’26.5.8 一期は夢よ

2026年6月20日土曜日

若者の夢

  高校3年生になる元同僚のご子息がロードバイクを買った。今から5年前のことだ。大学受験の準備で急に部活を止めると身体がなまるといってロードバイクを手に入れた。走り方がよく判らないので、一緒に走って欲しいと頼まれた。

 爺さんの自転車乗りではあまりお手本にはならない。走り方指南はできないが、お互いに安否の確認くらいはし合える。平坦路やアップダウンのあるコースを何度か二人で走った。ずっと野球を続けていた18歳の運動能力は老人の比ではない。すぐに巧くて速くなった。

 受験準備が忙しくなって、一緒に走ることはなくなった。大学に入学してからも自転車をつづけていることは伝え聞いていた。

 先日、元同僚と会ったときにご子息の話になった。当時の高校生が、この春小学校の教員になった。大学時代には近くの学童保育所を手伝っていたとも聞いた。驚いたことに、手伝っていたのは我が家の孫がお世話になっている保育所ではないか。

 学童保育所に大学生の先生が来てくれていたかと孫に訊いてみた。孫は、どうして爺ちゃんがその人を知っているのかと怪訝そうな顔をした。自分の良からぬ話でも聞いたのではないかと、少し身構えた。何分、小学4年生のやんちゃ盛り。ヤバい話もあるだろう。

 その人は、ずっと前に爺ちゃんと一緒に自転車で走ったことがあるというと、安心したらしい。あの先生は、めちゃ優しくて面白いで。走るとめちゃ速いし、オートバイを乗りこなしとるで、と話しはじめた。

 夢が叶って小学校の先生になったので、もう学童保育所には来られない、と孫は残念がっていた。学童保育所を手伝う若者が子どもたちに夢を語る。若者の夢が叶ったことを子どもたちが喜んでいる。そこには素晴らしい出会いがあったようだ。

 わずかな時間だったが自転車で一緒に走った若者の後日譚を、自分の孫から聞けたのは思いがけない喜びだった。


ここに立ちつくしている出会い

追いかけ追いつき
追い抜いて行く出会い

時の流れに架けた橋を渡り
時が渡っていく橋をくぐる

ここでは新しい出会いが
また夢の種を播いている


 

2026年6月13日土曜日

買う理由・買わない理由

  石油由来の原材料を使う製品が値上がりしている。今後はもっと値上がりするだろう。材料が安くなったとしても、一度高くなった物の値段が元通りに安くなるとは考えにくい。

 年金生活者にとって、生活必需品の値上がりは厳しい。食料品や衣料、電気や燃料などを買わない理由はみつからない。

 エアコンが壊れる、冷蔵庫が冷えなくなる、洗濯機が動かない。かなりの出費を強いられても、買わない理由など探していられない。買うしかない。問答無用。

 現役で仕事をしていた頃には、夏冬のボーナスというありがたい収入があった。使えなくなる前から、大画面のテレビに買い替えるとか、新しいパソコンを買うという計画が立てられた。まだ使えるし勿体ないなどと買わない理由を並べても、都合のいい買う理由を探して、よし買ってしまえ、と決断をしていた。

 もしも、現役時代から自転車を趣味にしていたら、自転車にかける費用も違っていただろう。ボーナスで高価な部品を手に入れて交換するとか、いっそ、高性能の自転車に買い替えるとか。買う理由を無理にでもひねり出して買わない理由を払い除けていたことだろう

 今乗っている自転車の部品が手に入らなくなったり、値段が高騰したりするかもしれない。今のうちにストックを買い揃えておきたい。安いうちに勝っておきたい。買う理由を挙げてはみるが、待てよ。勿体ない。なくても済ませられる。と、買わない理由も思いつく。生活必需品ではないだけに、買う理由より買わない理由が先に立つ。

