冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2022年3月26日土曜日

ロードスター

  マツダ・ロードスターという車を所有している。二人乗りの小さな車で実用には向かない。面白半分で5年乗ってある中古車を手に入れ10年乗った。初代のNAという型である。今は、第二世代のNB型で2002年式、これも5年落ちの車を買って15年乗っている。都合25年間も乗っていていることになる。

 初めてこの車に興味をもったときには、車名をroadstarだと思っていた。まさか、道路を走るスターというわけでもなかろうと思って、車の後ろに貼られたエンブレムを確かめるとroadsterと綴られている。これは、「道を行く者」という意味らしい。

 そもそも、roadsterは馬車の種類のひとつで、座席は1列で二人乗り、幌なしが原型。自動車の分類にも馬車の類型が使われているようで、同じオープンカーでも、カブリオレとかコンバーチブルというのは、有蓋(屋根付き)が基本。ロードスターは屋根がないのが本来の姿というわけだ。

 オープンカーの爽快感は格別で、乗ってみないと判らない。風をきって走るのはオートバイの感覚に近い。二人乗りで軽量なので、カーブを曲がる軽快さもオートバイに似ている。オートバイのようにヘルメットをかぶる必要はないので、風を近く感じる。そんなわけで、ロードスターを手に入れてからオートバイに乗らなくなった。自転車に乗り始めたということも、オートバイに乗らなくなった理由の一つである。

 自転車について書かれた、小池一介著『華麗なる双輪主義(スタイルのある自転車生活)』(東京書籍,2002)という本の中に、「Roadster Bicycle」が紹介されている。自転車にもロードスターと呼ばれるものがあるのだ。

 早速、ロードスター型の自転車について調べてみる。「ロードスター(Roadster)とはかつてイギリスにおいてよく見られた自転車の形式で、現在では全世界にまで普及しており日本でも実用車、軽快車といった一般用自転車の原形となった」「現代的な量産体制で作られた初めての自転車といわれ、イギリスはもとよりアメリカにも輸出された。ラレー(Raleigh Bicycle Company)やバーミンガム・スモール・アームズ(BSA)が大量生産し」「現在のヨーロッパで自転車の利用の多いオランダ、ドイツの都市部などで見られる程度」(以上Wikipediaより引用)

 二人乗りの無蓋馬車roadsterは現代の自動車に形を変え、我が家にはマツダ・ロードスタ―として収まっている。自転車に姿を変えたroadsterは英国のラレー社で生産された。ライセンス生産で日本の新家産業が製造した、「ラレー・カールトン・ビンテージ」というモデルは、私が愛用しているロードバイクだ。

 1980年代、ロンドンの日本人学校に勤務していたころ、街角にはroadster型の自転車が無造作に立てかけられていたかもしれない。Roadsterとの縁は、その頃から今に続いている。

実用には向かないが
走りが面白そうなので
安い中古車を手に入れた
(ユーノス・ロードスター NA6 1992年式)

走りが面白いので
同じ車の新しい型を
中古で手に入れた
(マツダ・ロードスター NB6 2002年式)

幌が劣化して破れたので
今年になって幌を取り換えた
赤い幌のおかげで
新車にもどったようだ

自転車にもロードスターがあった
(『華麗なる双輪主義』の挿絵より)

そういえば、同じような自転車を
ロンドンの街中で見かけたことがある
(1988年当時住んでいた家の近くで撮影)

愛用している自転車
ラレー・カールトン・ビンテージ
Roadster BicycleのDNAを受け継いでいるか
ラレー社はロードスター・バイクの老舗



2022年3月19日土曜日

芥川賞の自転車

    166回令和3年下半期芥川賞には砂川文次氏の『ブラックボックス』が選ばれた。毎回の受賞作品は全文が雑誌『文藝春秋』に掲載される。上半期の受賞作は9月号、下半期の作品は3月号で読める。受賞作の単行本は、2000円前後はするだろうから、1000円の雑誌で読めるのはお得だ。受賞者が複数あっても、すべて『文藝春秋』で読めるのは、菊池寛が創刊したこの雑誌の良心である。

 受賞作には、自分の子どもたちか、もっと若いような人の書いた純文学小説が多い。古い者には理解が難しいところがあるが、現今の文学的傾向を知るためにも読んでおきたい。

 今回の受賞作『ブラックボックス』の主人公サクマは自転車でメッセンジャー(書類配送)をしている若者である。日々の生活の中の、抑えきれない暴力的エネルギーの発露から、傷害事件を起こし、刑務所に収監される。その刑務所で、またしても暴力沙汰に及ぶ。そんな自分を自分が観ている。ごくかいつまんでいえば、そんなストーリーである。

