冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2022年1月29日土曜日

ワイヤーが切れた

 初乗りのつもりで、今年初めてクロスバイクに乗ったら、変速機を操作するワイヤーがプツリと切れた。何の前触れもなく、変速装置のレバーが効かなくなった。慣れた操作の手ごたえが急に変わると、本能的に危険を感じる。

   昔の自転車は鉄の細い棒でリンクを使ってブレーキを引っ張っていた。変速機はなかった。今は金属のワイヤーでブレーキを引く。変速機もワイヤーを引いたり緩めたりしてギアを替える仕組みである。

 最近は、油圧を使ってブレーキをかける仕組みや、変速には電気式のものもある。スイッチを入り切りする要領で、重いギアや軽いギアに切り替える。システムひと揃えで20万円もするので、高級な自転車が十分買える。自転車もワイヤーレスの時代である。私のクロスバイクは旧来のワイヤー式なので、そのワイヤーが経年劣化や、過剰な力を加えることで切れてしまう。

 下駄の鼻緒が切れるのは縁起が良くないという。野辺の送りで死者を火葬するときに、送る人が履いていた下駄の鼻緒を切って、一緒に燃やす習慣があった。黄泉の国から悪霊がその下駄をはいて蘇えらないようにというまじないらしい。まるでゾンビの世界である。下駄の鼻緒が切れるのは、葬送につながるので凶兆とされた。

 変速機のワイヤーが切れるのも、気分は最悪である。しかし、これは凶兆ではない。変速機のワイヤーが切れても、難儀さえ承知なら走りつづけることはできる。特に前のギアの場合は、ワイヤーが切れると一番軽いギアで固定されてしまう。スピードは出ないが、それほど無理なく走れる。後ろのギアは、構造上、一番重いギアを使う位置に固定される。かなり厳しいが、走れなくはない。

   もしもブレーキのワイヤーが切れたら、これは命取りだ。急な坂を下っているときに、ワイヤーが切れようものなら、大事故につながることは必至である。一般に変速機のワイヤーは直径1.2㎜のものを使い、ブレーキには1.6㎜のものが使われる。ブレーキのワイヤーの方が太いのは、大きな力で確実にブレーキを効かせるためだという。劣化すれば、変速用の細いワイヤーが先に切れる。そのときには必ずブレーキのワイヤーも新しいものに取り換えれば、劣化による切断は未然に防げる。

 ブレーキのワイヤーが切れる前兆を、変速ワイヤーが切れることで教えてくれる。そう考えれば、初乗りでワイヤーが切れてくれたのは吉兆だった。とはいえ、いつも安全第一で自転車に乗ろうとすれば、ワイヤーが切れて吉兆などと喜んでいてはいけない。どのワイヤーも切れる前に交換しておくのが最善策なのだ。1万㎞または12年も使えば交換すべきなのだ。年初めのメンテナンスは、今ある自転車全てのワイヤー交換から始めることになりそうだ。


知り合ったころ
初々しさがある

知り合って時間がたって
今ではいい相棒だ

相棒となら
どこへでも行く

こんなに細いもので
つながっていれば
切れることもある

切れたら
修復すればいい

部品を買い込んだ
お祭り騒ぎだ

慌てることはない
つなぎ直しには
いつだって時間がかかる

修復ができたら
またどこへだって行ける




2022年1月22日土曜日

車上の計算

 冷たい北風の吹く日が多い。自転車は向かい風にはからきし弱い。風の日に乗るには、身体にも気持ちも強さがいる。風に向かって、姿勢を低くして、ひたすらペダルを踏む。思ったようには進まない。

 気持ちが折れそうになるので、がんばりすぎないように他のことを考えながらペダルを踏む。昨日、風に向かって走りながら考えた。こんなにペダルを踏んでいるけれど、いったい、この自転車はどれだけ進んでいるのか。

 これは、簡単な算数である。だがこれは、高等な自転車の科学でもある。ペダルを1回転させると、自転車はどれだけ進むか。

 自転車の前のギアと後ろのギアが同じ大きさ、ギアの歯数は前も後ろも20()と仮定する。ペダル(実際にはクランク)1回まわせば、後ろのギアも1回転する。後ろのタイヤが1回転するということである。スポーツ自転車なら、タイヤの直径は普通70㎝である。タイヤの外周は円周率をかけて約2mなので、ペダルを1回漕げば2m進むことになる。1分間に50回ペダルを回すと100m進む。1時間なら6㎞走れる。時速6㎞である。

