「優しさにひとつ気がつく ✕でなく〇で必ず終わる日本語」。俵万智さんの短歌である。
少し前に、「マルハラ」という言葉が話題になった。若者が怖いと感じるマルハラスメント。彼らは「はい。」「了解しました。」「連絡ください。」と、中高年から送られてくるメッセージの文末に句点がついていると、距離感や冷たさを感じ、恐怖心を抱くという。チャット感覚でLINEのやり取りをする若者たちは、句読点をつけた長いメッセージをおじさん構文、おばさん構文と呼んでいるらしい。
否定的な✖ではなく、必ず文の末尾に〇をつける日本語。気持ちもマルくおさまりそうではないか。〇が怖いなんて言わずに、その優しさすばらしさに気づいて欲しいというのが冒頭の俵万智さんの短歌。その短歌の意味さえ判らないという若者の投稿もネット上に見られた。本を読まない、長編小説など無縁という人なら、句読点は無用かもしれない。丁寧に正しく文意を伝え、正確に読み取ろうとすると句読点は省けない。そう思うのは自分だけか。
自転車とマルハラには、さて、どういう関係があるか。こじつけていえば、〇の怖い人は自転車には乗れなくなる。自転車の構成部品はほとんど円形、〇なのだ。タイヤが丸いので、その中に入れるチューブも、それを支えるリムも丸い。力を伝える歯車も〇型だ。おまけに周りには尖った歯が並んでいる。丸いものづくしの自転車に、〇の怖い人は距離感や冷たさを感じ、恐怖心を抱くことになりはしないか。その割に、若者の間でもスポーツ自転車は人気がある。
自転車は面白い、自転車は健康にいい、ぜひ自転車を始めるべきだ、などと強調し過ぎると、バイクハラスメント、「バイハラ」もしくは「チャリハラ」と指摘を受けかねない。日本語の〇も自転車の面白さや部品の〇もなくてはならないと思ってはいるが、若者には無理強いしないの方がよさそうだ。
〇を重ねて 〇を繋げて 形をつくる |
〇は錆びついた過去か |
大きさで威圧し |
高さで迫り |
繰り返して 押し寄せる |
2 件のコメント:
マルハラなる言葉を初めて知り、いかに世間の情報に疎いか恥ずかしい限りです。
俵万智さんの今回の一首。前書きに『 句点を打つのも、おばさん構文と聞いて...
この一首をそっと置いておきますね~ 』と添えられた言葉にも、彼女の優しさが感じられます。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
もう数十年前に出された第一歌集サラダ記念日のなかでも有名な歌ですが、短歌を口語で表現するという技法には驚かされました。研ぎ澄まされた感性で心情や思いを伝える作品は、私のようなド素人でも、惹かれるものが多くありました。
余談ですが、俵万智さんが気になりネットで遊んでいたら、恩師が早稲田大学教授の佐佐木幸綱氏。さて、どっかで聞いた名前だなとどんどん潜っていくと、祖父が佐佐木信綱氏。三重県鈴鹿市石薬師出身の歌人とある。
そういえば数年前、自転車仲間と走行会で鈴鹿方面へ行ったときに、信綱記念館前で記念撮影したことを思い出しました。
それがどうした、といわれればそれまでです(笑)。
自転車の○にコメントがつながらず、申し訳ありません。
ところで写真3枚目の、とてつもなく大きな○は一体何でしょう。ポンプですかね。
たまには自転車から離れた話題もいいものですね。自転車のことばかり書いていても、他のことも受信できるチャネルをあけておきたいと思っています。
俵万智さんは、『サラダ記念日』のころには若者の最先端を走っていたようですが、今ではおばさん構文の味方をするおばさんになりつつあります。それでも、日本語の特性を柔らかい日本語でさらりと詠むところはさすがですね。
師の佐佐木幸綱さんの作品も前衛で面白いです。
鈴鹿の佐佐木信綱記念館には、御祖父さんの作品と並んで幸綱さんの歌碑も建てられていると思います。
「肥り気味の黒豹が木を駆け登る殺害なさぬ日常淫ら」
「檻の中の黒豹と狩りをせぬ男わかりあいつつ目をそらすなり」
記憶が正確でないかもしれませんが、『動物園抄』という歌集に確かこんな歌があったと思います。手もとに歌集がありませんが、思い出したら面白そうなので、歌集を捜して読み直してみます。
写真の大きな物体は排水ポンプだと思います。岐阜県海津市の津谷川沿いで偶然見つけました。
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