冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2021年11月27日土曜日

ブログのご縁

  少し前にデジャヴについてブログに書いた。池から現れた巨大な乙姫さまの写真を添えた。この写真のことで、ブログを読んでくれた知人からメールがあった。どこで撮影したものかという問い合わせだった。

地図に撮影場所を書き込んで返信した。岐阜県安八郡輪之内町海松新田の「乙姫公園」。京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷と並び、日本の三大稲荷といわれ「おちょぼさん」として知られるお千代保稲荷の近くにある。

昔、魚獲りが達者な若者が、寄りつかないように言われていた川へ投網をした。すると不思議な力で川の中に引き込まれ、そこで、美しい女性に「ここへ来てはいけない」と咎められたという輪之内町に伝わる「大榑川の竜宮」伝説をもとに作られた公園らしい。

写真の撮影場所を知りたいというメールにはその理由が書かれていた。

「高校時代、悪友と大晦日の夜、年越し詣りにおちょぼさんに行こう、となり、バイクで二人乗り、厳冬のなか揖斐川を北上。二人ともおちょぼさんの場所をしっかり把握できていない。遠くに車の明かりが見え始めた。そちらを目指してバイクはフラフラ走る。迷いながらすったもんだしていると、突然暗闇のなか池が現れる。通り抜けようとして浮かんだシルエットは大きな像。ギャーっ、とふたりは声も出せずにアクセルをふかす。そのあと、おそらくおちょぼさんに参らずに帰路のついた記憶。あれから50年。おちょぼさんに行くたびに、あの池の像はどこにあるのか、はたまたデジャヴかと気に留めて探したりしていました」

年越しに見た得体の知れない池の中の巨像が脳裏に焼き付いて、実際に見たものなのか幻想なのか、長い間メールの主を悩ませていたものらしい。偶然見たブログの写真がその時の像と重なったというわけだ。後日、追伸届いた自転車で乙姫公園を訪れて、50年も前に見た深夜の不思議な光景を、確認できたとのことであった。長年の謎がやっと解けたことに感動しきりという内容だった。

 自転車に乗っていると珍しい光景を目にし、いろいろな人に巡り合う。縁は異なもの味なものというのは男女の縁ばかりではなさそうだ。自転車のことをブログにしていると、ここでも思わぬ発見があったり、出会いがあったり、これも何かのご縁に違いない。

 先週は、膝に痛みがあったので、平坦な道をプラプラと走った。四日市市寺方町というところで、お堂の屋根が目に留まった。高角山大日寺。せまい境内には、しあわせ菩薩さんと幸福地蔵さんが並んで安置されている。門前には身代わり如来さんも鎮座ましまして、いかにも幸せになれそうな空間だ。本尊の一丈六尺の大日如来坐像は拝めなかったが、お寺を辞すると心なしか膝の痛みが和らいでいた。真夜中の乙姫さまとの強烈な出会いほどではないが、これもご縁。

ここはどこかと尋ねられた
昼間に行っても不思議な感じのする場所だ

50年ぶりに再会したと写真が送られてきた
厳寒の深夜、突然乙姫さまが現れたら
肝をつぶすに違いないない
「ここへ来てはいけない」

お千代保稲荷の鳥居が
ヘッドライトに浮かび上がるはずだった

ふとしたご縁で
しあわせ菩薩さんと
幸福地蔵さんに出会う

身代り菩薩さんとも
お会いできた

ご縁を運べるように
自転車に荷台を取り付た


2021年11月20日土曜日

E-bikeと走る

  10年ほど前に、父が電動アシスト自転車を買った。初めて乗ったときには驚いた。自分が怪力の持ち主になったかと錯覚する。ペダルに脚を乗せて軽く踏むと、自転車は大きな力で前に押し出される。最近、知人が電動アシスト付きのスポーツバイクを手に入れた。E-bikeといわれる新種の自転車である。

 電動アシスト自転車に初めて乗ったときにも驚いたが、E-bikeにはもっと驚かされる。外観は、ほとんどクロスバイクやロードバイクと見分けがつかない。これまでのアシスト付き自転車のように大きな電池をサドルの下につけているわけではない。アシストするモーターも小型のものがクランクの付け根にあって、ほとんど普通の自転車と見分けがつかない。しかも、驚くことに、スポーツバイクと同じような外装の変速機が装備されている。

 アシスト付きの自転車は、電池切れのときには重くて走りが難渋する。E-bikeは変速機を駆使すれば普通のスポーツバイクのようなスピードで走れる。電池が切れても自分の力で充分に走れるし、電源を切っておくこともできる。電池を節約し、アシストの量を抑えて走れば、航続距離は100㎞を超える。驚くほど長い時間、モーターの力を借りられる。

