子どものころ、友だちとの別れ際のあいさつは、決まって「また、あした」だった。あしたも会えると確信していた。
自転車で走っていると、ひょんなところで懐かしい知り合いに出会うことがある。自転車のスピードなら、しばらく会っていない人でも、すれ違いざま瞬時にそれと判る。久しぶりに会った人としばし立ち話をする。近況やら、共通の知人の消息やら、短い間に矢継ぎ早の会話になる。
別れ際、「近いうちにゆっくり会いましょう」とか「一度、拙宅にお立ち寄りください」ということになる。共通の知人も誘って、と念入りな話になることもある。
そうやって別れて、では、その後、時間をとって会うかというのと、そうでもない。ゆっくり会うことも、お互いに訪れることもなく、時が過ぎていく。また会おうということなら、その場で次に会う場所と時間を決めておかないと、次の機会はやって来ない。
ご近所の自転車仲間の一人は、一緒に走ったあとは、次に走る日時を決めておこうと言って、必ずスマホのカレンダーを開き予定を書き込む。こうしておけば、まちがいなく次も一緒に走れる。
この歳になると、次の機会は日程が許すかぎり早いのがよい。遠すぎる約束をすると生存の確率が低くなる。約束の期日まで元気かどうか怪しいものだ。
遠い約束はいいこともある。例えば誰かと5年後に自転車で走ろうと約束をすれば、それまでは元気に自転車に乗りつづけなければならない。
子どものころのように無邪気に「また、あした」と約束をして別れることはなくなった。今は、「また、一緒に走りましょう」という自転車仲間との約束を大切にしている。
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また、あしたといって さよならしたら |
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あしたもきっと あなたに会える |
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ちかいうちに会おうねといって 別れてしまえば有効期限が曖昧で |
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いつか会えたらいいねなんて 約束ともなくいっていたら フェードアウトしてしまう |
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必ず会うためには 時と場所の座標を描く あるいは また、あしたと 呪文を唱える |





私の一日は、ご近所を散歩することから始まります。5時頃に起きて、5時半くらいから歩き始めちょうどその途中にお墓があるので、ご先祖様に生かされている感謝と今後の健康や幸せなどのお祈りをします。
返信削除1年を通してほぼ毎日欠かさぬルーティンであります。大雨や暴風のときは控えますが。で、この時間帯に毎日出くわすのが、ご近所で仲良くさせてもらっている同年代の御仁。
いつも立ち話ではなす内容は、家庭菜園の状況やご近所の噂や情報交換などの四方山話。
別れ際に彼が放つ一言は、『じゃあまた今度』。もうしばらく会わないような言い方に私は苦笑い。明日も会うことはわかりきっているのに。
まだ現役で働いていたときに仕事場から退出するときは、決まって『お先に失礼します』。
また、あしたという言い方は、あまり記憶にないです。でも今回のお話で、また、あしたの言葉には多くの意味合いがあるのだと実感ました。
毎朝お墓詣りをされるとはご立派です。
返信削除私は、近くに先祖の墓があっても盆と正月くらいしか墓へは行きません。少しはべーえんべーさんを見習わないといけませんね。
仕事を離れてからは、明日も必ず会うという人は家人以外にはなくなりました。
明日の朝も必ず目が覚めて、明日も自転車に乗れる、というのも、この年齢になるとどうなることか判りません。「また、あした」というのは大事な祈りの言葉のような気がします。