冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2022年12月31日土曜日

また、1年

  アッという間に、また、1年が過ぎる。今年も多くの時間を自転車の上で過ごした。  

 4,064 4,086 1,890。これは、今年1年間の自転車の走行距離、単位は㎞。クロスバイク、ロードバイク、そしてマウンテンバイクで走った距離である。合計すると10,040㎞になる。

 それぞれの自転車に乗った回数は、クロスバイクが147回、ロードバイクが101回、マウンテンバイクは回数が少なくそれでも68回。合わせると316回乗ったことになる。午前と午後に別の自転車に乗ることもあるので、日数にすれば200日を少し超えるくらいだろう。

 では、乗車時間はどうか。それぞれ、289時間12分、240時間33分、136時間20分、3台の自転車の上で過ごした時間は、666時間5分という計算になる。不眠不休で27日間乗りつづけたのと同じだ。

 昨年もほぼ同じくらいの距離を、同じくらいの時間をかけて走った。1年間に1万㎞を走るというのがつい目標になってしまいそうであるが、距離を稼ぐことが自転車に乗る目的ではない。走行会仲間も、私が年間1万㎞走れるかどうかということに関心をもってくれる。結果的に年間1万㎞走ることになっても、それを目標にはしたくない。

 次に走るコースを楽しみにして選んだり、行き当たりばったりのコースに思わぬ発見をしたり、好奇心のおもむくままに走る。気が向けば写真を撮り、印象に残ることはブログの記事まとめる。そんなことをしていて、振り返れば、数字が積もっている。かくして、1年はアッと今に過ぎる。これでよい。

 年間の走行距離を半分の5,000㎞程度にすれば、300時間が余る。余った時間に、自転車仲間以外の友人と過ごしたり、別の関心事を探したりすれば、世界が広がって、1年はアッという間ではなくなるかかもしれない。

また、1年が過ぎる

同じ場所に居ても
入れ替わっていく
時間のマジック

季節を眺めている

季節が移っていく

アッという間に1日が暮れる

休んだり
眠ったり
考えたり
するのも
いいかも
 
   付録 1

     附録 2


2022年12月24日土曜日

大人もヘルメット

 自転車用のヘルメットのことは何度もブログに書いた。昨日、朝日新聞に「自転車 大人もヘルメット」という記事があった。「2008年に実施された改正道交法で13歳未満の児童や幼児が乗る時にかぶらせるよう保護者らへの努力義務が定められた」。確かに、子どもたちはヘルメットをかぶって自転車に乗っている。

 「来年の4月からは、自転車に乗る人は全員『かぶるように努めなければならない』と努力義務が課せられる。これまでにも自治体によっては条例で定められてきた」。

 「自転車ヘルメット委員会」では、自転車ヘルメットの着用率に関する全国47都道府県の実態調査を実施した。ほぼ1万人を対象に調査をした結果、自転車ヘルメットの着用率は全国平均で11.2%(189歳)。中でも着用率の低いのは、70代女性の2.1%となる。確かに、ヘルメットをかぶって実用自転車(ママチャリ)に乗る大人はまずいない。

 新聞の記事では、ヘルメットの着用が義務化されていたり、着用義務はない代わりに自転車が安全に走れる環境づくりが進んでいたりする外国の例も紹介されている。自転車用ヘルメットを義務化すると、自転車を利用する人の減少につながるという意見もあるようだ。

ヘルメットを着用するかしないかということよりも、どんなヘルメットならかぶる気になるか、それを考えたらどうだろう。子どもたちがカラフルな自転車に乗って、花柄や楽しいキャラクターのプリントされたヘルメットをかぶっているのは楽しそうで可愛い。空力特性まで考えられた、鮮やかな色のヘルメットをかぶったスポーツバイクのライダーはカッコいい。

 実用自転車に乗る時も、高齢者がスポーツバイクに乗る時も、必ず着用したくなるような、お洒落で素敵なヘルメットはないものだろうか。ヘルメットをかぶりたいので自転車に乗ると思わせるようなものがあれば、着用率はうんと上がるはずだ。


今朝はじめて
山が雪をかぶる

仁王像の頭にもかぶり物

自転車のお洒落も頭から

子どもは初めから
ヘルメットをかぶっている

子どものヘルメットは楽しい

サンタクロースも
トナカイの橇で空を飛ぶとき
帽子の形をしたヘルメットを
かぶっているらしい

夕暮れ時に
自転車に乗っていると
ヘルメットをかぶった
サンタクロースに会える















 


