「みえの歴史街道」というインターネットのサイトを見ると、県内の旧街道が地図に示されている。親切なことに、それぞれの街道の詳しいウォーキングマップがダウンロードできる。街道の分岐点や要所の建物、石碑などが来歴とともに紹介されている。この地図が、自転車で走るのにも便利である。
中学生のころ、自転車通学をしていた路の一部を、大人たちが員弁街道と呼んでいた。「みえの歴史街道」では、この道が「濃州道」として案内されている。
濃州道は桑名市の三ツ矢橋を起点に、三岐鉄道北勢線に沿うように延び、北勢町阿下喜に至る。電車道の方が街道に沿っているというべきかもしれない。この道は阿下喜からさらに藤原町へとつづき、同町の山口で巡見街道と合流して終着する。この街道の一部が中学校への通学路だったわけだ。
今も、自転車で桑名方面に行くにも、いなべ市を通り抜けるにもよく通る道だ。交通は閑散としていて、鄙びた沿道の風情に心が和む。何とはなくゆっくりと走りたくなる。この道が「濃州道」と呼ばれた旧街道とは今の今まで知らずに走っていた。
道の名前を知ると、これまでの風景が変わる。ウォーキングマップの解説を見たからではない。「濃州道」を、今、走っているのだと思うことで気の持ちようが変わるのだ。
濃州、岐阜県の南部をいう。そこへつづく街道なので、濃州道と呼ばれたのだろう。この道を自転車で走れば、馬に乗った侍や旅の行商人、飛脚や荷を積んだ馬車と今も往き合うような気がしてくる。
琵琶湖畔のサイクリングロードだ、遠くは瀬戸内のしまなみ海道だといって、自転車乗りは憧れ、騒ぐ。誰もが走りたくなる風光明媚な道が気になって、家の近くの由緒ある街道を、そうとは知らずに走っていたり、走りもしないでいるのはいかにも迂闊である。
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濃州道と巡見道はここで出会っている 道はむかしから毎日出会い続けている |
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道は毎日出会い 毎日別れている |
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古い街道を行けば 古い時代にさかのぼる |
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古い街道を行くと 新しい時代にめぐり会う |
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この道は 役人を乗せた馬も通るし ハイブリッドの車も通る |
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街道が混み合うときは 足をとめて喉を潤す |
梅雨明け宣言は気象庁のミスだったのかと思われる、連日の雨模様。でもこれが普通ですよね。やはりどこまでも続く晴天の空に入道雲がニョキニョキと顔を出すのが、子どもの頃から焼き付いている夏本番の姿。ちりんちりんと鈴を鳴らしながらアイスキャンディーを売りに来る自転車のおじさんが懐かしい。
返信削除来週末くらいには、本当の梅雨明けがお目見えしそうですね。
みえの歴史街道を見させてもらいました。県内だけでも多くの歴史を辿る道があるのにびっくり。地元には濃州道と巡見道があり、それぞれ由緒あるものなのですね。子どものころから員弁街道と言っていたのは、正しくは濃州道。巡見道は、以前このブログでMARIOさんが触れてみえた巡見使が通った歴史ある街道。過去から現在につながる文化や人の営みに思いを馳せながら、歴史街道を走ってみると、また違った景色が見えてきそうです。
梅雨明け?したらのんびり自転車で走ってみたいと思います。
夏はアイスキャンデーのおじさんの自転車。春や秋の季節のいいときには、紙芝居のおじさんの自転車。ポン菓子(はぜ)を作ってくれるおじさんは、自転車のリヤカーにはぜを作る機械を積んでいました。子どものころから、自転車に乗ったおじさん、おじさんの自転車とは縁が深かったですね。
返信削除おじさんたちも、古い街道を通って、楽しみに待つ子どもたちのために来てくれていたのかもしれません。
昔むかしの情景を思い出すことが、新鮮なニュースに出会ったことのような気がするこの頃です。