’26.5.8 一期は夢よ

2026年7月25日土曜日

シェイクダウンについて

  シェイクダウン。レーシングカーなどの試運転。新しく組み上げたり改造した車や機械のテストすることをいう。先月、自転車を買った。新しい自転車の乗り始めも、シェイクダウンするといえば響きがいい。

 新しい自転車に乗るのは楽しみなものだ。乗り心地を試す。身体へのフィット感、加速の調子やブレーキの効き具合。走り始めるとすぐに身体が乗り味を感じ取る。

 初めてクロスバイクを買ったときはそうはいかなかった。比較対象になるものがない。この自転車は乗り心地はいいのか悪いのか。速いのか遅いのか。果たしてどれくらいの距離を走れるものなのか。

 当時は自転車に乗る仲間がいたわけではない。通販で買ったので、自転車屋さんで自転車の説明を聞いたわけでもない。無手勝流ではシェイクダウンと呼ぶにはほど遠い。

 クロスバイクを始めたときから、走行距離や平均速度、行き先などを記録に残している。記録の初回、近くのショッピングセンターまで5㎞の距離を走っている。2回目には32㎞走った記録がある。これなら遠くまで行けるという手ごたえを感じたのだったか

 1年後に2台目となるロードバイクを手に入れたときには、いきなり78㎞走った記録が残っている。スピードが出て乗り心地もいい。クロスバイクで走った経験と較べて、これはイケると思ったのだろう。

 その後手に入れたマウンテンバイクも含めると、今回は4台目の自転車。これまでの自転車と乗り比べ、じっくりと乗り味を確かめて走るゆとりがある。シェイクダウンしている。

 シェイクダウンはスラングとして脅迫やたかりという意味に使われる。事態が落ち着くとか調子が整うという意味もある。できれば後者の意味通りに、新しい自転車を加えた事態が落ち着き、走りの調子が整えばいいのだが。

新しい自転車には
新しい色、寸法、性能

この自転車には
行き先の記憶が
今のところない

これまでの自転車とは
全く違うともいえるし

これまでの自転車と
さほど変わらないと
いえるかもしれない

2026年7月18日土曜日

日々是快適か

 自転車に乗ることはいいことずくめで日々是快適か、というと、そうばかりでもない。

 ブログの記事には、自転車にまつわる面白いことや楽しいことを書くようにしている。難儀なことや心配なことも書きはするが、それも楽しみのうち、というとらえ方をすることが多い。

 3年前に「夏場の過信」というタイトルで、自転車に乗っていて熱中症になりかけたことを書いた。そのときもあまり深刻にはとらえていない。

 いくつかの記事を読み返してみても、年寄りにしては元気がいいなと思える。これではイケイケの爺さんではないかと思うことさえある。

 それが、最近は少し様子が違う。この暑さの中へ自転車を漕ぎ出すのは危険ではないか、と妙に用心深い。自転車仲間も、自転車に乗る回数が減っている。走行距離も少なくなっている。無理はしなくなった。一緒に走る機会も減りつつある。同じような年齢の人ばかりだから、それもうなずける。けれど、ジリ貧ではさみしい。

 自転車で出かけた先々で写真を撮る。その写真から新鮮味が失せている。写真の腕はもともと大したことはない。それを差し引いても近頃は特に凡庸、これもジリ貧。

 いつまでも同じペースで走りつづけられるわけではないし、いつも新鮮な気分でばかりいられるわけでもない。退化もするし、飽きることだってある。

 新しい自転車を買ったのには、かくれた理由もある。生産中止で今後手に入らない。在庫処分で安い。それもあるが、もう一つ、ここらでこれまでの自転車とのつき合い方を見直す、というのがその理由だ。

 新しい自転車を仲間に加えれば、新しい走り方が始まる。新しい自転車を被写体にした写真も撮れる。低迷気味のムードを挽回する。

 自転車1台が起死回生のためのカンフル剤になるといえば大げさだが、ちょっと気分転換を図りたい。無理や無謀は慎むにしても、イケイケの爺さん気分も残して、日々快適に自転車に乗りたい。

