冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2020年5月30日土曜日

心を空っぽにして


 無我の心境というのがある。無我夢中になるということもある。どちらも心は空っぽになっているということだろう。
 仕事をもっているころには、心がなかなか空っぽにならなかった。何かしら気持ちの中に引っかかったり、ぶら下がったりしているものがあった。無我夢中で仕事をしていたというと聞こえがいいが、悪戦苦闘の連続。五里霧中。自転車に乗ることを知っていれば、気分転換を図るにはもってこいだったかもしれない。忙しさに紛れて、そういう時間も見出せなった。

 心が空っぽになるというのは、いいことばかりではない。思い(わずら)ことが多すぎると、心ここにあらずということになりかねない。煩わしいことや難題を抱えすぎて、放心の体、心は空っぽというのは困る
 自転車に乗っていると、気持ちが軽くなって、気に病んでいたことが、いつの間にか雲散していることに気づく。これも一種のライダーズ・ハイか。流れていく景色と無心で対話している。こんな風に心が空っぽになるのがいい。

 一緒に走っている自転車仲間とこんな話をしたことがある。心を病んでそこから抜け出せない人が少なくない。うつ状態や引きこもりから抜け出せない人たちの苦しみは、余人には判らないことも多いかもしれない。そんな人たちに、自転車を勧めてみたらどうだろう。仲間で一緒に走るときに、誘うことは可能である。特にセラピーというようなものではなくても、一緒に黙って走るだけでいい。とりあえず、家にある自転車を引っ張り出して乗ってみる。家に自転車がなければ、借り物でもいい。

 自転車に乗っていて出会う景色を()、自然の中で聞こえてくるいろいろなどもに耳を澄ませているだけで、十分な癒しになる。しかも、心地の良い疲労感がついてくる。いつの間にか迷いが吹っ切れて、心が空っぽになっているかもしれない。私の自転車仲間はリタイアしたおっさんばかりなので、全く気がおけない。小難しいことを話すこともない。黙って自転車に乗る楽しさを一緒に味わい、外の世界が満更捨てたものではないと改めて気付くだけでも儲けもの。心を病んで、仕事に専念できない人や家に閉じこもっている人を誘って、一緒に自転車で走る。そんな手伝いができないものかと、仲間で考えた次第。

 もちろん、自転車に乗ることは、いいことづくめではない。事故のリスクもあれば、パンクなどの故障がストレスになることもある。道路上では、自動車から邪魔者扱いされることもある。それでも、いつものお気に入りのコースを走っていれば、いつの間にか心は空っぽ。極楽とんぼ。思いつくのは鼻歌くらい。心のすき間がなくなって、新しい世界へ踏み出すことを躊躇ためらっている人に、自転車を勧めてみるのはいいかもしれない。

こういう写真を撮っているときには、
カメラのこちら側に私がいて、
私の心は空っぽになっている
こういう写真を撮っているときにも、
やはりカメラを構えている私がいて、
自転車と風景を眺めている
私の心は空っぽなのだ
この写真のときには、
空がどんよりしているが、
それでも、私の心はやはり空っぽである
心が空っぽになって
振り返った私はこんな具合?…である
さあ、この先どこまで行こうか…
なんて、考えたり考えなかったり、
何しろ、心は空っぽなのだから
自転車の影はすき間が多い
影がうすいわけではないのに、出しゃばりすぎず、
何となく空っぽ…なのがいい。




2020年5月23日土曜日

携帯電話と自転車


 時代遅れの感はあったが、旧式の携帯電話を手放せなかった。4Gケータイと云われるものを最近まで使っていた。「ガラケー」の進化型で「ガラホ」とも云うらしい。失礼な話である。だいいち、ガラパゴス諸島に対して申し訳がない。独自の種の進化を遂げている生き物たちと、それを支える環境に敬意を表わすならいいが、時代遅れを見下すような語感があるのはいただけない。持ち主まで肩身が狭い。ちょっと前まで、誰もが恩恵を受けていたのに、簡単に置き去りにする。

