冬をむかえる

冬をむかえる
'20.12.22 愛知県海部郡飛島村梅之郷 日光川排水機場付近にて撮影

2020年4月25日土曜日

The long and winding road

 自転車で長い距離を走るときは何かきいているか、と尋ねられたことがある。音楽でも聴いているのかという意味にとらえたので、何も聴いていないと答えた。「風の音や鳥の声、世間の雑音を聴いていれば十分面白いので、何かことさらに聴くことはない」と返事をした。そもそもの問いかけが、音楽を聴いているのかという意味ではなくて、五感で何かをきいているかという意味だったとしたら、私の早とちりである。頓珍漢な答え方をしたかもしれない。
 
 自転車で走っていると、いろいろな音が聴こえてくる。外界からの音ばかりではない。自分の中の音や本音が響くこともある。思わず口ずさんでいる自分の歌や口笛が聴こえることもある。独創のメロディーが次々に浮かんでくれば、作曲家になれるのだろうが、そうではない。いつか聴いたことのある歌のメロディーが聴こえてくる。知らないうちにその歌を口ずさんだりしている。
 
 繰り返し聴こえてくる歌の一つに、ビートルズの「The long and winding road」という曲がある。中学生のころからビートルズばかり聴いていたので、思い浮かぶビートルズの曲は多いが、自転車に乗っているときに身体の中に流れているのはこの曲だ。

The long and winding road that leads to your door
Will never disappear, I’ve seen that road before
It always leads me here, leads me to your door

The wild and windy night that the rain washed away
Has left a pool of tears crying for the day
Why leave me standing here? Let me know the way
Many times I’ve been alone and many times I’ve cried
Anyway you’ll never know the many ways I’ve tried

But still they lead me back to the long winding road
You left me standing here a long, long time ago
Don’t leave me waiting here, lead me to your door
 
 引用が長くなったが、詞の意味は重要ではない。長く曲がりくねった道がどこまでもつづいていて、その途中に置き去りにされている私。他の道をたどろうとしても、いつしかこの道にもどってしまい、もう長い間たたずんでいる。出口の扉は見えない。 
 英語では「long and winding road」、日本語では「曲がりくねった長い道」。語順が逆だが、その方がリズムに合う。これは余談。とにかく、自転車に乗っていると聴こえてきたり、思わず口をついて出る。
   ポール・マッカートニーは、孤独を感じ、涙がたまってしまうほど泣き明かしたりもしたとこの曲に書いているが、自転車に乗っているときに響くこの歌に悲壮感はない。どこまでもつづく曲がりくねった道を楽しめばいい。他の道を探すこともなければ、いそいで出口を見つける必要もない。老境にさしかかって、ようやく、そう思えるようになれたのかもしれない。


長い道がつづいているが、急いで通り過ぎることはない 
今走っている道を、ゆっくりと楽しみたい     
曲がりくねった道の途中に朽ち果てた車       
懐かしい「スバル360」              
この車も長い道のりを走ってきたか?      
長い道を走るための三種の神器            
手ぶくろ、のみ物、小さな鞄             
時間が許せばいつまでも走っていたい道がある    
この道の先には何があるのか…           
とりあえず、行けるところまでいくか…        
曲がりくねって、出口の見えない道もあるが、
道は、いつかひらける           
どこへつづくかわからないから面白い    




2020年4月18日土曜日

ジャスミンのマスター


 仕事を辞めて、家にいる時間が増えた。時折、妻と連れ立って、外で昼食を摂るようになった。家から少し離れた、いなべ市にある「ジャスミン」というカフェのランチが気に入って、何度か出かけた。

 常連というほど頻繁に通うわけではないが、マスターは私たちの顔を覚えて、挨拶をしてくれるようになった。レジで支払いをするときには、奥の厨房からひょいと顔を出して、声をかけてくれる。お昼どきにはいつも満席になるので、マスターは大忙しで、手のあくいとまはないはずなのに、どうやって客を見ているのか。客席にまでよく目が行き届くものだ。
 顔見知りとはいえ、客の顔を覚えてもらっているという、それだけのことである。ところが、マスターとは、その後ひょんなきっかけで話をすることになる。

