冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2023年8月26日土曜日

忘れていたこと

  3台所有している自転車のうちで、マウテンバイクが一番新しい。新しいとはいえ、この夏で手に入れてちょうど5年になる。

 家から半径15㎞以内の所は、ほとんど走り尽くした。走ったことのない道はほとんどない。あとは舗装のしてない道や、勾配がきつくて登れそうにない道を、もう少し先まで行ってみたい、そのためにマウンテンバイクが欲しいというのが購入の動機だった。

 初めて手に入れたクロスバイクは、一回の走行距離を平均すると30㎞から35㎞である。ロードバイクの場合は50㎞前後。長い時間乗ることが多しスピードも速いので、一回に走る距離数も長くなる。

 マウンテンバイクはというと、走行距離は長くても50㎞、普段は20㎞くらいである。未舗装の道路や河川敷、勾配の急な山道を選んで走るのだから、一度に走る距離は短い。速度がぐんと遅いので、毎回乗っている時間は他の2台とそれほど変わらない。

 今週、マウンテンバイクの走行距離を確かめたら、購入してから9,700㎞になっていた。もう300㎞で1万㎞に達する。マウンテンバイクは作りが頑丈で、多少乱暴な扱いにも耐えてくれる。ロードバイクのように、フレームやホイールの作りが繊細ではない。少し汚れているくらいの方が、山道を走り回る自転車というイメージに合う。手入れも他の自転車に較べるとおざなりになりがちだ。

 酷使に耐えるとはいえ、乗りはじめてから1万㎞にもなれば、いろいろなパーツを交換する時期が来ている。遅いくらいかもしれない。自転車に乗るのを中断していたら、整備の方もすっかり意識から遠ざかっていた。交換する予定で買いおいた部品のあることも忘れていた。不思議なもので、走り始めると意識の外に追い出されていたことが蘇えって来る。ちょっと忙しくなりそうな予感がする。

意識の外にいたものが
ある日蘇える

もう忘れていた場所を
思い出して辿り着いた

傍若無人に意識の中に
踏み込まれることもある

しばらく来なかった
風景の中に佇む

しばらく走らなかった
道を走る

遠ざかっていた音を
今日は身近に聴いている



2023年8月19日土曜日

台風一過

 台風7号が我が家に近いところを通り過ぎた。雨、風ともにかなりひどかった。甚大な被害を受けられた方もあって、通り過ぎたことを喜んでばかりもいられない。

 子どものころ、「たいふういっか」と聞いて、「台風一家」だと思っていた。台風のように波風を立てて、争いの絶えない家族、または、騒々しい人ばかりのうるさい家のことをいうのだと、勝手に解釈していた。

 では「台風一家のすがすがしい秋晴れ」はどうイメージしていたかというと、喧嘩の絶えない家族にもつかの間平穏な時間がおとずれて、家族全員が幸せな気分にひたっていることの喩えだと思っていた。子どものたわいない思い込みとはいえ、少し笑える。

 「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などの上に、よころばひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね」

 これは清少納言が『枕草紙』に書いた台風の過ぎたあとの情景である。何ともおっとりとした台風一過の有様である。べーえんべーさんの前回のコメントのように、ヒマワリが「よころばひ伏せ」っていると「いと思わずなり」などと悠長なことはいっていられない。深刻な被害を思うと申し訳がない。

 ここしばらくは本格的に自転車に乗っていなかった。台風が過ぎ去ったのをきっかけに、しばらくぶりに自転車に乗ろうと思って出かけた。ひと月半も乗っていなかったので、身体はすっかりなまっている。ペダルを漕ぎ出すのが億劫に感じられる。

 走り始めて20分ほどしたところで、こともあろうに後輪のパンクに見舞われた。どうも「台風一家」のようにドタバタしている。台風一過の晴ればれとした気分で自転車に乗れるようになるには、しばらく慣らし運転がいるようだ。 

荒かりつる風のしわざ

稲穂が実り始めた

野分に耐えて広がる

この夏は
夏として
定まらないままに

足早に去ろうとしている


2023年8月12日土曜日

お膳立て

 釣り好きの友人が、釣りの情報ではなくて自転車のイベント情報を教えてくれた。「イナくる」といういなべ市内を自転車で回るスタンプラリーのような催しのことである。コロナウィルスが拡散する前から開催されているのは知っていた。今年は115日に開催される。

