何をするにしても無駄を省きたい。この歳になると、欲しい物がそれほどあるわけではない。持ち物を整理することはあっても、増やすことはしたくない。シンプルに、身軽に、無駄を省いた生活をするのが理想である。
物を持たなくてもいい時代である。インターネットにアクセスすれば、映画も音楽も好みのものをいつでも観たり聴いたりできる。大概の本や雑誌は電子ブックで読める。レコードやカセットテープ、書籍を棚に並べていたのは昔話だ。
スマートフォンが、辞書や地図の代わりをしてくれる。写真のアルバムもアプリが整理してくれる。スマホには何でも詰まっている。無駄な物を持つことはない。無駄な時間を費やすこともない。
自転車の手入れや整備も、無駄を省いて簡単に済ませたい。いつものコースを走り、たまには遠出をしたい。整備の時間はできるだけ少なくして、走る時間をふやしたい。
先日、愛用のロードバイクのギアやチェーンを交換した。快調に回り変速するが、クランクギアの色や形がしっくりこない。純正品が見つからなかったので、自転車の姿がちょっとだけだが変わってしまった。
そのままでも支障はない。もう一度ギアを交換するのは、部品代も交換の時間も無駄になる。それを承知で、別の新しいギアをインターネットで探してみる。これというギアが見つからず時間が過ぎる。無駄に無駄を重ねていて抜け出せない。
一枚のギアを捜しているうちに、ギアの規格や値段、取付け方にも詳しくなった。無駄が無駄でなくなり、賢くなれたような気がする。
フランス製のSPECIALITES T.A. ZEPHYR というクランクギアを見つけた。少し高価だし、これまでのものが無駄になる。予備にストックしておけば持ち物がふえる。大いなる無駄、とはいえ、これぞ自転車の楽しみ。走行会仲間と無駄口をきいていても、そこには創意や熱意や諧謔や、愛情さえあふれている。無駄や無駄口は簡単には省けない。
寒い曇り空の下を 遠くまで出かけた
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向かい風をついて 山に登った |
追い風に乗って 海まで下った |
今日は 早咲きの桜を 眺めている |
無駄は無駄のまま 無駄に無駄を重ね 無駄が無駄でなくなる |
2 件のコメント:
人生に無駄はない、とか聞いたりしますが、本当でしょうか。
大抵それは何かを成し遂げた人が、自分の人生を振り返ってみて思うこと。
大したこともやっていないごく平凡な人間、つまり私どもにはなかなか悟れない境地であります。
休日で、特に何の予定もなく、24時間自由だと思うと、つい昼間からお酒を飲んで、テレビを観たり音楽を聴いたりしながらゴロゴロして、一日が過ぎていく。
寝る段階になって、ああ今日も無駄に過ごしてしまったなと後悔する。
限られた時間、人生の中で、何もせずに時間だけが潰れていくのはもったいないとわかっていても、なかなか改善できません。
MARIOさんの場合、自転車の部品交換、修理作業、情報収集などの活動を通して、無駄な時間だったかどうかを考える。
私は、何もしない無の時間だから、生産性ゼロ。無駄を省くにも、省くものがない状態といえます。
やはり、無駄なものを見つけるためにも、いろいろ動かなければいけませんね。
目的もなく自転車に乗ったり、必要でもない自転車の部品を取り換えたりするのは無駄なことのように思えます。
べーえんべーさんのいわれる、生産性ゼロの行為といわざるを得ません。
それでも、自転車に乗ることで健康が維持できているのかもしれないですし、自転車を整備することが新しい目標になることもあります。無駄の効用も捨てたものではありません。
無駄をなくすことばかり考えていると、肝心なものまで置き忘れそうです。気持ちにゆとりを持つためには
無駄なことや無駄な時間も必要だと思っています。最近は効率ばかりを求めて、ゆとりや無駄は目の敵にされていますが、案外大事なもののような気がします。
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