 ほとんど使う人がいなくなった折り畳み式の携帯電話を、ポケットからおもむろに取り出すのは粋な仕草だと思っていた。4G携帯であれば、外観は古くても、ブルートゥースも使えればLINEのアプリも利用できる。
 それでも、ついにスマホに買い替えたのには理由がある。その一つが、内蔵のGPSを使って、自転車で走った経路を地図に書き残すことである。その日に走った道を、手書きで地図に書き込む方法や、洒落た地図そのものを作るという手もあるが、センスのない私にそれは無理な相談。機械に頼らざるを得ない。
 もう一つは、廉価版のスマホが増えて、通信料も手ごろになってきたという理由。これは、年金生活者の知恵か。

 スマホに替えると、なるほど、使い勝手が良くなった。手のひらになじむコンパクトさはないが、機能は格段の差。携帯電話ではなく、携帯パソコン。画面が大きいのもいい。縮小・拡大も自在である。自転車に乗るときには、ナビも地図も使わないようにしているが、スマホで簡単に使えれば、あっても邪魔にはならない。

 早速、「サイクル・メーター」という無料のアプリをダウンロードしてみた。難しい設定はしなくても、すぐに動いてくれる。これまで安価なサイクル・コンピュータを使っていた。走行距離や速度などを知ることはできるが、記録は書き写さなければならない。スマホのアプリは、データをすべて保存してくれる。地図に重ねて計測するので、標高差や一定の区間の走行状況も記録に残してくれる。至って優れものである。

 ためしに、自分のブログはどんな風に読めるのか、スマホの画面で開いてみた。画面に慣れている人はいいのだろうが、私にはこれがよろしくない。文字が小さすぎる。文字を拡大すると、今度は行が細切れになる。いたずらに長いだけの文章のようで、意味が判らない。行間を読むというが、スマホの画面では、行間はおろか一行一行がまともに読めない。私のブログはともかく、まとまった文章はスマホでは正確に読みとれない。紙に印刷された文章や文献、新聞の紙面をないがしろにしないでおきたい。

 自転車に乗るときに便利だろうという理由でスマホに買い替えたが、スマホ万能主義はちょっと危ない。自転車も、カーボンフレームや電動変速機、はたまたE―バイクなど、進化に止め処がない。次々に開発される新しい自転車や装置もいいが、乗り慣れた、愛着のある自転車もまたいいものである。



使いなれたサイクルコンピュータ
速度や走行時間、走行距離などを測定してくれる
走る目安にはちょうど良い
サイクルコンピュータの記録を書き写す
年間走行距離などは表計算で記録に残す
走ったコースを地図上に残すのが面倒である
"ルート・ラボ"が使えなくなったのは残念


"サイクルメーター"の画面
地図上に走行したルートを記録してくれる
標高差なども記録できるが便利

"サイクルメーター"に記録された地図
グーグルマップに走ったルートをトレースしてくれる
毎回の記録がそのまま残せて便利である

記録を残すのもいいが、
何も考えずに、過ぎてゆく風景を楽しみながら
走るのが一番面白い…。

とりあえずは、シンプルに、
自転車に乗ることを楽しみたい





2020年5月16日土曜日

車と自転車

 初めて自転車に乗れた喜び。ちょっと機械の力を借りるだけで、自分の力が何十倍も大きくなったような気分になる。より速く、より遠くへ、世界は瞬く間に広がる。まさか、子どものころにそんな風には考えなかっただろうが、今思えば、多分、そんな気持ちにはなっていた。その後は、オートバイに乗ることも覚えた。バーチャルな身体能力は伸長するばかりである。
 
 自動車には、さらに快適性が加わる。風にも負けず、雨にも負けず、である。荷物だってどんどん積める。向かうところ敵なし的感覚。車に魅了されるのは自然の流れ。オートバイに続いて、乗り継いだ自動車のこともまとめてみたい。自転車の話題からはそれるが、何でも有りということにしておく。
 
 私のブログを見た知人が、奥さんにもブログを見てみることを勧めてくれた。奥さんは、自転車なんて興味ないから…、という反応だったそうである。知人は、自転車の記事ばかりではない。映画や音楽の話題もある。多分、遺書のつもりで書かれているから興味深いといって、さらに勧めてくれたらしい。
 
