いつになく長かった梅雨がようやく明けた。梅雨が明けると気温がたちまち上昇した。急に暑くなると、自転車に乗る体力があるだろうかと心配になる。コロナ禍のせいで、外へ出かけることが少ない。夏の風物も今年はおあずけといったところである。
夏祭りがあって、花火大会があって、夏は毎年向こうからやって来る。ところが、今年に限っては夏の訪れを知らせる催しがほとんどない。ご先祖や神々を迎えたり送ったりすることも、忘れ去られるのではないかと気がかりである。
強烈な日差しはあるし、風まで熱い。それでも、夏が来たという実感に欠けるのは私だけか。気分が夏を迎えていないのに、暑さの中へ自転車をこぎ出すのは危ない。気持ちも身体も暑さに順応していない。気づかないうちに熱中症に罹るのはこんなときだろう。夏が向こうからやってこないのであれば、今年は今年の夏を探しに出かけることにする。夏を見つけて、炎暑の中でも自転車に乗るために、気持ちも身体も慣らしておきたい。
今日は思い切って遠出をする。サイクルメーターの走行距離が50㎞を示すところまで走ることにしよう。ちょうど50㎞走ったら、そこから引き返す。ほぼ同じようなルートをとって帰れば、家に帰るときには100㎞を走ることになる。それだけ走れば、夏は見つかるだろう。何しろ自転車は季節と巡り合うには最高の乗り物である。走っていると沿道の樹々や草花、風や土の匂い、雑音でさえ季節を伝えてくれる。
走り出してしてしばらくは、風が心地良い。それほどの暑さでもなさそうだ。本物の夏にはまだ出会えない。蝉時雨が降りそそぎ、焼けた路面の温度を感じるころになると、景色も夏らしく見え始める。背中が焼けるように熱くなる。喉が渇く。そろそろ本物の夏に出会えそうな予感がしてくる。それにしても、久しぶりに走る50㎞は長い。かなり走ったつもりでも目標の距離には到達しない。我が家のある東員町から四日市市を過ぎ、鈴鹿市を通り抜けて、いつの間にか津の市内を走っている。ここまでくれば、海も近い。期待する夏があるにちがいない。津駅までたどり着いて、ようやく走行距離が50㎞になる。帰りは海沿いに走ることにして、海岸線に出る。海が見えるところまで走ると、探していた夏が目の前に広がっている。心象風景にある真夏の海。砂浜に人の姿はないが、まちがいなく今年の夏がここまでは来ている。気持ちも身体もいつの間にか暑さに慣れてきたらしい。訪れの遅かった今年の夏は、足早に過ぎていくだろう。やっと出会えた夏を自転車で楽しみたい。
家を出がけに真っ白な蝶がハンドルにとまった 夏探しの旅の相棒?
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海に向かって走る 夏草の向こうに海が見える ようやく今年の夏に出会える予感… |
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波打ち際まで行くと、そこには間違いなく夏が来ていた 人影はないが、今年の夏をみつけた
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素晴らしいです!
返信削除この時期にロングライド!
100㎞となると前日からの栄養補給も大切になってきますよね 熱中症という危険もありますが、またその危険に挑戦するのもおもしろいですよね
さすがです!
コメントありがとうございます。
削除暑さに身体を慣らすには、ちょっとがんばって走るのが一番だと思いますが、熱中症の危険に挑戦するのよろしくないかと…?
身体に異変を感じたら、自転車を降りて即休憩!!
異変が続くようなら、自転車はとりあえず乗り捨て、公共交通機関かタクシーのお世話になることもありかと…。
コロナウィルスも熱中症も注意をすれば予防はできるでしょう。罹ってしまって人様にご迷惑をおかけするのだけは厳に慎みたいと思います。
この夏も無事故で、無病息災で、自転車を楽しみたいですね。
とても素晴らしい文章で感心しました。例年なら向こうから勝手にやってくる夏を、今年は自分から探しにいくっていう発想は詩人ならではです。
返信削除これから8月中旬に入り、あっという間に夏が過ぎ去っていきます。
何事も待つのではなく自分から動くのが大切だと、今回のブログが語ってくれています。
とはいうものの、ここんところの暑さに自分が負けています。
MARIOさんのパワーの半分でも注入してもらったらいいのですが・・・
ごろごろしながら意味のない一日を過ごすのは避けたい、と思いつつ、
ラクな場所を探しております。反省。