知らないだろうと思って
写真を送る

その人からこんなところは
知らないだろうといって
写真が届く

何故か、あの人を思い浮かべる
不意に、その人にここで出会う











2023年2月11日土曜日

猿の惑星

  先日、家を出て15分ほど走ったところで、猿の大群と遭遇した。冬場は食べ物が少ないせいか、猿の群れが人里の近くまで押し寄せる。自動車ならいいが、自転車で群れの中を走り抜けるのは怖いときもある。高い木や電柱に登った猿に威嚇される。

 猿の群れに会って、『猿の惑星』という映画を思いだした。高校生のころに名古屋駅前の封切館で観た。当時の映画館は入替え制や座席指定がなかった。良い席を確保するために、前の回の上映が終わる直前に館内に入り、観終えた人が立つのを狙って座席を捜した。

 『猿の惑星』を観たときには、少しだけ早く劇場に入り過ぎた。前の回のラストシーンがスクリーンに映っていた。主演のチャールトン・ヘストンが、くずおれた自由の女神の前でひざまずいていた。猿の惑星は地球だったのだ。最後の大どんでん返しを最初に見てしまって、映画の面白さは半減した。

 自転車に乗っていて猿の大群に出会うと、自転車のコースが猿たちに占拠され、いずれは映画のように地球全体が猿に支配されるのではないかと空恐ろしい。

 映画では、猿の考古学者が過去の遺跡から眼鏡や入れ歯、人形などを発掘していた記憶がある。惑星が地球だという伏線である。ほんとうに地球を支配するようになった猿たちが、遺跡から自転車を発掘したとしたら、彼らにはその用途が判るだろうか。

 群れのそばを通り過ぎるときに、猿の惑星的写真が撮れないものかと思いついた。猿の群れの近くで自転車を停めて、少し自転車から離れてみる。猿たちは何にでも興味を示すようなので、持ち主がいなくなった自転車に近寄って来るのではないかとカメラを構えて待つ。

 警戒心が強いからか、自転車に触れようとする猿はいない。写真撮影の目論見は失敗に終わった。ブログに自転車に乗る猿の写真が載せられないのは残念至極。


昨日までとちがう
今日の惑星

無重力の惑星で
山を飛び越える

重力の記憶がよみがえる

重力を越えていく

自転車はかんたんに山をまたぐ

今日とは違う
明日の惑星



 

2023年2月4日土曜日

随時・漸次・暫時

  週は3日ほど雪に降り込められた。我が家の周辺では積雪は10㎝程度だったが、気温が低いせいか、路面が凍結してアイスバーン状態が続いた。昼間になっても、道路はスケートリンクのようで、自転車には乗れない。マウンテンバイクで少し走ってみた。ブロックパターンのタイヤでも、ブレーキは効かない。横ざまにタイヤをすくわれたら、瞬時に転倒する恐れもある。走るのは諦めた。

 毎日のように自転車で出かけるのに、家に居なければならないとなると、さぞ退屈だろうと思いきや、そうでもない。日頃やりたいことが、自転車に乗ること以外にもたくさんある。今日は自転車に乗れない、乗らないと決めれば、むしろ気分的にゆっくりする。時間をかけて普段やれないことができる。

 時間ができたら作ろうと思って、プラモデルがいくつも買ってあるが、手つかずのままだ。カリグラフィーという西洋ペン習字もやりたい。手本やカリグラフィー用のペンも買い込んであるが、これも手をつけずにいる。本も読みたい。最近は読書の時間が少ない。読みたい本が机の上を占領しがちになっている。映画も観たい。観ておきたい映画の候補が何本もある。

 自転車の改造などを考えていると、もっと時間が欲しい。ホイールを換装したいと思う。今の自転車の緒元を確認し、互換のある部品をカタログで調べる。型番が判ればネットで値段を確かめる。必要な予算をみて思案し、高すぎるので諦めて次の候補を探す。こんなことを繰り返していると、一日がアッという間だ。

 随時(ずいじ)やること。漸次(ぜんじ)始めたいこと暫時(ざんじ)は手をつけずにおくこと。その見極めが難しい。漸次体力が衰えて、随時自転車に乗れなくなってもできることは、暫時先延ばしをするとして、その頃に気力があるかどうかは疑わしい。天気がよくても自転車に乗らないという手もあるが、今のところそれは無理というものだ。


随時、道を見極める

進退窮まる

漸次、新しい道が現れる

今朝の新世界

暫時、雪国的抒情の中を行く

次の朝には早春賦がきこえる