冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2020年3月31日火曜日

馬と自転車



 私の住んでいる村には古くから伝わる祭りがある。猪名部(いなべ)神社の春の大祭。例年4月の第1土曜・日曜日には「上げ馬神事」が奉納される。馬に乗った若者(乗り子)が、境内にある坂を駆け上がる。200mほどの平坦な馬場で助走をつけた馬は、50mほどの坂を疾走する。斜度15%以上はある急坂の行く手には3mほどの垂直の土の壁が待ち構えている。その壁を飛び超えると、人馬は見事に神社の本殿前に駆け上がる。成功した数でその年の豊凶を占うが、成功率は半分がいいところある。失敗すると乗り子は馬もろともに、もんどりうって急坂を転落する。危険この上ない。

 大祭当日は4つの村から神社に集まった乗り子が上げ馬神事に挑む。初日に2回、2日目の本楽祭には1回、それぞれの乗り子が都合3回のトライアルを行う。練習なしのぶっつけ本番である。50余年も前に、私も乗り子に選ばれた。馬で坂に挑むのは本番の3回だけだが、騎乗の練習はもちろん行う。平坦な馬場で乗馬を教えられる。最近では、祭りの世話役が練習の際の安全対策や馬のケアに万全を尽くす。一カ月半ほどの練習期間中、乗り子は落馬に備えてヘルメット着用、エアバッグも装着する。

 私が馬に乗った当時は、かなり荒っぽい練習をした。練習初日、生まれて初めてまたがった馬の口を取ってもらい、500mほどある直線の馬場をゆっくり歩いてみる。歩く間に馬上で注意をきく。曰く、「鞍(木でできた和製の鞍)に座らず、鐙(あぶみ)の上に立つくらいがいい。足を踏ん張り気味にすれば、馬に振り落とされることはない。腹を蹴れば馬は走る。手綱(たづな)を引けば馬は止まる。」

 緊張してうわの空で注意をききながら馬場の端まで歩くと、そこで向きを変え「ええか?走らせるぞ」といって、突然馬が放される。そんなばかな。馬は走り出す。乗り子は生まれて初めての馬の上。走るも止まるも馬任せ。「向こうへ着いたら手綱を引いて止めろ」といわれても、自転車じゃあるまいし、ブレーキレバーを握れば止まるものではない。おまけに馬には馬の考えがある。馬は賢い。重いものを乗せて走りたくない。乗り手が下手と見抜いて振り落としにかかる。自転車より速いものに乗ったことがないのに、急に時速50㎞で走る乗り物を操るのは無理がある。何度も落馬を繰り返しながら、勘どころを覚えるほかない。

 若い頃の順応力は高いもので、祭り本番には何とか馬を乗りこなせるまでになる。ぶっつけ本番の上げ馬も何とか乗り切る。私と私の乗った馬は、祭りの2日間に1度だけ坂を上り切った。坂を駆け上がる感覚は、50年以上たった今も身体が記憶している。

 2日間の祭りが終わってしまうと、怖い思いをしたはずの騎乗が恋しくなる。馬に乗りたくて仕方がない。自転車にしか乗ったことのなかった者が、馬の速さを知ってしまうと病みつきになる。家の近所に馬を飼っている家があったので、そこの馬を借りて、田んぼ道で乗りまわした。鞍をつけるのは面倒なので、馬の背中に座布団を敷いて乗っていた。慣れてしまえば馬も自転車と同じ、身近な乗り物。手綱はハンドルにもブレーキにもなる。馬と呼吸が合ってくる。乗りまわした後は、借りた馬を返しに行くと「洗って、餌食わせとけよ」と言われたものである。馬を川へ連れていってきれいに洗い、厩(うまや)に連れ帰って飼い葉の準備をした。自転車に乗ったあと、掃除や注油をしておくのは、あのころに習った作法である。

 ※ 2020年は、コロナウィルス予防のため、猪名部神社春の大祭は休催


春の大祭「大社祭り」が行われる猪名部神社      
   大社祭りは例年4月第1土曜日・日曜日         
上げ馬神事の舞台になる坂      
  神事の直前に馬の足場を壁に作る   