2022年12月17日土曜日

発見「保々西城」跡

 自転車に乗らない時間をつくって、他のことにも目を向けると書いた矢先ではあるが、やはり、自転車で出かけることになる。

 北風の冷たい季節になった。家から出るのが億劫になる。自転車で出かける段になって寒さに(ひる)それを言い訳にして、自転車に乗らないというのでは意気地がない。

 この季節にはマウンテンバイクに乗り出すことが多い。空気抵抗が大きく、ペダルを踏むのにも力が要るが、スピードが出なくて当然という乗り方をするので、無闇に風に逆らわない。先を急がないので、ゆったりと乗れる。自転車の重量も大きいので横風に強い。改めて家の近くを散策するのにもちょうどよい。

 家から3㎞ほどのところに、県営北勢中央公園という大きな公園がある。自転車で出かけて散策するには恰好の場所である。先日、その公園に併設される野球場の裏に、「保々西城跡」という案内をみつけた。公園まではよく出かけているが、すぐ近くに城跡のあることは知らなかった。

 球場の奥を回り込むように城跡を目指す。枯れ葉の散り敷いた雑木の間の細い道を進む。樹の根っこなどが張り出していて、車輪をとられそうだ。常緑の木立も多く、進むほどに空が狭くなる。 

 葉陰にぽつんと立つ石碑を見つけ、ここが朝倉備前守によって築かれた保々西城の跡だと判る。1568年(永禄11年)の織田信長による伊勢侵攻の際に滝川一益の攻撃を受け落城するまでここに城があった。雑木林の中に当時の住居跡や空堀、主郭の痕跡が今も残る。

 城主や家臣たちは、500年近くも後に、マウンテンバイクなる乗り物が自分たちの居城に断りもなく入り込んでくるなど、思いもよらなかっただろう。自転車は簡単に時空を超える。いくつになっても、どこにでも、自分だけの新発見がまだまだありそうだ。

自転車が冬色に染まる

寒空の下の自転車の
密かな楽しみ

道が呼んでいるのか
私が訪ね入るのか

踏み迷い
落ち葉の鳴る音を聴いている

今日は今日の
自分だけの発見



 

2022年12月10日土曜日

自転車に乗らない時間

 サッカーのワールドカップが始まってから時間の使い方が少しちがっている。残念なことに、日本代表は決勝トーナメントの第1回戦でクロアチアに惜敗。大会から姿を消したとはいえ、4年に一度の世界最高峰の試合を決勝戦まですべて観たい。予選リーグの全ブロックの試合もすべて観戦した。これから決勝までの勝抜き戦も目が離せない。

 カタールでの開催ということで時差の関係から試合のライブ放送は深夜、早朝になる。すべての試合を追いかけるのは大変である。AbemaTVの見逃し配信なら、翌日に試合を観戦できる。試合結果が耳に入らないように、朝起きるのと同時にテレビの前に座る。録画しなくてもライブ放送を観ているのと変わらない。いい時代になった。普段はほとんど観ないテレビの前に午前中座っている。自転車に乗る時間がかなり減った。

 少し前に、年間に自転車に乗る回数を集約してブログに書いたら、年間329回も乗るのは凄いというメールを何通かもらった。褒めてもらうというよりは、(あき)られているというところだろう。1日に2回乗る日も多いので、日数にすればそれほど多くない。それでも、天気のいい日はほとんど自転車に乗っているという勘定だ

 テレビの前に座る時間が増えて気がついた。自転車に乗らない時間をつくれば、他の楽しみも見えてくる。自転車に乗らない友人との約束は、「また、雨の日にでも…」というのが常である。よく晴れた日に友人と出かけるとか、独り庭いじりをするということを長い間していない。

 自転車に乗るのは爽快である。健康にいいと人はいう。確かに乗らないと身体が重い気がする。とはいえ、天気がよくてもあえて自転車に乗らない時間を作り、忘れかけていることを見なおす。しばらく会っていない友人にも会いたい。サッカーの試合を観ながらそんなことを考えた。

自転車に乗って
過ぎていく季節を送る

自転車に乗って
新しい季節に出会う

一年中自転車の季節の中にいる

ときには自転車をとめて
つかのま自転車をおりる

忘れていることどもを
さがしてみる




2022年12月3日土曜日

メンテナンスの会

 先週、走行会の仲間と「メンテナンスの会」を開いた。愛用の自転車を持ち寄って、 部品の点検や掃除をしたり、擦り減ったタイヤを交換したりするというだけのことである。「メンテナンスの会」と命名するだけで、時間を割いてじっくりと、自転車の手入れをしましょうという改まった気分にはなる。

 4人の走行会仲間が、メンバーの一人のガレージに集まる。それぞれ、自転車との付き合い方が違うので、手入れの内容も異なる。普段乗りっぱなしであまり掃除をしないメンバーは、この機会に自転車を徹底的に磨きたいと言う。自転車は構造がシンプルなようでも、案外細かいところに汚れがたまりやすい。磨き上げのノウハウを交換しながら、綺麗に仕上げようとすると結構な手間である。

