冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年8月28日土曜日

髭の理由

  余は何故なにゆえ髭をたくわえるようになりしかまずは、憧れ。若い頃に観た映画のアラン・ドロンはきれいな顔をしていたが、髭もよく似合った。マンダム化粧品のCMで見た、チャールズ・ブロンソンの髭よかった。二人は、映画『さらば友よ』『レッド・サン』で共演しているが、両作品ともドロンには髭がなく、ブロンソンある。ブロンソン印象

圧巻は、ルキノ・ビスコンティ監督の『山猫』に登場するバート・ランカスターの髭である。『山猫』にはアラン・ドロンも出演していて、その髭も似合っているが、ランカスターの髭は格が違う。若いころには、自分も髭の似合う大人になりたいと思った。何度か髭を伸ばしたこともあるが、どうもしっくりこなかった。

二番目の理由は髭が必要になったこと。35年も前になるが、ロンドンの日本人学校で3年間仕事をした。ロンドン大学の学生課へ日本人学校の講師探しに行く機会などがあったが、こんな若造が何をしに来たのだという扱いを受けたりした。国の内外を問わず、若く見られることは、交渉や頼み事には不利である。

そこで髭の出番。大した髭ではないが、多少は老け顔になって、実年齢に近づく。髭を蓄え、服装もそれなりに整えれば、「This gentleman is~(この人が~)」と大人扱いされる(ことも多くなった)。髭は外国生活の必要条件だった。その後は、一度も剃り落としたことがない。初めて会う人に「髭の~」と覚えてもらえるので都合がよい。

職業柄、教頭や校長の昇任試験を受けた経験がある。面接試験の前になって、髭を剃る人もいたが、私は髭面だと合格しないような面接試験なら、そんな試験は合格しなくてもいいと思った。無精ひげはマナー違反だとしても、整えてあれば、大した髭でなくても顔の一部である。校長室に掲げられた歴代校長の写真の古いものは口髭のある肖像が多い。昇任試験では髭を剃って、校長になったあとで髭を伸ばすのは詐欺である。仕事や役職を辞したあとで、髭を蓄えるというのも節操がない気がするが、人のことは関与の外である。

髭のことに終始したが、トラック競技でもロードレースでも、プロの自転車乗りに髭のある人は見かけない。脚の毛も剃り落とすというのだから髭は当然きれいに剃るのだろう。空気抵抗を減らすためとも、怪我をしたときの治療を受けやすくするためともいう。グラム単位で自転車を軽くするのだから、髭の重さも多少は関係するのか、髭が競走には不利になるのだろう。

自分の場合は、自転車で速さや走行距離を競うわけではないし、怪我のリスクも低いと思うので、髭の有無にこだわる必要はない。40歳ころから後に出会った人は、私の髭のない顔を知らない。昨今はマスクが必需品で髭は見えないが、髭のある顔を覚えてもらっているので、この先も髭を落とす予定はない。棺桶の中でも髭はつけたままにしておくつもりである。


今年の夏は雨続きで
自転車に乗れない日が多かった
雨の中でも自転車に乗った

ゆっくり自転車を楽しむ分には
髭は全く邪魔にならない
遠目には髭があることも判らない

若いころは何となく
髭を伸ばしてみたりしていた
髭の写真を公開するのは
あまりいい趣味ではないか

髭の効用が判って
本格的に伸ばし始めたころから
髭のない私の顔はない

髭とはこうやって
ずっと付き合っていくつもりだ


2021年8月21日土曜日

趣味の自転車

  この歳になると仕事探しをすることもないので、履歴書を書くことはないが、その履歴書には趣味を書く欄がある。差し障りのない読書とか音楽鑑賞、スポーツなどと書いた記憶がある。どれも本当の趣味とはいえないものばかりだ。今ならさしづめ自転車と書くところだろう。

 人によって自転車との関り方はちがっていて、職業としての関りもあれば、実用一点張りで自転車を使う人もいる。競輪選手、ロードレースやトラックレース、クロスカントリーなどに出場するプロのレーサーにとって、自転車は仕事の道具である。自転車を販売したり修理したりする自転車屋さんには商売のネタ、生活の糧である。

 通学や買い物、あるいは配達に使われる自転車は実用本位。生活の必需品でありながら、乗りっぱなしであまり手入れをされないのはこの手の自転車に多い。子どものころから自転車とは付き合ってきたが、自転車を趣味にするとは思いもよらなかった。そもそも、仕事をしているころには趣味などといえるものがなかった。今ではどうやら自転車は趣味としてカウントしてもよさそうだ。

