’26.3.12 春を待つ日々

2020年11月7日土曜日

投稿者:MARIO BIKE

  ☆☆☆ 3年前の春に、この学校で仕事をさせてもらうことになりました。着任して間がないころ、当時3年生だった女生徒が後ろから小さな声で「マリオ…」とささやくのが聞こえました。 振り返ると、今度は正面から、「マリオっ!」と呼ばれました。その前の年まで勤めていた学校でも同じように呼ばれていました。多分、彼女は部活の対外試合か塾ででも前の学校の生徒から、そのことを聞いてきたのだろうと思いました。「誰に聞いたの?」と尋ねた私に、その女生徒は「顔を見れば、マリオやん」。横にいたもう一人の女生徒が、「始業式のあいさつのときから、顔見ただけで、わたしらマリオと思っとったもん」。ついでに、「始業式のあいさつ、短くて良かったよ!」とお褒めの言葉もいただきました。 

生徒のみなさんは、きちんと礼儀をわきまえてくれていて、必要な場面では「校長先生」と呼んでくれます。廊下で会ったときには、気軽に「マリオ」とか「マリオ校長」と声をかけてくれます。名前や愛称、ときにはあだ名で呼びかけるときにも、その声の調子で、優しさや親しみが伝わります。気軽に呼びかけることで、すごく近しい関係が生まれたり、思いが伝わったり、そうして、理解し合えたりすることもあるものです。私自身も、みなさんの名前を呼んだり、話しかけたりするときには、気持ちがしっかりと伝わるような、そんな呼びかけができればいいなぁと思っています。(「マリオとよばれて」:現役当時のPTA広報誌に寄稿)☆☆☆

髭があって、背が低く脚の短い私の体形は子どもたちが見ると任天堂のゲームの主人公マリオに似て見えるらしい。マリオは1982年任天堂のゲーム『ドンキーコングJR.』で初登場。1985年(昭和60年)に『スーパーマリオブラザーズ』が発表され、今年9月には『スーパーマリオ 3Dコレクション』が発売されている。今年はマリオ生誕35周年のイベントやキャンペーンも数多く開催されている。そんなマリオにあやかれるとはありがたいかぎり。ブログを開設するときに、投稿者名にMARIOを使いたいと思った次第である。

つい先日、父が入院する病院の待合室で、遠慮がちに「マリオさん…じゃないですか?」と声をかけられた。歳のころは30歳くらいの看護師さんである。私の勤務した学校の生徒さんだったと名乗ってくれた。中学時代の校長の名前など、ほとんどの生徒は忘れているが、「マリオ」として記憶に残っているらしい。今でも、街中で突然、「マリオ!?」、「マリオ校長ですよね…?」と声をかけられることがある。

在職中から今も乗りつづけている私の車を、当時の生徒たちは「マリオカート」と呼んでいた。今なら、私の乗る自転車を「マリオバイク」と命名してくれるかもしれない。


マリオと呼ばれて…
同じ職場のルイージもしっかり応援してくれた

コスチュームは生徒のお母さんたちの手作り
学校行事のときは出番も多く、けっこう忙しかった

こんなシールも作ってみた…

生徒たちもマリオになるのが大好きだった…
望めばみんなマリオになれる

マリオカート初代(右)と2代目
2代目は19年目になるが現役
今も昔の生徒からマリオカートと呼ばれることが…
と、いうわけでなかなか手放せない


マリオの自転車を探すと
こんなカタログが…


私の自転車を
生徒ならマリオバイクと命名してくれるか?

マリオバイクには
小径車がぴったりのような気がする

2 件のコメント:

  1.  一般的な校長というと、卒業式や入学式、朝礼などにお話しをして
    子どもたちとは一線を引いているイメージ。
     子どもたちからすると、校長先生は名前も覚えることもない存在で、
    ひな壇に飾ってある人物という意識。
     それに引き換え、MARIOさんはまったくの別物校長。
    常識を覆す発想というか、変なプライドなどない一人の人間として
    まわりの人と接することのできる素晴らしさがあります。
     子どもたちに近い存在としていつも学校を見守っているのが、写真から窺えます。
     そういえば放課後花壇倶楽部もそうでしたね。
     世のエバっているだけの出来の悪い校長には、
    『MARIOさんの爪の垢を煎じて飲んだらどうだ!』と言いたいですよ。

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    1.  べーえんべーさんにはいつもブログにお付き合いいただき、お褒めもいただたりして恐縮至極です。

       学校で仕事をしているときに、それほど大したことはできなかったのですが、学校の職員はそれぞれの立場で一所懸命に仕事をする、その目線はいつも子どもに向いていないといけないということだけは肝に銘じていました。学校に勤務していて、子どもたちと一緒に学校生活を楽しめないのはさみしいかぎりです。子どもたちも、気持ちを開放して楽しんだり、喜べたりするからこそ、本当の学びが成立するのだと思います。

       現役のころのことをとやかく言っているよりも、今何をしているか、何ができるか、そのことの方が大事だとは思いつつ、ときどきは懐旧譚も混じるかもしれません。古い話にも時々はお付き合いください。

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