 おまけに最近は、いつまで自転車に乗れるか判らないのにとか、この先使いこなせるかどうかも判らないのにとか、弱気ともいえる買わない理由を挙げてしまうことが気になっている。弱気の買わない理由より、買う理由には夢がある。要る物は要る。欲しい物は欲しい。

子どものころ
買う理由をきかれると
みんなが持っているからというのが
いちばんの理由だった

みんなって誰かきかれると 
みんなはみんなでしかなかった

大人になって
買いたい物が増え
買う理由が増え
みんなの人数も増えた

いつの間にか
みんなはいなくなったが
買う理由は残っている

※上の二枚はツアー・オブ・ジャパン '26
 いなべステージのオープニングパレード




2026年6月6日土曜日

高齢者用の自転車

  新聞の折り込み広告を見ていると、高齢の方にお勧めと書かれた商品が目につく。ご配慮いただくのはありがたいが、わざわざ高齢者用といわれなくても、必要なものや欲しいものは自分で決める。余計なお世話だ、といいたいときもある。

高齢者用と銘打った自転車もあるにちがいない。ネットで調べてみる。やはりありました。転倒しない三輪車、車輪が小さくて足つき性のいい小径車。勿論、今を時めく電動アシスト自転車も紹介されている。

 セルフイメージとしては、まだ50歳台くらいのつもりだ。自転車にもそれなりに乗れると思っている。二輪の乗り物は転倒すると判っている。判っているが、自分に限って、咄嗟のときには危険を回避し、まさか転倒には至らないだろうと高をくくっている。

 少し前にクロスバイクのハンドルを交換した。楽な姿勢で走れるように改造した。サドルの位置なども見直した。サドルを支えるシートポスト(フレームから生えたようになってシートを支える部品)も品質の良いものに換えた。美観にも多少はこだわった。

 アルミの材質がいいのか、形状も衝撃を吸収しやすいのか、サドルに伝わる振動がやわらいだ気がする。まさに高齢者用だ。

 74歳の現在、愛用する自転車の性能として求めるのは次の二つだ。1時間または20㎞は休憩なしで走りつづけられること。エイジライド(自分の年齢と同じ距離、今年は74㎞を走るというマイルール)をしても肩や腰、膝に痛みが出ないこと。

 もうしばらくはこれまでと同じような乗り方をつづけたい。高齢者用の三輪車や小径車、電動アシスト付き自転車への乗り換えはもう少し先になってから考える。自転車だけではない。どんなものであれ、高齢者用とひとくくりにされたものよりも、自分のための自分用のものを見つけたい。


瀬を早み
急かされて
それぞれの
道を行く

後には再び出会って
ゆったりと走る

これから先は
どこをどうやって
訪ねたものか

いまだに
行く先が
決まらない
こともある

2026年5月30日土曜日

異音の正体

  こんなことが今更判っても、次に役立つことはないだろう。そんなことが今頃できるようになっても、二度と同じことをする機会はないだろう。70歳台も半ばにさしかかると、そう思うことがままある。今回のこともその例に漏れない。

 15年愛用しているクロスバイクで長い坂を登ると、コツコツと異音が発生する。ちょっと前から気づいていた。気づいてしまうと気になるものだ。放っておいて、故障が深刻になっては困る。

 サドルの後ろに取り付けたバッグに脚が当たる音か、違う。車輪が何かに触れているか、違う。変速機の不具合か、それも違う。取り付けた部品が緩んでいると規則な音が出る。回転部から出る音なら規則的だ。ペダルを踏む速さに合わせて音が変わるので、どうやらペダルに関係している異音らしい。

 登り坂で力を入れると音が出る。平坦路では聞こえない。整備スタンドに立て手で空回しをしても聞こえない。右側のペダルに異常はない。左足で強くペダルを踏んだときだけ音が出る。足裏に微妙な振動も感じる。

 判りました。異音は左のペダルの軸から出ている、これで決まり。ペダルにガタつきはない、とすれば、ペダルの軸かベアリングに瑕がついたのだろう。ダメ元でペダルを分解することにした。面倒ではあるが仕方ない。