 話をきいて、確かにこれは遺書のようなものだと自分でも気がついた。終活の一つとして、ダイイングノートとかエンディングノートといったものが話題にあげられる。自分の死後、あとに残った人に伝えたいことを書き残すものが、ダイイング・エンディングノートらしい。書き方や書式を説明した本もある。文具メーカーのコクヨは、「もしもの時に役に立つLIVING ENDING NOTE」まで作って売っている。ノートに必要事項を書き込んでいけば、エンディングノートの出来上り。さすがはノートのコクヨ。余計なお節介もここに極まるといったところか。死ぬ準備くらいは好きなようにさせてもらう。自分にまかせておいてほしい。私に構わないでください、といいたい。
 
 いつかは友人や家族、それに自分自身とも永遠に別れてしまうときが来るので、その準備をしておくに越したことはない。この世に置き土産をするという大それた気持ちはない。残す財産もない。ダイインメッセージなど無用といえば無用である。ブログを遺言代わりに読んでおいてもらうのも、一つの手ではある。世の中の流行りには乗らず、別れのときまでにどんな準備をしておくか、自転車の上でゆっくり考えることにする。さいわい、自転車に乗る時間はたっぷりある。 
 
 最近の調査によると、子どもたちが大人になったら買いたいものの第一位は、意外にも、男の子も女の子も自動車らしい(第一生命保険 ’204月調査)。自動車に乗るということは、大人になるための一つのイニシエーションなのだろう。車なんかに乗らず、自転車に乗りつづけていたら、子どものままでいられたかもしれない。そうすれば、ダイイングメッセージの心配もせずにすんだ。



ダイハツ・コンソルテ1000(20歳~24歳)
父が乗っていたものをそのままもらった
写真は借り物で、実車ではない



トヨタ・カリーナ 1600ST(24歳~31歳)
写真は、借り物のカリーナ1600GT
給料の大半は燃料代や部品代に消えていた時期もあった
8年間で20万㎞近く走った
シビエのフォグランプ、ミシュランのタイヤ、アルミホイール
当時流行りの装備を満載?!

ホンダ・ワンダーシビック  1500R(31歳~40歳)       
娘の七五三詣(7歳)
上げ馬神事のある猪名部神社の駐車場 
自転車は姉の赤いものを弟用に青く塗った 


ローバー 3.5L V8サルーン(34歳~37歳)
日本人学校在勤中 ロンドンで買った外国車…国産車?
この車で、ほぼイギリス全土を走った 


ラーダ1.3L(34歳~37歳)
当時住んでいた家の前で撮影
Googleマップのストリートビューアーなら通りが見られる
    
東の国の公用車
日本円にすると15万円くらいで買った
made in URRSは耐久性抜群


ホンダ・アコード 1.8XL (40歳~52歳)
撮影場所は家の近くの田んぼの中
「きれいに磨かれた車は、田んぼへ連れていかれ
そこで写真を撮られる」と小さいころの息子が言っていた


   ユーノス・ロードスター NA6 (45歳~54歳)            
   5年落ちを中古で購入                     
   運転するのが面白い 例の田んぼで撮影             
新旧ロードスター比較
左が現在も乗っている、マツダ・ロードスター
                    マツダ・ロードスター NB6 MVIMITTED(54歳~現在)             
                     幌を開けて走ると、オートバイ感覚に近い           
                     ヘルメットが要らないし、煙草も吸える            
   お出かけ先のロードスター                                              
 歳をとってから乗っていてもそれほど派手ではない?!   

                   
  ミツビシ・ディアマンテ3.0R(52歳~65歳)            
 磨いて連れていかれる田んぼで撮影               
       イギリスで乗っていたローバーとディメンションがほぼ同じ    
       重量級で乗り心地がいいが、燃料喰い              
   手放したくなかったが、燃料代と自動車税でギブアップ 

       
トヨタ・サクシード 1500TX(65歳~現在)           
燃費は上々、商用車なので税金も安い              
自転車のトランスポーターに最適                
自転車を外に出せば車中泊 ロングステイも可能         
愛車遍歴はこの辺でおしまい                  
免許返上までこの車に乗りつづける…か             