夏も74回目ともなると海千山千
かなり手ごわい相手だ

孫の夏はまだ10回目で
孫も夏もお互いに
無邪気なものだ

子どものころには
近くの遊び場まで
夏を迎えに行った

夏休みの近づいた小学校では
放課のチャイムが鳴っている

2026年7月11日土曜日

恋を抱きしめよう

  前回のブログに書ききれないことがあった。前回引用したビートルズの楽曲は『恋を抱きしめよう』というタイトルである。

 原題は『We can work it out』。直訳すれば、私たちはそれを何とかすることができる。何とかうまくいくさ、とか、どうにか解決できるさ、くらいの意訳もできるだろう。 『恋を抱きしめよう』という曲名は、原題とはかなり意味合いが違う気がする。

 前回、歌詞の内容にももう少し触れたかった。ポール・マッカートニーの歌詞は、「僕のやり方を理解してくれ ちゃんと話を聞いてくれ 君のやり方ではこれ以上うまくいかないだろう 時間が経てば判るはずだ」と、中身は判らないが、恋人を説得しているように思える。シンプルな歌詞である。

 ジョン・レノンが、ポールの作った歌詞の途中へ「Life is very short, and there is no time for fussing and fighting, my friend」と、仲裁するようなフレーズをはさんだ。「人生は短い。つまらない事で大騒ぎしたり喧嘩したりしている時間はないぞ」というわけだ。仲間内での冷やかし半分のところもあるのか。

 自転車の通販サイトを見てああでもないこうでもないと考えているときに、たまたまビートルズを聴いていた。このフレーズが耳に残った。

 若いころのジョンが「人生は短い」といっているのと、私の余生ではわけが違う。迷っている時間はもっと少ない。余生が長いか短いかよりも、余生に意味があるかどうかだ。すっからかんの余生ではつまらない。

 前回のブログを書いたあとで、思わぬ符合にも気がついた。「We can work it out」、何とかうまくやれる。新しく買った自転車と私の関係も、何とか折り合いがつくだろう。「恋を抱きしめよう」ではピンと来ない。原題の「We can work it out」なら「We」を私と私の新しい自転車のことに置き換えて、何とかやっていけるだろう。

古い歌を口ずさみながら
新しい道を走った

古い歌が
その時々に
新しい意味を見つける

リズムが重なり
旋律が躍り出す

遠い昔に聴いた歌が
幾重にも折り重なって
耳元に流れている

2026年7月4日土曜日

自転車、買いました

  新しい自転車を買いました。前に何度かこのブログで、もう1台自転車を買うかどうか、迷っていることを書いた。迷いのはじまりは、今も乗っているラレーというブランドの自転車が生産中止になるというニュースだった。

 現在の愛車、ラレーのことについても、いろいろ紹介してきた。愛着のある自転車だ。新家工業がイギリスのラレーという自転車をライセンス生産している。クラシカルな雰囲気が漂う。

 アルミやカーボンフレームの自転車が主流の今でも、鉄(クロモリ合金)製のフレーム。使われている部品もちょっと時代遅れの感がして、それがまたいい。

 そのラレーの自転車が今後は作られなくなる。今もラレーのロードバイクに乗っているが、もう1台、少し性能の違うものを手に入れておきたい。

 買う理由はある。今後ラレーの自転車は中古車以外では手に入らない。今なら製造中止前の在庫が定価の半額近い値段で買える。今の愛車は買ってから14年も経っている。その間に同じブランドの自転車で古めかしいとはいえ、新しいモデルへと進化はしている。

 買わない理由もある。何台も持っていても、全部の自転車を乗りこなせるとは思えない。いつまで自転車に乗れるかもわからない。新車を買えば、自分の身体に合わせた改造用の部品も欲しくなる。余計な出費が増える。今更新車もないだろう。

 Life is very short and there is no time、ビートルズの楽曲の歌詞が思い浮かぶ。言い争いをする恋人たちのことを書いたポール・マッカートニーの歌詞に、ジョン・レノンが付け足した1節。「人生は短い、喧嘩をしている時間はないぞ」

 若かったジョンがLife is very shortといったのと、私の今の心境は違うだろう。けれど、逡巡している時間が勿体ないのは確かだ。買ってしまえば、乗るにちがいない。乗れば、新しい自転車の真価もあらためて判るだろう。

 かなりの高齢にはなったが、やってみないと判らないことはまだまだ多い、と、まぁそんなことで、もう1台、自転車を買いました。

Life is very short, and tehre's no time,
for fussing and fighting , my friend

ジョンだってポールだってわたしだって
人生が短くて時間がないのは同じだ

短い余生という決まり文句は
この辺りで捨てていく

余生は長さで計らない
深さで計り重さを計る