冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年6月24日土曜日

道を渡って考えた

 交通量の多い幹線道路を大型のトラックと並走するのは恐ろしい。大きな道を走るのは避けていても、横断をする機会は多い。大型のトレーラーやダンプカーの行き交う道を横断するのは至難の業である。ひたすら車の流れが途切れるのを待つ。自転車で広い道を横断するには時間がかかる。ゆとりをみなければならない。

 広い直線道路を横断しようと、右を見て、左を見て、また右を見て、何度も首を振りつづける。もう一台、向こう側車線を来る大型トレーラーをやり過ごせば横断できそうだ。そう思っていたら、何と、左から来たそのトレーラーが停まった。運転手が手振りで横断を促してくれた。横断歩道も引かれていない場所である。

 何とも親切な運転者だ。20トンもの積み荷があれば、一度止まれば燃料の消費がかなり増えるだろう。それでも、わざわざ停まって、横断するように合図をくれた。お礼に手を挙げると、丁寧に手を振って応えてくれた。一期一会にも満たない瞬間の出会いが、その後しばらく心地よい余韻となる。自転車乗りの気分を嬉しくさせてくれた。

 自分が自動車を運転していると、ともすれば自転車に乗っている人が邪魔だと思ってしまう。自転車に乗っているときには自動車が邪魔者に見える。自動車に乗ったり、自転車に乗ったり、以前はオートバイにも乗っていた。乗り物によって、道路の使い方が変わる。自分の乗る物が変わると、他の乗り物が邪魔に思えるとは、何とも心持の狭いことだ。

 大型トラックには乗ったことがないので、自転車がどう見えているのかは判らない。同じように一人で運転しているとはいえ、大きさがまるで違う。自転車はさぞ邪魔なことだろう。急ぐ仕事のさ中に、遊びで乗っている自転車はどうしようもない厄介者に違いない。それでも、一旦停車して道を譲り、スピードを落として追い越しに配慮をしてくれる。プロドライバーの心意気を見習うべきである。

自分だけの道と思って
気分よく走っているが

我が道を行くと
うそぶいているが

先人のつけた道を
なぞっている

この道は
人も行く
車も行く
時も行し
季も行く

行き違ったり

並んだり

追い抜かれたり
しながら行く

2023年6月17日土曜日

梅雨の中休み

  冬の間は自転車に乗らないとか、夏の暑い盛りは走らないという人がいる。私の場合、シーズンオフはない。寒いときは服装を工夫して、暑いときには熱中症に注意をして、今のところは1年中乗りつづけている。

 気温の変化には何とか対応できるが、雨にはかなわない。天気予報に少しでも雨のマークを見つけたら自転車に乗らないようにしている。雨の日に乗るのは、タイヤのスリップなどがあって危険だ。もう一つの理由は自転車が汚れるということである。濡れた路面の上を走ると、見事なまでに自転車は汚れる。マウンテンバイクはその限りではないが、出来れば自転車を汚したり、部品の消耗を早めたりすることは避けたい。

 梅雨の時節は、走行距離が少なくなる。天気予報とにらめっこをしながら、走れるタイミングを計る。最近、父の容態が優れない。現在、99歳と6カ月。急な変化があるかもしれないと、主治医から警告されている。雨を避けているだけではなくて、父の様子も気になるところだ。遠出をしていて、火急のときに間に合わないというのでは困る。

 今週は、梅雨の中休みの晴れ間が見えた。これが本来の「五月晴れ」だ。久しぶりに遠出をした。父の病院からの知らせがあるといけないので、大した遠出ではない。

 四日市港までくらいで引き返そうと思って出かけたが、つい足を延ばして、楠、箕田、さらに伊勢若松の漁港へと海沿いに辿ることになった。昼前には気温が上昇して、かなり暑い。初夏の空がのぞいている。漁港をつなぐように堤防の上を走る。海からの風にしばらくぶりの解放感を満喫する。

 「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に」。長雨を眺めるばかりで、自転車に乗らずに時を過ごすのは惜しい。束の間の梅雨晴れを見逃す手はない。


頭をもたげて
天気をうかがう

つかの間
青空がのぞく

梅雨明けのように
気分が透きとおる

どんなものと
出会っても
今日は面白い

少し走れば
旅する気分
旅する自分


2023年6月10日土曜日

機能美について

  愛用の自転車をスタンドに乗せる。チェーンに潤滑油を注す。変速機の動きを確かめる。後ろの変速ギアが10枚。ハンドルについた変速レバーを操作して、一番小さいギアから最大のものまで、チェーンのかかり具合を確かめる。