 話の前段、サクマが自転車便の配達人として街中を走る描写が続く。芥川賞選者の評には、「主人公の肉体感覚がベタなリアリズムで畳みかけられる」とか「伝統に依ったリアリズムへの徹底」、「端正に推敲された文体」という言葉がみられるが、自転車に乗る者としては、そのリアルで細かいはずの描写に「ん?」と引っかかる。

 サクマが信号をすり抜けようと加速する場面。「身体を左右に振って回転数ケイデンスを上げる(略)雨音を縫うようにしてラチェットの音が聞こえる

 ペダルを踏んでいるときには、ラチェットの音は聞こえないはずだ。これはペダルを踏むのをやめて後輪が空回りをしているときに、車軸の爪が鳴る音だ。「回転数」にケイデンスとルビがふってある。これもあざとい気がする。 

さらにスピードを上げる場面。「シフトレバーはブレーキと一体型のものだったから、中指と薬指で以てこれを左側に弾くようにして1ノッチ上げる。変速機(リアディレーラー)からBB(ビービー)、クランク、シューズ、脚という順を経て負荷が増した…

   シフトアップには、内側の小さいレバーを操作するので、人差し指1本か、人差し指と中指を使う。薬指までは使わない。ギアを上げ実際に負荷がかかるのは、後ろのギア(リアスプロケット)、チェーン、クランクギアから脚というのがリアルな「肉体感覚」のように思える。変速機やBBというそれらしい用語が使いたかったのか。

 他にも、事故に遭いそうになって、自転車を壊す場面では「フロントディレーラーからチェーンが脱落している」とあるが、チェーンがディレーラから外れることはない。脱落するとすればフロントギアからである。 

 細かい表現が気になっただけで、受賞作のテーマとはさほど関係のないことかもしれない。作者も選者も気にしていないようだが、自転車乗りがこの作品を読むときには、こんなところに着目しながら読むという読み方もある。

季節を経て
朽ちていくもの

季節を得て
花開こうとするもの

季節の中に
置き去さられるもの

季節の中で
咲き誇るもの

いつの季節にも
湛えられつづけるもの

あたたかい日向で休んでいたが
今日はこの季節初めて
涼しい陰を探して休んだ


2022年3月12日土曜日

英式・仏式・アメリカン

   何の形式かというと、自転車のタイヤに空気を入れる口金、バルブのことである。英式と仏式に加えて米式というのもある。アメリカンと書いたのは、語呂がいいからで他意はない。英式の発明が1888年、米式が1891年。仏式が最も新しく1900年のお目見えである。いずれも100年以上の歴史をもつ。普通に自転車を使っている限り、あまりこだわることでもない。

    一般の実用車、ママチャリと呼んでいる自転車にはほとんど英式が使われている。虫ゴムという部品を使って、口金から空気が漏れるのを防ぐ。パンクかと思いきや、この虫ゴムが劣化していて、空気漏れを起こしているということはよく経験する。虫ゴムという妙な言い方が、案外に耳になじんでいる。

 米式は、自動車やオートバイに使われている。まれに、マウンテンバイクの太いチューブにも採用されることがある。扱いが簡単で、空気漏れが少ない。但し、あまり高圧の空気には耐えられない。作りが武骨で太いタイヤにはいいが、スポーツバイクには大きすぎる。

 さて、仏式。これが、スポーツバイクに乗り始めると出会う代物で、一般にはなじみが薄い。口金は細くて繊細。空気を入れる時には、コア(弁を開け閉めする芯)の先端のネジを緩める必要がある。空気を充填したあとには、そのネジを締め、弁をしっかりと塞ぐ。

 このバルブは、高圧に耐え、しかも細くて軽量なので、スポーツバイクの細いチューブに最適である。何しろ、スポーツバイクのタイヤには、自動車のタイヤの3倍、一般の自転車の2倍以上の高圧の空気を充填する。しかも、タイヤの幅は自動車の10分の1程度である。

 下手な文章で説明していないで、図を描けば一目瞭然であるが、そこはそれ、文章修行、表現の練習なのでご容赦いただきたい。

 英式・仏式・米式とそれぞれの特徴を書いていて、はて、和式というのは見当たらない。我が同胞が考案してくれたならば、3種類のいいとこ取りをして、丈夫で繊細、軽くて精密なものができるように思う。今のところそういうものは見当たらない。いずれ、画期的なエア・バルブが登場するかもしれない。