 ネットには「趣味の自転車」を取り上げた記事があふれている。自転車を趣味にするメリットは、健康、手軽さ、ストレスの解消といったところにまとめられる。趣味の悪さということで自転車を挙げている記事もある。機材(自転車)の性能や値段にこだわりすぎる、走った距離や速さ自慢をする、独りよがりに陥るといったところが理由の代表格である。

 自分が面白く感じて、それが続けられるのであれば、人が何といおうとあまり気にすることはない。自分は自転車が趣味ということでいいだろう。ひとたび趣味だといってしまうと、ますます深みにはまる。時間を費やしても、多少の出費が増えて他の買い物を犠牲にしても、気にならないから不思議である。

 狭い庭に芝生を植えているが、芝生の手入れも趣味にしてしまえば苦にならない。去年と比べて緑が濃いとか、芝目が整ったとか一人で悦に入っている。ちょっと前に引き受けていた自治会の会計役も「趣味の会計」だと思うと面白かった。出納を判りやすくする、決算書を見やすく仕上げる。ひとえに自己満足のためのような気がするが、面倒な仕事が面倒でなくなる。

 自転車を始めたのは、誰かに勧められたからではない。ブームに乗るようにして始めたのか、たまたま始めたらブームが追いかけてきたのか。大概のことは、田舎住まいで流行に鈍感な自分が興味をもつ頃には、ブームといわれ世間で持て囃されている。それはともかく、自分は自分のやり方で自転車を楽しめばいい。長く楽しみたいので、できれば趣味のよい自転車に乗りたいし、趣味のある自転車乗りになりたい。「趣味」とは、「あじわいやおもむき」そのものでもあり、それを()力のことでもある。


趣味の入り口はクロスバイク
一緒に遠くまで出かけた

もっと遠くへ行ってみたいので
ロードバイクも相棒に加えた

さらに道の奥まで行ってみたいので
マウンテンバイクも趣味にした

趣味の自転車は色もいろいろ
今日の遠出はジュリアン・ソレル
スタンダールの『赤と黒』

小径折り畳み自転車を改造
友人のE-bikeについて走る
自転車いじりも趣味のうち

芝生の手入れも趣味にしておく
芝生も自分もいつも「いま」が最高の季節

今日は水撒きを手伝ってもらった




2021年8月14日土曜日

若がえりの連鎖

  二十歳(はたち)の自分にもどりたいか。ちょっと前に、学生時代の後輩が拙宅の前を通りかかり、車から降りて立ち話になった。開口一番、若い頃と体形も変わらず元気そうだと褒めてもらった。お世辞でも嬉しい。その後輩も、若いころとあまり変わりはない。彼が、二十歳のころにもどって独りになれる時間が欲しいと言っていた。二十歳の自分にもどって何をしたいのか訊いておけばよかった。

 二十歳の自分にもどりたいなどとは思ったことがなかった。変哲のない人生を50年も生き直すのは退屈で面倒だ。自分が二十歳にもどれるとして、その時点で生活している二十歳の自分はどうなるのか。若い自分を人生から押しのけないとその場にはもどれない。今年98歳になる父に、48歳までもどってもらうことになるし、72歳で他界した母には、生き返ってもらわなければならない。それは嬉しいことだ。周りの条件を整えないと、自分だけ二十歳にもどるという勝手は許されない。

 そんなことを考えていたときに、偶然、ケン・グリムウッドの『リプレイ』(新潮文庫,1990)という小説を読んだ。リプレイとは再生、生き直しの話である。ラジオ局のニュース・ディレクタ―、ジェフ・ウィンストンは1988年に43歳で突然死を遂げ、1963年の同じ日に18歳にもどって、大学の寮で目を覚ます。

 そのときに学生のはずのもう一人のジェフがどうなったかはっきりしないが、そこはあまりこだわらずに読み進める。ジェフは、記憶や知識はそのままで若返る。記憶をたどって競馬の大賞レースの勝ち馬券を買い、野球賭博で大穴のチームに賭けて圧勝する。それを資金に将来の(彼にとっては過去の)優良企業に投資し財を築く。

 満ち足りた生活は、43歳でまたもや終焉を迎え、再び18歳で生き返る。その繰り返しにジェフは焦燥にかられる。決まって43歳で人生を終えるときの喪失感に悩む。なぜそうなるのか、原因探しに躍起になる。やがて、再生の時期にずれが生じ、元の人生に戻るというストーリーにはやや無理があるが、人生のやり直しについて考えさせられる。若がえりのことを思っていたら『リプレイ』に出会い、主人公ジェフは若がえりの連鎖に苦悩し、期せずして若がえりの連鎖に引き込まれた。