2020年5月9日土曜日

自転車かオートバイか


 小さいころから乗り回していたので、自転車との付き合いは長い。仕事を辞めたのを機に、再び自転車に乗り始めて8年、自転車のある日常に戻った。それでも、ときどきオートバイに食指が動く。若いころからオートバイに乗っていたので、自転車よりオートバイの方がなじみが深いかもしれない。

父が、自転車に小さなエンジンをつけた、まさに「原動機付き自転車」に乗っていた記憶がある。その後、スクーターといわれる2輪車やオートバイに乗っていた。古いものを修理して、試運転と称して出かける時には、後ろの席に乗せてもらうのが楽しみだった。
 
 大きな声では言えないが、中学生くらいになると、父のオートバイをこっそり持ち出して乗ったり、友だちの家にある原付バイクに乗ったりした。ヤマハ・メイトやホンダ・スーパーカブは、自転車の延長のようなもので、簡単に乗れた。原動機付き「自転車」なのだから、自転車に乗れさえすれば誰にでも乗れる。法的に許されないだけのことである。密かな楽しみ。アクセルのひとひねりで走る爽快感、解放感、それに不思議な優越感が加わる。
 
 そんなわけで、オートバイ遍歴はそれなりにある。高価なものに乗れたわけではない。学生のころには先輩のオートバイを譲り受けたりもした。18歳で初めて自分のオートバイを手に入れてから、60歳をすぎるまで、必ず家に1台はおいてあった。いつもオートバイが側にないのはさみしいが、乗る機会もめっきり減って、ついには手放してしまった。喪失感は大きい。
 
 実をいうと、知り合いが最新のホンダ・スーパーカブ110㏄を買ったので、自分も欲しい。新車ではなくても、古いものを手に入れて、自分でレストアしようという意欲もある。問題は、スーパーカブを持ってしまうと「カブ主」の仲間入りをすることになって、自転車に乗る時間が少なくなるということである。

 ※写真のキャプションは、パソコンの画面上では整えてあるが、スマホの画面では
  ずれてしまうことがある。ご容赦願いたい。

父は毎晩こういう原付をいじっていた           
調子が良くなって試運転に行くときは、後ろに乗せてくれた 
後ろに乗ると、脚をエンジンでやけどするので要注意      
   
スクーター:三菱ラビット
初めて自分で運転(内緒)したのはこれ?
重量が大きいので、乗りこなすのは難しい
メグロ 250cc
父が初めて買ったオートバイらしいオートバイ
フロントフォークのオイル漏れが止まらず、父は苦労していた

中学生のころからなじみのあるSカブ:発表当時のもの
1958年に生産開始
現行型スーパーカブ110㏄
デザインは発表当時とほとんど変わらない
懐かしいエンジンの音は、今でも識別できる
知り合いが買ったので、本当は私も欲しい


     
ホンダベンリィC90、125cc
初めて手に入れた自分のオートバイ
角型ライトがお洒落だった
月光仮面が乗っていたのは、
ほぼ同型のホンダ・ドリーム 250cc だったと思う
1958年~74年製造:70年(18歳)~73年(21歳)まで所有

ホンダDAX 70cc
私は足が短いの”ダックス”というあだ名があった
ダックスがDAXに乗る
1968年~2003年製造:73年(21歳)~75年(23歳)まで所有
大学の1年先輩の吉田松男さん(故人)にもらった
ほれぼれするようなスタイル、エンジン音も最高
1962年~68年製造:74年(22歳)~75年(24歳)まで所有
大学の先輩が卒業の時に置いていったのでもらった
採用試験会場にこれで出かけ、
故障したので乗り捨てて、
電車の駅まで焦って走った
1960年~68年製造:74年(22歳)~78年(26歳)まで所有

HONDA XL 125  125cc
鈴鹿市のバイク屋の店先に置いてあったのを衝動買い
 ステップ曲がり、ブレーキレバー折れ、現状のまま5万円 
1973年~78年製造:78年(26歳)~81年(29歳)まで所有


SUZUKI GSX250E 250cc(元祖 カタナ)
初めて買った新車
上の写真はツーリングに出発する直前、
見送りは当時3歳の私の娘
1982年~86年製造:82年(30歳)~85年(33歳)まで所有
        