 先年、私の妹が癌で亡くなった。64歳という若さで、これからのんびりと生活を楽しめると思っていた矢先。人生の元が取れないうちに逝ってしまった。辛い話ではある。
 ジャスミンのマスターは、妹の告別式に参列してくれていた。式場で私が遺族の席にいたのが目にとまったらしい。後日、店に行くと、マスターに故人との関係を尋ねられた。私が兄であると名乗ると、マスターは小学生のとき、妹に担任をしてもらったと、懐かしそうに思い出話をしてくれた。近しく話したのはその時が初めて。束の間ではあったが、マスターのやさしい人柄が伝わってきた。妹の教え子だということが判って、親近感がわいた。

 そのマスターに、次は町中で出会うことになる。阿下喜(あげき)という坂のある古いを走っていると中の交差点で信号待ちをしている自転車があった。速そうなロードバイクである。私がクロスバイクで並びかけると、その横顔がどこかで見覚えのある人物。サングラスではっきりしないが、若いころの谷村新司にどこか似ているジャスミンのマスターにまちがいない。この時も、マスターから声をかけてもらった。
「バイクに乗ってえるんですねぇ」
「へぇ~、マスターも乗ってるんですか」
「最近、はまってしまいまして…」
 乗っている自転車も違えば、乗り方も違う、歳もマスターはうんと若い。それでも、自転車で出会ったというだけで、ぐっと距離が近づく。旧知の間柄のようだ。
「機会があれば、一緒に走りたいですね」
マスターは、気軽にそう言ってくれるが、私の実力ではついて行けそうもない。一緒に走るのは無理かもしれないが、自転車に乗る歳の離れた知り合いができるのは嬉しい限り。
 マスターは、週1度の店の休みにしか自転車に乗れないのが物足りないようだ。ジャズの流れるシックで落ち着いた雰囲気の、それでいて気軽に立ち寄れるカフェを切り盛りするマスター。きっと、自転車にもお洒落で気取らない乗り方をするのだろう。

 ※ ジャスミンのマスターに断りなく、書きました。
   ジャスミンのマスター、このページを見られて、全部NG、または部分的に
   NGのところがあれば、ご連絡ください。すぐ、抹消します。


大きな看板で、店はすぐにみつかる          
入り口にはサイクルラックも設置されている      
昼どきは、駐車場は満車、店は満席になる       
ランチにはちょっと早めか、少し遅く行くのがお勧め  
写真では、ランチのメニューがよく判らないが、    
「食べログ」ではなく「チャリログ」なので…      
リーズナブルでおいしいランチが味わえる       
珈琲ももちろん絶品                    
  ジャスミンの裏庭のような「いなべ公園」         
  店から自転車なら5分、風光明媚               

「いなべ公園」の池をめぐると、こんな場所も…    
徒歩でも自転車でも、散策には最適           
ついでながら、拙宅の生垣にはカロライナジャスミンの花が咲く
香りはいいが、これはジャスミンとは似て非なるものらしい  

2020年4月14日火曜日

番外篇:最後の授業


 「教え子の自転車」で最後の授業にふれたので、その授業の内容を紹介しておく。これは番外編。

 最後の授業に、ギリシア人の歌手ジョルジュ・ムスタキの『ヒロシマ』という曲と、嵯峨信之の詩『ヒロシマ神話』を題材として選んだ。どちらもいつかは三年生のみなさんと一緒に考えてみたい題材だった。ムスタキの『ヒロシマ』は、初めて自分が教職に就いたころに聴いていた曲である。妹がレコードを買ったのだと思う。三十七・八年前のことである。『ヒロシマ神話』には三年ほど前に出会った。『詩の授業 中学校』という本に収録されている。
 毎年、原爆の日には全校平和集会を開いているので、いつかはこの歌と詩を題材に授業をしたいと思っていた。三年生の修学旅行が広島方面に決まったときには、それぞれの学級で時間をもらって、授業をさせてもらおうと考えた。ところが、修学旅行の前後の取組で、三年生のみなさんは、原爆について、被爆者について、あるいは戦争と平和について、テーマを決めて学習を深めていった。私が授業をさせてもらう余地はなかった。
 これまでにも、題材はちがったが、自習の時間などに授業をさせてもらったことがある。私が選んだ題材を持ち込んで授業をさせてもらうのだから、生徒のみなさんにとっては迷惑だったかもしれない。それでも、普段とはちがう授業者が、教科書の内容とはちがったものを、切り口を変えて取り上げるのだから、多少は新鮮に受け取ってくれた人もいると思う。
 二月の学校公開の日に、三年生の全クラスで、教職生活最後の授業をさせてもらおうと考えた。生徒の保護者にはかつての教え子がいて、一緒に授業を受けると言ってくれた。時期も題材も私が一方的に選んだものではあったが、生徒のみなさんはこれまでの学習の成果を生かして、授業の中でいろいろな考え方を展開してくれた。平和への想い。人を大切にするということ。たくさんの意見を出してくれた。最後の授業で、これまであたためつづけてきたことを実現できた。授業をしながら至福のときを味わわせてもらった。これからさき、教壇に立って授業をすることはない。                                                     2012. 2. 6