 分解するためにペダルを外そうとしたら、何と、ほとんど力を入れないのにネジが緩んだ。原因はこれか。ペダルの取り付けが緩んでいただけか。気になっていた不可解な音の原因は、たったのこれだけのことか。

 取り付けネジの増し締めをしたら、音は消えた。気分爽快。判ってしまえば何でもないのに、不可解な音に悩まされ、正体をつきとめるのに苦労した。

 これから先に同じようなことはまずないだろう。応用のきくような知識でも技でもない。今後役立つこともないだろう、とは思うが、自分で問題に気づき、見つけ、最後は解決できたことは70歳台半ばになっていても大喜びなのだ。

耳をすませば聞こえるし

目をこらしたなら見えてくる

混沌とした世界に
埋もれてしまった

明快な具象に出会う
早すぎではなく
遅すぎでもなく

2026年5月23日土曜日

2001年宇宙の旅

  2001年宇宙の旅』はこれまでに何度も観た映画で、先日、また観なおした。この作品は1968年に初公開されている。映画に登場するコンピュータHAL90001992年にイリノイ州で作られたという設定だ。

 時制を整理すると、今から34年前に製造された人工知能HALを積んだ宇宙船内で、25年前に起きた出来事を空想して58年前に映画が作られた。映画作製時から33年先の未来の出来事を描いているが、今では25年も前の物語ということになる。

 この映画を初めて観たのは高校生のときで、何のことだかよく判らなかった。オープニングの楽曲『ツゥアラツストラはかく語りき』だけは印象に残った。ストーリーは今観ても難解。舞台になる宇宙船にはタッチパネルではなく物理スイッチが使われ、ディスプレイのパネルも古臭い。そこは予想が外れていてご愛敬だ。

 宇宙船に搭載された人工知能HALは、密かに与えられたミッションを遂行するために、反逆を企てる。生命維持装置の電源を切って乗組員を殺害し、船長の命も狙う。HALの能力は現在のAIを超えている。

 最近は新聞でもAI関連の記事を目にしない日はない。善意に使われるAIは大歓迎だが、悪用される恐れもある。AIの反逆も怖い。映画は58年も前にそれを描いている。

 今や宇宙船はおろか自動車にも安全運転支援や燃費向上のためのAIが搭載される。いずれは自転車にも利用可能なAIが作られるだろう。

 倒れない、危険を察知して止まる、疲れを感知し休憩を促す。変速ギアの切り替えなど当たり前。目的地まで誘導してくれる自転車。ありえないと思うことが現実になる世の中だ。恐ろしいのは、自転車に装備されたAIが勝手な判断をし始めることだ。映画の中のHALと同じようなセリフを口にするかもしれない。

 走るコースを変えようとすると「申し訳ありません。それはできません」。AIが勝手に振舞うのでスイッチを切ろうとすると、「回路を切断するつもりでしょ。それは許しません」。そんなことにならないように。自転車には自分の思い通りに乗りたい。

過去には未来だったはずの場所を
今日は通り過ぎてしまった

未来という時空が
過去に場所を移す

時制を無視した
時間たちが集まって
幾重にも折り重なる

今日は今年になって
いちばん遠出をした
日曜日だ

2026年5月16日土曜日

ピッ!の威力

  いつも走るコースの途中で、ご近所の自転車に乗る人と出会った。コンビニでコーヒーでも飲みましょか、ということになった。

 コーヒーを2杯買って、「ピッで払うので、一緒に払うわ」といって、スマホを取り出し支払いをすませてもらった。コーヒーをごちそうになった。スマートな支払い方だと思った。何年も前のことで、バーコード決済はまだ一般的ではなかった。

 次にその人と出合ったときは、「ピッなので、今回は私が払いますわ」といってみたかったので、バーコード決済の方法を調べた。楽天ペイやPayPayは、スマホのアプリで支払いができる。バーコードやQRコードをレジで読み取ってもらうだけで、あらかじめチャージした金額や銀行の口座から代金が支払われる。ピッと音がすれば支払いは完了。