 よく似たイベントで、「いなべヴェロフェスタ2023」というのもある。こちらは95日に開催予定で、「いなべ市内に配置されたチェックポイントを好きなルートで走って写真を集める、散策形式のロングライドチャレン」と案内されている。

 地元のこういったイベントに参加しますかという友人のメールに、参加しないと即座に返事をした。高額の参加費を払って食べ歩き(走り)をしなくても、地元のことは判っているつもりだ。コースや見どころも、イベントで紹介されなくても知り尽くしているという自負がある。しかも、イベントにありがちな自転車やウェアー自慢のような雰囲気にもなじめない。

 毎年楽しみにして参加している人もあるだろうし、特別な催し物ならではの体験もできるだろう。参加しないと味わえない面白さを、自分が知らないだけかもしれない。

 釣り好きの友人に聞いたところでは、海上釣堀というのが流行りだそうだ。広い海があるのに、海を囲った生け簀の中で、人が捕った魚や養殖した魚を釣って面白いかどうか。これもやってみないことには判らなが、どうもお膳立てが過ぎるような気がする。

 身体ひとつで海外に出かけ、現地で準備してもらったオートバイで決められたコースを巡るツアーなどもあるようだ。これがオートバイの旅といえるのかどうか。お膳立ては誰かに任せておいて、お金さえ払えばいっぱしの体験できるというのはいかがなものか。

 しばらく自転車に乗っていないので、他の人のやることに毒づいてしまった。人が何をしているかはともかく、自分は自分で自分のためにお膳立てをして、日々の小さな自転車の旅を再開したい。 

参加してみれば
発見があるかもしれない

やってみなければ
面白さは判らない

とはいえ
自分は自分の道を
自分流にいく

予期せぬ出会いを楽しんだり

景色を独り占めにしたりしている




2023年8月5日土曜日

夏場の過信

  しばらくぶりに自転車に乗った。梅雨入りのころから乗っていなかった。少しずつ高くなる気温に身体を慣らすこともなく、突然夏の炎天下に漕ぎ出すことになる。

 自転車の点検は怠りなくすませた。走り出す前に水分を十分に摂った。かなり用心をして漕ぎ出す。走り始めてしまえば何ということもない。風は心地よく、ペダルは快調に踏める。これなら、かなりの時間、それなりの距離を走れると思い始める。

 ひと月半程度のブランクはそれほど影響していない。去年の夏と同じようなペースで走れるだろう。そう思って走るうちに、どうも勝手が違うことに気がついた。

 ちょっと走れば、カーブを曲がる感覚やブレーキをかけるタイミングは蘇える。ペダルを踏む脚の様子も悪くない。違和感は、腕から肩、首をつたってやってきた。腹筋と背筋に粘りがない。身体を支える力が落ちているらしい。だるい。どうも力が入らない。

 ずっと乗りつづけていれば気がつかないが、休んでいたので気がついた。自転車は脚力だけで走らせているのではない。筋力のバランスや気候との折り合いが必要なのだ。

 昨年は毎日のように走りつづけていて、夏場の遠乗りにも出かけた。あるとき、身体に異変を感じることがあった。自転車がなかなか前に進まない。身体の力が出ていない。熱中症の手前かもしれない。悪い予兆だ。

 街中を走っていたので、パチンコ店に入った。冷房のよく効いた場所で、冷たいものを飲んで身体を内側と外側から冷やす。身体の感覚が戻ったところで、ゆっくり走りだす。その後も、ドラッグストアやコンビニに入って身体を冷やしながら帰宅した。かろうじて事なきを得た。

 少し我慢をすれば大丈夫、これくらいはいける、という夏場の過信は命取りになる。何しろ71歳。自分で自分の限界を知らなくてはいけない。あと10年は自転車に乗るなどと、自分の体力を過信せずに、先ずは明日もう一日だけ走れるコンディションを整えることにする。

炎天下へ出ていく
空も道も葉陰も
焼けている

水分をとっても
休憩をとっても
炎暑は容赦ない

強い日差しがつくる
濃い影は
地面にめり込む

あと少し
もうちょっとと
無理はしないことだ

ハスの葉の陰にでも
身を隠したい

過信は捨てて
樹の下に宿る