冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2024年1月27日土曜日

境目のない…

  モペットという乗り物がネット市場に出回っている。自転車の格好をしているが、ペダルを踏まなくても走る。私が小さい頃にも同じような乗り物があった。自転車の車体に小さなエンジンをつけて自走する。ビスモーターとかバタバタと呼んでいた。

 電動アシスト付きの自転車もよく見かける。最近では、e-Bikeというスポーツ自転車にモーターをとりつけてアシストするものもある。ロードバイクやマウンテンバイクとほとんど見分けがつかない。

 モペットとe-Bikeの違いは、モペットがペダルを踏まなくてもアクセルを開けば走るところにある。スピードもかなり出るらしい。e-Bikeはペダルを踏まないと走らない。モペットは原動機付き自転車に分類されるので運転免許証が必要になる。

 方向指示器やバックミラーなどの装着、ナンバーの登録や自賠責保険の加入、ヘルメットの着用も義務付けられる。制限速度は時速30㎞である。そうした条件を満たさずに自転車と同じ扱いでモペットに乗る人が多いらしい。歩道へ侵入して事故も多発しているようだ。

 普通の自転車やe-Bikeは軽車輛に分類されて制限速度は自動車と同じである。スポーツ自転車なら速度が時速50mを越えることもあるが、それでも道交法の違反にはならない。線引きの仕方がよく判らない。

 気をつけてよく見ないと、自転車なのかe-Bikeなのか、はたまたモペットなのか判らない。モペットには乗ったことがないが、普通の自転車とe-Bikeを乗り比べてみると、その境界は曖昧である。e-Bikeは自分の力で走っているのかアシストを受けているのか、境目がよく判らない。自分の脚力が強くなったように錯覚する。

 自転車にかぎらず、異界に迷い込むことがある。AIが作ったものなのか人が考えたものなのか、境界がはっきりしない時代だ。自分の年齢だって、もう十分に高齢なのかまだまだ若いのか判らないときがある。境目は曖昧なままの方が面白いこともあるが、はっきりさせておかないと立ち位置が危うくなることもありそうだ。

雪の日の朝は
境目をすべて消して
はじまる

轍だけが
前に進んだことを
教えてくれている

境目を取り払って
子どものころの私と
二人で遊んでいる

つけてきたはずの区切りが
ホワイトアウトしていく

雪の日の境界は
近づいたり
遠のいたりして
曖昧に拡散する

























2024年1月20日土曜日

木枯らし紋次郎考

 「あっしにぁ関りのねぇこって…」。1970年代に一世を風靡したテレビドラマ、『木枯らし紋次郎』で紋次郎を演じる中村敦夫のセリフである。

 紋次郎の立ち姿は、当時これも流行りだったマカロニウエスタンに登場する無宿のガンマンに通じる。破れた妻折笠に汚れた縞の道中合羽。テンガロンハットにポンチョを羽織ったクリント・イーストウッドだ。

 上條恒彦の歌った主題歌『誰かが風の中で』は、マカロニウエスタンの主題曲を多作したエンニオ・モリコーネ調だ。

 監督の市川崑は、同じ時期に『股旅』という映画を撮っている。主演は尾藤イサオと萩原健一。脚本は谷川俊太郎という異色の組み合わせで、かなり変わった股旅物に仕上がっている。

 市川崑監督の選んだドラマや映画の舞台が懐かしく蘇える。江戸時代の東海道や中山道の面影を残す昭和の風景。ロケーションハンティングには相当の時間がかかったはずだ。ススキの原っぱの向こうに遠い山並み、小さな水田の間を縫うように続く細い道や小川。

 自転車で走っていると、同じようなにおいのする道に行き合うことがある。木枯らしをついてぬける辺鄙な道は、『木枯らし紋次郎』や『股旅』の舞台だ。

 紋次郎は「あっしにぁ関りのねえこって…」と人とのつながりを拒絶しながらも、ついには事件に巻き込まれていく。上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は、地縁血縁に絡められた弱い人たちを見離しにすることができない。

 自転車で先を急ぐ道すがら、とりあえずは関りがないと思って通り過ぎた場所が、つい気にかかって引き返す。場所の由緒や廃屋のたたずまいに魅せられて写真におさめる。後ろ髪の引かれ方が、なんとなく紋次郎的ではないかと思ってしまう。 

山に向かって走ったり

山を背おって走っていると

太古からかわらない
風が吹いている

かかわらない
こだわらない
ふりをしながら

かかわったり
こだわったり
している




2024年1月13日土曜日

エイジライド

 知人がエイジシュートを達成したといって、すごく嬉しそうにしていた。ゴルフをやらないのでよく判らないが、エイジシュートというのは、自分の年齢と同じスコアでコースを回ることで、相当の腕前でないと達成できないらしい。ゴルファーにとっては大きな目標である。知人の場合は73歳でのエイジシュート達成でお見事というほかない。