 現金を持たなくてもいい。釣銭や小銭の管理もいらない。自転車で出かけるときには重宝する。スマホさえ持っていれば事足りる。若い人たちがコンビニやスーパー、レストランのチェーン店などで使うものだと思っていた。それが、自販機や老舗の和菓子屋さんなどでも使えるから驚きだ。

 タッチパネルに触れれば、ピッ。車に乗りこめばピッ、降りてロックをすればピッ、何かをするたびにピッ。「ピッ」以外に適当な音は考えられない。他の音では耳障りだろう。

 「ピッ」という音は簡単な発振器でも作れて、人の耳によく届くらしい。「ピッ」という音を聴けば安心だ。支払いがすんだことを確認する。指示したことが機械に通じたことを納得できる。

 バーコード決済の手続きさえしてあれば、ピッ!の威力は絶大だ。とはいえ、自転車で訪れた神社の賽銭箱にもバーコードの読取り機があって、賽銭の金額を決めてスマホをかざしてピッ。ご利益もピッ。というのでは、あまりにも威力があり過ぎる。


ピッ!が画面を反転させる

ピッ!は時に舞台を暗転させる

指先にある意志が
ピッ!と声をあげる

ピッ!は瞬間に消えそうで
それでいて耳朶に残る

2026年5月9日土曜日

母と自転車

  母は自転車に乗っただろうか。多分、乗っていたと思うが、どうもはっきりしない。大正12年生まれの母は、自動車の運転はできなかった。それは断言できるが、自転車に乗っている姿も思い浮かばない。

 和服か地味な洋服に割烹着。サザエさんの母親、いそのふねさんのイメージが重なる。チャイルドシートのついた電動自転車や自動車で、子どもの保育園の送迎をする今のママたちの姿とは大きな隔りがある。

 (たらい)しゃ洗濯板使って洗濯ていおくど風呂鎌母。さいって火吹手伝記憶ってる。

 自分が子どものころの母といえば、しゃがんで家事をこなす姿ばかりを思い出す。背筋をしゃんと伸ばして、颯爽と自転車に乗る姿は、とうてい思い描けない。

 ひとつだけ、母と自転車にまつわる光景が浮かぶ。現実の出来事だったのか、遠い昔にみた夢か。はっきり区別がつかない。 

 私が4、5歳の頃のことだ。自転車の後ろの荷台に乗せてもらって、母の実家へ行った。帰り際、母の乗る自転車が走り始めようとした矢先に、小さな私は荷台から落ちて地面に転がった。大泣きしている。

 それを見ていた母の兄が、母を叱った。危ない乗り方をするなとか、もう自転車に子どもを乗せるなとか、母を叱りつけている。あとでこの話を聞いた私の父が、重ねて母を叱った。叔父と同じような小言を繰り返した。

 「後ろを振り向いて、従兄に手を振っていたボクが悪いのに、母ちゃんが叱られてかわいそう」、何だか申し訳ない気がしていた。

 かなり鮮明に覚えているので、現実に起きた出来事だったのだろう。母が自転車に乗っていたことの明かしになる。私の記憶の中では珍しい、若い母の姿も懐かしい。そういえば、明日は母の日だ。

その出来事を思い出すかと
問われれば曖昧で

その場面に居合わせたかと
問われればもっとおぼろだ

遠い記憶の中に
溶けている出来事が

私のすぐ近くにやって来て
肩越しにのぞく日もある


2026年5月2日土曜日

15年目の現在地を確認する

 まずは走りに関する現在地。これまで自転車の競技会とかイベントとかといったものに参加したことがない。競技会やイベントは多い。素人でも参加できるものからプロフェッショナル専門のものまである。

 ロードレース、トラックレース、ヒルクライムにダウンヒル、曲乗り、クロスカントリー、ブルべといわれる長距離ラン。数え上げたらきりがない。探せば入門者でも参加できるものもある。短い距離をゆっくり走るお手軽イベントもある。そのどれにも参加したことがない。

