私の住んでいる村には古くから伝わる祭りがある。猪名部(いなべ)神社の春の大祭。例年4月の第1土曜・日曜日には「上げ馬神事」が奉納される。馬に乗った若者(乗り子)が、境内にある坂を駆け上がる。200mほどの平坦な馬場で助走をつけた馬は、50mほどの坂を疾走する。斜度15%以上はある急坂の行く手には3mほどの垂直の土の壁が待ち構えている。その壁を飛び超えると、人馬は見事に神社の本殿前に駆け上がる。成功した数でその年の豊凶を占うが、成功率は半分がいいところある。失敗すると乗り子は馬もろともに、もんどりうって急坂を転落する。危険この上ない。
大祭当日は4つの村から神社に集まった乗り子が上げ馬神事に挑む。初日に2回、2日目の本楽祭には1回、それぞれの乗り子が都合3回のトライアルを行う。練習なしのぶっつけ本番である。50余年も前に、私も乗り子に選ばれた。馬で坂に挑むのは本番の3回だけだが、騎乗の練習はもちろん行う。平坦な馬場で乗馬を教えられる。最近では、祭りの世話役が練習の際の安全対策や馬のケアに万全を尽くす。一カ月半ほどの練習期間中、乗り子は落馬に備えてヘルメット着用、エアバッグも装着する。
私が馬に乗った当時は、かなり荒っぽい練習をした。練習初日、生まれて初めてまたがった馬の口を取ってもらい、500mほどある直線の馬場をゆっくり歩いてみる。歩く間に馬上で注意をきく。曰く、「鞍(木でできた和製の鞍)に座らず、鐙(あぶみ)の上に立つくらいがいい。足を踏ん張り気味にすれば、馬に振り落とされることはない。腹を蹴れば馬は走る。手綱(たづな)を引けば馬は止まる。」
若い頃の順応力は高いもので、祭り本番には何とか馬を乗りこなせるまでになる。ぶっつけ本番の上げ馬も何とか乗り切る。私と私の乗った馬は、祭りの2日間に1度だけ坂を上り切った。坂を駆け上がる感覚は、50年以上たった今も身体が記憶している。
2日間の祭りが終わってしまうと、怖い思いをしたはずの騎乗が恋しくなる。馬に乗りたくて仕方がない。自転車にしか乗ったことのなかった者が、馬の速さを知ってしまうと病みつきになる。家の近所に馬を飼っている家があったので、そこの馬を借りて、田んぼ道で乗りまわした。鞍をつけるのは面倒なので、馬の背中に座布団を敷いて乗っていた。慣れてしまえば馬も自転車と同じ、身近な乗り物。手綱はハンドルにもブレーキにもなる。馬と呼吸が合ってくる。乗りまわした後は、借りた馬を返しに行くと「洗って、餌食わせとけよ」と言われたものである。馬を川へ連れていってきれいに洗い、厩(うまや)に連れ帰って飼い葉の準備をした。自転車に乗ったあと、掃除や注油をしておくのは、あのころに習った作法である。
※ 2020年は、コロナウィルス予防のため、猪名部神社春の大祭は休催
春の大祭「大社祭り」が行われる猪名部神社 大社祭りは例年4月第1土曜日・日曜日 |
上げ馬神事の舞台になる坂 神事の直前に馬の足場を壁に作る |
人馬一体となって壁を跳び越える まわりで地域の青年たちが支える |
神社の境内めがけて壁を跳び越える馬と乗り子 |
疾走する神馬と乗り子の武者姿 祭りも終盤になると、乗り子は華麗に馬を乗りこなしている |
私が乗った年の記念写真 懐かしい友だちと一緒に撮影 左から、たっちゃん、しげっ君、かずちゃん、馬と乗り子(私)、 もう一人のたっちゃん、はるみっちゃん、けんちゃん |
祭りが終わっても、馬には乗りつづけていたい 近所の馬を借りて、裸馬に裸足で乗っている私 後方の錆びたトタン屋根の建物がこの馬の住処 馬は自転車よりずっとケアが必要である |