  人馬一体となって壁を跳び越える           
  まわりで地域の青年たちが支える        
神社の境内めがけて壁を跳び越える馬と乗り子    
疾走する神馬と乗り子の武者姿           
    祭りも終盤になると、乗り子は華麗に馬を乗りこなしている
     
私が乗った年の記念写真 懐かしい友だちと一緒に撮影    
     左から、たっちゃん、しげっ君、かずちゃん、馬と乗り子(私)、  
       もう一人のたっちゃん、はるみっちゃん、けんちゃん
            
祭りが終わっても、馬には乗りつづけていたい   
 近所の馬を借りて、裸馬に裸足で乗っている私   
後方の錆びたトタン屋根の建物がこの馬の住処  
馬は自転車よりずっとケアが必要である     
  






2020年3月25日水曜日

仲間と走る


 いつの間にか、同好の士が集まるものである。自転車に乗る仲間ができてきた。メンバーは同じような年恰好で、今のところ四人。
 
 一人は、私が自転車に乗ることを勧めた。若い頃には一緒にオートバイに乗っていたこともある。初めて仕事に就いた職場が一緒で、何となく気が合った。学生時代にオートバイに乗っていたということで話が合って、一緒に250㏄のオートバイを手に入れた。ツーリングに何度か出かけた。小さなオートバイでは物足りなくなって、二人同時に大型のオートバイに買い替えた。
 
 仕事が忙しくなるにつれて、一緒にオートバイで出かけることもなくなり、いつしか二人ともオートバイを手放した。最近になって、また何かを一緒に始めようということになった。私が自転車に乗り始めていたので誘ってみた。40年も前からオートバイには一緒に乗っていたので、自転車で走ってもすぐに息が合う。いい仲間と再会した。 
 
 二人で乗るようになって、近場を一緒に走っているときに、かなり前から自転車に乗っているという知人と行き合った。長い間自転車に乗っていないが、一緒に走っても良いかという申し出を、ためらうことなく受け入れた。3人目の仲間ができた。中学・高校時代の同級生で、最近自転車を手に入れて乗り始めたという友人がいる。3人で走り始めたら、一緒に走るのが面白いので、その友人にも声をかけた。4人目の仲間に加わった。
 
 趣味とまで呼べるのかどうか、同じ嗜好を持つ者が集まると、グループに名前をつけてみたり、会則を作ってみたりして、判り易いアイデンティティを欲しがる。我々のグループには名前もなければ、ルールもない。天気の好い日に集まって、その日に走るコースを決める。コースの変更は自由自在。愛用の自転車は多種多様。入門用のクロスバイクに乗っている者もいれば、かなり高価なロードバイクの持ち主もいる。バイクが違えば、コースの選び方やペース配分も違うはずなのに、一緒に走っていても違和感はない。乗ることに関しても、整備や手入れをすることについても、専門的な知識はほとんどない。あるのは年寄りの知恵くらい。それぞれのメンバーが自己流を通している。

 自転車好きの子どもが集まって、喜んで自転車をいじったり、乗り回したりしているのと変わりない。無邪気な年寄りの集まりをつないでいるのが、自転車というシンプルな乗り物だからいいのだろう。仲間と走る様子も、今後はおいおい紹介してみたい。



一緒に走るようになった友だち二人         
   写真は、愛知県祖父江町で撮影                
    毎年11月の下旬には町一帯がイチョウで金色に染まる
中学・高校の同級生だった友だちと私(右)
オートバイ仲間だった友だちと私(右)     
もう一人仲間がいるが、只今、ちょっと欠席つづき
そのうち、また、一緒に走る予定        
一緒に走っていたころの          
友だちのオートバイ HONDA VT250F(右)
私のオートバイ SUZUKI GSX250E 

オートバイで一緒に走っていたころの友だち
   当然のことながら、若い!!            
      
オートバイで走っていたころの私                         
私も、同じように若い!!                         