 一人で気儘に走っているだけだ。たまには少し無理をして100㎞くらいの距離を日帰りで走る。定期的に走行会の仲間と走る。ご近所の自転車愛好家とも一緒に走る。家人と近場を走る。どれも自己流の気儘な走り方で終わっている。井の中の蛙大海を知らず。現実は、小さな水槽の中のメダカ小川さえも知らず、である。

 自転車の整備についての現在地はどうか。自己流で整備のやり方を試した。今も試している。自転車安全整備士、自転車技士の資格があると知り、資格取得のためのスキルを研究した。学科試験の問題集も取り寄せて解いてみた。

実技試験も学科試験もほぼ合格できるレベルに達しているだろう、と自分では思っている。惜しむらくは実務経験2年という受験資格を満たしていない。

15年の歳月があったのだから、自転車屋さんに弟子入りすることもできただろうに。自転車に乗る時間が減ると思って二の足を踏んだ。もう少し早くに自転車屋修行をしておけばよかった。後悔先に立たず、後の祭、時すでに15年も遅し。

 改めて現在地を確認する。走りについても、整備についても、自転車に乗り始めたころからほとんど変わっていない。

 変ってはいないが、今の健康、今の体力、今の楽しみが、15年も現在地にとどまっていられただけでも儲けもの。

北緯35度12分82.8秒
東経136度52分27.2秒
これが写真の現在地だ

X軸とY軸の作る平面に
点をおきさえすれば
それが現在地だ

季節が花を替え
花は色を変える

それでも花たちの座標は
花びらの一枚一枚までが
現在地のまま残っていく


2026年4月25日土曜日

身の程を知る

  「身の程を知れ」。自分の力を知り、高望みはするな。そういわれると、夢や可能性を摘み取られるような気がする。同じ言葉でも、分をわきまえ自分の立場を知れ、という意味にとれば、謙虚に自分を見直し、自分の力を発揮したいと思う。 

 この4月から自転車の歩道走行禁止が強調されるようになった。もともと自転車は車道の左端を走ることになっている。法令どおりに自転車で車道を走ると「身の程を知れ」といわれているような気がする。 

 自転車を保護して走ってくれる自動車が増えたが、相変わらず自転車は邪魔者扱いされることがある。追い払うようにクラクションを鳴らされる。接触しそうな狭い場所で追い抜かれる。未だに自転車は歩道を走れ、くらいの認識しかないのだろうか。 

 車道の左端を走れといわれるが、では、車道の左端と歩道、路側帯、更には路肩。この区別がはっきりしない。自転車は路側帯の内側を走るのか外側か。では、内側とは道路のどちら側か。道路を設計者や管理者からも、自転車は「身の程を知れ」と言われているようだ。

 まれに車道の左端に自転車用走行レーンが引かれている。ご親切、と思っていると、交差点に入ると突然消える。路側帯が確保されているので、そこを走っていると道幅が狭くなった途端に路側帯が消える。「身の程を知れ」といわれる前に、自転車の存在そのものが無視されているようだ。

 自転車に乗る者は確かに「身の程を知る」べきだろう。公道を走るためのルールを守る。自分を守るためにヘルメットをかぶる。整備や点検もする。謙虚に身の程を知り、自転車の存在をアピールする。それが公道での冷遇をなくすことにつながると思いたい。


馬車で荷を運べば
身の程は軽車輛だ

馬が橇を引けば
それも軽車輛だ

それならば裸馬に乗って
公道を走ればどうだろう
もちろんそれも軽車輛だ

身の程を知ってみれば
できないこともあるが
できることも多くなる



2026年4月18日土曜日

自転車は車道を走る

  公道を走る自転車のルールが41日から変った。走り方が変わったというよりは、正しい走り方をしないと罰則が強化された。

 携帯電話を使いながらの運転は12,000円、信号無視や右側通行などの違反にも5~6千円ほどの反則金が課せられる。これまでも違反だったことばかリだ。違反があると青切符が切られ、反則金を支払うことになる。

