冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年9月25日土曜日

自転車関連本のこと

 2012年の春、「じぃちゃんは退職金をもらったので、フェラーリを買うぞ」、と孫に宣言した。コンピュータを開き、孫と一緒に売りに出ているフェラーリを探した。R/C 1/20  フェラーリ FXX2,019円。太っ腹で、姪の息子にも1台買った。R/C 1/32エンツォ・フェラーリ、1,173円。ラジコンのフェラーリ2台、総額3,192円。アマゾンの購入履歴に残っている。実車なら中古でも2台で3千万円を下るまい。

 おもちゃのフェラーリを探していて、自転車にもフェラーリ製があるのを見つけた。コルナゴ、ビアンキといったイタリアの高級自転車メーカーとフェラーリがコラボして作った100万円を超えるものから、3万円で買える中華バイクまである。スポーツ自転車に興味がなかったので、値段による違いはよく判らない。自転車とはこんなに美しいものだったかと、改めて気づくきっかけにはなった。

 その夏、クロスバイクに乗らせてもらう機会があって、スポーツバイクの面白さが見えた気がした。自転車に関する本や雑誌を買ってみた。最初の一冊は『街乗り&通勤バイクカタログ 2012』(枻出版,2012)。次に『自転車と旅 週末の自転車の楽しみ方』(実業之日本社,2011,Vol.5)。この2冊とネットの記事の乱読で、自分は近々スポーツバイクを買うだろうなという予感がした。

 秋口にはネット通販でクロスバイクを買った。通販店が『要点早わかり ロードバイクメンテナンス』(枻出版,2008)という本をおまけに付けてくれた。これがよくできた手引書で、今も自転車いじりには欠かせない。自転車の整備をしながら汚れた手でページを開くので、この本はオイルや泥で真っ黒になっている。

 自転車を手に入れてからは、自転車関連本が書架に並ぶようになった。            

 整備や構造に関する本では、『ロードバイクの科学』(スキージャーナル,2008) 『クロスバイクがいちばんわかる本』(スタジオタッククリエイティブ,2011) ・『自転車組立、検査及び整備マニュアル』(日本車両検査協会,2020) といった具合だ。

 乗り方や効能、自転車旅に関する本を推薦するなら、・丹羽隆志『大人のための自転車入門』(日本経済新聞社,2005) ・米津一成『自転車で遠くへ行きたい』(河出文庫,2012) ・疋田智『だって、自転車しかないじゃない』(朝日新聞出版,2013)  ・石田ゆうすけ『行かずに死ねるか 世界95千㎞自転車ひとり旅』(幻冬舎,2009といったところか。

 電子本なども合わせればかなりの冊数になるが、中には読まなければよかったと思う本もある。自転車に乗れば簡単にダイエットができるといってみたり、無用な高級自転車を薦めたり、そんな本は眉唾物だ。本は選んで、乗ってから読み、読んでから乗れば、自転車の面白さが広がる。先達がいない自分には、自転車に関する書籍が何よりの道しるべなのだ。


雑誌やカタログは保存したい物だけにして
人にあげたり処分したりしてもまだ貯まる

石田ゆうすけ『行かずに死ねるか…』
これは自転車に乗らない人にもきっと面白い
           
電子ブックも何冊かタブレットに保存中
志賀直哉さんも、朔太郎さんも、
漱石さんだって、自転車での失敗は多い

秋、好天、曼殊沙華妖艶
本を読んでいる暇はない

秋、紺碧、曼殊沙華炎上
本は机上に開けたままで

秋、明澄、曼殊沙華昇華
本は書架にしまいこんで

空と華は溶けあい
青と朱が染めあう
秋色の光のなかで
いなごがとまどう








2021年9月18日土曜日

このブログ

  このブログの更新が先月で100回を超えた。YouTuberBloggerは世界中に数多あまたる。自分一人インターネット

 自転車で出かけるようになって、行く先々で写真を撮った。自転車でなければ通らないような道や沿道の景色が珍しいし美しい。用途の違う自転車を乗り換えて出かけるようになって、写真を撮影する場所や枚数が増えた。撮りためた写真を見ていて、その印象をまとめておこうと思いついた。

 その頃、公民館で文学講座の講師のようなことをしていた。講座の内容に自信が持てず、受講料をいただいてまで聴いてもらうのは心苦しいので講師を辞した。学校で仕事をしていた頃には、入学式や卒業式の式辞を文章にして練ったり、短い文章を書いたりする機会があった。現役を退き、引き受けていた講座も辞めたので、読み手を意識した文章を書かなくなった。

