冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年1月30日土曜日

釈迦が岳のお釈迦様を訪ねて

   先日、不定期の定期走行会で四日市港まで走った。その帰り路、コンビニで休憩をしていると、鈴鹿セブンマウンテンの一つ釈迦が岳が目にとまった。近在の人は釈迦が岳の山容がお釈迦様の姿に見えるという。では、稜線をどうたどればお釈迦様に見えるのかという話になった。人によって見え方が違う。顔の向き、頭の形とそれにつながる肩の線。どうもしっくりこない。

 いつものように、困ったときのインターネット頼みで、「鈴鹿 釈迦が岳 釈迦の寝姿 稜線の見え方」をキーワードに検索してみるがそれらしい記述が見つからない。珍しいことである。大概のことは、蘊蓄を傾け記事にしている人があって、名答、明答もあれば迷答、愚答も見つかる。全国の「釈迦が岳」と呼ばれる山については、由来の説明やお釈迦様の姿を図説したものもある。ところが、三重の釈迦が岳については登山道の説明や山頂からの眺望の画像は見つかっても、お釈迦様に関する記述がない。

 自分たちは三重県側から見ているが、滋賀県側から見るのが本当かもしれない。つい自分本位の見方になるが、山の向こう側にも人の営みはある。南半球に住む人たちの使っている地図は南が上になっていて、オーストラリアもニュージーランドも国の形が倒立しているらしい。倒立ではなく、現地の人にはそれがもともとの形なのだ。

 昔むかし、とある村のお寺のたいそう偉いご住職が、「あの峰はお釈迦様の寝姿に見えるじゃろう」と言われた。村人たちはご住職の機嫌をそこねてはなるまいと、「なるほど、そう見えますな」と答えた。忖度に忖度が重なって、みんながお釈迦様に見えると言い出した。今のように画像にして稜線を確かめるわけにもいかず、見る人によってお釈迦様の姿は違って見えた。と、まぁ、こんなことがあったかもしれない。

 姿が違って見えるのはいい。神や仏は人によって姿かたちが違うだろう。しかし、見えないものを見えるというのは困る。後の時代の私たちが難儀をする。お釈迦様は善行を積んだ者にしか見えないとか、学校で楽しいことがあった子どもが、帰り路でふと山を見上げると、お釈迦様が微笑んでいらっしゃるとか、定説がなければこんな現代の民話を作ればいい。

 自転車で出かけた日、私が家路をたどる目印はセブンマウンテンの最北峰、藤原岳である。7つの山の中では凡庸に映る釈迦が岳をじっくりと眺めることはない。山が眠る今の時節にははっきりしないお釈迦様の姿が、山笑う季節にははっきりとみえるかもしれない。山が滴り、粧い始めるころにはどうだろう。四季折々に変化する山容を眺めながら、鈴鹿山麓を走る楽しみがまた一つ増えた。


釈迦が岳遠望(中央左の一番高い峰)
見慣れているはずの山が
眺めつづけていると新しい山に見える

少し近づいてみる
釈迦の姿は見えない

更に近づいてみる
釈迦の姿はやはり見えてこない

無理やり釈迦の姿を思い描く
寝釈迦・涅槃図の釈迦は北枕だとすると…

こういう姿に見えるということか
無理やり見ようとせずに現れるのを待つ…

見慣れているはずの山を
時間をかけて眺める
 
朝な夕なに山を眺めていると
光と影が、翠の濃淡が、
心のひだまでが織り込まれて
ある日忽然と釈迦の姿が現れるのか
春になったらまた来てみるか










2021年1月23日土曜日

アナログ派・デジタル派

  村の寄り合い、今風にいえば自治会の会議でのことである。開始予定時刻の10分ほど前に、年配の人たち全員が会場に揃っていたが、若い人が何人か来ていない。忘れているのではないかと心配した代表者が電話をしようとすると、「若い子は言われた時刻にしか来ない。まだ10分もある。催促するのは早い」と言う人があった。案に違わず、定刻には全員が揃った。アナログ派はゆとりを考える。若いデジタル派はピンポイントで考える。若い人はデジタル派という訳でもないので、「若い」という条件は省いてもいいかもしれない。

