'25.10.3 一本の柿の木

2020年11月27日金曜日

仲間と走る Ⅱ

  週に一度は自転車仲間4人で走るのが恒例になっている。メンバーの一人が仕事を持っているので、そのスケジュールを優先する。午前中は仕事があるので、午後に集まって走ることになる。一緒に走るので便宜上「走行会」といっているが、特に会の名前もなければ、曜日を決めているわけでもない。天気予報を見ながら、およそ計画とはいえないような計画を立てる。不定期の定期走行会である。

 集合の場所と時間をメールで打ち合わせて、メンバーが集まってから行き先やコースを決める。秋ともなれば、曼殊沙華が咲きそろう頃だとか、コスモス畑が見ごろかもしれないとか、はたまた、公孫樹の色づく頃合いだろうと言いながら、目的地らしきものを選定する。天気次第で、近くのコーヒー屋さんに行く、誰かの家で自転車いじりをするという計画の変更もありうる。

 独りで走るときと何人かで一緒に走るときとでは、走り方が違ってくる。複数で走れば、前を行く者はペース配分に気を使う。速度を押さえて走ることもあれば、多少無理をして速く走ることもある。目配りも独りのときとは自ずと変わってくる。前だけを見て走るという訳にはいかない。後ろを見たり背後の様子を感じたりしながら走ることになる。道路を横断するときはみんなが安全に渡り切れるか、青信号は全員が通過できるか、気配りしながら走る。後ろを走る者は他力本願、とにかくペースを合わせる。独りのときとは違う面白さでもある。

 自分のペースに他の人のペースが混じるので、身体が混乱することもある。筋トレとか心肺能力を高めるとか、そんな大それたことは考えないにしても、できるだけ遠くまで走ってみようなどと思うときは、独りで走るのがいい。何人かが一緒のときは、多少は周りに気を配りながらも、ゆっくりと景色を眺めたり、走行中や休憩のときの雑談を楽しんだりするのがいい。

 新しく導入した自転車の部品や自転車に関係のないアイテムでも面白いものがあれば紹介しあうという楽しみもある。若い頃は人には負けじと同じことに挑戦してみるとか、人の持っている物よりグレードの高いものを手に入れたいと思うこともあった。今はそういう発想はない。なるほどそんな手もあるか、そういう便利な物もあったのかと感心したり感動したりはするけれど、では自分もそっくり真似をしてみようとか、同じ物を手に入れようということでもない。見習うことはあるにしても、所詮は銘々の勝手なのである。

 目新しい機器を使いこなしたり、こなせなかったり、うまく行ったり失敗したり、それも話のネタにする。一緒にはいるが、夫々が自分のやり方で自分のやりたいことを楽しむ。合わせるのは自転車のペースだけ。年齢を重ねた者のいぶし銀的交際術。子曰く「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。気のおけない仲間との束縛されない「走行会」。これがいい。

曼殊沙華の咲きそろう頃は曼殊沙華を見に行く

コスモスが咲けばコスモス畑を探す
写真を撮ったり、何か記録にとどめたり
何となく眺めているだけだったり、三者三様

そろそろ公孫樹もいいかも…
ということになれば公孫樹も見に行く
中の一人は菓子職人はだし
休憩用のケーキを焼いてきてくれる

仲間の一人が3Dカメラを手に入れて試す
年寄りは案外新しいものが好きだったりする
が、うまくいったりいかなかったり…

静止画では3Dカメラの面白さが判らない…!?
そのうち画期的な活用法が見つかるか??

斬新なポーズは、
ビートルズのレコードのジャケットにも劣らない!?



2 件のコメント:

  1.       『君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず』 

     気の合う仲間と空間を共有しながら、心も繋がっていくという素晴らしい走行会。

     
      私は君子にはほど遠い人間。

     協調はするが、主体性を失い、いともたやすく同調してしまう。

     でも小人かというとそうでもない。簡単にひとと同調するが、

     それとともに己の心も開いていく。

      ああやっぱり小人でした。


     残りの人生、どれだけ君子に近づけるのでしょう。 合掌!

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    1. 私もいたずらに齢を重ねるだけで、君子の域には達することができませんが、小人は小人なりに、独りのときも友だちと一緒のときにも、歳相応に楽しみたいと思います。
       退職して仕事を離れても、身近に気のおけない友人がいてくれるというのはありがたいことですね。

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