 ジェフのように若がえるのも、一度くらいなら悪くない。若がえりの連鎖の中に自転車のことを想定しておけば、70歳間近の自分の体力を見越して、早くからトレーニングを積むことができるだろう。50年前には新しくても、今ではレトロで希少価値のある自転車を手に入れておいて、大切に乗りつづけいるかもしれない。ところが、二十歳のころの自分は自転車に無縁だった。せっかく若がえっても、そこに自転車がなければつまらない。若がえりはできなくても、日々の連鎖の中で自転車に乗りつづけられることで今は満ち足りている。

はるばる来た道をもどれば
若がえることはできるが
ふりむかずに前にすすむ

今年は今年の夏の中にいると
もう秋の気配が近づいてくる
春にもどれば若がえるけれど
つぎにくる秋を待って楽しむ

若がえらなくても
今も若いつもりで
林のなかにあそぶ

川であそんでいると
若がえるのかどうだか
若いつもりにはなれる

若がえったとしても
何年もたたないと
自転車には出会えない

若いころにはオートバイとしか出会いがない
自転車と出会うためにはここから30年かかる

上の2枚の写真は同じ友人が撮影してくれた
思えば長い年月を一緒にあそびつづけている


2021年8月7日土曜日

ワークスタンドのこと

  私が子どものころには、田舎の小さな村にも自転車屋さんがあった。中学へ通う途中には3軒ほどあった。軒先には、ブリヂストン、ツノダ、富士や丸石自転車の看板が上がっていた。自転車屋のおやじさんは、店先で自転車を組んだり修理したりしていた。三和土たたきの上で、自転車のスタンドを立てたり自転車をひっくり返したりしていじっていた。おやじさんはしゃがみこんで手際よくパンク修理をしてくれるというのが、子どものころのイメージである。

 町や村の自転車さんは少なくなって、量販店のサイクルショップやスポーツバイクの専門店がそれに取って代わった。明るいショーウインドウにカラフルな自転車が並ぶ。天井からは、高価なフレームやホイールが吊り下げられている店もある。

 そんな店で自転車の整備を依頼すると、自転車をワークスタンドに固定して整備をしてくれる。自転車のおやじさんが無造作にスタンドを立て、もしくは倒立させて修理を始めるのは恰好良かったが、ワークスタンドに自転車を固定して、整備を始めるのも様になる。

 知人が、バイクショップで使われているようなワークスタンドを買った。これが、自転車の整備やメンテナンス、場合によっては保管にも大変便利が良い。知人のものを見て欲しくなったので、安価なものを手に入れた。

 スタンドの支柱に固定されたクランプ(締め具)に自転車を固定する。自転車はちょうど目の前に吊り上げられる。部品の脱着や調整をするには都合がいい。しゃがみこんだり、自転車を逆さにひっくり返して作業をしたりする必要がない。

 微妙な調整をしたいときにも、目の高さに自転車があって、前に手をのばせば作業ができるというのは効率的である。こんな便利なものなら、もっと早くに手に入れておけば良かったと思うが、何をするにも師匠がいないので、勘どころが判らないし、よりどころがない。

 自転車の回転部分には、場所によって、締める方向が反対の左ネジというものが使われる。タイヤには回転方向があったりもする。自転車を倒立させて整備をしていると、右側と左側が混乱することがあるが、ワークスタンドに取り付けておけば、その心配もない。

 ワークスタンドに固定した自転車は、いかにも、整備を待っていますというオーラを発する。つい調子に乗って、必要のないところを分解してみたり、部品の交換を思いついたりしてしまう。ここでも、先達のないつらさ。素人作業は思わぬところで頓挫し、悩みは深まり、時間を無駄にすることになる。

 整備をするのに必要なのでワークスタンドを手に入れたのか、ワークスタンドを買ってしまったので、不必要なところまでいじる破目になったのか。道具を揃えれば、技量が上がるものではない。これを機会にせいぜい整備の技も磨きたい。


ワークスタンドに自転車を固定
整備が上手くできそうな気がする

整備やメンテがやりやすくはなっても
上手くできるようになるわけではない
多少か俄然か…、やる気にはなる

つい余分なこともまでやり始めて
後輪のハブを分解してみたが…、

ミノウラ製ワークスタンドw-3100
頑丈ではあるが高さ調整ができない
支柱固定用ボルトの穴を増やしてみた
背の低い自分専用スタンドの完成

自然の中のスタンドに
自転車を置いてみる

過ぎていく時間を眺めている

ちがう流れの時間も眺めている