雨の日は自転車に乗らない。レインウエアを着て乗るのは面倒だし、視界も狭くなる。周りの音も聞こえにくい。年寄りの反応はそうでなくても鈍いのに、雨の日にレインウエアを着用しようものなら、危険この上ない。どうしても乗らなければならない理由があれば兎も角、無理をして乗ることはない。
定年退職したあとの5年間、職種の違う仕事をさせてもらった。仕事場までの片道12㎞を、自転車で通勤をした。スポーツバイクに乗り始めた頃で、面白くて仕方がなかった。天気予報にちょっとでも雨マークがある日は、やむなく自転車通勤を断念した。それでも、朝夕の短い通勤時間に雨に遭うことはあった。避けられないのは夏の夕立。夕暮れ時の雨は最悪。前は見えない。路面は滑る。雨音は周りの音をかき消す。あわてて雨宿りの場所を探す。
にわか雨をやり過ごしても、そのあとがよろしくない。路面が乾くまではまともに走れない。スポーツバイクにはフェンダー(泥よけ)がついていない。タイヤは丸出し。汚れた水を背中まで巻き上げる。おまけに、車体にこびりつく汚れが侮(あなど)れない。自転車は車道の端を走る。路面の最もよごれている場所である。雨に溶け出したほこりや泥、油を車輪が跳ね上げる。後の掃除も大変ならば、背中の汚れもシミになって落ちない。
自転車通勤をしなくなってからは、雨の中を自転車に乗ることはまずない。梅雨の間はほとんど乗らない。乗れないという方が当たっている。自転車に乗れないときがあるのもいい。 梅雨が明けたら走りに行きたい場所をあれこれ考える。ちょっと時間をかけて、自転車の整備もしてみる。長雨の間は小休止と割り切るのも悪くない。ちょっと立ち止まってみると、先行きの修正もできるというものだ。
コンピュータを開かない。メールのやり取りもしない。テレビは見ないし、電話にも出ない。音楽も聴かなければ映画も観ない。本屋にも図書館にも行かないし、本も読まない。もちろん、自転車には乗らない。そういう日を作ってみるのはどうだろう。子どもたちが、ゲームをしない日をつくりましょうと言われるのと同じである。大切に思っていることの優先順位が変わり、他にもやりたいことややるべきことが見えてくるかもしれない。
花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
古今和歌集の清少納言の歌である。「長雨(ながめ)を眺(ながめ)ている間に花は色を失い(私の容姿も衰え)、降(ふ)る雨のように私も無駄に時間を経(ふ)ることになった」
なかなか洒落がきいている。しかし、梅雨が長引いて、雨を眺めつづけていても、そう簡単に何もかも衰えることはないような気がする。新しい思いも湧いてくるし、なによりも身体は動きたがっている。
梅雨空の下、出かけてはきたが… 遠くの山並みはぼんやりとかすみ、空気が重い こんな日は、ペダルも重い |
| 雲行きが怪しい もう少し走るか、引き返すか、 普段はあまり考えることもないが… |
今にも雨が落ちてきそうな気配 家の近くならいいが、遠出をしていると心もとない |
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| それでも、梅雨の中休みをうかがって出かける 家でじっとしていれば良さそうなものを… |
梅雨明けを待ち焦がれる 愛車も同じ心境… |
梅雨は必ず明ける 大雨による被害からの復興も必ず成ると思いたい 晴れわたる日がきっと来る |

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