2020年3月19日木曜日

自転車で鍛える


 若い頃ならいざ知らず、この歳になって身体を鍛えようとは思わない。鉄を鍛えるには熱いうち打てというが、もう若くも熱くもないので、鍛えようがないかもしれない。
 
 自転車に乗っていると人にいうと、健康のためか、ブームだからか、あるいは、日野正平が乗っているからか、などときかれる。ところが本人は、面白いから乗っているだけで、健康のために乗るわけでもなければ、ブームに乗ったつもりもない。我が家ではBS放送が見られないので、日野正平の『こころ旅』という番組も人にきくまで知らなかった。YouTubeにアップされている『こころ旅』の総集編を観た程度である。この番組はうまく編集されていて、自転車が国内の各地を訪ねるのに最適な交通手段であることはよく解る。いずれにしても、初めてスポーツ自転車に乗ったときに、これは面白いと思ったので、乗りつづけているだけである。

 丹羽隆志、中村博司共著『大人のための自転車入門』日本経済新聞社発行という本には、自転車に乗ることの効能について詳しい記述がある。自転車に乗り初めたころには大いに参考にさせてもらった。目次の一部を引用すると、
  自転車と健康
  ・健康寿命を延ばし、生活の質を向上させよう
  ・生活習慣病の予防
  ・エアロビクス効果
   〈コラム〉有酸素運動効果の高い自転車運動
  ・関節にやさしい運動 などなど

 項目だけでも内容の察しがつく。自転車に乗るというスポーツがいかに健康増進に有益か。身体に負担をかけずに筋力が鍛えられか。他の運動と比較して、エビデンスを示しながら縷々解かれている。他の項では、自転車の選び方から整備の仕方、乗り方の基本まで、懇切丁寧に書かれている。なるほどと思い、何度も読み返した箇所もある。
 
 ところが、天気の佳い日は毎日のように自転車に乗っていると、本に書かれていることなどは気に留めなくなる。自転車に乗ることを楽しめればいいのである。目標を決めた途端に乗ることが面白くなくなる気がする。身体が強くなることは結果としてはあるのかもしれない。ないかもしれない。
 
 人間だけが、さぁ今から運動するぞと気合を入れて身体を動かし始めるらしい。他の人と競い合って、走ったり跳んだりしたくなるようだ。ライオンが狩りに備えて100mのダッシュを何本も繰り返し、トラや豹とタイムを競うことはない。鳥が飛翔距離や速度を仲間と較べることもないはずだ。アフリカ象やインド象がダイエットする話もきかない。私も、身体を鍛えるとか、健康増進のためダイエットのためという目標はなし。乗りたいから乗る、楽しいから走る。はな歌まじり。
 
 毎日、飽きずに懲りずに走ろうと思えることが、身心ともに鍛えられているということかもしれない。1日に走った距離くらいは知っておきたいが、心拍数を気にしたり、ケイデンス(ペダルをこぐ回数)を測ったり、小難しいことを考えて乗るのはご免こうむりたい。もちろん、いろんな乗り方、鍛え方をしている人があっていいとは思うけれど…。 


                のんびりと自分のペースで走り続ける           
                近場を走っていても放浪気分 行けるところまで行くか…          
ときには試し乗りや、乗り方の練習もするが…       
場所を選んで、実力に応じて… 楽しむだけです      
遠くまで来たなぁ、と感慨にふけりながら…      
自転車に乗ることの目的はなし、目的地もなし 

   


2020年3月14日土曜日

追い風・向かい風


 自転車に乗るようになって、天候が気になるようになった。長期予報や雨雲レーダーをチェックする機会が増えた。予報はかなり正確なので、晴雨については1週間先までほぼ見通しがつく。予報を見ても確認できないのは風の状態である。天気図を見れば翌日の様子くらいは見当がつくが、素人予報士には正確なことが判らない。
 
 予定した遠出が、雨のために中止せざるを得ないということもある。雨の日にはできるだけ自転車に乗らないと決めているので諦めがつく。問題は風である。風向きと強さは、予報とは変わることが多い。絶好の自転車日和とばかりに家を出ても、目指す方向から強めの風が吹いているとたちまちテンションが下がる。ペダルを踏む力も鈍る。
 
