冬をむかえる

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'25.1.22 山を見て走る

2021年3月20日土曜日

『チップス先生、さようなら』

  「霧深い夕暮れ、煖炉の前に座って回想にふけるチップス先生の胸に、ブルックフィールド校での六十余年の楽しい思い出が去来する…。腕白だが礼儀正しい学生たちとの愉快な毎日、美しく聡明だった亡き妻、大戦当時の緊迫した明け暮れ…。厳格な反面、ユーモアに満ちた英国人気質の愛すべき老教師と、イギリスの代表的なパブリック・スクールの生活を描いて絶賛された不朽の名作」 これは、新潮文庫版『チップス先生、さようなら』の短い解説である。

 『チップス先生、さようなら』を読めば、教職を生業(なりわい)としていた者なら、きっと自分の経験を想起する場面に出会うだろう。そうでない人も、自分の中・高校生時代を振り返れば、よく似た出来事の一つや二つは見つかるはずだ。

 「アラビアのロレンス」を観て、主演のピーター・オトゥールがチップス先生を演じた映画があったことを思い出し、「チップス先生さようなら」(1969)を観た。原作ジェームズ・ヒルトンの小説も読みなおしてみた。昔買ったはずの本が見当たらないので、電子版を新たに購入した。英語の原作は書架にあった。サム・ウッド監督、ロバート・ドーナット主演で1939年に製作された、原作を同じくする映画もある。これは、今回初めて観た。1939年版の方がストーリー展開は原作に近い。

原作では、チップス先生が、彼の教育観にまで影響を与えることになる妻キャサリンと初めて出会う場面で、自転車が一役買っている。「キャサリンのような人物に出会ったのは初めてだった。(略)当世風の女性、いわゆる“新しい女”には反撥を感じると思っていた。(略)チップスは前後の車輪の大きさが同じ安全自転車で湖畔の道を走って来るキャサリンの姿を目にとめることを楽しみに待つようになった」。当時は「自転車が大流行し、男ばかりか女までもが夢中になるありさま」で、自転車はキャサリンが新しい時代の女性であることを暗示する。因みに、「安全自転車」は原作の「safety bicycle」をそのまま翻訳したものである。

 1939年版の映画にも自転車が登場する。ここでは、キャサリンはオーストリアを自転車(bicycling)で旅する女性という設定になっている。チップス先生は、自転車に「女性がまたいで乗るのか?」と初対面のキャサリンに尋ね、「自転車は時速15マイル(字幕では25キロと翻訳)もスピードが出て恐ろしい。女性が乗るのは薦められない」と異を立てる。1969年版では、チップス先生とキャサリンの幸福な結婚生活の一コマとして、二人がサイクリングを楽しむ短いシーンが織り込まれている。

 チップス先生の生徒との関り方や教育観、妻への愛情、イギリスの教育制度やパブリック・スクールの伝統、そして第一次大戦下のヨーロッパ情勢など、原作や映画の主題は自転車とは別のところにある。初めて原作にふれたときには読み飛ばした自転車の短い場面が、今回はどういう訳か印象に残った。文学や映画の価値や本質は変わらない。読み手や鑑賞者の変化で、その都度ちがって現れる。最近は、どうも自転車に気を取られる傾向にある。

    表記は「チップス先生、さようなら」と「チップス先生さようなら」が併存する。ヒルトンの初版および映画の原題は “Good-bye, Mr.Chips” である。


Safety Bycicle(右)
前輪と後輪が同じ大きさ
チェーン駆動が特徴
フォークの形状も進化
 

安全自転車の宣伝用ポスター
ジョン・ケンプ・スターレーが考案
1885年に販売開始
イギリスから全世界を席捲


『チップス先生…』に登場する自転車に近い
安全自転車には婦人用もあった
「女性用もあるのよ、ご存じない?」
というセリフが1939年版の映画にある
「ママチャリ」の原型

女性二人のbicycling
映画版『チップス先生…』(1939)では
キャサリンが女性の友だちと二人でオーストリアを旅行

娘とbicyclingに出かけた
前の自転車は愛用のアンカー
世が世なら娘も先進的な女性というわけだ

愛用のラレーもヴィンテージ風に変身
Safety Bicycleの現代版

つい最近の写真を
古い写真のように加工してみたが…

新しい写真の
画素を細工して
光沢を消しても色彩を薄めても
古い写真から
時の移ろいが
光沢を奪い色彩を剥いだようには
残したいものが残せない
残りたいものが残れない
呆気ないし素気ない

時に任せて
ゆっくりとていねいに古びる
抗うこともできないし
真似ることもできない







2 件のコメント:

  1.  『チップス先生さようなら1939年版』を先ほど観ました。
    映像は白黒で古いですが、内容に惹きつけられて一気に最後まで観てしまいました。なかなか感動的なお話で、チップス先生のような人に教えてもらった生徒たちは幸せだったと思います。

     自分がこれまで出会った先生というと、お決まりの押しつけがましい生徒指導で授業は面白くもない詰込みの一斉指導。
    温かくて優しい人間味のある先生は、記憶にありません。
    たぶん私の運が悪かっただけで、日本の中にはたくさんいるのかもしれません。
     一人忘れていました。MARIOさんはチップス先生の雰囲気をもった教師
    だったと感じます。
    ブログの端々から教員時代の振る舞いやようすが浮かんできます。

     生徒は教師を選べないから、かわいそうですね。
    よく始業式の担任発表での生徒や親の反応で、教師の人柄や性格などが読み取れたりします。

     さて、映画のなかで女性二人の自転車はあまりわかりませんが、でも何かカッコよさお洒落感が漂っていたのは事実です。
     私も自転車をしっかり磨いて、心の洗濯をしたいと思います。
    アラビアのロレンスも観たいですが、227分超大作というフレコミで観る前に満腹感を覚えてしまいます。いつになるやら・・・。

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  2. 国や場所は違っても、教員魂には通じるものがあるような気がします。自分はいい先生だと思っている先生が多いと思うのですが、自分でいい先生だと思っていると、いい先生にはなれない気がします。チップス先生のように悩み多い先生が、きっと魅力的なのでしょう。

     先生の若い頃は、生徒の方でも近寄ってくれますが、歳をとっても子どもたちが慕ってくれるというのは凄いことですね。自分の尺度ではなく、子どもの尺度でものを観て、考えて、悩む。チップス先生にそれを教えたのは奥さんですね。

     HK(話変わるけど)、 「アラビアのロレンス」、鑑賞に時間はかかりますが、
    観はじめたら一気にもっていかれますので、決して長くは感じません。序曲、休憩 終曲込みの長さだと思います。今どき、そんな映画はないですね。


     

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