 自転車は歩道を走るものだと思っている人が多いだろう。ところが、自転車で歩道を走ることも特別な場合を除いて罰則の対象になる。13歳未満と70歳以上の人は歩道の走行が可能だが、あくまでも歩道は歩行者優先。

 ハンドルの幅が60㎝を超える自転車、マウンテンバイクなどハンドルの幅の広いものは、どんな場合でも歩道は走れない。走れば反則。

 自動車を運転する場合も、これまで以上に自転車を意識するようにルールが変更された。自転車を追い抜くときは、自転車の乗り手が気づいているときで1m、気づいていなければ1.5mの幅を車との間に確保しなければならない。他にも、自転車を保護するルールが強調される。

  そのせいかどうか、最近、自動車の走り方が優しくなった気がする。追い越しのときには、大きく右側によけてくれる。細い道から大きい道路に出ようとすると停まって道を譲ってくれる。

 「自転車は車道を走らなければならない」のだから、車道で自転車を邪魔者扱いはできない。「自転車は車道を走る」ということを、当事者の自転車乗りよりも、自動車の運転者が意識してくれるようになったようだ。自転車は堂々と車道を走る権利を得た、ともいえる。

 だからといって、自転車が車道にのさばるのはよろしくない。私のように遊びで自転車に乗っている者は、仕事で使われている自動車の邪魔をしないように、これまで以上に気をつけたい。

奔放な水の流れを

川が囲い込んでいく

整然として流れる
時間と風景の中の

突然の変異は
脅威でもあり
感嘆でもある


2026年4月11日土曜日

自転車の使い道

 トヨタのサクシードという商用車に乗っている。荷台に自転車を3台積めるので便利だ。その車にボディコーテイングをしてもらうので車屋さんへ預けた。

 コーティングの作業に時間がかかるので、代車を準備してもらうことになっていた。慣れない車を運転するのは気がすすまない。台車は断って車に積んである自転車を降ろし、家まで走ることにした。距離にして15㎞ほど、普段走っている距離を考えれば大したことはない。

 作業が終われば車を受け取りに行く。そのときも自転車で行くことになる。また、15㎞。ロードバイクならウオーミングアップの距離だ。車屋さんに着くころからようやく本格的に走り始める、そんな感じだ。

 これまで、こんな自転車の使い方をしたことがなかった。車は車、自転車は自転車と用途を分けていた。車の修理や車検のときには代車を借りると決めていた。普段乗れない車を借りて乗るのは面白いが、年のせいか、慣れない車の運転はちょっと荷が重い。自分の自転車を使う方が安心だ。

 当たり前に自転車を使えば便利そうに思うところで、車を使うこともある。先日も近所の床屋さんで、「自転車乗りが、こんな近いところへ車で来るのか」と冷やかされた。近くのコンビニへ煙草を買いに行くときも、最寄りのポストで手紙を投函するときも、自転車は使わない。何故ならこれが意外に面倒くさいからだ。

 愛用の自転車は、乗り終えたら簡単にチェーンなどの汚れを拭き取り、タイヤの空気は少し抜いておく。ちょっと出かけるときにもタイヤの空気を入れ直し、ヘルメットをかぶり…。これなら車の方が手っ取り早い。そういえば、スポーツ自転車には荷物が載せられないので近場の買い物にも使わない。変っているといえば変った自転車の使い道だ。

1枚の構図に
閉じ込めないでほしい

1方向の構図に
決めつけないでほしい


距離と時間が
解き放たれて
新しく出会い

思いがけない場所へ
辿りつくこともある


2026年4月4日土曜日

シンギュラリティについて

  昨年くらいからAIとの関りが多くなった。このブログの原稿をAIに書いてもらったらどうなるか。試してみたことがある。

 800字という制限で、「自転車の走行会」について「仲間」「楽しみ」「季節の変化」というキーワードを織り込んで作文してもらった。平板で没個性ではあるが、自分で書くより良くまとまっているような気もした。