 自転車の変速機となると話は別で、和式の独り勝ちだ。日本で考案されたものが世界中で作られる自転車に使われている。「株式会社シマノ(SHIMANO INC.)」が製造する変速機は、ごく廉価な自転車から100万円を超える高級スポーツバイクにまで使われる。まれに、スラムやカンパニョーロというメーカーの変速機もあるが、日本ではごく限られている。 

   チューブに空気を入れるためのエア・バルブには和式がないが、さらに複雑で精緻な動きを求められる変速機は和式が独壇場なのだ。自転車の性能を左右する重要機材に和式が用いられていることは、誇らしくもあり安心でもある。


樹の幹に春の力が宿りはじめる
この樹は何回冬を越したのだろう

樹の枝に春が芽吹きはじめる
新しい季節の予感に浮き立つ

樹は根を伸ばしながら
地中にある春を探しあてる

それぞれの樹はそれぞれのやり方で
季節を脱ぎ、季節を着る

樹には樹の生い立ちと生きざま



2022年3月5日土曜日

早春賦

 吉丸一昌作詞、中田章作曲の『早春賦』鮫島有美子、芹洋子、斎藤昌子、他にもダークダックスや由紀さおりと安田洋子姉妹などの、多くの歌唱がYouTubeで視聴できる。

春は名のみの 風の寒さや /  谷のうぐいす 歌は思えど / 時にあらずと 声もたてず / 時にあらずと 声もたてず 

早春の自転車の世界は、この歌にぴったりかさなる。春とは名ばかりで、風は冷たい。そろそろ温かくなるだろうと期待はしているが、まだ冬装束のままだ。手套も冬用の分厚いものを使っている。

 里山を走れば、うぐいすの初鳴きにであう。キョ、キョと鳴いているだけで、きれいな旋律にはならない。発声練習なのだろう。ときなお早いというところだ。それでも、うぐいすはまったく声をたてないわけではない。健気に初鳴きを始めている。

 「春は名のみ」というのが、子どものころには判らずに、「菜の実」かと思っていたが意味が通じない。「和み(なごみ)」と聞き違えているのではないか思っても、和むはずなのに、風が冷たいとはこれ如何に。のちに「名前ばかりの」という意味と判って納得がいった。 

氷融け去り 葦はつのぐむ / さては時ぞと 思うあやにく / 今日も昨日も 雪の空 / 今日も昨日も 雪の空

 川辺を走れば、葦は芽吹き始め、下草も青くなりかけている。気の早いスイセンが咲き、桜のつぼみがうすく色づく。いよいよ自転車の季節の到来と思いきや、雪が時雨れ、霙が降ることもある。すぐにも温かくなると思っていたが、そう簡単に春は来ない。意味が解らず「葦は角ぐむ」を「足をどう組むのか」とか、「あやにく」とは、「やわらかい肉か何か」だとか思っていたこともあった。生憎(あいにく)ならば合点がいく。

 春と聞かねば / 知らでありしを / 聞けばせかるる 胸の思いを / いかにせよとの この頃か / いかにせよとの この頃か 

 春と聞くだけで、温かくなればどこへ行こうか、誰と一緒に走ろうかと、思いは巡る。何とも気の早いことである。はやる気持を抑えて、寒さの中を走る。子どもころには、3番の歌詞は完全にお手上げだった。春を待つ歌なのだろうという気分はわかるが、歌の意味には歯が立たない。誰も歌詞の解説はしてくれなかった。美しい歌の響きだけを聴いていたのかもしれない。

 ありきたりのいい方ではあるが、自転車に乗って野へ山へ、川へ海へ、出かけることがなければ、『早春賦』は記憶の彼方へ押しやられて、思い出すこともないだろう。今になって、懐かしい『早春賦』的早春を改めて感じるのは、自転車があればこそである。

山に向かう現実
地上は混沌としていて
ときに道を失う

山に憧れづづけ
春を待ちづづける

うぐいすの初音がみなもをわたる
私の大切な場所を奪うな
私の大切な人を奪うな

この美しいふるさとを奪うな
ふるさとの人を奪うな

地上にあまねく
春が来るのを待つ
遠い国に
春が届くのを待つ
春の光明を待つ