 一人で出かけてパンクをすると、チューブの交換に自信がないというメンバーもいる。ちょうどタイヤも擦り減って来たので、新品のタイヤに交換する時期である。パンクしたときの予備チューブの交換と同じ作業なので、仲間のいるときに、タイヤ交換をやってパンクしたときの対処方法を確認しておきたいという。

 自転車のメンテナンスの会ではあったが、私は車椅子を持って参加した。父が歩行困難な時期があって、そのとき知り合いに借りたものである。長く借りっぱなしにしていたので、オーバーホールをしてお返ししたいと思っていた。メンテナンスの会に持ち込んで、車いすのタイヤのチューブを交換し、車軸などのグリスアップをする。埃のついていたフレームは磨きあげた。ブレーキの構造やタイヤの取り付けなどは自転車と共通するところが多い。

 自転車の手入れが思わぬ役にたった。何かをメンテナンスすることは、他のものにも通じるところがある。次回は「自分自身をメンテナンスする会」を仲間と企画してみたい。

少年の日のつづき

分解してみたり
組立ててみたり

心のメンテナンスにも出かける

冬には冬の備え

ときには
自分を映してみる

ときには
新しい岸へ
川を越える

2022年11月26日土曜日

旅する自転車

 『旅する自転車 ランドナー&スポルティーフの本』(枻出版社,2015)が本棚に眠っていたので開いてみた。ランドナー(フランス語: RandonneurRandonneuse、ランドヌーズ)とは、フランスが発祥のツーリング用自転車のことで、フランス語の「ランドネ(小旅行)」に由来する。因みに、スポルティーフは日本で作られた、やや高速志向の快走車である。

ハンドルが半円を描くように下に向けて曲がっている自転車はすべてロードレーサーだと思っていた。スポーツ自転車に乗り始めるまで自転車は全て同じような形に見えていた。ロードバイクといえば、ドロップハンドルで細いタイヤを装着し、スピードを競う自転車というイメージが強い。不安定で危険な乗り物と思われる向きもある。

ランドナーは、旅に必要な重い荷物を積んで走る。ロードバイクと同じような形はしていても、全く違う性格の自転車である。長い時間乗りつづけるために、スピードよりも快適性や安定性が求められる。ちょっと専門的になるが、ロードバイクよりは径の小さい太いタイヤを装着し、フレームには乗り心地の良いクロモリ鋼を使う。

ブレーキの形式なども異なる。悪天候に備えた泥よけや夜間走行用のライトも装備する。マニアやファンはランドナー特有の形式美を追及するようだ。条件を満たさないものはランドナーにあらずという人もいるらしい。スピードよりも快適性を求め、旅をすることを目的に作られたランドナーは、高齢のライダーの普段乗りにもちょうど良いかもしれない。

 今乗っているロードバイクに少し太めのタイヤを装着し、ゆったりと快適に乗れるランドナーに近いものに改造すれば、ちょっと出かけるにも旅気分が楽しめそうだ。快適で安全にもなる。ランドナーマニアのように形にこだわらなくても、自分が使いやすくて、ランドナー風の自転車だと思えば、それはとりも直さずランドナーなのだ。


旅する自転車ランドナー (ARAYA ホームページより)
      ARAYA Touriste

形にこだわらず
気分はランドナー

旅に誘われた気分で
出掛ければ旅

旅に出たと思えば
いつでも旅の途中

見慣れた場所の
はじめての景色

近くの街の
はじめての通り

出会いながら
旅をつづける

2022年11月19日土曜日

お休み処

  夏の暑い頃から秋口にかけて、心地よい風の吹く陽かげを休憩場所に選んでいた。それが、風のあたらない陽あたりのよい場所に変る季節である。

自転車で走っていて、ここらでひと休み、と選ぶところは不思議と神社が多い。子どもたちの遊ぶ公園などで休むことは少ない。不審者と間違えられても困る。神社だと気兼ねなく休憩できるのは、自分だけの感覚だろうか。他の自転車愛好家にも尋ねてみたいところである。ご近所の自転車で一緒に走る人たちも、休憩には神社が落ち着くという。

 寺院の境内へは立派な山門をくぐって入るが、神社には飾り気のない鳥居をくぐって入る。敷居の高さが違うようだ。お寺にはご住職の住まいであるお庫裡くりがあって人の気配がする。これが気分的にゆっくりしないということもある。山の中の無人の寺であれば、その範疇にあらずということだが、お寺の境内にはどうも入りにくい。

 神社には繁った杜がつきもので、それが格好の陽かげをつくってくれたり、風よけになってくれたりもする。信仰心がそれほど篤いわけではないが、寺院の場合、宗派も多様で、どこのお寺にでも気軽に入って参拝するというのはなじまない気がする。神社には宗派がない。神社によって祀られる神々は違っていても、参拝の作法は同じである。神々は日本人すべての祖先でもある。

