冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2020年11月27日金曜日

仲間と走る Ⅱ

  週に一度は自転車仲間4人で走るのが恒例になっている。メンバーの一人が仕事を持っているので、そのスケジュールを優先する。午前中は仕事があるので、午後に集まって走ることになる。一緒に走るので便宜上「走行会」といっているが、特に会の名前もなければ、曜日を決めているわけでもない。天気予報を見ながら、およそ計画とはいえないような計画を立てる。不定期の定期走行会である。

 集合の場所と時間をメールで打ち合わせて、メンバーが集まってから行き先やコースを決める。秋ともなれば、曼殊沙華が咲きそろう頃だとか、コスモス畑が見ごろかもしれないとか、はたまた、公孫樹の色づく頃合いだろうと言いながら、目的地らしきものを選定する。天気次第で、近くのコーヒー屋さんに行く、誰かの家で自転車いじりをするという計画の変更もありうる。

 独りで走るときと何人かで一緒に走るときとでは、走り方が違ってくる。複数で走れば、前を行く者はペース配分に気を使う。速度を押さえて走ることもあれば、多少無理をして速く走ることもある。目配りも独りのときとは自ずと変わってくる。前だけを見て走るという訳にはいかない。後ろを見たり背後の様子を感じたりしながら走ることになる。道路を横断するときはみんなが安全に渡り切れるか、青信号は全員が通過できるか、気配りしながら走る。後ろを走る者は他力本願、とにかくペースを合わせる。独りのときとは違う面白さでもある。

 自分のペースに他の人のペースが混じるので、身体が混乱することもある。筋トレとか心肺能力を高めるとか、そんな大それたことは考えないにしても、できるだけ遠くまで走ってみようなどと思うときは、独りで走るのがいい。何人かが一緒のときは、多少は周りに気を配りながらも、ゆっくりと景色を眺めたり、走行中や休憩のときの雑談を楽しんだりするのがいい。

 新しく導入した自転車の部品や自転車に関係のないアイテムでも面白いものがあれば紹介しあうという楽しみもある。若い頃は人には負けじと同じことに挑戦してみるとか、人の持っている物よりグレードの高いものを手に入れたいと思うこともあった。今はそういう発想はない。なるほどそんな手もあるか、そういう便利な物もあったのかと感心したり感動したりはするけれど、では自分もそっくり真似をしてみようとか、同じ物を手に入れようということでもない。見習うことはあるにしても、所詮は銘々の勝手なのである。

 目新しい機器を使いこなしたり、こなせなかったり、うまく行ったり失敗したり、それも話のネタにする。一緒にはいるが、夫々が自分のやり方で自分のやりたいことを楽しむ。合わせるのは自転車のペースだけ。年齢を重ねた者のいぶし銀的交際術。子曰く「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。気のおけない仲間との束縛されない「走行会」。これがいい。

曼殊沙華の咲きそろう頃は曼殊沙華を見に行く

コスモスが咲けばコスモス畑を探す
写真を撮ったり、何か記録にとどめたり
何となく眺めているだけだったり、三者三様

そろそろ公孫樹もいいかも…
ということになれば公孫樹も見に行く
中の一人は菓子職人はだし
休憩用のケーキを焼いてきてくれる

仲間の一人が3Dカメラを手に入れて試す
年寄りは案外新しいものが好きだったりする
が、うまくいったりいかなかったり…

静止画では3Dカメラの面白さが判らない…!?
そのうち画期的な活用法が見つかるか??

斬新なポーズは、
ビートルズのレコードのジャケットにも劣らない!?



2020年11月21日土曜日

川原で遊ぶ

  家の近くを員弁川が流れている。この川の延長は37㎞ということになっているので、我が家の辺りはちょうど中間の水域ということになる。常套手段ではあるが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「員弁川」を引く。

鈴鹿山脈の御池岳北麓に発し、いなべ市・東員町・桑名市などを概ね南東に流れ伊勢湾に注ぐ。員弁川水系全体の河川数は34におよぶ。支流の相場川には灌漑目的のダムがある。本流の員弁川取水口より年平均190m3が相場川の中里ダムを経由し三重用水へ流れている。

河口付近の桑名市・朝日町周辺では「町屋川」と俗称される。これは、かつては現在の近鉄益生駅周辺の町中を流れていた名残だと言われている。川の付け替えによって現在の場所に流れるようになった。鮎・アマゴなどが放流され、他にも70種類以上の川魚が確認されている。川釣りが盛んであり、桑員河川漁業協同組合で遊漁証が発行されている。

