'25.10.3 一本の柿の木

2023年3月4日土曜日

もしかすると

  昨日、椿神社へ行った。風の穏やかな、春を思わせる陽気だ。ロードバイクで家を出た。午後は南東の風が強まりそうだ。

 もしかすると、海に向かって走った方が帰り路で追い風になって楽かもしれない。それなら、椿神社から鈴鹿方面へ下ればよい。とりあえず、25㎞ほど先の椿神社へ方向を定め、走りながら考える。

 もしかすると、今日のようにあたたかい日は、山沿いにきらら林道の下から東海自然歩道を抜ける方が気持ちがいいかもしれない。けれど、ロードバイクなので、菰野から平坦な道を選んで水沢を目指す。

 もしかすると、巡見街道から巡礼道へ出た方が走りやすいかもしれない。そうこう考えながらも椿神社には10時過ぎに着いた。

もしかすると、昼食にはまだ早いかもしれない。この先で美味しいものが見つかるかもしれない。そう思いつつ、椿神社へ行ったときのお決まりで椿会館のカレーライスを食べた。

もしかすると、この先は、亀山方面へ下る方がいいかもしれない。能褒野という美しい地名に魅かれて走る。走行距離が少し伸びて、家に帰れば80㎞くらいにはなるだろう。

もしかすると、もしかするとと、前向きの「もしかすると」を重ねながら走りつづける。もしかすると、前方の坂を避けて迂回できるかもしれない。もしかすると、次の辻で曲がれば見たこともない絶景に出会うかもしれない。「もしかすると」は可能性の追求だ。

帰ってみるとサイクルメーターの走行距離は83㎞を示していた。もしかすると、今日は他にもっと面白いコースを走れたかもしれない。これは後ろ向きの「もしかすると」だ。振り返ってもしかするとと問い直すよりも、今日はこれでよかったと、きっぱり決めておく。

 もしかすると、自転車を趣味にしていなければもっと楽しいことがあったかもしれないなどと、後ろ向きに問うのは馬鹿げている。

「もしかすると」を重ねて
今、ここにいる

もしかすると
もっと遠くまで
行けるかもしれないし

もっと先まで
進めるかもしれない

もしかすると
思いもかけないものに
出会うかもしれないし

思いもかけないところへ
たどりつくかもしれない


もしかするともっと良い日に
なっていたのかもしれないが
今日は今日のままでよかった




2 件のコメント:

  1.  もしかするとは、悪いことの予感。ひょっとするとは、よいことの予感。
    こんなイメージですが、感じ方は人それぞれでしょうね。

     私が若い頃からこれまでずっと聴き続けている歌手が、中島みゆき。
    年齢もほぼ同じ、これまでに発売されたLPからCDアルバムをほぼ全部所有しています。その中に『Maybe』という曲があり、今回のブログを読ませていただいて、ふとその歌詞が浮かんできました。サビの部分が、

     Maybe 夢見れば Maybe 人生は
     Maybe つらい思いが多くなるけれど
     Maybe 夢見ずに Maybe いられない
     Maybe もしかしたら
     
     人生つらいことが多いかもしれないけれど、もしかしたら素敵なことが起こるかもしれない。だから夢を見ることをやめちゃいけないよ。
     みゆきさんに聞いてみないとわかりませんが、こんな意味でしょうか。
    もしかするとも、ポジティブポジティブに捉えないといけませんね。

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  2. べーえんべーさんのおっしゃるように、同じことばでも、人によって感じ方が違うということはあると思います。

     私は、「もしかしたら」も「ひょっとしたら」も、その先には佳いことが待っていると期待していたいです。

     「もしかしたら」は、自分がこんなことをしたり考えたりした結果、もしかしたらと問うことになるし、「ひょっとしたら」は自分は何もしなくても、偶発的に起きることのような感じもします。「ひょっとしたら」の方が他力本願的だと感じるのは私だけでしょうか。

     そういえば、小林幸子さんが『もしかして』とかそのPARTⅡとか、歌っていました。中島さんの歌も、小林さんの歌も、改めて聴いてみたいです。

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