このブログで「無算講(むさんこ)」ということばを使ったら、コメントをもらった。祖母によく言われた。「むさんこなことすると あかんぞね」。無茶をするなと言っているのだと思っていた。「考えなし」の方が意味は近いのだろう。祖母や母が使っていた懐かしい言葉をときどき思い出す。「もの前」という言葉もその一つである。かなり前になるが、中学校で勤務しているときに、PTAの広報紙に次のような原稿を書いた。
☆☆☆ 「もの前」というのは、大事なことをひかえた時期のことだと勝手に解釈していた。祖母がときどき口にしたことばである。方言か祖母独特の古い言い方なのだろうと思っていた。最近になって、それが古語であることを知った。「戦の直前。盆や正月、節句の前」という意味がある。私の解釈はそれほどずれてはいなかった。
中学の卒業が近づき、高校の入試を控えた時期に、「もの前やで、気ぃつけとらんとあかんぞね」と祖母から言われたのを思い出す。私の結婚が決まったときにも言っていた。何に「気ぃつける」のか、くどくは言わなかった。大事なことを前にして、病気や怪我のないよう、心や身体のコンディションを整えて落ち着いて過ごせ、と言うことだったのか。
細かいことは母親が注意するだろうから、同じ小言を繰り返さないでおこうと、祖母は我慢していたかもしれない。せっかちで、よく失敗をする私のことを、気にはしていたはずである。繰り言にならないように、それでも、孫のことが心配で、「もの前やで、気ぃつけとれ」と折りにふれて言いつづけたのだろう。
祖母が逝って、25年になる。今になって、「もの前やで、気ぃつけやなあかん」と言われる方だけではなく、言う方の気持ちもよくわかる。生徒のみなさんは、生活ぶりについての細かい注意や励ましを、家族や先生たちから受けるに違いない。だとすれば、私は、卒業という大きな転機を目前にしたみなさんに、「もの前やで、気ぃつけとってくれよ」と願うばかりである。☆☆☆
古くさいかもしれないが、懐かしく優しく響く、味わいの深いことばがある。今ではあまり使われない。大事に受け継いで、若い人にも使ってもらえたらいいのにと思う。祖母が逝ってから今年で33年、母が亡くなってからでも24年になる。
今から30年もすると、私の子どもや孫たちは、私の使っている言葉を懐かしいと思うだろうか。30年後、私が今乗っている自転車に、古いけれども何となく懐かしくて味わいがあるところを見出して、乗ってくれる人があればうれしい。
小さい頃から見つづけている山並み 天気を占うときも方角を確かめるときも山を仰ぐ 祖母や母のことばも予報や道しるべになっている |
懐かしい乗り物には暖かさと優しさがある 時の流れに耐えた逞しさがある 昔聞いたことばにも暖かさと懐かしい響きがある |
雑貨屋の懐かしい店先にふと足(車輪)を止める 引き込まれるようなたたずまいがある |
この自転車は、どれくらいの時を経てきたのか 私の愛車もいずれは同じようなオーラを醸すようになるか |
この自転車は古いといってもせいぜい30年くらい前のものか 整備の練習に全部分解して組みなおすことにする |
明日は遠出 それほど距離は走らなくても、遠出の前日は「もの前」である 簡単な点検くらいはしておこうと思う |