                   
最初で最後の大型バイク 遠出には最高だった
足つき性がいいので、脚の短い私でも乗れた
1982年~87年製造:85年(33歳)~2013年(61歳)まで所有













2020年5月2日土曜日

坂を登る


 家の近くには、こんなに坂道が多かったか。平坦な道はほとんどない。傾斜がつきものである。馬で坂を駆け上がることは前に書いた。そういう極端な坂はともかくとして、坂はいたるところにある。すべての道は坂道である。

 歩いていると坂道に気づくことは少ない。よほどの急こう配でないかぎり、歩度を緩めることはない。行く手に立ちはだかるような坂道でも、それなりに歩いて登ることはできる。車やオートバイに乗っていれば、坂はもっと意識の外へ追いやられる。難儀をするのはエンジンとミッション。乗り手はアクセルを踏むつま先に力を入れるだけ。オートバイなら右手首をひとひねりすればすむ。
 
  自転車は、登り坂にさしかかるとすぐに脚が感応する。若い人が脚力に任せてぐんぐんペダルを踏めば、それほど抵抗を感じることはないのかもしれない。私のような高齢の者が乗っている場合は、すぐに響く。ひとくくりにするのは良くない。高齢の人でも脚力、気力がともにあって、登り坂をものともしない人もいるだろう。私の場合は登り坂にからきし弱いので、家の近くにもこれほど坂道が多いのかと、改めて気づかされた次第である。
 
 行く手に待ちかまえる長い坂道は、気持ちを奮い立たたせるか、げんなりさせるか。その時の身心のコンディションにもよるが、たいがい登り坂にはうんざりする。周りに人はいなくても、自転車を降りて押したのでは恰好がつかない。軽いギアでゆっくりと景色を楽しみながら登ることにする。向かい風のときと同じ要領。坂には逆らうな、である。登り坂は先が見えるので、向かい風よりは楽かもしれない。しかも登れば位置エネルギーを貯められる。
 
 前方の路面が見えなくなるところまで行けば、坂は終わる。バニシングポイント(消失点)の向こうには、別の世界があるかもしれない。そういえば、1970年代の初めに、『バニシングポイント』という映画があった。アメリカン・ニューシネマ。ダッジ・チャレンジャーという高性能の車で暴走する主人公コワルスキーは、生きることの不条理に耐えかねた自殺志願者、だと思われる。警官の追跡を振り切り、ひたすらバニシングポイントへ車を走らせる。私のバニシングポイントは、きつい坂と古い景色に別れを告げ、新しい風景の展開に出会う境界点。コワルスキーのとはくらべものにならない。明るく、楽観的である。
 
 楽観的といえば、山に登るにはマウンテンバイクがあれば楽だろうと思いついた。マウンテンバイクはギア比が極端に小さい。前のギアよりも後ろのギアの方が大きいものまで使える。ギア比は1:1以下にもなる。速度は遅くなるが、タイヤの回転するする力は強くなる。歩いて登れないような坂も登る、という謳い文句をどこかできいた。俄然張り切って、急坂に挑んでみる。マウンテンバイクでなら坂を楽に登れるか。否、登坂は乗り手の脚力次第。坂道はそれほど甘くない。



行く手に長い坂が見える                    
路面とセンターラインが見えなくなるところがバニシングポイント 
とりあえず、そこまで登ってみるか                
この道路は、開通前でまだ使われていない。念のため…       

来し方を振り返る                                                                 
よくぞここまで登ってきた                                                     
見栄をはって、歩かずに登ったので疲れた                               
位置エネルギーを蓄えたので帰りは楽勝!?                                 
坂を下るときには注意が必要!!                                             
マウンテンバイクなら登坂は朝飯前か?            
この時点で、朝飯は済ませているので…            
どんなバイクでも、坂道は楽ではない             
乗り手の脚力次第…  
 ちょっとヨレっとした感じが坂道の厳しさを物語る          
   乗り手の疲労がバイクにも伝わる               
 
今年は、雪の少ない冬だったが雪のあるところまで登ってみた
一人で走るのは危険なところもある
できれば相棒が欲しい
どこまでも登ってみたいとい好奇心だけは褒めてやりたい