 デジタルにないのは、微細な変化の表現である。記憶も情報もありのままに留め、必要なものを瞬時に選び出すことはできても、人の想いに寄り添えるとは思えない。「うーん、どうしようか」と考える余裕を許さない。「ありそうだけれど、ないかもしれない」とか「ちょっと無理をすればでるかもしれない」という発想もデジタル的な思考にはないような気がする。

デジタルの基本は01か、ありかなしかの判断である。01の間を無数の点で埋めても完全には埋まらない。但し、大事な村の寄り合いには必ず参加するという「1」的で律儀な発想はアナログ派の高齢者に多い。

 最近の機械はほとんどがデジタル回路で制御され、動きもデジタル表示で確かめる。ハイブリッドの自動車などは機械なのか電気製品なのかよく判らない。同じ乗り物でも自転車だけはアナログのイメージが強い。脚の力の入れ具合で速度を調整する。乗っている姿勢を変えることで風の受け方を変える。路面の状況を自分の目と伝わる振動で感じ取り、加速したり減速したりする。デジタル回路を使った制御や表示は必要ない。自転車は実に身体の感覚と直結した乗り物である。

 「村の寄り合い」と同じように死語に近い「押しがけ」というエンジンスタートのやり方がある。バッテリーが上がった車やオートバイを人力で押して惰力をつける。その力でエンジンを空転させて、セルモーターを使わずにエンジンに点火する。ポンコツの車やオートバイしか乗れなかった私の若い頃には常套手段だった。電子回路で制御される今の車やオートバイには通用しない。自転車の漕ぎ出しは、常に押しがけをしているようなものである。0か1かではなく、0から1へ緩やかに変化しながら走り始める。

DX(デジタル・トランスフォーメーション)が盛んに言われる。デジタル革命を信奉することで生活が豊かになるような言われ方である。日々の生活も知識や知恵までも電脳にゆだねて、効率や豊かさを求める。時代の流れに逆らう気はないが、自転車のように人に近い機械や人と人との間合いのようなアナログの機微は残しておきたい。

デジタルで表現するすれば
風景の正体は点の集まりである
滲みもくもりも迷いさえもない

点は線になり線は面になる
面は色になり光になり風景になる
目は生真面目に補正をしつづけている

神社仏閣、敬虔な祈り
デジタルはどう表現するのか

冬枯れの野、凍りつく寂静
デジタルはどう解析するのか












2021年1月16日土曜日

ほんとうのことをいうと

  「ほんとうのことをいうと」 詩人になろうと思っていた。今では、生き方もちがうし、詩人らしい雰囲気はないので、そんなばかな、という人が多いだろう。中学生のころには、先行き何になろうなどと考えたことがなかった。本などには縁のない子どもで、池で魚を釣ることや川で泳ぐことくらいしか知らなかった。詩や作文を本気で書くなどということには及びもつかなかった。

 高校生になって出会った国語の先生が、ノートの片すみに書いた落書きのような詩を見つけてほめてくださった。ものの見方が変わっている。こんなふうにものごとを感じる人は少ない。詩を書きつづけたらきっとおもしろい作品ができる…、というようなことを言われた。自分が書くためには、人の書いたものをたくさん読むことが大事、とも教わった。書くこと、そのために読むことを覚えて本の虫になった。毎日のように詩を書いた。できた詩は雑誌に投稿したり、詩を書く友だちと一緒に詩集に編んだりした。

 学校で仕事をさせてもらうようになって、仕事がおもしろくなって、仕事をしているうちに詩を書く日常からは遠のいた。詩人にはなりそこねてしまった。ほんとうのことをいうと、また、詩をつくれるといいと思っている。

 最後に勤務していた学校のPTA広報誌の原稿である。10年以上も前の古いものを引っ張り出した。退職してしばらくした頃、街で出会った高校生に、「もう詩人にもどれましたか?」と尋ねられた。すぐには何のことかわからなかった。彼女は親向けのPTA広報誌を読んで、その内容も覚えていた。退職後は私が詩人になると期待してくれていた。 「ごめん。まだ、詩人になれないままや」というような返事をした。