 ペダルを勢いよく手で回し、片方の手で変速レバーを操作してワイヤーを引く。チェーンは小さいギアから大きいギアへと移る。金属のチェーンが身をよじるようにたわみながらギアの上を移動する。ワイヤーを緩める。チェーンは身体をくねらせながら小さいギアへと落ちていく。チェーンは生きていて、変速機に促され滑らかに移動を繰り返す。

 スポーツ自転車に乗らない人は、先ず変速ギアの枚数の多いことに驚く。私の乗っているクロスバイクは、クランク側に歯車が3枚、後軸に8枚。24段の変速ができる。ロードバイクとマウンテンバイクは前が2枚、後ろは10枚のギアで、20通りに変速ができる。

 実際には実用自転車の3段変速と同じようなもので、速く走る、巡航する、そして発進時や坂道などは軽い力で走るといった3通り程度の選択ができれば良い。では、なぜ20段以上もの組み合わせがいるのか。非力な脚の回転を補って、いかに力を有効に使うか、いかに滑らかに自転車をスピードに乗せるか、ひたすらそのための工夫なのだ。

 最近、e-Bikeという電動アシスト付きのスポーツ自転車に乗る人と一緒に走ることが多い。モーターのアシスト量を調整すれば、変速にはそれほど敏感になる必要がないらしい。アシストのない自転車でe-Bikeと同じペースで走るには、変速の滑らかさが命である。

 もう一度、変速機の具合を確かめてみる。変速レバーを素早く動かせば、チェーンは生き物のようにギアからギアへと移動する。大きなギアへ移り、小さなギアへ飛ぶ。チェーンとギアの相関。その形と動きはいつ見ても美しい。

力を受ける


力を伝える

    

力を活かす

 

速く走るために


のんびり走るために


大きな力をだすために

小さな力ですむように

しっかりと立つためにも
ゆったりと座るためにも
その機能は美しさなのだ

2023年6月3日土曜日

自転車乗りの自画像

 もっと若い頃からスポーツ自転車に乗っていれば、全く違う乗り方をしていたかもしれない。子どものころから自転車を乗り回し、中学、高校時代には通学にも自転車を使っていた。ところが、オートバイの運転免許を取得してからはとんと自転車との縁が切れた。

 若くて体力のあるころに自転車に興味があれば、自転車のレースに出たり、ロングライドのイベントに参加したり、あるいは日本国中を自転車で巡ったりということもできたかもしれない。本格的に自転車の整備を学ぼうという気になっていたかもしれない。

 これは、60歳になってスポーツ自転車を始め70歳を超えてから思うことなので、今更どうしようもない。

 先日、ツアー・オブ・ジャパンいなべステージの観戦に行って思ったことがある。私と同じような年恰好で、選手かと思うようなウエアに身を包み、何十万、ともすると百万円を越えそうな自転車に乗って観戦に来ている人を何人も見かけた。

 この人たちは、若い頃から自転車を極めているのだろうか。それとも、私のように、定年退職の前後に自転車を始めた人なのだろうか。いずれにしても、私の乗り方とはかなり違うようだ。

 自分の自転車に乗る姿を描くとすると、少しはスポーツ自転車に凝ってみたいというものの入門用程度のバイクを愛用し、高価なウエアを身に着けるのではなく普段着のままで出かける。スピードや走行距離はあくまでも目安にしておいて、自然体で気軽に走っている、というところである。

 ついでにいえば、もう10年も乗っているので、大方の整備は自分でやって、出先でのトラブルにはほぼ対処ができて自力で安全に家まで帰り着く。ただの自転車好きの爺さんである。

 自転車に乗っている人が何かのトラブルで困っていれば、押し付けがましくない程度に手助けができる自転車好きな爺さんという姿も付け加えれば、ちょっとは格好のいい自画像になるだろう。 

いつものように
ありふれた景色のなかへ
乗り出す

いつものように
ありふれた季節のなかに
たたずむ

いつものありふれた道が
新しい道にかわることもある

ときには
少しだけ遠くへでかける

気軽に
橋の向こうがわを
見に行ったり

思い切って
長い橋を
わたってみたりする