日記は、20年来毎日書いている。ここ10年ほどは、1000字ぴったりと字数を決めて書く。人に読まれることはないので、起承転結、序破急などという構成は考えない。推敲もしない。誤字脱字もそのままの書きっ放しである。

 そうだ、ブログにして写真と文章を公開しよう。人の目にふれる文章を書こうとすれば、下手なりにまとまったものにしたい。写真に短い言葉をつけて公開するだけでは芸がない。写真を貼って、「今日は100㎞走った!風が心地よい」「見知らぬ道に迷い込んだ。迷って正解!!」などとやっても、だいいち自分が面白くない。

 撮りためた写真を見ながら、文章を書く。公開版の自転車日記、絵日記ならぬ写真日記である。しばらく書いてみて、文章は1200字と決めた。ワードで400字詰め原稿用紙の罫線を作っておき、3枚目の最期の行まで埋める。それをブログ作成ページにコピーする。余程面白い文章でないと、読んでもらうには長すぎるが、多くの人に読んでもらうことよりも、自分の文章修行が目的である。

 ブログを開設した当初は、一気に何ページも公開した。これは長続きしない。毎週1回更新するというペースにおさまった。

 駄文ではあるが、べーえんべーさんには毎回丁寧に読んでもらい、コメントをいただく。これは励みになる。今年の年賀状にブログのことを書いたら、閲覧数が増えた。中学校で教えた当時の生徒やかつての同僚が、近況が判るといって読んでくれる。ときどきは感想をメールしてくれる。個人的なメールの内容が面白いので、コメント欄にも書いてほしいが、公開するのは抵抗があるらしい。

 自転車にまつわる話題と決めているので、こじつけになることもある。自転車で身体を動かし、ブログでちょっと考える。週1回の更新は、適度のプレッシャーになり、ストレスの耐性をつけるのにもちょうど良い。しばらくは、勝手気儘に書きつづける。

夏、遠くまで行った
わだちがそこに残る
心象は私の中に残る

心象が無造作に
積み上げられる

自転車を停めた所が
今日の私の居場所だ

ダム湖の向こうに
早い秋が来ている

走りはじめて思う
今日は、もう秋だ


2021年9月11日土曜日

走行会受難

  不定期とはいいながら、週に一度は走行会を行う。四人いるメンバーが、それぞれに災厄に見舞われ、走行会は受難続きである。メンバー全員が70歳になろうかという年齢で、病気、怪我、事故に失敗と次々に降りかかって来ても不思議ではない。同情、なぐさ、心配や憂慮という気持ちは抑えて、事実だけを挙げる

 昨年の夏、自分自身が膝の痛みに襲われてしばらく走行会を休んだ。普段は縁のない医者にも掛かった。無理をせずに、ときどきは無理をして、自転車に乗っているうちにかなり良くなったが、完治はしていない。

 一昨年暮れには、メンバーの一人に癌がみつかり、しばらく走行会を欠席した。今年になって、すっかり良くなり本格的に自転車に乗りだした。復帰も束の間、木彫り細工をしていて、カッターナイフで指を切った。かなりの深手で、またしても欠席が続いている。指の神経が切れているので、今もリハビリ中である。指は十分曲がらないが、少しづつ自転車に乗り始めた。

 86日、別のメンバーからメールが届いた。「石垣の草取りの最中に誤って羊歯に紛れた蜂の巣をむしり取り、右手指を5か所も刺され…医者に駆け込みました」。825日、同じメンバーから、「除草に使った噴霧器を洗浄、腰を伸ばしたところ出窓の端で額を切り…、医者に駆け込みました」。自転車にはすぐにも乗るつもりらしい。

 さらに別のメンバーから、「肩から肘にかけて痛みが走るので整形外科で診てもらったら、頸椎症と診断され…」「主治医の先生からは、自転車で走るのは、首が固定され負担がかかるので、良くなるまでは自重したらとのこと…」とコメントがあった。主治医に止められても、自転車は11時間と勝手に決めて乗っている。腕が痛むからか、自転車で出かけてカメラを地面に落とし、全損するという災難が重なった。

 走行会の仲間宛に、「みなさん受難続きの折柄、『日々是警戒』ですね。私も自戒します」というコメントを送った。その矢先、自分が、またしても災厄に見舞われた。身体の不調ではないので比較にはならないが、かなりの痛手だ。