 E-bikeに乗る人たちと一緒に走りに出かけた。40㎞程の距離を2時間で走った。自分一人が普通のロードバイクで、あとの三人はE-bikeである。

 自転車は自分の力で「転がす」車という意味に解釈していたが、E-bikeは自転車が自分の力で「転がる」車だと考えを変えた方が良さそうだ。乗り手が転がすというより、転がる車に乗せてもらうことになる。もちろん、乗り手も多少の力を出さないと動かない。自転車なのでペダルは踏む、そうすれば勝手に走り出すという感覚だ。電源を切れば、普通の自転車のように自分の脚力だけでも走れるが、向かい風のときや登り坂でモーターの力を借りるうま味を覚えたら、電源を切る気にはなれないだろう。

 E-bikeは時速24㎞までアシストが使える。向かい風がどんなにきつくても、そのスピードまでならペダルを軽く踏んでいれば巡航できる。坂道でも我武者羅に力を入れる必要はない。モーターが見えない力で速度を保ってくれる。

 きつい向かい風の中、E-bikeと一緒に走ってもアシストのない私は、前を行く人の真後ろについて、スリップストリームを使わせてもらった。かなりパワーを節約して走れる。それでも、一度離されると、再びすぐ後ろにつくためには相当の力が要る。坂道では、スリップストリームの効果を期待できない。登坂はすべて自分の脚力に頼ることになる。

 E-bike一緒に走りながら考えた。E-bikeと同じペースで走るべきではない。こちらの走りに合わせてもらえば兎も角、E-bikeに合わせて走ったら、力のない私の脚や膝はまちがいなく壊れる。E-bikeは自転車ではない。全く次元の違う新種の乗り物なのだ。

ブリヂストン アシスタ U STD
売れ筋の電動アシスト自転車
自分が力持ちになったような気になる
ヤマハYPJ-R
外装22段変速のロードバイク
驚異的な走りを見せる
E-bikeという名の新しい乗り物(?)

E-bikeに乗る人たちと走る
同じペースで走るには
超人的な脚力が欲しい

アシストもなく
サポートもなく
心細さと一緒に走る


一緒に走るだけで
アシストされている

季節の色や風の匂い
この先にある風景が
気持ちをアシストしてくれる





2021年11月13日土曜日

いつか遠くへ

  定年退職後は、ゆっくりと旅行を楽しむとか、外国へ時間をかけて出かけるという人の話をよく耳にする。北海道へ行ったことがないので、自由な時間ができたら、行ってみたい。35年前に3年間勤務した、懐かしいイギリスの日本人学校や当時住んでいた場所を、もう一度訪ねたい。

 そう思いつつ、未だに実現していない。定年退職した当時、父は90歳を迎えようとしていた。高齢の父を一人家に残して、長い旅に出るわけにはいかない。父を連れての長旅も難しい。旅とは全く縁のない生活が続いている。この10年間に出かけたのは、京都への一泊二日の旅一度きりである。

 自転車に乗り始めてからは、ちょっと出かければ遠出をした気分になり、少し走ればひとり旅の気分も味わえる。それが旅への思いを代行してくれる。自転車ではるばる訪ねたと思うような場所でも、家からたかだか50㎞圏内である。父に何かあっても、タクシーに自転車を積んでもらって1・2時間もあれば家に帰り着く。安心な旅だ。

 松尾芭蕉の『奥の細道』の序文ほど格調は高くないが、自分も「いずれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」にいる。「舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかふるものは、日々旅にして旅を(すみか)とす」と、芭蕉は云うが、近場で自転車に乗っているだけで老いてしまっては、本当の旅を住処にしたとはいえない。旅に出た気になって、自分を(あざむ)いている

 自転車に乗り始めるまでは、いずれ旅に出るときは車を使うことを想定していた。今なら、どんな長旅でも断然自転車で出かける。

 本物の自転車旅のプランも漠然と描いている。北海道へ行くなら、苫小牧まで車に自転車を積んでフェリーで行く。翌日から、午前中に自転車で50㎞ほど走り、次の町へ移動する。例えば初日は函館までか。妻は車で同じ行程を走る。町に着いたら、午後は妻の自転車も車から降ろして、二人で町を訪ねて回る。それを繰り返して、最北の宗谷岬まで行く。

 少々無謀かもしれないが、イギリスへ行くのもプランは同じだ。ロンドンまで飛行機で行く。自転車を2台、現地で調達する。レンタカーを借りる。私は自転車で、妻は自分の自転車を車に載せて、午前中に次の町へ移動する。例えば、オックスフォードまで行く。午後は自転車2台で町を訪ねて回る。35年前には妻もロンドンで車を運転していたので、今も乗れるだろう。