 最期の勤務校のPTA広報誌に載せてもらった記事をそのまま引用した。
 自分の授業の記録を残しておいたり、それを発表したりしようというのは教員根性である。37年も教員をやってきたのだから、いまだにその習い性が抜けない。 
 最期の授業というと、フランスの小説家、アルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』を連想する。私の最後の授業はそれほど崇高なものではないが、私の中にはいつまでも残っている。

 今回、自転車から完全に離れてしまった。
 より道、まわり道をするのも、自転車ならではというところか。



新型コロナウィルスの蔓延で、今年の春はこころおだやかでない
それでも、今年も花は咲いた                 
私が学校を去った年の春も花は咲いていた       
写真は、当時のもの                 
時は過ぎていくが、花は同じ場所で咲きつづけていることだろう
最期の勤務校の校舎に臨む 写真は同じく当時のもの     


『ヒロシマ』が収録されたムスタキのCDジャケット   

『詩の授業 中学校』明治図書のページ           



2020年4月11日土曜日

教え子の自転車

  ちょっと前に、ブログを見てくれたという教え子から、メールをもらった。「教え子」という言葉は好きではない。好きな言い方ではないが、私が昔教員をしていて、かつて教えたことのある(または、私が教えられることが多かった)人は「教え子」という言い方をすると関係性が判りやすい。
 勝手にメールを転載すると叱られるかもしれないが、ご容赦願うことにする。

「日に日に暖かくなり、益々自転車が楽しい季節ですね。
    本日、何年かぶりに私も自転車に乗ってみました。と、言っても近距離も近距離…先月行くはずだった『確定申告』をしに市役所まで。例年、確定申告は市役所の5階大会議場で行われています。ただ、最近市役所の駐車場が有料になったので、自転車で行こうかな?と。市役所に着いて、5階に行くとがラーンとしていて、へっですよ。貼り紙を見たら、315日以降は税務署になりましたと… ‼️…… 自転車漕いで税務署まで行きました。まぁ、近いですけど()
    ただ、今日は風が強くて😭  先生のブログじゃないですけど、向かい風、向かい風、たまに追い風… 脚力も弱くなり漕いでも漕いでも走らない… やっぱり車がいいなぁ😊 まっ、これも知らない道・長距離 N.G ですが()
    風もなく、もう少しだけ暖かくなったら私でも自転車楽しいと思えますかねぇ😞
     ブログで自転車の詩が読めるのを楽しみにしています今のブログの中でも、 結構『詩』を思わせる箇所がある様な気もしますが…」

 以上がメールの全文。国語を教えていた(?)元教員が、添削なしで全文引用するということは、出色の名文。メールの最後に、自転車の詩の件(くだり)があるのは、私が国語の授業でいつも詩を創るという課題を出していて、自分も自作の詩を披露していたからだと思う。
 自転車に乗る、あるいは自転車にまつわる逸話を書いていて、それを目にとめてくれた人が、自分も自転車に乗ってみようと思い立ったというのは嬉しいことである。
 「教え子」というのは、卒業したのちも動向を気にかけてくれていて、ときおり声をかけてくれる。これも嬉しいことである。

 退職の直前、勤務していた学校の全校公開日に最後の授業をした。校長が公開で授業をするのは珍しい。多く人が授業を観に来てくれた。今では生徒の親になっている「教え子」が何人かいた。口コミで広がったのか、最後の授業には、学校には関係のない「教え子」まで、保護者に混じって大勢来てくれた。教室に入りきれない人が廊下にあふれた。最後の授業の出来はともかく、昔の生徒も授業を受けてくれた。嬉しいけれど、授業をするのはこれが最後かと思うとさみしくもあった。