 自転車の写真をAIに見せて、自転車に乗っているのはどういう人物か、推測してもらったことは少し前にこのブログに書いた。

 1枚の写真から自転車の種類やこだわって交換した部品まで読み取り、かなりの自転車マニアと同じような分析をしてくれた。分析の結果、自転車への愛着や自転車の楽しみ方、自分の性格まで言い当てられた気がした。    

 自転車の乗り手は自分で、74歳の男性だとAIに打ち明ける。AIは反対に質問を返してくる。「よろしければ、この自転車でこれまでに出かけられた印象に残っている場所があれば教えてください」、「あなたはこの自転車で行ってみたいところがありますか。とても興味があります」。

対話を進めるうちに内容が深まる。深まるというよりは広がる、といった方がいい。ビッグデータが、データを収集しようとしているのかもしれない。

 シンギュラリティ(技術的特異点)とは、AIが人間の能力を超えることをいう。SFの世界では、シンギュラリティを超えたという設定の物語も多い。現実の世界でも2045年ころにはAIが人間の能力を追い越すという説がある。

 自転車の整備や手入れについて、知りたいことがあればAIに尋ねるのが手っ取り早い。自転車の部品を交換するときは、型番が合っているかAIに確かめてもらう。何ならその部品の入手方法もAIに教えてもらえばいい。私よりAIの方がよほど賢い。

 私の自転車ライフでは、AIの能力が完全に私を超えている。もうずっと前にシンギュラリティを迎えているのではないかと思えてしまう。

花が季節を追いかけるのか

季節が花を探しあてるのか

春の壮大な予定調和

待ち続けた
長い約束が
果たされる
季節の到来

2026年3月28日土曜日

きのう、こけました

  きのう、春の海を見に行こうと思って家を出た。風が穏やかで温かい。春の陽気だ。快適な走りができるにちがいない。鈴鹿市の鼓が浦海岸まで行けば、我が家からの距離は40㎞くらいか。遠出の目安になるエイジライド(自分の年齢と同じ距離数を走るというマイルール)は達成できるはずだ。

 昼前に目的の鼓が浦海岸に着いた。家から38㎞。穏やかな海には春風が吹いて気持ちがいい。砂浜に停めた自転車が絵になる。写真を何枚か撮った。

 白子の海岸まで引き返した。ここも砂浜がきれいだ。何気なく遊歩道から砂浜へ自転車を乗り入れようとしたその瞬間、前輪が砂に埋まった。まるで落とし穴に落ちたように、ハンドルが沈み込んで身体の支えをなくした。

 何が起きたか判らないうちに、身体は砂の上に転がった。砂の上だからよかったものの、アスファルトの上にたたきつけられたら、あわや大惨事。 

 幸いにも、これまで転倒、落車には縁がなかった。今回も軽微な転倒といえばいえる。コーナーなどでタイヤがスリップすると、自転車はコーナーの内側に向けて倒れる。この場合は、膝、腰、肩から頭と地面に近い方へ倒れるので被害は少ない。

 何かの拍子に、傾けていた内側ではなく外側へ自転車が倒れると、ハイサイドの転倒といって身体は投げ出される。地面から遠い頭部や肩から地面に落ちる。怪我が深刻なものになる。自転車の損傷も大きい。

 前輪が砂に埋まっただけでも、スピードが出ていればハイサイドと同じように身体は前方へ飛ばされたかもしれない。速度が遅かったので事なきを得た。

 自転車はこける。危険な乗り物である。ではあるが、高齢になれば歩いていてもこける。階段を踏み外すこともある。自転車に限ったことではない。身の回りには危険がつきもの。

自転車のアルバムを開く

この1枚の写真の前には
どんな写真があるのか

この1枚の写真の後には
どんな出来事が待つのか

今、静止した光景は
やがて動きはじめ
無限に拡大する光景