たかが自転車のハンドルである。実用自転車であれば、新しく買ってから乗らなくなるまで、ハンドルを交換することなど考えもしないだろう。初めて乗ったときにハンドルのイメージは固まり、色も形もそんなものだと思いこむ。
ハンドルとは舵取りをするものだと思っていた。スポーツ自転車に乗って、それだけではないことに気がついた。方向を変えるというよりも、身体を支え、バランスを取り、ときには危機を回避する大事な装置なのだ。
速く走ろう、遠くまで走ろうと思うと、ハンドルの形が大いに影響する。ハンドルの形が変わると、乗車姿勢が変わる。姿勢が変わればペダルの踏み具合も変化する。舗装路を走るか不整地や山道に乗り入れようとするかでも、ふさわしいハンドルの形は変わってくる。
写真や映画に登場する自転車を見ていると、お洒落なハンドルが自転車のスタイルを引き立てている。ハンドルに巻かれたバーテープやグリップの色使い、ハンドルの形は自転車の顔だ。その自転車がどんな使われ方をしているかまで判る気がする。
少し前に、クロスバイクのハンドルを交換した。ノースロードバーという珍しい形のハンドルだ。ハンドルを換えたら、グリップの位置が低くなって乗りにくい。ハンドルを支えるステムという部品でハンドルの角度と高さを変え調整を繰り返した。
サドルの前後の位置や角度も少し走っては変えてみる。一番しっくりするポジションを探す。速く走ることよりも、長距離を乗っても疲れが少ない自転車にしたい。
もっと違った形のハンドルの方がいいのではないかと迷いが出る。ハンドルのお値段、千円ちょっとくらいのものから、何と1本10万円を超えるものまで。形に色にお値段に、それに加えて取付け位置まで、迷いはじめればきりがない。たかがハンドルではすまされない。ずぶずぶと深みにはまる。これがハンドル沼と呼ばれる底なし沼か。
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色、形、手触り デザインと機能の合意 |
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幅、高さ、角度、 乗りやすさと位置の同意 |
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走って、止まって、調整し 調整したら、走って、止まる |
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今年は遅れて来た曼殊沙華 |
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ハンドルの先に赤い道 |
子どもの頃、夕方からの楽しみは、テレビでした。
返信削除面白い番組はたくさんありましたが、ドラマや映画の中で出てくる底なし沼。主人公が沼にはまって、どんどん沈んでいく。胸から首、口まで浸かりはじめ、絶体絶命。必死の思いで目の前にあった蔓にしがみつく。さてこの子の運命はいかに・・・というところで来週へとつづく。
MARIOさんは、底なし沼ならぬ『ハンドル沼』に惹き寄せられ、ハマっていますね。世に『極める』という言葉がありますが、これはMARIOさんにぴったりの表現だと思います。何か気になることや興味があるものに対して、とことん追究していく姿勢、行動力がずば抜けています。私の場合は何でもほどほどに、壁にぶち当たればすぐに諦めてしまう性格。もう人生も後半に差しかかっていますが、MARIOさんの前向きさを見習いたいです。
さて今回の写真を拝見するだけでも、ハンドルと乗り手がやりとりしている空気感が伝わってきます。
べーえんべー
ご近所のテレビのある家に夕方と日曜日の昼はテレビを見せてもらいに行っていました。月光仮面に快傑ハリマオ、洋物では名犬ラッシー、快傑ゾロ。
返信削除べーえんべーさんのご記憶にもあるように、冒険活劇に底なし沼と断崖絶壁はつきものでしたね。
「次週につづく」といえば、紙芝居も思い出します。紙芝居のおじさんの自転車が、とても大きかったような記憶があります。
ポン菓子作りのおじさんは、リヤカーを自転車で引いて、「何でもはぜます、石ははぜません」といって回って来ました。私たちのところでは、ポン菓子を「はぜ」といっていました。
同世代が思い出話を始めると止まりませんね。