 東員町北大社-南大社間にかかる大社橋の真下付近で猪名部神社にて春に催される大社祭の乗り子(騎手)と各地区の青年団が祭典1週間前より朝夕に川で身を清める。」 

 『ウィキペディア』の記述にある場所はどれもなじみが深い。鈴鹿山脈の御池岳北麓から中里ダム周辺は山間のワインディングロードがつづく。かつてはオートバイで走り回ったところである。仕事をしていた43年間のうち30年は朝な夕なに近鉄益生駅の横を通った。員弁川に釣り人の姿はほとんど見かけなくなったが、私が子どものころには魚を取りに川へ出かけたものである。当時はアユを捕る人が大勢いた。猪名部神社の上げ馬神事で乗り子になった自分も春先の冷たい川に入って身を清めた。員弁川は家の近くを流れるというよりは、人生の早い時期から私と一緒に流れている。

 近場で自転車に乗るときには、支流の宇賀川、青川、二之瀬川から伊勢湾にそそぐ河口まで川に沿って走ることが多い。格好のサイクリングコースである。マウンテンバイクを手に入れてからは、時折川原へ降りて走ってみる。釣り人や「ひっかけ(しゃくり)」や投網(とあみ)でアユを捕る人の姿はほとんど見かけない。川原で遊ぶ子どもの姿もない。家族連れがバーベキューを楽しむ光景も見なくなった。川原に降りる道が消滅していて、川の近くまで行くのがひと苦労である。夏になると泳ぎのできる深みを探しまわった私の少年時代は遠のき、川原には誰もいなくなってしまった。マウンテンバイクで川原に降りると、景色を独り占めできるが、近くに高速道路の橋梁が架かってしまった川原はなんと殺風景なことか。遠くの変らない山並みだけが救いである。

近ごろは川原に降りるにもひと苦労する
遠くに見慣れた山並みをのぞむ懐かしい風景

見慣れた風景を高速道路の高架が分断する
人影のない川原が広がる

員弁川の支流、青川の源流に近いあたり
川に沿って自転車を走らせたり
時には川原に乗り入れたりしてみる

員弁川が伊勢湾に流れ込む辺り
川は姿を変えながら流れる
自転車で川沿いに下ったり登ったりする

かつては大人も子どもも川遊びをした

遊び道具を持ち込んで日がな1日川に戯れた
写真は中学で教えた生徒たちが遊びに来た時のもの
後ろの橋は本文に引用したブログにある大社橋




2020年11月14日土曜日

事故の顛末

自転車に乗っていて気がかりなのは交通事故である。自転車による死亡事故も散見する。加害者にならないとも限らないが、交通弱者ということを考えれば被害に遭うリスクが高い。

先日、自転車の事故ではないが、思いもつかないような交通事故に見舞われた。何と、我が家の庭に車が乱入。招かれざる客もいいところである。丹精こめて手入れをしているつもりの庭の芝生も植木も、鉢植えの花もすっかり荒らされ残骸と化した。芝生の庭を横切る格好で飛び込んだ車は、庭の反対側にあるカーポートの柱にぶつかってかろうじて止まった。カーポートの柱と屋根は無惨に歪み、停めてあった車二台も被害を被った。災害に遭って家族や家を奪われた人の心痛には比ぶべくもないが、それでも痛手は大きい。

 日曜日の夕刻、テレビのニュースを見ようとリモコンスイッチを手に取った瞬間に大音響が聞こえた。驚いて窓から外を見ると庭と玄関が見えるはずのところに車の屋根がある。すわ大惨事と表に飛び出した。あり得ないところに車の姿を見て愕然とした。何がどうなっているのかすぐには理解できない。車に乗っていた若者二人は奇跡的に無傷。車から這い出してきた。不幸中の幸いである。こういうと幸いが強調されるが、事故を起こした者も被害を被った私も大いに不幸である。

 我が家は県道がカーブするその外側にある。これまでにも何度か車が外の塀にぶつかることはあったが、道路から2mも高い庭に車が飛び込むような大事故はこれまでなかった。よほどのスピードを出していたか、間違ってアクセルを踏みつづけない限り起こりえない事故である。

逢魔時(おうまがとき)、大禍時(おおまがとき)は、夕暮れどきの薄暗くなる時分、昼と夜の移り変わる時刻。古くは魔物に遭遇したり大きな災禍を蒙ったりすると信じられていた。今も夕暮れどきには危険が付きまとう。寂蓮(じゃくれん)は「さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ」と詠み、西行は「心なき身にもあはれは知られけり(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ」と詠った。三夕の歌を引けば、我が家の状況は定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ」である。

 通勤に自転車を使っていたころ、日の短くなる秋の夕暮れにはとりわけ気を使った。自転車や歩行者は、暗い道路を見ることよりも、車の運転者から見てもらうことが大事である。反射シールや点滅するライトを多用して、車の運転者から認識されるようにした。我が家の前のカーブも、少し手前から識別できるような改善が必要である。県道を管理する部署に申し入れはしたが、さてどうなることやら。壊れた2台の車の修理、玄関周辺や庭の修復にも時間がかかるだろう。事故の顛末を語るには時期尚早の感がある


あろうことか、庭の中に車が…
大ジャンプをしないと侵入できない??!!