 前のギアだけを2倍の大きさ、ギアの歯数を40丁に増やす。ペダルを1回転させれば、チェーンが40コマ動き、後輪はそれに合わせて2回転する。ペダル1回転で2倍の距離を進むので、1時間に12㎞進む。この時、力は2倍必要になる。理科で習う仕事の原理だ。(実用車〔ママチャリ〕はペダル1回転で後輪2.5回転くらいに設定されているので、この組合せに近い)

 後ろのギアを半分の大きさ、歯数を10丁に減らす。前が40丁、後ろが10丁。ペダルを1回回せば、後輪はチェーン40コマ分噛合って4回転する。ひと漕ぎで進む距離が4倍になる。同じペースで1分に50回漕げば、1時間に24㎞進む。時速24kmである。パワーは4倍必要になるが、かなり速い。

 スポーツ自転車は、前に2、3枚のギアをつけ、後ろには10枚もギアを装備して、組合せを2030通りも選べるようになっている。実際には、4対1、3対1、2対1、それに加えて1対1と4通りのギアの組合せがあれば十分である。その間の細かい組合せは、チェーンがスムーズにギアに懸かるためのつなぎと考えればよい。

 マウンテンバイクの場合は、ギアの比率を前1に対して後ろを0.5くらいにできる(後ろのギアの方が大きい)ものもある。これだと、1時間に3㎞しか進めないが、ペダルの重さは半分になる。山を登ったりぬかるみを走ったりするには都合が良い。

 暗算をしながらペダルを踏んでいたら、向かい風の中を、いつのまにか10㎞程走っていた。計算に夢中になって、強風に逆らわないのはいいことだが、自転車の操作がおろそかになるのは危険だ。気をつけたい。

 因みに、計算しながら走っているときに使っていたギアの組合せは、2対1くらいで、10㎞走るのに、45分もかかった。これは1分間に何回ペダルを回したことになるのか。今度風の強い日に乗るときは、この問題を考えることにするか。


風が走る
川面は西高東低

やがて雪が来るか
風が強まる


里はみぞれ
山は吹雪いているだろう
自転車乗りたちに訊きたい
風も空気だと信じられるか

たし算とかけ算で
自転車に乗る

風が吹けばひき算
気持ちはわり算


前に進むのがつらくなれば
風の懐で休む


資料
クロスバイクの後ろのギアを改造
 ①交換後は後ろのギアの最小歯数が2丁減って
  より速く走れるようになったが力もいる
 ②交換後は後ろのギアの最大歯数が2丁増えて
  より遅くも走れるようになり力も軽くて済む
 ③実際に使用する組合せは青く塗ったギア











2022年1月15日土曜日

恋姫山登頂の記

  年末には、走行会仲間四人で、クリスマスライドと称して遠出をする。昨年末は、一人が体調不良で欠席という残念なことになった。全員揃わないので、趣向を変えて、マウンテンバイクで山登りをすることにした。

目的地を探す。養老山地は岐阜県と三重県の境に幅10㎞、延長25㎞の長さで連なる。中央部にある二之瀬越えの鞍部から南は多度山系と呼ばれ、最南端が多度山標高403m。いつも家の窓から見ている山である。山頂までの道はよく整備されていて、車や自転車で登ることもできる。これまでにも何度か登ったことがあるので新鮮味に欠ける。

 国土地理院の地形図で、多度山から北に稜線を辿ると恋姫山がある。岐阜県側から送電線が山を越えていて、それを支える鉄塔が並んでいる辺りだ。林道を辿れば、山の上の鉄塔まで行けそうだ。目的の恋姫山は標高694m

 当日は、朝8時半に北勢線大泉駅に併設される農産物直売店「うりぼう」に集合する。員弁町市之原のトヨタ車体工場の裏手まで走り、そこから林道を登り始める。マウンテンバイクで山登りをするには絶好の時期である。冷たい北風が吹いても、山の中は風があたらない。急な坂を登りつづけるので、汗ばむほどに身体は温まる。夏場なら、蛭、蚊、足元にはマムシという三処攻めにあうが、この時期、その心配もない。