 最もきついのは向かい風の中、登坂路にさしかかるときである。坂はいつか登りきってしまう。視界の先に路面が見えなくなる処で坂は終わる。風は終わりが見えない。運よく弱まることもあるが、そうでない限り吹き続ける。こんなに休みなく吹き続けられるものかと感心する。自動車を運転していると、よほどきつい風でない限りその影響は感じない。オートバイに乗っていても、横風を受けない限りは苦労することは少ない。自転車に乗っているからこそ風の力を如実に体感する。
 
 自分の行く手を阻まれるというのは嫌なものである。若い頃は、前から向かってくるものには、何にでも猛然と挑みかかっていた。最近は丸くなった。長いものには巻かれろ、風には逆らうな、である。逆らうほどに風圧が強まる。軽いギアを使ってゆっくりペダルを踏んでいれば、自転車はとにかく前には進む。押し戻されるほどの強風になったら、自転車を降りればいい。前を向いている限り、いずれ目的地に着く。たどり着けなくても、目的地に近づくことはできる。だめなら引き返して、出直せばいい。
 
 風向きが一転、あるいは自転車を方向変換して追い風を受けるようになれば、しめたもの。これほど快適なことはない。追い風を受けて軽快に走る。速度はどんどん上がる。そこが下り坂ならさらにスピードに乗る。誰かが密かに支えてくれていても、それには気がつかず、自分の力でやり切っていると思いがちである。追い風はそれと同じ。自分の脚力が増したのだと錯覚する。

 強い追い風に乗って軽快に飛ばしていると、思わぬ落とし穴もある。ちょっと曲がった途端、強烈な横風を受ける。これが怖い。自転車は軽い。簡単に煽られてあわや転倒、ということになりかねない。人生にもよく似たことはある。
横槍を入れたり、横車を押したり、それに、横恋慕をしたり。どれも褒められたことではない。追い風だ向かい風だと気にしているが、横から吹く風が一番の曲者である。



道端の旗が風に揺れる                 
風の強さと風向きの目安になる            
    旗が吹き上げられて、「三段腹」の状態(写真)になると風力5強
 さらに上によってしまうと、風力7か。ちょっと危険   
この日は強風の中を関ヶ原古戦場跡まで行った     
石田三成の旗印が「三段腹」状態になっている    
        

後ろの決戦地の旗竿も風で曲がっている 
遠出には良くない日          
帰りに追い風を受けられそうでありがたい
 
四日市市富双緑地にて              
後方に小さく中部電力川越火力発電所の煙突が見える

煙突の煙がまっすぐ上がる
無風          
こんな日は幸せである  


 逆風をついて関ヶ原に行った日           
                                街中で恐竜(ブラキオサウルス?)が出現                
 風の日は異常な現象が起きる!!?          
               
                  偶然出現したブラキオサウルス         
        走っていると予期せぬものにも出会う         

A HAPPY WHITEDAY!!
           1日遅れました…



2020年3月13日金曜日

自転車の燃費


 いうまでもないが、自転車に燃料はいらない。燃料はいらないが、乗り手のエネルギーは補充しなければならない。前にも引用したことがあるが、萩原朔太郎の『自転車日記』には次のような(くだり)がある。「今日、地図ト磁石ヲたずさエテ近県ノ町ニ遠乗リス。途中甘味ニ飢エ、路傍ノ汁粉屋ニ入リテ休息ス。帰リテ父ニ語リテ曰ク、余今日某ノ町ニ遠乗リス。モシ汽車ニテ往復スレバ、約五十銭ノ旅費ヲ要スベシ。シカルニ余ノ費消シタル所ノモノハ、二杯ノ汁粉代金八銭ノミ。自転車ノ利、アニ大ナラズヤト。」
 
 自転車に乗り始めたときは、弟に酔っぱらいがふらふらと歩いているようだとからかわれていた朔太郎が、自在に自転車に乗れるようになり、遠乗りに出かける。甘いものが欲しくなって、汁粉を2杯食べ、8銭を払った。電車で行けば運賃50銭がいるところを8銭で済んだと自慢気に父親に話す。すでに『月に吠える』などの詩集で名声を博している大詩人が、父親に自転車の自慢をしているところが可愛くて面白い。
 