侵入者には垣根を越えてお帰りいただく…

見わたせば花も植樹もなかりけり…
野分のまたの日(台風の翌日)こそ、
  いみじうあはれにをかしけれ『枕草子』
などと悠長なことは言っていられない

心なき身にもあはれは知られけり…
訪れの早い秋の夕暮れは自転車乗りにはリスクが大きい
 
「もののあはれは秋こそ勝れと人ごとに言ふめれど…」
見通しの悪くなる夕暮れには危険がひそむ
帰りを急ぐに越したことはない

とはいえ、秋には自転車日和が多い
少し冷たくなってきた空気のなか、爽快な走りを楽しむ







2020年11月7日土曜日

投稿者:MARIO BIKE

  ☆☆☆ 3年前の春に、この学校で仕事をさせてもらうことになりました。着任して間がないころ、当時3年生だった女生徒が後ろから小さな声で「マリオ…」とささやくのが聞こえました。 振り返ると、今度は正面から、「マリオっ!」と呼ばれました。その前の年まで勤めていた学校でも同じように呼ばれていました。多分、彼女は部活の対外試合か塾ででも前の学校の生徒から、そのことを聞いてきたのだろうと思いました。「誰に聞いたの?」と尋ねた私に、その女生徒は「顔を見れば、マリオやん」。横にいたもう一人の女生徒が、「始業式のあいさつのときから、顔見ただけで、わたしらマリオと思っとったもん」。ついでに、「始業式のあいさつ、短くて良かったよ!」とお褒めの言葉もいただきました。 

生徒のみなさんは、きちんと礼儀をわきまえてくれていて、必要な場面では「校長先生」と呼んでくれます。廊下で会ったときには、気軽に「マリオ」とか「マリオ校長」と声をかけてくれます。名前や愛称、ときにはあだ名で呼びかけるときにも、その声の調子で、優しさや親しみが伝わります。気軽に呼びかけることで、すごく近しい関係が生まれたり、思いが伝わったり、そうして、理解し合えたりすることもあるものです。私自身も、みなさんの名前を呼んだり、話しかけたりするときには、気持ちがしっかりと伝わるような、そんな呼びかけができればいいなぁと思っています。(「マリオとよばれて」:現役当時のPTA広報誌に寄稿)☆☆☆

髭があって、背が低く脚の短い私の体形は子どもたちが見ると任天堂のゲームの主人公マリオに似て見えるらしい。マリオは1982年任天堂のゲーム『ドンキーコングJR.』で初登場。1985年(昭和60年)に『スーパーマリオブラザーズ』が発表され、今年9月には『スーパーマリオ 3Dコレクション』が発売されている。今年はマリオ生誕35周年のイベントやキャンペーンも数多く開催されている。そんなマリオにあやかれるとはありがたいかぎり。ブログを開設するときに、投稿者名にMARIOを使いたいと思った次第である。

つい先日、父が入院する病院の待合室で、遠慮がちに「マリオさん…じゃないですか?」と声をかけられた。歳のころは30歳くらいの看護師さんである。私の勤務した学校の生徒さんだったと名乗ってくれた。中学時代の校長の名前など、ほとんどの生徒は忘れているが、「マリオ」として記憶に残っているらしい。今でも、街中で突然、「マリオ!?」、「マリオ校長ですよね…?」と声をかけられることがある。

在職中から今も乗りつづけている私の車を、当時の生徒たちは「マリオカート」と呼んでいた。今なら、私の乗る自転車を「マリオバイク」と命名してくれるかもしれない。


マリオと呼ばれて…
同じ職場のルイージもしっかり応援してくれた

コスチュームは生徒のお母さんたちの手作り
学校行事のときは出番も多く、けっこう忙しかった

こんなシールも作ってみた…

生徒たちもマリオになるのが大好きだった…
望めばみんなマリオになれる

マリオカート初代(右)と2代目
2代目は19年目になるが現役
今も昔の生徒からマリオカートと呼ばれることが…
と、いうわけでなかなか手放せない


マリオの自転車を探すと
こんなカタログが…


私の自転車を
生徒ならマリオバイクと命名してくれるか?

マリオバイクには
小径車がぴったりのような気がする