昨日、ご近所の四人で連れ立って、鈴鹿の椿神社まで自転車で行った。到着するとサイクルコンピュータは走行距離を22.59㎞と表示していた。他の人のメータ―も、多少の誤差はあるがほぼ同じだ。自動車ならともかく、自転車の速度や走行距離が正確に測れることは、ご存じない方も多いだろう。
車輪のスポークに小さな磁石を取り付け、その磁石が通る回数をフロントフォークにつけたセンサーがカウントする。回転数と車輪の外周の寸法から速度や走行距離をコンピュータが計算する。マッチ箱くらいの小さな装置がそれをしてくれる。
センサーが感知した車輪の回転数の信号は、前輪からハンドルにつけたサイクルコンピュータに電波で送られて計算される。速度や走行距離が小さな液晶画面に表示される仕掛けだ。
椿神社までどんなコースを走ったか。到着後にスマホのアプリを使って、地図上に書きこまれたルートを確認する。これは車輪からハンドルまでのわずか数10cmを飛んだ電波ではなく、GPS衛星との2万kmもの距離を行き交う電波で自転車の位置を計測して地図上に残された記録で確かめる。
せっかく来たのだからと、椿神社の境内で写真を撮る。スマホで撮った写真は電波に乗ってクラウドに送られ保存される。帰宅後、家の中を飛び交うWi-Fiの電波を使って、コンピュータに写真を取り込む。
一緒に出掛けた人たちに、写真や走ったルートの地図をLINEで送る。電波に乗った記録がそれぞれの人の手元に届く。
自転車でただ走るだけではつまらない。どんな道を、どれだけの時間をかけて走ったか。記録に残せば話題は増える。楽しみも広がる。見えない電波と一緒に走れば、見える記録になって残される。
それにしても、よく電波が混信しないものだ。走る自転車の周りを無数の電波が飛びまわっている。私の耳が高周波の電波に同調し感応したら、情報の多さに頭はきっとパンクする。
![]() |
まつわるものを剥ぎ 背景を拒否した孤立 |
![]() |
天空をさして 屹立する孤立 |
![]() |
風景のなかで 静思する孤立 |
![]() |
波は川面に広がり 周波は同調されて 孤立の居場所を 繋ぎとめていく |
![]() |
静寂のなかに 暮れていく孤立 |





『電波は走る』というすごいタイトルですが、素人でも理解しやすい文章にしてあり、おおむねイメージが湧きました。
返信削除それにしても、自転車のスポークに取り付けた磁石からハンドル上のサイクルコンピュータへデータが送られ、それを事細かく処理。さらにはGPSを使ってその日に走った道筋を、正確に地図上へトレース。撮影した写真は、クラウドに保存され必要に応じてパソコンで利用できる。一昔前では到底考えられないことです。
これらはすべて電波という目に見えないもののなせる技なのですね。
「見えない電波と走れば、見える記録となって残される」
とても素晴らしい表現で、感心しました。
今回の写真も、スマホだけで撮影したものとは思われぬ美しさと構図のうまさ。さらに添えられた詞が、難解でありながらその意味を説き明かそうとする自分が楽しくなるような、不思議な満足感をもたらします。
つまらない疑問ですが、写真に合わせて詞を作るのか、詞に合わせた写真をもってくるのか。どちらなのでしょう。
いつもお褒めの言葉をいただきありがとうございます。褒めていただけるかどうかは別にしても、書いた意図をよく判っていただけることがうれしいです。
返信削除電波が飛び交っていて、自転車で走るときにもその恩恵を十分に受けていると思います。電波が使えないと完全に孤立していまいそうです。一人で走っているときにも、どこかで何かに、誰かにつながっていると思えば安心です。
もともと、このブログを始めたきっかけの一つは、撮り貯めた写真を整理したいというところにありました。写真の撮影場所や日付を説明するのではなく、イメージを添えておきたいと思いついたのが始まりです。そういう意味では、写真にことばがついてくるということでしょうか。
写真はブログの本題とずれていることもありますが、必ず自転車を写したもので、どこかで本文の内容に通じるところがあればいいと思いながら選んでいます。