 自転車に乗ると朔太郎でなくても甘いものが欲しくなったり、喉が渇いたりする。夏場ともなれば、水分の補給が頻繁になる。自転車に関する本には、水分補給の仕方や食事についてまで懇切に解説しているものもある。スポーツドリンクがいいとか、ゼリー状のサプリメントがいいとか、はたまた、食事は炭水化物が多く含まれるものを選ぶのがいいとか。参考にはなるが、ちょっとお節介が過ぎる。
 
 私は、夏も冬も緑茶を飲むことにしている。水は夏の太陽のもとで熱くなると匂いが気になる。冬場の冷たい水は体温を奪うような気がする。お茶なら、温度が変わっても飲める。飲みたいものを、飲みたいときに飲んでいれば、身体の要求には答えていることになる。自然の摂理に任せれば大過はない。

出先では、コンビニでペットボトルの500ml入りの緑茶を買う。暑いときだと20㎞程走る間に1本飲む。値段にして150円。ハイブリッドの車の燃費と同じくらいか。他の消耗品も考えると、車よりランニングコストがかなり低い。車に乗っていても、ドライバーは水分を摂るから、それも計算に入れると、自転車の、というか、乗り手のための燃費は格段に安い。「自転車ノ利、アニ大ナラズヤ」、確かに自転車の利点は大きい。
 
 ところが一つ引っかかることがある。「父曰ク。(なんじ)何ノ用アリテ彼所(かしこ)ニ行キタルヤト。余曰ク。ナシ。単ニ散策ノミト。父大ニ笑イテ曰ク。用ナクシテ行キ、無益ニ八銭ヲ費消ス、何ノ得カコレアラン。汝ハ小学生ノ算術ヲモ知ラザルナリト。」
 朔太郎の父上のおっしゃる通り。私が自転車に乗るのはほとんどがお遊び。通勤や買い物に使うなら兎も角、用もなくただ走っている。燃費が安いと威張ってはいるが、食料や飲み物を消費して、エネルギーを空焚きしているのみ、なのである。


ボトルケージには緑茶のペットボトルを入れる      
銀のケースは工具、予備のチューブなどを入れる      
写真のお茶は安売りで500ml 1本 75円                      
ガソリンの方が安い、お茶は意外に高価?!        
後ろの広告はお茶とは関係ない 紫色に店を塗った薬局の広告??

    夏場は特に水分の摂取量が増える 炎天下は灼ける        
    こんな道で飲み物を切らしたら干上がる             
          この時は珍しく水を持っている         
  大きなため池が干上がっていた         
  ため池の底を走る機会は珍しい         
      飲み物を切らすと自分もこんな具合に干上がる
こんな山の中ではコンビニもない             
お茶と多少の食料は携行したい              
            
足元はぬかるんでいて、湧き水らしきものが流れている      
この水を飲むのは勇気がいるので、お茶はやっぱり持っていたい  


2020年3月10日火曜日

ドラマの中の自転車

 映画の中で、自転車のシーンが脳裏に焼き付くことがある。連続TVドラマの中にも印象深い自転車が登場する。毎回主人公と一緒に出演するので、回を追うごとに自転車がどう使われるか楽しみになる。映画の中の自転車が、街で見かけて気になった自転車だとすると、ドラマの中の自転車は、親しい友人の愛車を見せてもらっているような気がする。

英国放送協会(BBC)が制作にしたTVドラマ、『FATHER BROUN(ブラウン神父)』には、神父愛用の自転車が必ず登場する。BBCNHKとよく似た公共放送で、視聴者はやはり料金を払う。TVドラマ作りもNHKによく似たスタンスがうかがわれる。時代考証がしっかりなされていて、セットや小道具も見応えがある。

FATHER BROUN』は、G・チェスタートン原作のミステリー、ブラウン神父シリーズをベースにしたドラマ。この1月から本国イギリスでは8シリーズ目が放映されている。日本ではアマゾンのプライムビデオで現在5シリーズまでが無料配信中。原作は第二次世界大戦前に発表されたものだが、ドラマの時代設定は1950年代になっている。