 マウンテンバイクを手に入れて間がないメンバーもいるので、軽いギヤを使って、歩くような速さでゆっくりと登る。それでも勾配の急なところでは息が上がる。100m登った、さらに200m登った、と高度計を見ながら登りつづける。実際にペダルを踏んでいる時間よりも休憩の時間の方が長いくらいだ。まだかまだかと言いながら、稜線と思しきところまで辿り着く。送電線のメンテナンスにでも使うのか、稜線にはよく整備された道が続いていて快適だ。

 しばらく稜線を行くと、恋姫山の三角点の印が立てられていて、地図の通りであれば694mを登り切った。恋姫山から奥に向けて樽沢池、田代池の道標がある。この先はほとんど獣道だ。途中まで進むが、倒木や土砂崩れで道が塞がれている。先へ進むのは危険と見て引き返した。

 今日のところは、恋姫という心ときめく名前の山の頂で、おいしい握り飯を頬張るだけで充分ということにしておこう。自転車のじいちゃんが、よくぞここまで来たものだ。三人並んで食べる山の弁当は楽しい。山頂からの眺望もおいしさを添えてくれる。

 自分の脚を使う山登りとの決定的な違いは、下山である。バイクはサドルに座ったままで下界にもどって来られる。バランスを保つためにペダルの上に立っていることも多いが、登りに較べればこんな楽なことはない。坂道を下る面白さに夢中で、景色を楽しむ暇もない。2時間もかけて登った道を、30分足らずでいとも簡単に下りきった。


登りはじめる
ここからは
ただ一つの道を行くと決める

少し登る
振り返りたくなる

疲れたら休む
眺めを楽しむ

疲れが癒えたら登ればいいし
疲れすぎたら引き返せばいい

恋姫山を指すこの道しるべは
いつから待っていてくれたのか

毅然とした矢印は
嘘くさい気もするが
その先に行きたくもなる

憧れていたところまで辿りついて
いつもの居場所を確かめている



参考資料 国土地理院地形図より


2022年1月8日土曜日

初日の出を撮る

 初日の出。当たり前のことであるが、今年最初に見る太陽である。ご来光を拝むというのは信仰の対象にもなっている。私の場合は、信仰心からではなく、新しい年を迎えたという実感がわかないので、初日の出を見に行くという程度のことである。

次の年の年賀状に使う写真を撮っておきたいという下心もある。元旦の日の出でなくても、もっときれいな日の出の朝があるだろうけれど、初日の出というところにこだわりたい。自転車で、夜明け前に出かけたというアリバイ作りもしておきたい。自転車と初日の出を1枚の写真におさめるというのは、年初の個人的で密かな行事なのだ。

太陽信仰はいつの時代にも、どこの国にもあるようだ。日本の太陽神といえば天照大神である。古事記の世界では、彼女は弟の須佐之男命(スサノオ)の乱暴狼藉に耐えかねて、天の岩屋戸に閉じこもる。女神アマテラスが身を隠したので、高天の原(天上界)も葦原の中つ国(地上界)も闇に閉ざされる。

闇の世の中には、悪神や悪霊が跋扈(ばっこ)し禍が生じる。心配した八百万(やおよろず)の神々が集まり、アマテラスを天の岩屋戸から呼び戻そうと躍起になる。思金神(オモイカネ)の発案で、岩屋戸の前で長鳴(ながなき)(とり)(鶏)に鳴かせ、天宇受売命(アメノウズメ)はストリップまがいの踊りを披露する。何事かと思って、アマテラスがのぞいたところを、手力男神(タヂカラオ)が、岩屋戸をこじ開け、外に引き出すというのが、アマテラス引きこもり事件の顛末である。

今年の初日の出は、無理やり雪雲の合間から太陽を引き出したようなところがあった。明るくなった東の空から、ちょっと顔を出した太陽を写真に撮るのは、さしずめ手力男神になった気分である。岩屋戸をこじ開けて、女神を呼びさますことができた。

 前日の大みそかは、朝から雪が舞い、午後には少しずつ積もり始めた。例年、庭を掃き清めるとまではいかなくても、簡単に掃除をし、しめ縄を玄関に張る。大みそかには、新しい年を迎える最後の準備をする。雪が降るので、掃除もそこそこにしめ縄を張り終えた。初日の出はとても見られそうにないだろう。凍結の恐れのある道を、自転車で出かけるのは到底無理なことだ。

