冬をむかえる

冬をむかえる
'25.1.22 山を見て走る

2021年4月24日土曜日

はるがきた

 はるがきた はるがきた どこにきた
  やまにきた さとにきた のにもきた
  
       はながさく はながさく どこにさく
  やまにさく さとにさく のにもさく 
  
       とりがなく とりがなく どこになく
  やまでなく さとでなく のでもなく
    (高野辰之作詞・岡野貞一作曲)

 この童謡の繰り返しの何と単調なことか。この単調な繰り返しは、春でなければ成り立たない。夏を繰り返せば暑苦しい。秋なら繰り返していると深まりすぎてしまうし、冬だと冷えきってしまうだろう。

自転車に乗っていると、季節のうつりかわりには敏感である。風の暖かさ爽やかさ、陽のぬくもりと夕暮れのなごり。水の流れる音や樹々の揺れ方にも春が来たことを感じる。春の気配を先取りできるのは自転車のおかげである。

 それなのに、春の訪れを今頃書いているというのでは遅きに失する。季節を感じるセンサーが古びて、狂いが生じてきたというわけではない。ずっと前からセンサーは反応していたが、山にも里にも野にも自転車で出かけていって、春がやって来ていることを確かめていると、今になってしまう。どこに行ってもいつもどおりの春が来ているか、見てまわるには時間がかかる。

 春の訪れは、待ちに待った客人がはるばる訪ねて来てくれるのに似ている。いつの間にか、青葉、新録の季節になってしまうので、あまりゆっくりと話し込んではいられないが、遠来の客人と自転車に乗りながら過ごす時間は大切にしたい。春が来たことを何度も繰り返して歌っていたくなる。

 日足がのびたので、自転車に乗るには都合がいい。夕暮れにせかされて帰り道を急ぐ心配はない。心おきなく沿道の春を眺める。気分も身軽になれる。いつもの道からちょっとはずれて、竹やぶをぬけたり、雑木の林の向こうをのぞいたりする。自分が真っ先に発見したと思えるような、秘密にしておきたい場所が見つかる。春の秘境探検である。自転車を停めて川や池のほとりに降りてみる。そこにも春が来ていることを確かめながら、一息いれる。紫煙をくゆらす。今年も春が来ていることに安心する。

 山や里、野の春だけでなく、川や海の春も確かめにいった。萌える草、満開の花、こずえの新芽、光る水面、自転車に映る陽光。眼福の至りである。景色の色や光ばかりではない。季節の味も堪能できた。高級な食材を買うゆとりはないし、自分の味覚にも自信はないが、掘りたての筍をいただいて、春の香りと食感を存分に楽しんだ。口の中にも春がひろがる。飛び切りの贅沢である。菓子作りの得意な走行会仲間がこしらえてくれた桜餅が美味い。桜の花びらをちらし、ほんのりと桜いろに染めた外郎(ういろう)もごちそうになった。春の口福を味わうことができた。今年も満遍無く、いつもと変わらない春が来た。





山に来た春
樹々の間から春の陽がのぞく

里に来た春
道普請や農道の草刈りなど
村役に出そろう軽トラック
色は白ときどきシルバーがお決まり

野にも来た春
放牧されている自転車
ライダーも自転車も歓談中
(この写真は走行会の仲間が撮影)

山にも里にも野にも花が咲く
鳥もないている

春は海にも来ていて
ひねもすのたりのたりかな

海から吹く春風
春は影でさえ明るい

春風が大きな羽根をまわす
季節も銀輪もまわり始める








2 件のコメント:

  1.  静寂な森の中で、沁みわたる鶯のさえずり。春告げ鳥の真骨頂です。
    おそらく立春の初音から里山に下りてきて、かなりの練習をしたのでしょう。
    春真っただ中にふさわしい『ホーホケキョ』、完璧な鳴き声です。
     そんな生きている春を、ライブで収めるMARIOさんは、神業です。

     写真に添えたフレーズもロマンチックです。
     今回私が特に気に入ったのは、

      海から吹く春風 春は影でさえ明るい
     
      春風が大きな羽根をまわす 季節も銀輪もまわり始める

     写真をより引き立てる絶妙な言葉です。谷川俊太郎も真っ青では・・・。

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    1.  会いたい人に会うこともままならず、気軽に街に出かけこともできず、そんな厳しい折ですが、春はいつものように来ていることを確かめることができて安心しました。
       自転車に乗っていてよかったと思います。

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