無造作に置かれている自転車(実用車=ママチャリ)
意識して乗ってみると意外に楽しい        
どこにでも駐輪できて、便利なことは天下一品    
                     
最近は、サドルを上げて乗っている人をよく見かける。高校生に多い
 スマホ片手の運転と右側通行はやめた方がいい                  
泥除けをはずす、サドルを好みのものに替え高さを調整  
    チェーンとタイヤの空気圧、それにブレーキの調整        
     それなりに姿も良くなり軽快に走る                
クロスバイクと並べても、一緒に走っても遜色ない    
「教え子」の話題が出たので、私が初めて教員になったころの生徒たちをご紹介        
もう、だれがだれか判らないくらいの年齢になったので、公開しても大丈夫?        
  今から43年前? ブログを見てメールしてくれた人もこの中に…。                          




















2020年4月5日日曜日

春の小川


  春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲けよ咲けよと、ささやきながら。

  春の小川は、さらさら行くよ。
  えびやめだかや、小鮒の群れに、
  今日も一日ひなたでおよぎ、
  遊べ遊べと、ささやきながら。

 この歌のイメージを共有できる人が、少なくなってきているのではないだろうか。
 小学校に通う道の横を小川が流れていた。春だけに限らず、四季を通して小川と一緒に登下校していたようなものである。川の中に魚がいるのを見ると、一旦は家に帰り、ランドセルを放り出して、網や釣竿を持って、その場所へ駆けつけた。小川の岸にある柳の木にカミキリムシがいるのを捕まえて帰ったこともある。黒い翅に白い斑点を散らしたカミキリムシは、害虫ではあるらしいが、私には優美で貴重な虫に思えた。

 歌の情景のとおり、春には小川の両側一面にれんげ畑が広がり、すみれの花が咲いていた。メダカをすくいに行ったこともある。手ぬぐいを広げてメダカをすくう。水の中で手ぬぐいを広げるのは小さな手では難しい。年上の子たちの真似をして、うまくメダカがすくえるようになるころには、自分も上級生になっていた。今では、そんなメダカに値段をつけて売っている。
 小川は、小学校を卒業すると遠い存在になった。中学生になるころには、もっと大きな川やため池に泳ぎに行ったり、釣りに行ったりするようになった。小川で遊ぶことはいつしか置き去りにされた。

 以来、50年以上も田んぼの中をさらさら流れる小川に気を留めることはなかった。その間に、水田に水をかける井水の整備が進んで、小川と呼べるような流れは少なくなった。小川らしきものも、ほとんどは両岸をコンクリートで固められている。水はさらさら流れず、さっと流れ過ぎてしまう。圃場整備が進んで、曲がりくねった小川が田んぼの間を流れているのを見ることは少なくなった。

 自転車でふらりと出かけて、気がつくと懐かしい風情のある小川のそばを走っている。岸には春の草花が咲き揃い、どこからかウグイスの鳴き声が聞こえる。やわらかい水がさらさらと流れている。小川に沿って走るのは何ともさわやかで気持ちがいい。水面の静かなため池に行きつくこともある。釣りをしたり泳いだりした記憶がよみがえる。懐古趣味ではないが、長い間自分の中で失われていた光景に再び出会えるのは嬉しい。自転車のおかげだ。
 今では、小川のほとりで遊ぶ子どもたちの姿を見かけることはない。
 今でも、子どものころの私や私の友だちは、昔の恰好のまま小川のまわりで遊びつづけている。


春の小川はさらさら行くよ          
  今日も一日ひなたで「走り」             
遊べ遊べとささやいている 


水ぬるみ、自転車の季節が到来する          

小川の流れにそって 春の陽ざしの中を走る      
  懐かしい光景がよみがえる              
中学生くらいになると小川を離れ、この川で遊んだ  
       夏休みには日がな一日、この川で泳いでいた          
   近くのため池へ鮒を釣りに行った           
  暑い季節は裸になって池に飛び込んだ      
  何が出てくるか分からないので怖かった