 元旦には、それでも、早起きをした。5時過ぎに目覚めるとまだ雪が降っている。道路にはうっすらと雪が積もっていて、その下は凍結している。自転車で出かければ転ぶのは必定。それでもテレビを点けると、東海地方では初日の出が見られるという。ならばと、家の近くで田んぼの広がるところまで、車に自転車を載せて出かける。日の出の位置を予測して自転車を降ろし、雪の中で待つ。不思議なことはある。日の出の時刻直前に、雪はやみ、雲はきれ、太陽が昇った。ヤラセ気味ではあるが、初日の出と自転車を撮ることができた。 


ほんの今まで
雪が降っていたのだ
この静けさはどうだ

雪が積もっているのは
出かけない理由になる
出かける理由にもなる

やらない理由をさがすより
何かをする理由を見つける

居場所を変えれば
太陽もついてくる

じっと待つ
明るくなる





2022年1月1日土曜日

走りつづける

  毎週、金曜日から土曜日に日付の変る時刻に、ブログのページを更新すると決めている。初めのころは、土曜日の0時になるのをコンピュータの前で待っていて、「更新」のボタンを押していた。ブログ作成ソフトに、更新する日時を予約できる機能があることを知らなかった。

 ボタンをクリックするために、深夜0時を待つ必要はない。記事が完成したら、更新日時を入力しておけば、自動で更新してくれる。放っておいて寝てしまっても、他のことをしていても、プログはその時刻になれば更新される。準備した原稿や写真が未完であっても、時刻が来れば新しいページは公開されてしまうという難点もある。

 今回のブログの更新は、新しい年を迎えるのと同じタイミングになる。1年の総括をしたものか、はたまた、年初にふさわしい抱負などを書いておくべきか。どちらもわざとらしい気がして、焦点が定まらない。

 新しい年への変わり目は、今年といったり去年といったり、2021年と22年が入り混じって紛らわしい。瞬時に年は入れ替わり、新しい年を迎える。それだけのためにやるべきことが多すぎる。年末の整理と新しい年の準備にあわただしい。新しい年にそれほど気を遣う必要もないと思うが、つい気になってしまう。

 1年を振り返れば、今年は、自転車で1万㎞を走った。2年ほど前に、いつも乗っている3台の自転車の走行距離の合計が9,976㎞になったことがあった。あと25㎞走れば、1万㎞を超える。1年で1万㎞を超えてしまうと、次の年も同じだけ走らなければならないような気になるのではないか。そう思って、9千㎞台でやめておいた。

 2021年は、気がつけば1万㎞を超えていた。1230日の時点で、ロードバイクで、4,497㎞。クロスバイクで、3,258㎞。マウンテンバイクでは2,970㎞を走った。3台の自転車の走行距離もほぼ均等で、なかなかうまく乗り分けている。走行距離の合計は10,725㎞になった。

 自転車の写真もかなりの枚数を撮った。毎回のブログに5枚は貼り付けるとして、年間で250枚を超える。その倍くらいの枚数を撮影しているので、500枚は超えているだろう。自転車に乗っていなければ、どちらも無縁の数字である。

 どんなことでも長く続けていれば、見たことのない世界が見えるという。これまで縁のなかった数字が現実のものになるということかもしれない。12日には誕生日を迎え、70歳になる。70歳というのも初めての数字だ。何しろ、「人生七十古来稀なり」である。70歳になって、どんな生き方ができるか、どう生きるか、自分でも楽しみだ。

 数字や記録にこだわって、頑張りすぎるのは面白いやり方ではないけれど、走れるうちは走りつづける。歩けるうちは歩きつづる。動けなくなってもしゃべりつづけ、書きつづけるくらいのつもりではいる。

きのうは去年だったのに
きょうはもう今年だ
時は素早く入れ替わる

古来70歳は稀だというが
生まれて生きていることが稀なのだ

稀に生まれてきたからは
西にも行くし東にも行く

直立する2輪の魔法で
南にも行くし北にも行く

走れるうちは走りつづける
歩けるうちは歩きつづける

  
       走れなくてなっても
       歩けなくなってても
       動けなくなってても
       憧れることはできる



備忘録:
目標とか記録とか
威張ることでもないけれど
新しい数字は新しい世界だ