ブラウン神父は、イギリスの田舎町、ケンブルフォードのカトリック教会の司祭。何か事件が起きると放っておけない。警察には捜査の妨害になるといって邪険にされるが、どういう訳か犯罪の現場に居合わす。得意の謎解きが始まる。憎まれ役の警部補が逮捕する犯人は決まって冤罪、真犯人はブラウン神父が突き止める。これは、ネタばらしでも何でもなく、水戸黄門の印籠と同じお決まりの筋立て。

ブラウン神父の愛車はパシュレー。子どもの頃に「三角乗り」をしたのを連想する、妙に懐かしい自転車である。ドラマの中で、警察官は車を使って機動力を発揮する。神父の謎解きを手伝うレギュラーメンバーも車を乗り回す。ロールス・ロイスはもちろん、ジャガー、MG、オースチンにベントレー。登場する名車も見逃せない。ブラウン神父は、そんな車たちの通れない裏道を抜け、牧場を横切り、自転車をフルに使って謎解きに挑む。

神父の心理状態が愛車の扱い方に現れる。思案に暮れて、ゆっくりと愛車のスタンドを立てる。きれいな生垣にいたわるようにもたせ掛ける。火急の時には、乱暴に倒したままで放置する。田舎町を走らせたら、自動車よりも速い。毎回、ブラウン神父の謎解きと愛用の自転車を同時に楽しめる。

同じBBC30年ほど前にドラマ化した、アガサ・クリスティー原作の『ミス・マープル』。このドラマも、原作は戦前のものだが、ドラマはやはり1950年代に時代が移されている。劇中登場する自転車や車には思わず称賛の声を上げる。優雅な自転車や車が光を放っていた時代のドラマにしたいという、製作者のねらいがあるのかもしれない。




『FATHER BROWN』のタイトル画面監督:イアン・バーバー 他
 出演:マーク・ウィリアムズ
       ソーチャ・キューザック 
制作 BBC放送     

愛車を駆って、事件の糸口を探るブラウン神父
  
事件の現場に急行するブラウン神父 愛車はPASHLEY
 ブラウン神父の前に停めてある車にも注目          
  これはドラマの中の警察車両  Riley 1½-litre RMA (1946年式)
                    
事件の証拠を発見するブラウン神父                
よく見ると自転車のサドルの横に「BROOLS」のロゴが見える   
    このサドルは今も同じモデルが手に入る(写真下 型番 B33 CHROME)   

イギリスにはブラウン神父の自転車を調べている愛好家もいる
   ファンのフォーラムにはこんな書き込みもある 
      
Pedals, brake levers, stem, headset spacers, 
           Schwalbe tires are non-vintage.
      ペダル、ブレーキレバー、ハンドルのステム、高さ調整用スペーサー
         シュワルベ(メーカー)のタイヤはヴィンテージものではない 

       
型番 B33 CHROME









私のブリヂストン アンカーに使っているBROOLSのサドル
磨けば光って、空の色が映り込む          

使い込めば身体の形に変形してなじんでくる    
                    
                          型番 B17 AGED
                         

私のラレーに使っているBROOKSのサドル     
                 
                   
                           型番 TEAM PRO CLASSIC
                       


                  PASHLEY  "Roadster Sovereign"          
 ブラウン神父の愛車と同じモデル(現行型)

Known as the ‘King of the Road’
Hand-built & British Since 1926,
  made in Stratford-upon-Avon

                                                    Gears: 5 or 8 Speed | RRP (UK): £775 or £875 (8 speed)                                                                          © Pashley Cycles 2020



                       1950年代と同じような自転車を作りつづけるパシュレーは偉い!! 
       ドラマの中の車には乗れなくても、この自転車なら乗れるかも… 





 

2020年3月7日土曜日

ロンドンで自転車に乗る


   イギリスの首都ロンドンで3年間暮らしたことがある。文部省(当時)在外教育施設派遣教員の募集に応募して、ロンドン補習授業校に勤務することが決まった。現地に住む日本の小・中学生のための学校へ教員として派遣された。1986年4月、34歳、今から34年前のことである。現地での仕事や日々の生活について書き始めると「日々是倫敦」になってしまうので、自転車に限った話にしたい。
 