「詩人の墓」という谷川俊太郎の詩がある。詩人がいかに嘘つきか、ことばとはいかに空虚で傲慢なものかということがテーマのように読める。長い詩のなかの一節。

「男はひとつも花の名前を知らなかった  /それなのにいくつもいくつもの花の詩を書いた  /お礼に花の種をたくさんもらった  /娘は庭で花を育てた」 

男の詩にあこがれて一緒に暮らすようになった娘が、詩人の本性に気づき始める。空虚なことばの世界に生きる詩人と現実の中で生きる娘にはやがて破局がおとずれる。

「先生は生徒の名前もよく知らなった /それなのにいくつもいくつも授業をした  / お礼を言われたりほめられたりした  /他の先生が生徒一人ひとりを育てた」

これでは先生失格。誠実に教員になろうとすると、どうも詩人とは相容れないところがあった。教育はことばを飾らない。私には才能がなかっただけなのに、言い訳のために谷川俊太郎を引き合いに出すとは失礼千万。気が咎める。詩人になれない私が、今は自転車人になろうとしているのだが…。これも、「ごめん、まだなれないままや」というところである。

自転車 この直立する不可思議

自転車 その直進する不可思議

引力も空力も引きはがして
風も過去もおきざりにする

たおれないために走りつづけるのは
意志と脚の強靭さか貪欲さか

つづけると、詩らしきものになっている

 自転車この直立の不可思議
 力学に支えられながら景色の中に遊ぶ
 自転車その直進の不可思議
 私の意志に支えられながら時空を超える

 引力も空力も引きはがして
 風も過去もおきざりにする
 たおれないために走りつづけるのは
 意志と脚の強靭さか貪欲さか





2021年1月9日土曜日

俄(にわか)について

  昨年の年賀状に、自分が自転車に乗っていることを書いて写真も添えた。年賀状に写真を印刷したのは初めてだった。今年は年始の挨拶に加えて、自転車のことをひとこと書いた年賀状をたくさんもらった。いつまでも活動的でよろしいとか、元気があって何よりということばを添えてもらってあった。私も乗っているとか、連れ合いが自転車を愛好しているというのもあった。

 自分が新米教員のころに生徒だった人たちからの賀状には、「歳なのだから身体を労わるように」とか「自転車もいいが気をつけるように」というご注意もある。年齢が近い当時の生徒たちとは友だちのような間柄で、今では励まされたり諫められたりすることが多い。優しいのか厳しいのか、これではどちらが生徒なのか教員なのか判らない。その逆転がうれしいことでもある。

 「自転車まだまだ頑張っていらっしゃいますか? アウトドア・スポーツ、この時代の注目、人気!!  “にわか”が急増しています。気をつけて乗ってくださいませ」という一文が添えられた賀状があった。にわか(俄)。確かにこれは言い得て妙である。前回のブログにはコメントもいただいてあった。「恰好だけは一人前だけど、走っている動きを見ると俄かライダー然とした人が多い気がします」

 にはか(俄)。物事が急に起こる様を表す古語。にわか雨、にわか仕込み。にわかには信じられないといった用法もある。そういえば2019年の流行語大賞にはラグビーの「にわかファン」がノミネートされていた。今更「にわか」に感心しているようでは、かなり流行に乗り遅れている。

 俄(にわか)狂言はどうか。goo書には、「素人が、宴席や街頭で即興に演じたこっけいな寸劇。江戸中期から明治にかけて流行。座敷で行う座敷俄、屋外で行う流し俄などがあり、大阪俄・博多俄などが有名」とある。こちらも「素人」、「即興」がキーワードのようだ。近ごろは、素人なのに知ったかぶりをすること、即興なのに前からつづけているような素振りでいることを揶揄して「にわか」と呼ぶらしい。

 退職後に自転車に乗り始めた自分も「にわか」には違いない。高齢になってから新しいことを始めると、「にわか」に分類されてしまうのであれば、心外なところもある。どんなことでも学び始めるのに遅すぎるということはないはずだ。

