余は何故髭を蓄えるようになりしか。まずは、憧れ。若い頃に観た映画のアラン・ドロンはきれいな顔をしていたが、髭もよく似合った。マンダム化粧品のCMで見た、チャールズ・ブロンソンの髭もよかった。二人は、映画『さらば友よ』『レッド・サン』で共演しているが、両作品ともドロンには髭がなく、ブロンソンには髭がある。確かにブロンソンの髭の方が印象深い。
圧巻は、ルキノ・ビスコンティ監督の『山猫』に登場するバート・ランカスターの髭である。『山猫』にはアラン・ドロンも出演していて、その髭も似合っているが、ランカスターの髭は格が違う。若いころには、自分も髭の似合う大人になりたいと思った。何度か髭を伸ばしたこともあるが、どうもしっくりこなかった。
二番目の理由は髭が必要になったこと。35年も前になるが、ロンドンの日本人学校で3年間仕事をした。ロンドン大学の学生課へ日本人学校の講師探しに行く機会などがあったが、こんな若造が何をしに来たのだという扱いを受けたりした。国の内外を問わず、若く見られることは、交渉や頼み事には不利である。
そこで髭の出番。大した髭ではないが、多少は老け顔になって、実年齢に近づく。髭を蓄え、服装もそれなりに整えれば、「This gentleman is~(この人が~)」と大人扱いされる(ことも多くなった)。髭は外国生活の必要条件だった。その後は、一度も剃り落としたことがない。初めて会う人に「髭の~」と覚えてもらえるので都合がよい。
職業柄、教頭や校長の昇任試験を受けた経験がある。面接試験の前になって、髭を剃る人もいたが、私は髭面だと合格しないような面接試験なら、そんな試験は合格しなくてもいいと思った。無精ひげはマナー違反だとしても、整えてあれば、大した髭でなくても顔の一部である。校長室に掲げられた歴代校長の写真の古いものは口髭のある肖像が多い。昇任試験では髭を剃って、校長になったあとで髭を伸ばすのは詐欺である。仕事や役職を辞したあとで、髭を蓄えるというのも節操がない気がするが、人のことは関与の外である。
髭のことに終始したが、トラック競技でもロードレースでも、プロの自転車乗りに髭のある人は見かけない。脚の毛も剃り落とすというのだから髭は当然きれいに剃るのだろう。空気抵抗を減らすためとも、怪我をしたときの治療を受けやすくするためともいう。グラム単位で自転車を軽くするのだから、髭の重さも多少は関係するのか、髭が競走には不利になるのだろう。
自分の場合は、自転車で速さや走行距離を競うわけではないし、怪我のリスクも低いと思うので、髭の有無にこだわる必要はない。40歳ころから後に出会った人は、私の髭のない顔を知らない。昨今はマスクが必需品で髭は見えないが、髭のある顔を覚えてもらっているので、この先も髭を落とす予定はない。棺桶の中でも髭はつけたままにしておくつもりである。
今年の夏は雨続きで 自転車に乗れない日が多かった 雨の中でも自転車に乗った |
ゆっくり自転車を楽しむ分には 髭は全く邪魔にならない 遠目には髭があることも判らない |
若いころは何となく 髭を伸ばしてみたりしていた 髭の写真を公開するのは あまりいい趣味ではないか |
髭の効用が判って 本格的に伸ばし始めたころから 髭のない私の顔はない |
髭とはこうやって ずっと付き合っていくつもりだ |