 このパターンに現実の町を当てはめて、旅をつづける。いつ旅立つチャンスが来てもいいように、午前中は自分一人で50㎞、午後は妻と二人で2030㎞と決めて、毎週2、3回は自転車で走るようにしている。

何歳になっても、準備さえしていれば旅に出られる。心配することはない。芭蕉も芭蕉が崇拝した西行も、晩年になって奥州を歩いて旅している。私には、自転車、ところによっては自動車という強い味方もある。

いつも走っている道が
北海道の道に変るだけだから
そりゃ走れるにちがいない

走りなれてるこの道が
イギリスの道に変っても
そりゃ走れるにちがいない

朝から一人で50㎞
午後には二人で20㎞
毎日それだけ走れたら
そりゃどこだって走れるさ

雨にも負けて
風にも負けたら
年寄りだから休めばいいさ

なぁに案ずることはない
芭蕉さんも西行さんも
てくてく歩いてその昔
みちのくまでも旅をした


2021年11月6日土曜日

私と私の自転車の限界

  「人生、下り坂最高」というのは、NHKの『こころ旅』という番組で、自転車旅を続けているメインキャラクターの火野正平さんが、下り坂にさしかかったときのセリフである。人生の下り坂に歩を進めてしまえば、それほど力みかえることもない。火野さんと年齢の近い私にもその心境はよく判る。自分の身の丈に合わせて無理なく生きていられるのはしあわせだ。

自転車は自転車で、これまた下り坂は最高なのである。同じように自転車に乗る自分にも火野さんの感覚がよく判る。何しろペダルを踏まなくても進む。位置エネルギーを使って、転がり下りるのだから、進むどころかどんどん加速する。そこに追い風でも加わろうものなら、さらにスピードは上がる。脚力には見合わないスピードで坂を下っていて、時速40㎞を超えると、ここらがほぼ限界かと思う。これ以上は危ない。

人によって、スピードの限界は異なる。私の瞬間最高速度の記録は、安物のサイクルコンピュータの計測によれば時速57㎞だ。計測値に誤差があるだろうし、人に言えば無用の心配をおかけするだろうから、大きな声で言うべき数値でもない。プロのロードレーサーともなれば、最高速度は時速80㎞にも達する。

 坂道ではなく、無風の平坦地ではどうか。私の場合、スピードが出過ぎるという危険はない。危険なほどスピードを出す脚力がないからである。本気でペダルを踏んでも、限界は時速35㎞。しかも、10分も走れば息が上がる。

 では、1日に走れる距離はどうか。これは100㎞程度である。日の長い時期であれば、もう30㎞くらいは余計に走れる。平均速度20㎞で走れば5時間で走り終える距離である。距離が長くなればなるほどスピードが落ち、休憩は多くなる。100kmの後半ともなれば、休憩の時間も長くなる。100㎞を走るには、都合7時間ほどかかる。

 安全に時速50㎞の速度まで走ることができて、トラブルなく1日に100㎞走るためには、自転車のコンディションを保つ整備も必要だ。自分でやれる整備は、これくらいのコンディションを維持するのが限界である。

 時々は仲間とも走るが、一緒に走るのは4人までが限界だと思っている。何台かで走れば、前と後ろの自転車に気を遣う。安全への配慮が数倍必要になる。一人なら1日100㎞走れても、何台かで走れば、その半分くらいが限界だろう。トラブルの発生率も高くなるし、休憩時間のおしゃべりも長くなる。助け合って走るとはいうものの、疲労も大きくなる。

 乗る人の脚力も自転車の性能も違うので、限界を決めるのは難しい。私と私の自転車との組み合わせに限って考えると、限界はこんなものだろう。70歳がすぐそこまで来て、私を待っている。私と私の自転車の限界が、今後広がることは考えにくい。あわてて限界など決めなくても、いずれは向こうからやってくる。下り坂にいることを甘受するふりをして、前方に登り坂があれば密かに挑戦してみる。限界は曖昧なままにしておいて、私は私の自転車で無理のない走りを心がける。


空が澄んでいてマリア像に出逢う
砂の一粒ひとつぶが限界を結び
砂の一粒ひとつぶで像を結んでいる

やがて限界を解かれる砂の像は
一粒ひとつぶの砂に還る
マリア像のための一粒だったことを
砂は砂の記憶に刻みつける

今週は東海道関宿まで行った
随分と遠出をしたが
道に限界の線は引かれていない

琉球朝顔が
限界を知らぬ気にひろがる

空の蒼が
限界を超えて深まっていく