「Aujourd'hui, maman est morte.(今日、ママンが死んだ)」。カミュの『異邦人』の有名な書き出しである。先週、私の父も逝った。99歳と6カ月の生涯だった。
父の死について書き出すのは難しい。『異邦人』の主人公、ムルソーのことばを借りた。もって回ったいい方になった。物語の前後はかなり異なる。
父は最晩年の5年間を介護施設でお世話になった。コロナ禍の影響で、外出も面会もままならぬ時期が続いた。外の世界にふれることにも、人と会うことにも不自由でさみしい想いをしただろう。最後は眠るように静かに息を引き取ったのが、残った者の救いである。
大正12年に父はかなり裕福な家に生まれたらしい。ところが父の親の世代が良くなかった。私の祖父の兄弟たちがいろいろな事業に手を出しては失敗をした。家財はたちまち尽き、父の幼少期は貧しさのどん底だった。学資にも事欠く始末で、父は尋常高等小学校を卒業すると働かざるをえなかった。手先の器用さを活かして機械工になった。戦時中は戦闘機の整備をしていたという話を聞いた。
私の記憶にある父は、古いオートバイをどこからともなく手に入れて来て、夜遅くまでいじっていた。調子よく走るようになると、他の人に譲って、別のものを持ち込む。思うように調子が出ないと不機嫌だったのを覚えている。そうでなくても普段からとっつきにくいところがあった。
父の若いころの数少ない写真が残されたアルバムを探し当てた。戦中、戦後の厳しい時代を生き抜いた姿が残されている。時代が少し下ると写真の枚数が増える。生活に多少の余裕も出てきたのだろう。晩年は頑固さも失せて、好々爺然としていた。
アルバムの中に、私が自転車に乗っている写真を見つけた。父が改造してくれたと思える跡が残っている。オートバイをいじる片手間に、自転車を作ってくれたのか。今、私がマゴチャリを作っているのと同じようなものだ。知らぬうちに、父はいろいろなものを私に遺してくれている。
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一家を支えた 父の業 |
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世代を超えて 同じ情景 |
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大きすぎる自転車は 座布団がサドル代わり |
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補助輪は 父の手製か |
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サドルのある自転車も こしらえてくれた |
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整備中のオートバイに 跨らせてもらう 父の弟とツーショット |
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孫娘の自転車を 男の子用に改造 父の作った 最後のマゴチャリ 威風堂々 |
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ご尊父様のご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします。
返信削除100歳まであと半年、まさに大往生の人生であったと存じます。
ブログのコメントや写真を拝見するなかで、実直で勤勉。やろうと決めたことは、トコトンやり遂げる。職場だけではなく、地域の人たちからも愛され、厚い信頼を受けていたことが伝わってきます。
今回の写真、MARIOさんは4歳くらいから自転車に乗っていたのですね。それも大人の自転車に補助輪をつけて。おそらくお父様の自作ですね。
昭和33年、お使いの姿はもう自転車を自在に操っている感じ。6歳くらいですか。妹さん?を後ろに乗せているスナップは、才気煥発、好奇心・探究心のかたまりのようにみえます。
お父様が友達と員弁川を仲良く走っている姿は、現在のMARIOさんの姿に重なってみえます。
さて、このブログ開設以来ずっと愛読させていただいて、ときどきバックナンバーも覗いていますが、数字をみてびっくり。
いつの間にか、あと少しで200号に達するではないですか。それもすごいのは、一貫してテーマが『自転車』であること。雑感をまとめるだけならまだしも・・・すごい、の一言。
MARIOさんの知識と教養をもってしたなら、いろいろなテーマでブログが書けると思います。
200号突破を区切りとして、新分野を開拓するのも面白いのでは。 いや、ここまできたらやはり自転車か。どうでしょう。
コメントありがとうございます。
返信削除数え年なら101歳まで生きた父は、晩年、自分の好きなことを好きなようにやって、若いころに苦労した分も取り返して逝ったと思っています。人生の辻褄をきちんと合わせることができたのではないかと、残った者はそう思いたいところです。
員弁川の堤防で父が自転車に乗っている姿を見ると、サドルの位置がかなり高く、今のスポーツ自転車のライディングポジションに近いようです。
父が自転車に乗っていたころにタイムスリップして、父の友人たちも一緒に走行会をすると、今とは違った情報も入手できるかもしれません。時代を超えて一緒に走れたら面白いと思います。
子どものころの私の写真も随分お褒めいただいてありますが、「10で神童、15で才子、20(はたち)過ぎればただの人」の例にもれず、私も平凡な人生の終盤に差し掛かりました。
「古稀を過ぎれば迷惑爺い」と言われないように、静かに自転車ライフを楽しみ、ブログももう少し続けられたらいいと思っています。