フランク・ボーデンは、香港から帰国したとき、不動産事業の激務ですっかり疲弊していた。医師の勧めで自転車に乗りはじめ、健康を取り戻した。彼は自転車にはまった。
1888年、彼は故国イギリスのノッティンガム市、ラレーストリートにあった自転車工場を買い取り操業を始めた。ラレーサイクルカンパニーである。同社の代表作の一つロードスター号は日本の一般用自転車の原点になった。
同じころ、新家熊吉は、石川県加賀の山中村で漆器業を営んでいた。商才に秀でた彼は、海外へも行商に出かけ、そのときに見た自転車のリムを製造することを思いついた。
1903年(明治36年)、彼は「新家商会」を設立し、自転車用木製リムの製造販売を始めた。1915年(大正4年)には金属製リムの製造に成功、現在の「アラヤリム」の礎である。
1946年から完成自転車「ツバメ号」を売り出し、現在の新家工業は「ARAYA」の商標で、マウンテンバイクやツーリングバイクを製造販売している。
英国と日本の老舗が創業から100年経った2003年に出会った。新家工業がラレー社とブランドライセンス契約を結び、和製ラレーの完成車を売り出した。いはばラレーは借り物の名前だが、ツバメ号以来の新家工業の伝統と技術は和製のラレーにも反映されているはずだ。
私がクロスバイクを始めて1年、本格的なロードバイクが欲しいと思っていたころに、この和製ラレーを自転車雑誌で見かけた。当時流行り始めていたカーボンフレームやディスクブレーキには目もくれず、鉄(クロモリ)フレームにリムブレーキ、ひたすら頑固だ。競輪用自転車のリムは全て新家工業製といわれるだけあって足回りはひたすら頑強だ。
和製ラレーではあるが、イギリスで130年以上も前から作られている自転車の佇まいが雑誌の写真から伝わってきた。これに決めた。以来、12年間乗っているが古びない。先日、小径車を1台買い求めた。何台も候補はあったが、これもラレーの自転車に落ち着いた。
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それは今になって 忽然と姿を現した ものではないのだ |
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100年の時を超えて作られつづけ 海を越えて広がりつづけた |
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エンブレムが世界に根を張り ロゴが歴史を語り継いでいく |
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いつの時代でも 愛着をまとって 走りつづけている |




MARIOさんのロードバイクがラレーだとは、ブログの写真などでわかっていました。しかし、今回ARAYAとの関係など驚くことが書かれていて、とても興味深く拝見しました。
返信削除自転車とは全然縁のなかった人が、あることをきっかけにどんどんハマっていき、やがては人生の中心となるわけで、まさに子どもの頃に読んだ伝記のように思えます。。
フランクは不動産屋、新家は漆器業。かたや健康維持のために自転車に乗り、もう一方は海外行商で見た自転車のリムがきっかけで『よし、これだ!』とひらめき、即実行に移していく。
やがて100年後、遠く離れた日本と英国、ARAYAとRaleighが締結し、技術と伝統が反映されるというドラマが誕生したのですね。
MARIOさんが初めて購入されたのがARAYAのクロスで、次がラレーのロード。さらには、奥様愛用の小径車もラレーとは、信頼されている証ですね。
今回の写真を見ても、落ち着いたたたずまいやロゴ、エンブレムから風格や歴史が漂っています。いつまで乗っても、飽きがこないのが、伝統という重みでしょうか。
新家工業の販売している「ラレー」は、ラレーの名前だけを借りたもので、英国製のラレーとは似て非なるものという評価があります。ARAYAの真面目な自転車作りが反映された良い製品という見方もあります。
返信削除素人では判断がつかないところもありますが、私の和製ラレーは長く乗っていても不具合がなく、色褪せて来ないところをみると、良い自転車だと思います。
初めて手に入れたクロスバイクは、ブリヂストン製でした。何もわからないので、有名メーカーの自転車なら間違いないだろと思って買いました。無難なエントリーモデルですが、自転車の世界を教えてくれた貴重な自転車でもあります。
べーえんべーさんも既に済ませてみえるかもしれませんが、愛車やそのメーカーの来歴を調べられると面白いかもしれませんね。どんな自転車に乗っておいでなのか、よろしければお教えください。