 エイジシュートと認められるにはいろいろな条件を満たす必要がある。先ずは1ラウンド18ホールであること。さらに、男子は6,000ヤード以上、女子は5,200ヤード以上のコースでなければならない。年齢は基本的に満年齢で、年齢と同スコアの場合もエイジシュートと認められるということである。

 年齢とともに達成すべきスコアは楽になるが、体力は低下していく。年齢と体力、そして実力のバランスがとれないとエイジシュートは難しい。

 自転車でも年齢に応じた目標を持てないものかと考えた。ゴルフにならって、エイジシューとならぬエイジライドというのはどうだろうか。1日に自分の年齢と同じ距離を走る。エイジライドということばはネットで検索しても見つからない。まだ、どこでも使われていないようである。

 私の場合、先週72歳になったので、月に1,2回は172㎞を走る。今のところはそれほど難しい目標ではない。センチュリーライドといえば100マイルを走る。72マイルなら 115㎞になるが、マイル換算でも何とか達成できそうである。

 エイジシュートと違うのは、年齢が高くなるにつれて目標値が高くなることだ。80歳で80㎞はまだいけるか。90歳になって90㎞はさすがに無理がありそうだ。

 ルールを変えて、75歳を折り返し地点にするというのが現実的かもしれない。75歳で75㎞を走ったら、そこからは毎年5㎞ずつ目標の距離を減らしていく。80歳になるころには25㎞減るので目標距離が50㎞になる。90歳で0㎞になってしまうが、89歳でもまだ5㎞の目標が残っている。89歳でまだ自転車に乗れていることがエイジライドの大目標になる。90歳から先のルールはまたそのときが来たら考える。

朽ちていくのではない
今も物語を紡いでいる

廃れていくのではない
今には今にふさわしい
風景を織りつづけている


はじまりの光は
力にあふれつつ
とまどっている

ときを経て
今に重なり
今にある
場所に重なる

やがて
歳月と
場所と
光とが
ここで
出会う
 

2024年1月6日土曜日

初日の出ライド

 昨年父が亡くなったので、今年は年頭のあいさつをしなかった。正月の飾りも控えた。正月に孫たちが遊びに来ても、家がさみしいのでは気分が盛り上がらない。玄関や神棚のしめ縄だけは飾ることにした。

 毎年、天気が良ければ、元旦のご来光を迎えに揖斐川の河口まで自転車で行く。伊勢湾の奥で、海から日が昇る時刻に間に合うように自転車で走る。今年はどうしたものか迷っていた。 

 1990年、中学校で担任をしていた3年生の学級で、初日の出を見ながら年明け第1回の学級会をしようと決めた。生徒たちはいたく感激したようで、日の出の瞬間に「あけましておめでとう」とあいさつを交わした。以来、毎年その場所に行きつづけている。自転車に乗るようになってからの10年は初日の出ライドをつづけている。毎年やっていることを、今年だけやめることもないと思って出かけることにした。

 家からいつもの場所までは15㎞ほどの距離がある。毎年、ご来光の写真を撮って現場から何人かの知人に送る。写真を送ったお礼に添えて、「この寒い中をよくぞまぁ…」、「見上げた根性…」とお褒めの言葉をいただく。

 15㎞を走ることも、寒い中を走ることもそれほど苦にはならない。冬場に100㎞もの長距離を走るのと較べればむしろ楽なくらいだ。苦手な早起きと、暗い道を走るので勝手が違うこと以外はそれほど特別なことではない。

 今年は追い風を受けて、いつもの場所まで思いの外早く着いた。堤防から水辺に下りる道を日の出を見に来た中学生か高校生と思しき女の子6、7人がふさいでいる。自転車で通り抜けたいので、後ろから「あけましておめでとう」と小さく声をかけた。

 「すみません!おめでとうございまぁす」と道をあけてくれた彼女たちの、「うちら、まだやってないやん」という声が聞こえた。何のことかと思ったら、「あけましておめでとおぉ」「今年もよろしくねぇ」と、飛び上がったり抱き合ったりして、お互いに新年のあいさつをしはじめた。30年以上も前の学級会の光景に重なった。年頭のあいさつを控えたのは少しさみしいが、陽気な新年のごあいさつにふれることができた。 

未明のコンビニは陸の灯台
明かりに誘われて走る

この時間に
この場所に立つ
ずっと前から
決めていた今

この場所
この時間
この人
約束の核心


約束された道が
向こうから来る

私の居場所まで
道はつづく