 では、私のような高齢者が思い立って、何かをにわかに始めても「にわか」と一線を画するには何が大切か。基礎や基本をないがしろにしないで、丁寧に誠実に学び始めることか。若い先達からも学び、尊敬と謙譲の姿勢を保つことか。にわかライダーと呼ばれないためには、技量力量を自覚して安全に徹した乗り方を心がけることか。自転車の整備や手入れを怠らず、身の丈に合った楽しみ方で長く乗りつづけるけることか。

今年(2021年)の年賀状に使った写真

昨年(2020年)の年賀状に使った写真(春)          


昨年(2020年)の年賀状に使った写真(夏)          

昨年(2020年)の年賀状に使った写真(秋)          

昨年(2020年)の年賀状に使った写真(冬)
自分の姿なんか写真にすると「にわか」の誹りを受けそう…
キリリと自転車だけの写真の方がよろしいような…

          


























2021年1月2日土曜日

新春 初乗り

 元旦には日の出の見える海岸まで自転車で走ると決めている。毎年、同じ場所まで身を切るような寒さの中を15㎞ほど走る。夜型の自分がこのときだけは早起きをする。車で行くのにも一大決心がいるのに、自転車で出かけるとは酔狂にも程がある。

 今年は年末に雪の予報もあって半ば断念していた。確実に日の出が見られると判っていればいいが、期待して出かけても日の出のシーンに出会えないこともある。ちょうどその時刻にだけ水平線に雲がかかるということだってある。行かないと決めれば早起きすることもない。

 初日の出を拝むという風習についてネットで検索すると、「Exiteニュース」というページがヒットした。記事によれば、「元は宮中行事で一年の始まりに行われる四方拝(元日の早朝、天皇陛下が夜明け前に伊勢神宮、山陵および四方の神々に礼拝する年中最初の行事)が庶民の間に広がり、形を変えて継承されてきたという説や、初日の出とともに降臨する歳神様を迎えるために拝むようになったという説」が紹介されている。初日の出を拝むというのは明治時代から始まった比較的新しい習いで世界的にも珍しいのだとか。

 1231日の日の出も12日の日の出も、時刻や場所はほとんど変わらないのだから、元旦の日の出だけをそれほどありがたがって拝むことはない。年が改まるということがご来光を神聖な気分で迎えようという特別な気分にさせるのだろう。

 現役の頃、担任をしていた学級で初日の出を見ながら新年初めの学級会をしたことがあった。そのときの記録が199034組学級通信『さわやか』に残っている。

「初日の出はきれいやった!」  初めて見たという人もいた。もちろん今年の日の出を見るのは全員初めてである。6時半に、集合場所にしておいた城南の灯台に行くと、すでに20名程が来ていた。家から歩いてきたというすごい根性の人もいる。まだ、あたりは暗い。「おーい」「せんせー」と暗い中でみんな呼び合っている。やがて、あたりが明るくなって、真っ赤な太陽の端が海の上にあらわれる。〇めっちゃきれーっ!のぼるのがはやーいっ(恵)〇良い年でありますように…(章太郎)〇 Oh!  Wanderful(公一)〇すごーく きれい。心あらたに1年間がんばる(典子)

 すっかり大人になった当時の生徒に今でも同じ場所で会うことがある。昨年は、やはり懐かしい卒業生が家族全員で来ているのと出会った。「せんせ、自転車で来とるの? 歳のことも考えやな。気ぃつけとってよ」と言われた。別れ際には「来年も元気にここで会いたいね」というお決まりのあいさつになった。来年も、来年もと言って30年も続いている。

 さて、今年の初日の出。諦め気味ではあったが、念のために早く起きて東の空を見るとほのかに明るい。道路が凍結しているわけでもない。行かないという手はなくなった。今年は出かけるのを迷った人も多かったのかいつも行く場所に人影はまばらで、昨年会った卒業生とは会えなかった。太陽は、いつもの年のいつものところから真新しい姿を見せてくれた

迷いながら家を出た
夜明け前のコンビニの灯りに誘われる
空がかすかに明るいので期待はできる

初日の出を待つ空気が冷たい
西の空で去年の月が名残を惜しんでいる

新しい太陽がのぼる予兆

今年は今年の新しい太陽

来年年賀状はこの写真にするか…
鬼に笑われそうではあるが…