不定期とはいいながら、週に一度は走行会を行う。四人いるメンバーが、それぞれに災厄に見舞われ、走行会は受難続きである。メンバー全員が70歳になろうかという年齢で、病気、怪我、事故に失敗と次々に降りかかって来ても不思議ではない。同情、慰め、心配や憂慮という気持ちは抑えて、事実だけを挙げる。
昨年の夏、自分自身が膝の痛みに襲われてしばらく走行会を休んだ。普段は縁のない医者にも掛かった。無理をせずに、ときどきは無理をして、自転車に乗っているうちにかなり良くなったが、完治はしていない。
一昨年暮れには、メンバーの一人に癌がみつかり、しばらく走行会を欠席した。今年になって、すっかり良くなり本格的に自転車に乗りだした。復帰も束の間、木彫り細工をしていて、カッターナイフで指を切った。かなりの深手で、またしても欠席が続いている。指の神経が切れているので、今もリハビリ中である。指は十分曲がらないが、少しづつ自転車に乗り始めた。
8月6日、別のメンバーからメールが届いた。「石垣の草取りの最中に誤って羊歯に紛れた蜂の巣をむしり取り、右手指を5か所も刺され…医者に駆け込みました」。8月25日、同じメンバーから、「除草に使った噴霧器を洗浄、腰を伸ばしたところ出窓の端で額を切り…、医者に駆け込みました」。自転車にはすぐにも乗るつもりらしい。
さらに別のメンバーから、「肩から肘にかけて痛みが走るので整形外科で診てもらったら、頸椎症と診断され…」「主治医の先生からは、自転車で走るのは、首が固定され負担がかかるので、良くなるまでは自重したらとのこと…」とコメントがあった。主治医に止められても、自転車は1日1時間と勝手に決めて乗っている。腕が痛むからか、自転車で出かけてカメラを地面に落とし、全損するという災難が重なった。
走行会の仲間宛に、「みなさん受難続きの折柄、『日々是警戒』ですね。私も自戒します」というコメントを送った。その矢先、自分が、またしても災厄に見舞われた。身体の不調ではないので比較にはならないが、かなりの痛手だ。
はなはだ尾籠な話ではある。自転車で出かけてもめったにトイレを使うことはないのに、昨日にかぎって通りがかりの公園のトイレを借りた。今どき珍しい汲取り式の和式便所である。用を足し終え、我が分身たちとは別れを告げたはずなのに、さらにポトン、と音がした。さてはとズボンのポケットに手をやるが、果たして、あるべきはずのスマホが、ない。茫然自失、そしてそのあと奈落の底へ、スマホは便所の底へ深く沈んだ。
走行会を代表して、私が厄落としを引き受けた。運はしっかり身方についたことだろう。ここらで受難の連続を断ち切りたい。歳とともに身体能力も注意力も衰える。それは承知で、それでも、リスクを恐れていたのでは「日々是自転車」は楽しめない。明日に向かって、我と我が身を励ますのみだ。
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夏、去る そっと見ている |
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夏、去る そっと見おくる |
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難儀なことはあっても その先には展望もある |
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今日、今年最後の夏に別れをつげた 来年、また会う
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走行会4人のみなさんの平均年齢は60代後半のようで、究極の話、四捨五入(下2桁を)すればみなさん100歳です。当然、つまらない失敗が増えてきますよね。
返信削除でも人間って、今の自分を中心に考えるので、自分はまだまだ若いと思っているし
老化現象を受け入れたくないはず。
とはいえ、自身の身体の変化や思わぬミスが目につきだすと、それを認めざるを得ない部分が出てきます。
火野正平さん曰く『人生下り坂、サイコー!』がベストアンサーですかね。
現在の自分をしっかり理解し、背伸びはせずやりたいことやれることに挑戦していく。
この世に生まれて去っていくまで、どれだけ楽しく充実した人生にするかですね。
MARIOさんの生き方が、とても参考になります。
なるほど、10の位を四捨五入するという手がありますね。50歳を超えれば、100歳も同じ。年齢などは気にせずに、大きなしばりで生きていけばいいということですね。
返信削除楽しく充実した毎日とばかりはいきませんが、今日が人生最後の日でも、まぁいいかと思えるようにしておけたらいいですね。
現役を退いたとはいえ、ストレスフリーというわけにもいかず、それなりに思い煩うことが全くないというわけでもありませんが、自転車を楽しんでいられるというのはありがたいことです。登り坂で頑張った分は、下り坂でサイコーに楽しめまないと損ですね。