伝統を継承するには「守破離」が重要。元々は千利休の教えをまとめた『利休道歌』にある「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」に由来。修行をする者は、師匠から習った型を徹底的に「守る(真似る)」。それを身につけた段階で初めて既存の型を「破る」ことができる。さらに鍛錬と修行を重ねると自らの発見から新しい流れが生まれる。それを「離」という。型を学ばないものが型を破っても「型破り」とは呼ばない。「型無し」なのだ。
これは、文藝春秋’20年1月号に掲載されている『その風を得て 玉三郎かく語りき』という真山仁の記事を抜粋、引用したもの。
「型破り」は称賛されるが「型無し」はいただけない。
長い引用になったが、私の自転車生活は、この記事を読んで考えるに、すべて「型無し」。そもそも、自転車に乗ることについて教えを乞う師匠がいない。すべて自己流。独学というと聞こえはいいが、見よう見真似。勝手気儘。独立独歩ともいえるが独善におちいりやすい。自転車の乗り方も整備も、服装さえも基本的には判っていないということである。
ビブリオグラフィー(参考文献目録)もいずれは紹介するとして、本や雑誌はかなり読み漁った。『大人のための自転車入門』、『自転車の教科書』、『ロードバイクの科学』、変わったところでは『行かずに死ねるか!世界9万5000㎞自転車ひとり旅』(ここでは、著者と出版社は省略)などなど。参考にした本は枚挙にいとまがない。自転車の乗り方も整備の仕方もかなり勉強はしたつもりである。とはいえ、本は本、できれば実用を教えてもらえる生きた先達が欲しい。
自転車通勤の記事では、夏でもそれほど暑さは感じない、冬も寒くないと書いた。それは強がりではなく実感であるが、では、ウェアーはどうしているのかと尋ねられても、決して本格的な服装で乗っているわけではない。自転車用のウェアーは高額である。夏は極力薄着をするだけ。厳寒時の防寒には保温のできるインナーと風を通さないアウターを組み合わせ、肌を出さない。オートバイに乗っていたころの単純な経験則。 着ぶくれで不格好である。
タイヤのはめ換えや、スプロケットの交換も試してみた。ブレーキシューを着け換えるときはトーインをつける方がいいとどこかに書いてあった。それもやってみた。試行錯誤を繰り返すことで、今のところは満足できる程度の乗り方や整備方法を会得していると自分では思っているが、詮ずる所「型無し」である。開き直って、「型無し」は「型無し」なりに「型無し」を極め、それを「型」にして楽しむほかない。自転車に詳しい人からすれば、大いなるミスマッチが随所に見られることだろう。
リアスプロケットとチェーンを交換してみる |
変速の具合も上々 |
ホイールも交換してみたくなったのでちょっと上級の自転車に 標準装備されているようなものをネットで購入して交換 スポークの形状などには満足できるものの… |
何とも落ち着きのない雰囲気になってしまった |
気になるステッカーをはがしてしまう ヘアドライヤーで温めたり、ステッカーはがし液を試したりして 落ち着きを取り戻す 「型無し」ではあるが、自分では満足している |
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