冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2023年7月15日土曜日

次の予定

  走行会を無事に終えて、予定の場所へ帰り着くとする。「では、次回は来週の後半くらいで、天気と相談しながら日取りを決めて走りましょう」と、簡単に約束をして別れる。次の走行会で何か特別の企画などがあるときは、集合場所や日時、準備物まで打ち合わせてから解散する。

 中学校の教員をしていたので、転勤はつきものだった。長年月にわたって同じ学校で勤務をしないという決まりがあって、いつまでも同じ学校にはいつづけられない。年度末が近づいて、人事異動があるかもしれないと思うと、気分が落ち着かない。異動が発令されれば、これまでの仕事の整理をして、次の勤務校に移る準備をする。走行会にしても、仕事にしても、一段落するころには必ず次の予定があるということだ。走行会はこれにて解散と誰かが言わない限り、次の予定はその次の予定へとつながる。

 仕事のことにもどれば、たった一度だけ、次の予定がない人事異動があった。定年退職である。次の年には、自分はもうどこの学校にもいない。そう決まっているので、次の予定もない。異動の準備をする必要はない。予定がないというのは気楽なものだと感じたが、実は、送別会や退職祝いの会に招いてもらうという次の予定が待っていた。

 先月、父は、自分の予定をすべて白紙にもどして永い眠りについた。人生の最後に一度だけ、次の予定を全く考えなくてよい刻限がおとずれる。残った者たちは、故人を送るために、次々と予定を立てることになるが、旅立つ本人は自分にかかわる次の予定をすべて帳消しにしてしまう。

 次の予定を全く考慮しなくてもよい機会が、人生の最後におとずれると思うとそのときが楽しみだ。「あとのことは全てお任せします。どうぞよろしくお取り計らいください」と次の予定をすべて投げ出してしまうのは、きっと気分がいいだろう。そんなことを思いながらも、今のところは弔問に来ていただく人の対応や父の遺品整理で、次に自転車に乗る予定を立てられずに困っている。

次の予定をこなすために
愛用の自転車を手入れしたと
走行会仲間から連絡があった

次の予定のために
自転車を手入れしている仲間が
他にもいる


次の予定のために
今日の予定をこなしている

これといって次の予定のない日には
ずっと先の予定のことを考えている

明日もあさっても
来週も来月も来年も
その先もずっと
次の予定のないときが
いつかやってくる





2 件のコメント:

  1.  忌明けを終えれば、一つの区切りとなりますが、それまではゆっくりすることがないでしょうし、ライフワークである遊べない遊べないのがつらいところかと察します。

     次の予定を考えなくてもよい日が、この世からおさらばするときというのは寂しいですが、逆に本人にとってホッとする瞬間なのかもしれません。

     ふと思い出したのが、中島みゆきの『永久欠番』という歌。
     もう30年以上前に作られた曲ですが、東京書籍中学3年生の国語にも掲載されたようです。歌詞だけでなく編曲も素晴らしく、今でもときどき聴くことがあります。さわりだけ抜粋すると、

     どんな記念碑(メモリアル)も雨風にけずられて崩れ
     人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
     だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を

     100億の人々が 忘れても 見捨てても
     宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番
     宇宙(そら)の掌の中 人は永久欠番

     ひとはいずれ永い眠りにつきますが、生きていた証のようなものを望んでいるのでしょうか。それとも次の予定が消え去って、やれやれなのでしょうか。

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  2.  中島みゆき『永久欠番』じっくり聴かせてもらいました。コメントに歌詞を引用してもらってありますが、メロディーがつくと、また、伝わり方が違いますね。この人も、誰か身近な人が亡くなったのだろうかと思えてきます。心に刺さりました。

     父の忌明けまでの間は、何となく静かにしているのがいいのだろうと思い、自転車にも乗らずにいるのですが、身体が変調を来すようです。仕事でも遊びでも、ずっと続けていることを中断するというのは、リズムが狂ってよろしくないようです。

     この先の予定がないというのは、気楽でいいかもしれないですが、当分はずっと先の予定まで立てておいて、それをこなしていくのが正しい生き方かもしれないですね。

     私などは、死んでしまえば誰かにすぐに席を譲ってしまって、何の証も残らなくていいと思っていますが、生きている間は自分で自分が生きている証を確認していたいと思います。

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