神道では教祖や経典がなく、神はすべてのものに宿ると考えられる。神社の境内には清浄な空気が流れているが、Very Welcomeな雰囲気でもある。ふと立ち寄れば、森羅万象が出迎え歓迎してくれる。手を合わせ、お詣りしてから休ませてもらうという気持ちが自然に湧く。神社に癒しを覚えるのは歳のせいでもあるのか。とにかく、ここでひと休みと神社に寄ることが多いのである。

走るのも面白いが
停まるのも面白い

通過点になったり
目的地になったり

一休みすれば
その先に開ける
道や場所がある

進むのは前へばかりではない
後に向かって進むこともある

ときには宗旨替えもする
開かれたお寺もある



2022年11月12日土曜日

自転車選び

  自転車屋さんで自転車を選んで買うとか、雑誌で自分の好みの自転車を捜すということではない。今日はどの自転車に乗ろうかと、その日に乗る自転車を選ぶ。明日はどの自転車で出かけようかと思案する。自転車選びに迷うことも多い。

 たくさんの種類の自転車を何台も持っている人は、どうやって乗り分けているのか、それも知りたいところである。趣味とはいえ、何台も自転車をもっているというのは贅沢なことだ。

 少し前に、いつもコメントを寄せてもらうべーえんべーさんから、3種類の自転車に乗る回数を調べてみたら、乗り分けている傾向が判って面白いというヒントをいただいた。3年間の、自転車に乗った回数を集約してみた。自転車に乗った日には走行距離、平均速度や最高速度などをサイクルコンピュータの記録から転記しているので、回数は簡単に数えられる。

 3台の自転車に乗った回数を合わせると、毎年300回近く乗っている。午前と午後に2回乗ると、それぞれを1回とカウントしているので、乗った日数は200日くらいだろう。それにしても、乗りも乗ったり、ずいぶん多い。自転車ごとに乗った回数にばらつきがあるのは、時期によって一緒に走る人が違ったり、興味のあるコースが変化しているからである。

 乗車回数を数えてみて、面白いことに気がついた。クロスバイクとマウンテンバイクは1回の走行距離も、そのときの平均速度や最高速度もほぼ同じである。ロードバイクだけが、走行距離が長く、速度も速い。一人で遠くへ出掛けるときにはロードバイクに乗っている結果だろう。

 数字が、自転車の選び方を表していて面白い。自転車の特性も示している。気分次第でお気に入りの自転車を選んでいても、自転車が走り方を教えてくれているらしい。


選んだと思っているが

選ばれているのかもしれない

選んだからここにいて

選ばれたからここにいる

選んだり
選ばれたりして
日々をすごす




2022年11月5日土曜日

愛車精神

  知人の自転車を見ていて、ディスクブレーキのブレーキパッドがかなり減ってしまっていることに気が付いた。ブレーキをかけると異音も出る。パッドの交換はそれほど難しい作業ではないが、他の人の自転車の、特にブレーキをいじるのはためらわれる。深刻な事故の原因につながらないとも限らない。

自転車屋さんで、一度点検してもらうように勧めた。知人は、自転車屋さんで、ブレーキディスクが減っていると伝えたらしい。点検をしてもらったところ、ディスクは減っていないので交換の必要はないと言われ、そのまま持ち帰った。

 ディスクそのものは簡単に減るものではない。ディスクをはさみつけるパッドの方が減っているのだから、それを交換すべきだと再度進言した。交換後に、今まで取り付けてあったパッドをもらって来て見せてほしいと頼んでおいた。案の定、ディスクパッドはよくぞここまで使ったと思えるほどに摩耗していた。そのまま乗りつづけていれば、支障が出て事故の原因になった可能性もある。

 自転車屋さんを悪く言うつもりはないが、自転車屋さん自身も自転車に乗る人で、自転車を大切にする人なら、自分の自転車を点検するつもりで丁寧に点検してくれるだろう。客の依頼だけでなく、意向を忖度してパッドの摩耗に気付いたはずだ。ブレーキの効き具合を試してみれば、パッドの摩耗のことだろうと簡単に判ったに違いない。

 乗り手の方も、日頃から自分の自転車のコンディションに注意を払っていれば、不具合の発見につながる。自転車屋さんに状況を正確に説明し、整備をしてもらうことが出来る。乗り手にも、それを支える自転車屋さんにも愛車精神が欲しい。長く安全に自転車を楽しむために、先ずは自転車を大切にすることだ。何しろ、かつて日本のキリシタンは神の愛を御大切と日本語に翻訳したくらいなのだから。かく言う自分も、自転車との付き合い方を見直してみたい。

いっぽんの柿の木 

柿の木 実る

柿の木 熟れる

ひとすじの川

川 晴れて映る

川 晴れて佇む