 はなはだ尾籠(びろう)な話ではある。自転車で出かけてもめったにトイレを使うことはないのに、昨日にかぎって通りがかりの公園のトイレを借りた今どき珍しい汲取り式和式便所である。用を足し終え我が分身たちとは別れを告げたはずなのにさらにポトンと音がした。さてはとズボンのポケットに手をやる果たして、あるべきはずのスマホがない。茫然自失、そしてそのあと奈落の底へ、スマホは便所の底へ深く沈んだ。

走行会を代表して、私が厄落としを引き受けた。運はしっかり身方についたことだろう。ここらで受難の連続を断ち切りたい。歳とともに身体能力も注意力も衰える。それは承知で、それでも、リスクを恐れていたのでは「日々是自転車」は楽しめない。明日に向かって、我と我が身を励ますのみだ。

夏、去る
そっと見ている

夏、去る
そっと見おくる

 難儀なことはあっても
 その先には展望もある

今日、今年最後の夏に別れをつげた
来年、また会う

止まれといっても
止まってくれないものもある
止まれといわれても
止まれないときだってある
それでも時には止まって
休んだり考えたりしながら
また前にすすむ










2021年9月4日土曜日

自転車の趣味

 「趣味の自転車」については書いた。これは、NHK「趣味の園芸」や文化センターの講座などにある「趣味の陶芸」などと同じである。どんな自転車を選び、どこをどう走り、どうやって自転車を楽しむかということである。                     

ならば「自転車の趣味」とは何か。自転車に魅せられ、自転車を趣味にして、さらに深みにはまっていく。好みの形や色、走り方に合わせて自転車を選び、多少の改造もする。ここで「自転車の趣味」が問われる。思わず乗ってみたくなるような自転車もあれば、乗るのをはばかられるようなものもある。

好みは主観によるところが大きいが、自転車そのものの味わいや醸し出す雰囲気、はたまた乗り手との相性が「自転車の趣味」の良し悪しを決めているような気がする。

先日、走行途中に休憩をしていて見かけた自転車は、ロードバイクらしくない極太のタイヤが装着されていて、多少の不整地なら平気で走れそうだった。他にこれといった特徴はないが落ち着いたフォームである。乗り手は自分と同年輩と見受けられる。どちらからともなく挨拶をかわし、ちょっとした自転車談義が始まる。

「シクロクロスですか」と尋ねると、「いやぁ~、よく判らないです。一人でゆっくり遠くまで走れるように、年寄り向けに(自転車を)組み直してもらいました」との返事。特に自転車の特徴や性能を誇示することもなく、淡々とした調子。乗り手も自転車も静かな(たたず)まい心底ロングライドでい様子がうがえる。こういう乗り方もいいなぁと思った。自転車趣味がいいであ

 同じ日、追い抜きざまに声をかけてくるライダーがあった。サングラスとマスクで顔が見えず年齢は不詳。ぞんざいな口の利き方からすると、こちらの方が若輩と見られたか。「ラレーのクロモリ、いいなぁ」とまずはこちらの自転車を褒めてくれた。

 その後は、自分もラレーの自転車を持っていること、今乗っているのはカーボンフレームで、高価なものを値打ちに買ったこと、イタリア製のフォンドリエステという高級車も持っていて、それは気軽には乗れないこと、などなど。並走しながら自慢話を延々と聞かされることになった。つい「フォンドリエステなら私の友だちも乗っている」とやり返しておいた。

 その人の自転車は、本人が自慢するだけに立派で速そうだったが、自分には同じような自転車で同じような走り方は出来そうにない。

 自転車や部品に高額を費やし、性能を競うわけではないので、有名なブランド名や高性能の部品のことをいわれても、判らないことが多い。よく手入れされていて、走ることが楽しそうな自転車には、素人目にもいい趣味が伝わる。

 「自転車の趣味」を見ると、乗り手の嗜好が反映していて、人となりまでうかがえる気がする。高性能ばかりを主張している自転車よりも、趣のある自転車とそれを楽しんでいる人には()れるがあ


趣味のベクトルは千差万別
強いることなく強いられることもなく

趣味はそもそも独りよがりだ
誇示せず吹聴せず
自分の決めた方に行く

いつもの走行会には
思い思いの愛車で
それぞれの愛着をもって

ご近所の人たちと遠出
それぞれに趣のある自転車で
較べず競わずゆっくりと

趣のある背景を壊さない程度には
趣味の良い自転車だといいのだが…

そのときその場から
浮いてしまわない
自転車と私だといいのだが…