 日本を代表する文豪、夏目漱石を引き合いに出すのはおこがましいが、漱石は1900年(明治33年33歳のときに、英語研究のため文部省から英国留学を命じられている。漱石の留学生活はそれほど充実したものとはいえなかったようで、孤独感に苛まれ、下宿に引きこもる日々が続く。神経衰弱に陥り、その治療のために下宿の女主人から自転車に乗ることを勧められている。この頃の様子は、漱石の『自転車日記』に詳しい。2年後にはさらに神経衰弱を悪化させ帰国している。
 
 私の方は国費留学とは違って、派遣教員という出稼ぎ。雲泥の差。能天気なものである。幸いなことに、家族を同伴していたので孤独感はない。神経を病むこともない。100年近くも後のことで、情報量も多い。漱石の時代に較べればイギリスは近い国になっていた。異国の生活に不安がなかったわけではないが、3年間の任期を発狂せずに全うすることはできた。その間の失敗談は数えればきりがないが、ともかく、家族4人がそろって無事帰国した。
 
 最近、自転車に乗るようになって、ロンドンにいる頃に自転車に乗っていれば良かったと思うことがある。当時は車にしか興味がなかった。何とも残念である。それなら、今からでも出かけて行って、自転車でゆっくりとロンドンの街を走ってみるのはどうだろう。ロンドンの街中には急な坂道がほとんどない。イギリス全土を見回しても、北東部に低い山岳地帯があるだけで、自転車の旅には最適である。
 
 昔々、ロンドンにいたといっても、今も本当にロンドンがあるのか、行ってみないと判らない。それを自分の目で確かめるために、時間ができたらロンドンに行く。現地で自転車を買う。ブロンプトンの折りたたみ自転車に決めた。日本で買うよりは安いはずである。妻も行きたいだろうから、2台買って、ロンドンの街中で乗る。ロンドンの郊外もいい。レンタカーに自転車を積んで他の町に移動する。イギリスの田舎が、まだ、本当に残っているのか確かめながら走る。実現するかどうか。プランを立てるのは無料。幸い、漱石よりはうまく自転車に乗れる。
 
 ロンドンの街中で自転車に乗ったことがあるのは、我が家の娘だけである。息子は漱石が自転車の練習をしたクラパムコモンとよく似た雰囲気の公園で、三輪車を乗り回していた。私たちの借家は、漱石が日記を書いていた下宿とテームズ川を挟んだ北側、ケンウッドの森の近くにあった。


ロンドンで自転車に乗っていたのは、我が家の娘だけ。    
息子は三輪車。私は、このころ車にしか興味がなかった。残念。

コモンと呼ばれる、小さな公園。共有地くらいの意味か。
漱石に『自転車日記』に出てくるクラパムコモンも、  
そのコモンの一つ                  
  
    ロンドンの街角で。                    
後ろに立てかけてある自転車が、映画やドラマに   
     使われそうな雰囲気を醸し出す。               

私は、車にしか興味がなかった。                              
当時乗っていた ローバー3.5リッター サルーン。  
かなり古いものを、偶然見つけて買った。      
現地の人に譲ってほしいとよく言われた。      
      

 この車は田舎道がよく似合った。            
     次に行くときは、こういう道を自転車で走りたい。        
ロンドンで自転車に乗るなら、ブロンプトンを買う。
 Made in England.                                              
                When in Rome, do as the Romans do.                               

 地元の自転車は、地元のシーンによく似合う。
日本で乗るなら日本製、         
イギリスで乗るならイギリス製か。    
    
             こちらは、本物のRaleigh "PROPAGANDA"               
ロンドンで乗るなら、この自転車もいいが、
        シングルスピードなのに異様に重い、14kg      
         イギリス流の質実剛健、実用本位か。           
                   
 私が現在乗っているのは、Raleighの自転車を 
      新家工業がライセンス生産したもの  (写真 下)。